プラスチックストローからのぞく世界の変え方

環境保全という分野に携わっていると、必然的に暗く憂鬱な現実に直面する機会が数多くあります。
世界的な増加が続く二酸化炭素排出量、激減したウナギを消費し続ける人々、歯止めのかからない熱帯雨林の消失等々。どうすればこの「世界」(人間の行動や社会、あるいは世の中そのものの在り方を含みます)を変えられるのでしょうか?そもそも本当に世界を変えることができるのでしょうか?

私がケンブリッジに来てから学んだ最も大きなことのひとつが、ここで保全に関わっている科学者の多くが、世界に本当の変化をもたらすことを最終的な目標として定めている、ということでした(詳しくはこちらを)。もっと真正面から、世界の現状をよりよくしていくための科学を追求していっていいのだと気付かされたときの衝撃は、今でもよく覚えています。

環境保全に関わる科学の最終的な目標が、世界がよりよい方向に動いていく手助けをすることにあるとすれば、この分野の科学者としてはただ世の中にとって重要だと思われる知見を発表するだけで満足しているわけには到底いきません。その重要な科学的知見がその後本当に世の中を変えていけるのか、どうやって変えていけるのか、その道筋だけでも見てみたい、そしてできることならば自分の研究成果もそういった道筋を辿らせたい。自然とそう私自身も強く思うようになりました。とは言え冒頭で述べたように、環境に関するほとんどの問題では、実際のところ世界は頑として動かず、どれだけ自分が研究を進めても真の問題解決には進んでいかないようにすら感じてしまいます。

しかしながらそんな「本当に世界が変わる瞬間」を、ついに今年、自分の目で実際に垣間見ることができたような気がしています。それが、過去1年ほどのプラスチック問題に対するイギリス社会の反応でした。

最近日本でも報道が多くなってきたプラスチック問題に関する一連の動きは、2017年秋冬にBBCで放映されたBlue Planet 2が発端のひとつとなっているのではないかと思います。海洋生態系を対象としたBlue Planetシリーズは、陸域を対象とした本家Planet Earthシリーズと併せてBBCが誇る一大自然ドキュメンタリ―です。今回のBlue Planet 2では、最終話で海洋におけるプラスチック問題を衝撃的な映像とともに正面から取り上げ、ナレータであるDavid Attenborough氏がこの問題への早急な取り組みを切実に訴えました

ちなみにDavid Attenborough氏は、現代のイギリスで最も著名なプレゼンター且つナチュラリストだと言えるかと思います。一般市民・学術関係者を含む多くの人々から絶大な尊敬を集め、ケンブリッジ大の出身ということもあって、Cambridge Conservation Initiativeが拠点とする建物はDavid Attenborough Buildingと名付けられ、内部の学生部屋の一角には誰が持ち込んだのか等身大パネルが据えられているほどです。

イギリスだけでも1千万以上の視聴者がいたとされるBlue Planet 2でのDavid Attenborough氏による訴えは、即座に社会の反応を引き起こしました。

まず翌2018年2月には、放映元のBBCが使い捨てプラスチックの利用を2020年までに禁止することを発表
ほぼ同時期に、エリザベス女王も王室におけるプラスチック利用の削減に取り組むことを発表します
4月になると英国政府も使い捨てプラスチック利用の禁止に動き始めることを宣言
続いて5月にはEUもこの動きに追随します

6月には先進7か国首脳会議(G7)でも海洋プラスチック廃棄物に関する海洋プラスチック憲章が採択されました(日米は署名せず)。

その他にも、ニュージーランドがプラスチック製買い物袋を段階的に廃止することを、ドミニカ国が2019年までにプラスチック・発泡スチロール製の使い捨て食品容器を全面禁止とすることを、それぞれ発表するなど、様々な地域や国でプラスチック問題に対する急速な動きが見られました。

そして私が何より衝撃を受けたのは、これらの動きがかなりの速さで日常生活にも目に見える変化をもたらし始めたことです。
例えばイギリスで人気のあるカジュアルレストランのNando’sでは、すぐにプラスチックストローの配布がなくなりました。


動物園など環境意識の高い施設ではもちろんのこと、他のレストランなどでも、当然のように紙製ストローや植物を原料としたカップや食器が利用されるようになりました。


もちろん大学のカフェなどでも。

駅には新しく給水ポイントが設置され、プラスチックボトルの代わりにアルミ缶のミネラルウォーターが売られるようになりました。また自宅に届く冊子の包装は、すぐにプラスチックから植物原料の素材に変わりました。


