水前寺成趣園

 久しぶりに晴れたので、お出かけ。先週、すでに水前寺成趣園では桜がけっこう咲いていたようなので、お花見におでかけ。
 熊本市内も、あちこち、ソメイヨシノが一分咲き程度にはなっている。千原桜などの遅咲きの品種も、ほぼ同時に咲いている感じ。途中、藻器堀川放水路などの桜を見ながら移動。見頃は来週後半くらいかな。


 水前寺成趣園の中の桜は、ヤマザクラなども混じっていて、すでに散りかけている木も。ソメイヨシノは咲き初め程度かな。中国語らしき話し声が多かった。
 古今伝授の間に上がって、抹茶とお菓子を楽しむ。今回は十六夜をチョイス。そういえば、ずいぶん久しぶりのような気がする。だいたい、入ったら抹茶をしばいてくるのだが。


 その後は県立図書館に移動。文学・歴史館の「文字が語る古代のくまもと」を再度見学。さすがに、国宝の平城宮出土木簡の本物は来ないか。一方で、軍団の団員名簿の軸のほうは、複製とは書いていないから本物らしいんだよな。


 帰りは江津湖経由で。
 夕方になって、風がめちゃくちゃ強くなって、帽子が飛ばされそうに。昼間はむしろ暑かったのだが、体感気温が下がる。

藻器堀川放水路の千原桜

 遅咲きの品種だけど、ソメイヨシノと同時期に開花。というか、ソメイヨシノより早く見頃になるんじゃなかろうか。今のところ、一分咲き程度。
 しかし、道路側をバッサリ切ってるの、本当にどうしてこんな切り方するんだという感じだよなあ。




















藻器堀川放水路のソメイヨシノ

 放水路の、東バイパスを挟んだ下流側はソメイヨシノの並木。東バイパスに面した一本だけ、割ときっちり咲いていて、あとはチラホラ程度。来週後半が見頃かな。





帯山西小学校の桜

 これはソメイヨシノではないみたい。けっこうガッツリ咲いている。


水前寺成趣園

 とりあえず、背景にビルがうつらないチャレンジ。といいながら、全然できていないな。










水前寺成趣園の桜

 ソメイヨシノはあんまり咲いていなくて、ヤマザクラ系の桜がメインなのかな。もう、散り始めている木もある。































古今伝授の間

 上に上がって、御抹茶を一杯。中を撮ったり、中から外を撮ったり。








ジェーンズ邸前の桜

 遅咲きの品種が、一輪だけ花を付けていた。



水前寺児童公園の桜

 ここの桜、咲き始めが早いんだよな。





















旧細川砂取邸庭園と県立図書館裏の桜

 こども本の森、建物はできあがって、内部の準備中のようだ。














江津湖の千原桜

 健軍川を渡って、南側に行く橋のたもとに千原桜がまとまって植わっている。




健軍神社参道

 三分咲き程度?







さき『ざまぁ後の王子様もらいます:だって顔が良いから!』

 なんか、ずっとキャンディスさんが、「顔が良い」と記憶を失っているシーンしか印象に残らないw


 主人公のキャンディスの、幼少時の事故でざっくりと左目を失い、顔に傷が入っているという容姿が印象深い。


 「真実の愛」に踊らされて「悪役令嬢」に婚約破棄を突きつけた王子。しかし、実際には「聖女である公爵令嬢」の伴侶が王になるということで、廃嫡追放されてしまうユベール王子。そこに、追い出すなら自分にくださいと空気を読まずに言い出すキャンディスさん。そのまま連れ帰って、同居生活に。
 最初はやさぐれ気味だったユベールも、徐々に適応して、家事王子に。ジャムを作りまくって、あちこちにお裾分けしまくったり。
 キャンディスは、のんべんだらりと騎士団のお仕事をしながら、空気を読まない発言をかます


