下津久礼日吉神社の狛犬

 熊本の狛犬としては、尻尾が控え目かな?
 大正四年奉納ということは、大正天皇の即位記念で奉納されたことになるのかな。












台座上段

御即位記念



台座裏面

大正四年
奉納
十一月十日



台座下段

瑞穂講同志会


年齢順
 米村安次郎
 山本林次郎
 梅原慶蔵
 藤田伊三衛
 吉本安平
 坂田辰蔵
 吉本笠蔵
 大山豊吉
 米村福次
 石坂寅吉
 古川松熊
 松岡蔵治
 吉川福平
 藤川律次郎
 吉村清吉


 熊本蔚山
 石工
  橋口乙作

お出かけ

 本日は、あちこちを回る。なんか微妙に空振りばかりの回だったな。
 基本的な作戦は健軍神社前の石碑群の継続調査。その後に県立図書館で石碑関係の書籍をチェック。市立図書館で本を借りて、ビバホームを覗いて、その後は通町筋近辺の本屋を回る。


 しかし、今日は風は冷たかったけど、とにかく日が強くて暑かった。というか、帰りは延々向かい風で、スピードが出なくて往生した。
 まあ、いい感じの青空だったけど。
 自転車で動き回るには上限くらいの天気かなあ。


 ツタヤ健軍店を覗いて、つづいては健軍神社前の石碑をチェック。前回日陰で見えにくかった部分を撮影して、「熊本各隊出陣之処」碑の裏側の碑文を撮影。改めて撮影しなおしたけど、これでも後半は読めなさそうだなあ…


 その後は、県立図書館で文献チェック。とりあえず、『熊本の文学碑』に、解説文部分の情報は無い。あと、『平成肥後国誌』でも、「熊本各隊出陣之処」碑の碑文の釈文はなし。空振りかあ。今年になって調べた石碑の釈文全くなしなのがちょっと無念。
 あとは開架の本棚を回ったり、くまもと文学・歴史館の展示を見たり。つーか、文学館の展示、ちゃんとメモってくるべきだった。まあ、これにかんしては、次回かなあ。


 その後は市立図書館へ。本を借りようとしたら、貸出カードが行方不明。家に帰ってさがしたけど、見つからない。なくした。ショック。次回はカードの再発行かあ。いや、どこにいったんだろう…
 ここでも空振り…


 その後、元ダイエーのビバホームや、併設のイオンをぶらぶら。なんか、先に街行って、帰りに寄ろうとすると体力がなくなって、スルーのパターンが多いので、今回は先に寄る。
 そろそろ、どれもこれも傷んできていたので、夏用の半袖シャツを1着購入。玄関のドアに付ける鈴が欲しいんだけど、どこに売ってるのだろうか。あとは、ミルクペイントのマルチプライマーも置いてあるかなと期待していたのだけれど。


 最後は上通と下通の本屋をハシゴ。そういえば、『裏世界ピクニック』の新刊を手に入れ損ねた。ちょっと余計な買い物もしてしまったなあ。


 大甲橋から立田山方面を。抜けるような青空。



 あじさい。もう、ちょっと盛りを過ぎつつある?







「馬の神」碑

 下津久礼日吉神社の登り口横にある石碑というか、祠。正面に御幣が立ててあるので、なにか分からなかったけど、横から覗くと、「馬の神」との文字が。
 年紀などの情報は無かったけど、全体的にそれほど古くない感じかなあ。それでも、農耕馬が使われていた高度成長期以前の物であるのは確定だろうけど。


島崎の板碑、石灯籠残欠群

 叢桂園の道向かい、川を挟んだ対岸側の斜面を登る階段の途中に、なにやらお堂みたいなものがあるので、登ってみた。板碑が1点、石仏2点、他に石灯籠の残欠が複数、置かれていた。
 どういう経緯でここにあるのかわからないけど、お寺か神社がかつてあったのかな。



 板碑。というのは、ちょっと太めの碑だけど、平面に仏像が描かれている。写真は直射日光で飛んでるけど。
 裏側に回ってみたけど、年紀などはなかった。



 左端の石灯籠の柱部分、「国家安全」「嘉永二年己酉年」と刻まれている。
 1849年に建てられた石灯籠。



虫ゴム交換

 そういえば、24日に自転車のタイヤの空気が抜けていたのをすっかり忘れていた。夜になって確認すると、やはり空気が抜けている。一縷の望みをかけて、虫ゴムをチェックしてみたら、切れていたので交換。これで、空気圧がそのままなら、パンク修理をしなくて済むのだが…
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安達謙蔵銅像

 三賢堂の敷地内に建つ安達謙蔵の銅像
 とりあえず、台座の「安達謙蔵翁」の銘文が篆刻で、安達の部分が全然読めなかった。あの文字で「安」を連想するのは無理。ネットで篆刻の安を検索して、「関」みたいな文字が「安」の字であることを知った。
 あと、下の碑文も気合い入れすぎて、微妙感が。







台座上段

安達謙蔵翁



台座下段碑文

容貌魁岸威儀挺持巍然天地の間に立ち一世を俯現する者之
漢城安達謙蔵翁の銅像とす政治生活五十餘年其間十四度
代議士に挙げられ再び内閣に列し児童も漢城を誦し走卒も
安達を知る嗟手偉なる哉翁人と為り沈毅大略あり事に臨し
では英発果敢能く難局に処して声気を動かさず少壮国権党
に入り佐佐克堂先生を輔けて 皇室中心国権拡張の主義を
宣揚し先生歿するや其後を襲いで党首となり更に立憲同志
会に入って桂加藤二氏の帷幄に参画せり後憲政会内閣に列
しては逓相となり民政党内閣に入っては内相となりて大政
を翊讃す其の政界に於ける多年の苦節其の国家に尽したる
幾多の功績炳然として衆目に在り其の夙に心を東亜の経略
に注ぎ朝鮮に於て画策施為したる事蹟是亦人の能く知る所
にして晩年国民同盟を興し統率八年挙国一致外交刷新を提
唱したる先見の明は世局の転変に遭遇し識者の三歎する所
なり且つ翁は平生意を世教に留むること頗深き者あり○時
済々黌の振作熊本中学の興建尚絅校の改革に手を仮したる
如きは顕著なる実例にして其の後年八聖殿を横浜に建て三
賢堂を熊本に造りたるは亦偶然に非ざるを知る翁今齢七十
七意気益旺に而して徳益高く望益重し頃日諸友相謀り此の
銅像を建て翁の寿康を慶賀し又以て翁の風手を千古にし後
人をして長く矜式する所あらしむ然りと雖翁の徳業豈独之
を須って不朽ならん哉
  昭和拾五年十一月        野田寛撰并書