既に報道されているように、スターバックスマクドナルドでもプラスチック製ストローの廃止が発表され、より小規模な商業施設や飲食店でも同様の動きが多く見られました。

これら日常生活の中で身をもって経験した変化は、今年の春から夏にかけて起きた本当に急速なもので、まさに世の中が変わっていく様子をまざまざと見せられているようで、衝撃的でした。

個々の変化、例えばプラスチックストローの廃止によるプラスチック問題全体の解消への貢献は、微小なものかもしれません。さらに言えば、プラスチック問題はその他多くの環境問題の、ほんの一部を占めるに過ぎません。それでも今回、これほどの短期間で世の中が本当に変わることがあるのだという事実をこの目で見ることができて、そこに希望の光のようなものを垣間見たように感じています。

こちらではEarth OptimismConservation Optimismという、環境問題の明るいニュースを共有していこうという動きが盛んですが、実のところこれまで私にはいまいちピンとこないものでした。しかし今回社会の変化を体験することで、こういった成功事例を共有していくことの有効性も感じることができました。

ではどのようにして、プラスチックの消費に対する社会の在り方がここまでの短期間で変化することができたのでしょうか?
冒頭ではBBCのドキュメンタリー番組が発端のように書きましたが、実のところこの問題に関わる様々な関係者による努力が結実した結果である、というのが現実なのだと思います。Blue Planet 2放映の前には、海洋廃棄プラスチックに関する科学研究が相当数発表されています(ここで全てレビューはしませんが、例えば海洋廃棄プラスチック量を推定した論文や、海鳥への影響を評価した論文などがあります)。そしてそれら科学的知見をより広い一般市民に普及したBBCDavid Attenborough氏、また政策決定者に訴えかけた保全機関のようなノレッジ・ブローカー、SNSなどを通して社会の変化を訴え続けた市民、さらにそれに応えて実際の政策実現へ動いた政策決定者や民間企業。どのステップが欠けていても今回の変化は起こりえなかったでしょう。

そういった意味で、環境問題に携わる科学者として今回改めて学べたことは、重要な科学的知見を粛々と発表していくこと、そしてその知見を統合して市民や政策関係者に受け渡していくこと、それぞれの努力は、必ずではないにしても本当に世界の変化をもたらし得る、という希望だったと感じています。
そしてその小さな希望は、暗鬱とした山積みの環境問題を前にしても、それに立ち向かって自分の研究を推進していくための、確かな動機となってくれることと思います。

残留派の中心から見たブレギジットと環境科学

tatsuamano2016-06-27


私にとってイギリスで研究を行うことの大きな魅力の一つは、人材の盛んな交流でした。日本の大学に様々な都道府県の出身者がいるのと同じように、イギリスの研究拠点には世界中から様々な人々が活発に出入りしており、もちろんその背景にEUという枠組みが多くの人にとって就労・就学を容易にしていたことがあるのは疑いようのない事実です。

そのような考えは、ケンブリッジ保全科学コミュニティに属するほとんどの人にとっても共通するものであったに違いありません。EU残留か否かを問う国民投票から一夜明けた24日金曜日には、EU離脱支持が過半数という結果を受け、これまで経験したことのないような異様な雰囲気がDavid Attenborough Building全体を覆っていました。予想外の結果をすぐには受け止めることができずただ首を振って困惑する人。離脱派の行動に対して憤慨する気持ちを抑えきれない人。あまりのショックに話しているうちに涙を流し始める人等々…。普段から多くの時間を共にしている同僚たちの悲痛な面持ちを前に、とても他人事とは思えずいたたまれない気持ちでした。

既に多くの報道があったように、今回の国民投票の結果は、高所得者層と低所得者層、高学歴と低学歴、若者と中高年、都市と地方、といった従来からイギリスに根付いていた社会構造が色濃く反映されたものでした。(比較的)高所得で高学歴、若者が多い(中規模)都市であるケンブリッジでは、約74%という全国でもトップクラスに高い残留支持率でした。この地図では青い部分が残留派多数の地域ですが、ロンドンの上の方にある小さな濃い青のエリアがケンブリッジです。