 断罪の場から逃亡した「ヒロイン」ミモアは、行方が杳として知れない。
 そんななか、ユベールにミモアから手紙が送られてくる。何度かの接触を経て、王宮の裏手で待ち伏せすることに。他国の王子の力を借りて、ユベールを「助けよう」と接触してくる。そこに、待ち伏せしていた騎士や悪役令嬢たちが乱入。そこで、前世の記憶がよみがえって、人格が変わった「ヒロイン」と「悪役令嬢」の対決に。幼い頃はワガママだったけど、前世の記憶を思い出したことで、悪役令嬢としての役割から離脱しようとしたレベッカ。それに対して、小説の筋書きに強引に戻そうと動くミモアの対決。そこで、レベッカを傷つけようとしたミモアは捕縛されることに。
 「ヒロイン」に、「悪役令嬢」に、ずるいとわめく妹に、前世の記憶持ちのキャラがけっこう多めの作品だな。


 キャンディスは「悪役令嬢」が変貌する前に、友人というか、側仕えという立場だったのか。雪の日に抜け出したレベッカに連れられて森に入って、そこで立木の倒壊に巻き込まれて左目を失ったキャンディス。しかし、意識を取り戻すと、レベッカはすっかり別人で。
 惜しまれずに消えた、前世の記憶がよみがえる前のレベッカ。友人として、彼女を悼み続けたいキャンディスさん。たしかに、別人の記憶が混ざったら、別人格といっていいだろうしなあ。

ジェーンズ邸

 熊本地震で倒壊して、新たに水前寺成趣園南側の公園に再建が成ったジェーンズ邸。昨年9月から公開していたから、半年経って、見学に。倒壊前とは、壁の色が変わって、ずいぶん印象が変わった。こちらが元の色ということか。
 ちなみに玄関先の赤絨毯は土足禁止。忘れないようにしよう。


 内部は、一度ぺしゃんこになっただけに、古いものはほとんど無く、というか調度品が少なく、パネル展示メインで、ちょっとスカスカ感がある。パネルの内容は興味深いものの。

 一番印象深かったのは、やはり壊れて再利用できなかった部材を展示した部屋かなあ。木材って、地震の時にはホゾ部分が弱点になるのだな。そこが折れている部材が多かった。あとは、建築当初の材は、やはりそれなりに傷んでいたのだなあ、と。
 展示してある紙物の史料も、まとまった史料がかなり失われていたりと、傷跡の大きさをうかがわせる。


 ジェーンズ邸の変遷とかのパネル展示がなかなかおもしろい。見た目は洋風だけど、屋根の小屋組などの見えない部分は基本的に日本式の建築。あとは、移築されて南千反畑町で展示場として使われていた時には、間取りが変更されてベランダが室内に取り込まれていた。その後、水道町で日赤の記念艦として移築、更に一階のベランダも屋内かなどに改装。今回の復元に当たって、当初の間取りや塗色などに復元したそうな。


 外観。






 建築当初の柱受け。



 熊本県指定重要文化財指定書。額は失われたけど、本体は多少汚れた、と。



 瓦。移築のたびに、新しく似た瓦が製作されて、補われた。当初の瓦は三渕家の家紋が入っていて、古城にあった三渕家屋敷の瓦が転用された模様。




 階段。昔の建物だけに、けっこう急。



 鉄骨柱を立てて、耐震補強している。他にも、諸処に補強材を付けたり、基礎を頑丈にしたり。



 博愛社の設立請願書。まさに、この建物で日本赤十字の前身が認可されたと。



 二階から外を望む。



 坂上竹松関係史料。熊本洋学校に登校していた当時のノートなどの資料。収蔵庫に収められていた資料は生き延びたけど、展示されていた21点は大半が失われたという。ここでも、コピーが展示されているものも。



 再利用できなかった部材群。ここが、一番歴史を感じさせるなあ。こうしてみると、部材がけっこう傷んでいたのも、倒壊の一因かも。明治の金峰山地震では生き延びているわけだし。
 胴差の部材が立派。