ケンブリッジでも大学関係者とそれ以外の住民との間で歴史的に対立構造のようなものがあるそうなのですが、少なくとも大学や研究機関の人々のほとんどが残留派であることには納得できます。EU内での就労・就学の容易さに基づいて、大学や研究機関には非常に多くのEU所属国籍の学生や職員がいます。ケンブリッジ大における非英国籍率は学部→大学院→ポスドクの順に高くなっていき、結果として大学での高い研究水準が世界中から集まってくる非英国籍の研究者によって支えられているといっても過言ではないと思います。一方で、イギリス国籍の学生やポスドクで今後EU内の他国での就学・就労を選択肢に入れている人も多いでしょう。例えばつい先日も、研究室の博士学生がポスドク先としてフィンランドを考えているという話を聞いたばかりでした。EUを実際に離脱することになると、イギリス-EU間の移動にもビザ申請などの手続きが必要になるのかもしれません。こういった手続きは非常に煩雑で、リクルートする側、また応募する側にとっても大きなコストとなり、結果として人材の行き来が阻害されることは想像に難くありません。「非EU移民」の私はイギリスで就労するためにかなりの労力と時間、金額(そしてストレス!)をかけてビザを取得しており、また必ずしも毎回ビザが許可されるとは限りません。一方で例えば、以前の私と同じfellowshipを使って最近ポスドクを始めたスペイン人の同僚は、何の手続きも必要なく、車ですらスペインで使っていたものをそのまま持ってきています。

またこの記事にもあるように、イギリスの科学者の多くがEU残留を支持しているもう一つの大きな理由が研究費だと言われています。2007年から2013年の間にイギリスはEUから約88億ユーロ(9,800億円)の研究費を受け取っているという数字からも分かるように、EUの研究費はケンブリッジ保全科学コミュニティにとっても非常に重要な資金源です。例えばEuropean Research Councilによるグラントは規模も大きく、私の周辺でも応募する人、それを利用してポスドクを雇用する人など多々見られます。また私が去年まで受けていたMarie Skłodowska-Curie FellowshipもEuropean Commissionによる制度です。これらの研究費を包括して管理運営するHorizon 2020というスキームにはEU外から参加している国もあるのですが、EU離脱後も以前と同じように研究費を受けるには、それ相応の交渉と労力が必要になるのではと考えられています。EUからの研究費が減る分国内での資金を増やす、という話もない訳ではないのですが、イギリスの科学予算を巡る状況は近年悪化していることを考えると、あまり信頼できなさそうな話でもあります。

人材の交流、研究費の確保という科学界全体に当てはまる問題に加えて、私たちのような保全科学者にとって見逃すことのできない問題が、EU離脱生物多様性や環境の保全に及ぼす影響です。例えばイギリス生態学会RSPBによって、EU離脱環境政策に及ぼす影響がまとめられています。特にEUレベルでは、これまで数多くの環境政策や法律が整備・施行されてきました。例えばNature Directivesという一連の法律は多くの種や生息地の保全にとって重要な役割を果たしています。またEU予算の40%を占めるCommon Agricultural Policy(CAP)はヨーロッパにおける農地生態系保全の命運を握る存在とも言えます。EUからの離脱は、これらの政策や法律の恩恵からも、改善して機能させていく可能性からも、イギリスを遠ざけることとなります。他にも今回の結果がパリ協定批准など気候変動政策の遂行に及ぼす影響なども懸念されています。

もちろん一部前述したように、例えEUから離脱したと言っても人や研究費の行き来、国を越えての環境保全が不可能になるという訳ではありません。実際に日本を始めとして他のほとんどの国はEUのような超国家組織が不在のまま科学や保全を進めてきましたし、今後もそうでしょう。経済、特に貿易への影響面からも議論されているように、今後決められていくであろうEU諸国との関係性によっては、これまでと似たような形でヨーロッパ全体としての環境科学・政策を推進して行くことも不可能ではないと考えられます。しかし既に前身時代も含めると40年にもわたって人々の生活に浸透してきたEUという枠組みを全て取っ払って、もう一度全てのシステムを一から築き直していくことを考えると、どれほど非効率的だろうかと思ってしまいます。EUに様々な問題があることは事実かもしれませんが、問題がある社会や政府なら、声を上げて内部から変えていく方がまだ効率的なのではないかと個人的には感じます。

週が明けてからも、依然として職場での会話は国民投票の結果についての話題が多くを占めています。72%の投票率で52% 対48%という僅差をどう解釈すべきなのか(この議論に基づいて再度国民投票を行うべきという請願書が多くの署名を集めていますが…)、もう前に進むべきなのか、はたまた独立後EUに残ることを目指すであろうスコットランドに皆で移住すべきなのか…。私の周囲にいる同僚たちの多くは「EU時代」のイギリスしか知らないため、不透明な今後への不安が絶えることはありません。