 装飾の浮き彫り。



 家具類の残骸。粉々。




 シャンデリア。1970年の水前寺移築の際に設置されたもの。電器製品は再起不能だろうなあ。

選挙

 雨の中投票に。けっこうバタバタ降っていたな。やはり投票に来ている人は少なめ。とはいえ、期日前投票が23%くらいだそうだから、雨が降らないうちに投票した人が結構いそう。
 というか、誰も投票したい人が居ない攻撃。ほんと、消去法だわなあ。


 夜中に雷がガンガンなって、眠りを遮られる。寝る前に、嫌な予感がしてパソコンのコードを引っこ抜いておいたの、大正解だったな。雷鳴のたびに、変な夢を見たけど、どんな夢だったか思い出せない。
 最低気温も高くて、寝苦しくて、睡眠不足気味。なんか、頭の芯がぼーっとしている。


 チャーハン、ここのところ鍋で炊いたご飯が固まって、ほぐれなくて苦労していたので、水で流す荒技を試してみた。結果は大失敗。べちゃべちゃになって、炒めてもパラパラにならない。やはり、卵ごはんが最適解なのかなあ。

赤十字百周年記念モニュメント

 ジェーンズ邸の敷地内、向かって右手にある金属製モニュメント。碑文を見ると日本赤十字100周年の記念のモニュメントの模様。






銘板

愛の手とこしえに



銘板裏側

日本の赤十字活動は、1877年(明治10年西南の役
の際 熊本の地において敵と味方の別なく負傷者を
救護したことにはじまる  創立100周年にあたり
先人の注いだ情熱と遺業をしのび  赤十字活動の
発展を祈念して この碑を建立する


      1997年5月   日本赤十字社社長東竜太郎



モニュメント台座

制作 久保田晴彦と工房ジリオ

散髪

 明日から一週間ほど、天気がぐずつきそうなので、バタバタとお出かけ。
 午前中は、ここしばらくの懸案事項だった散髪を済ます。さすがに伸びまくって、耳に入ったりしていたので、すっきり。


 午後からは文学・歴史館で開催中の「文字が語る古代のくまもと」とジェーンズ邸の見学。あまり遠くに行きたくなかったので、比較的近場で済ます。ジェーンズ邸、こう、ものすごくスッキリした内装ですね。
 ついでに県立図書館をぶらぶらして、借りない予定だった本を借りてきてしまった。


 そういえば、ブックオフの渡鹿店が閉店していてびっくり。なにも知らず、えっちらおっちら本を担いで行って、跡地で立ちすくむところだった。すっかり更地に。というか、1月のはじめの方で閉店していたのだな。今年に入って、一度くらい前を通っているはずだけど…


 あとは本屋だのなんだの、お店をいくつか覗いた程度。
 つーか、気温が高いはずだからと、かなり軽装で出かけたのだけど、風を素通しでめちゃくちゃ寒かった。自転車から降りている時は、十分な程度の服装だったんだけれど、自転車漕いでる間は体感気温がめちゃくちゃ下がって、きつい。まあ、それだけ冷却効率が良くて、汗をかかなかったわけだけど。


 あちこち見て回ったけど、今年は桜の開花が遅いな。熊本の標本木はかなり遅い口だけど、だいたいまだ蕾か、咲いていても、まとまった範囲で一輪とか、そういう程度の場所が多い。満開は4月に入ってからになりそう。暖冬で休眠打破が遅くなったのと、咲く直前で寒の戻りがあったせいなのかな。
 毎年、水前寺だけは桜の開花が早く、水前寺成趣園と水前寺児童公園の桜はかなり咲いている。14日に咲き始めで数輪程度咲いていたけど、その後開花の進行は遅い感じだなあ。とはえい、これから一週間ほど、暖かいながら雨天が続く間に、散ってしまいそうな感じが。


 水前寺児童公園の桜。5分咲きから7分咲き程度?








 同じく水前寺児童公園の菜の花。





 江津湖畔のソメイヨシノ以外の品種の桜。なんだろう、ヤマザクラオオシマザクラ系?




 旧砂取細川邸庭園を、文学・歴史館の展望デッキから。

肥後の里山ギャラリー「楼門修復記念:阿蘇神社展」

 タイトルの通り、倒壊していた楼門の復興が成った記念の展示会。阿蘇神社の様々な文物がどう受け継がれてきたかというのがテーマ。
 文書類、刀剣、楼門修理関係のパネルなどなど。
 基本的に写真撮影不可の展示だったけど、撮影可な楼門模型と蛍丸レプリカはバシバシ撮ってきた。


 肥後の有力国衆であった阿蘇氏。しかし、いったん滅びたあと、江戸時代には阿蘇社の神官としての性格に限定されてしまう。そこで、近世に入ると権威高揚のために、由緒の整理が始まる。所持していた文書が写され、中世に行われていた巻き狩り「下野狩」の故実が調査される。それらが、失われた元のものを補っている。
 あとは、細川綱利の阿蘇社への興味が印象深い。「下野狩図」は、綱利が描かせて、阿蘇神社に奉納したもの。江戸でも知られていて、松平定信からの閲覧要請が来ていたりするのが興味深い。蛍丸も、一度綱利に献上されて、その後子孫から返却されているという。


 社殿の維持管理のお話も興味深い。現在残る建物は、江戸時代末期、19世紀後半に建てられているが、熊本藩内の広い範囲から人が集まっていることが棟札から明らかになる。あとは、棟梁水民元吉があちこちで修行して技術を修めた、期待の人材であったお話とか。
 30年から40年くらいのペースで大規模な修理が行われている。こけら葺きや檜皮葺などの屋根材の耐用年数に沿ってのものらしい。銅板葺に変えたのは1977年だから、ホントに最近だな。
 倒壊した楼門は、内部に鋼材の柱を立てて、ダンパーなどを仕込んで耐震補強を行っている。ここいらあたり、宇土櫓と似たような感じか。折れた柱材には、アラミドロッドを仕込んで継いでいるとか。


 最初の出品物は、白川の河川改修で前方部を削られてしまった長目塚古墳の出土品。文化財の保存と開発の相克の事例として紹介。勾玉、管玉などの玉・ガラス製品が美しい。


 あとは、南北朝時代の文書が多数出品されている。後醍醐天皇の綸旨や足利高氏の髻文、阿蘇社領の四界を認定した雑書決断所牒などと、それを写した写本類。まさに阿蘇氏躍進の時代の現物が出品されているのがすごい。南朝方として一貫して活動した恵良惟澄の軍忠状も。


 続いては、中世阿蘇社で、大宮司家の権威を示すために行われた巻狩り下野狩の情景を近世に入って描いた「下野狩図」や阿蘇神社で下野狩の故実を蒐集した「下野狩集説秘録」が出品。近世に入っても、復興が模索されたのか。後者の史料はおもしろそうだなあ。大規模な巻狩りがどのように行われたのかを示す情報源になりそう。


 蛍丸レプリカを中心に、関連史料や阿蘇神社に奉納された刀剣が5本ほど出品されている。室町時代の拵えを残す短刀「月山」。あるいは、儀式用に使われていて最近、研ぎ直された太刀「宗近」と、サビや刃こぼれを残して儀礼で実用し続けることにした「伝雲生」の対比が興味深い。ただ、刀の美というのが、いまいち分からないんだよなあ。


 若狭小浜藩の藩主酒井忠直が全国の有名寺社に奉納した紫石硯とその奉納をめぐるやり取りを記録した文書も印象深い。


 蛍丸レプリカ。




 楼門模型。熊本工業高校で、五年がかりで製作された模型。でかい。