翻って今回の一件が日本の保全科学者に与える示唆とはなんでしょうか?政策や社会の在り方が、科学や環境保全に及ぼす影響の大きさを如実に表しているのではないかと私は考えます。国民の多くが抱える生活上の不満が、政府による国民投票という意思決定を通して一国の行方を変え、科学や環境保全の将来までも左右して行く。私の知るイギリスの保全科学者たちは、真剣に違いをもたらすことを目指して政策決定や社会にも積極的に関わっている人たちばかりですが、今回の一件でそんな保全科学者たちの声はどれほど無力だったことか…。結果としてこのようなことを防げるかどうかは別として、保全科学に携わる者として、政策や社会がこれからどの方向に進んでいき、それが環境にどのような帰結をもたらすのか、理解・議論して、予見を目指し、またできる限り影響を及ぼしていくことが重要になるのではないでしょうか。政策に関わるのは委員会に呼ばれる大御所だけ、などと呑気に構える訳にはいきません。有権者としての責務を果たすことはもちろんのこと、若いうちから真摯にこういった問題を議論して、境界分野に取り組んでいく科学者を育成していくことも重要になるでしょう。
激動の時代に入っていくこの国で、これから保全科学者たちがどういった考えの下、どのような行動をとっていくのか、今後も注目していきたいと思います。

DAB

tatsuamano2016-01-24

2016年が明けてもうしばらく経ちますが、改めまして明けましておめでとうございます。
昨年12月初めから、ついに改修が完了した建物に引っ越し、新しいオフィスで過ごしています。この建物は、イギリスではナチュラリストのみならず多くの一般人からも絶大な人気を誇る(そして敬意を集める)ディビッド・アッテンボロー氏にちなんで、David Attenborough Buildingと命名され、Cambridge Conservation Initiative (CCI)に加盟する10の機関で保全科学に携わる500名以上が新たにここを拠点とすることになりました。

ケンブリッジとその周辺には、BTOやRSPB、Birdlife International, IUCN, UNEP-WCMCなど、国内外で生物多様性保全を研究と実践の両面から索引する機関が数多く存在し、それが上記のCCIという枠組みでネットワークを築いていたのですが、これをさらに強化するために、5800万ポンド(98億円!!)をかけてケンブリッジ市街中心に保全科学の新拠点を設立する、という壮大なプロジェクトです。サイエンス誌でも紹介がありました。

かく言う私も、2011年に渡英してしばらくしてこの建物の計画を聞いたときに、それは是非完成するときにここにいて、どんなことが起こるのかこの目で見てみたいと思ったことが、その後5年に渡ってケンブリッジに滞在している大きな動機のひとつでもありました。
完成までの月日を振り返ると懐かしくもあり、

2013年10月、工事が始まる頃の旧建物。ちょうどこの頃、一時的に研究室を移動するため、第一回目の引っ越し

2014年4月、国内で最大という自立式足場に建物全体が囲われる。

2014年12月、さらに布で建物全体が覆われ、内部で工事が進む。

2015年4月、初めての内部視察。オフィススペースはまだがらんどうとしており、足場も残る。

2015年5月、外部の布が取り外され、新しい外壁が見え始める。

2015年9月、外装はほぼ完成。内装の工事が進められる。

2015年10月、二回目の内部視察。デスクも揃えられ、だいぶそれらしい形に。

2015年11月30日、仮住まいだった研究室で荷物をまとめ…

12月1日、ついに新オフィスに引っ越し!

引っ越し当初はまだ他の大学グループや機関からの引越が済んでいなかったため、オフィススペースもお茶を飲むコモンルームも寂しい感じでしたが、年明けまでにはほぼ予定していた全ての人が入居して、活気に満ちあふれた建物となっています。

建物中央は吹き抜けとなっており、植物の植えられた巨大な壁面がそびえ立っています。最上階の屋外スペースにはハチ類のための巣箱も。
このように工事だけでも2年以上かかっており、その間には幾度となく新しいオフィスについてのディスカッションやブレインストーミングが行われ、またオフィス家具の選定などもありました。私が渡英した時に在籍していた博士課程の学生8人は全員めでたく博士号を取得し、この建物に入ることなくケンブリッジを去っていきました。ビルのグループでもこの4~5年で何人が新しく在籍しては去っていったでしょうか…。結局、最初の研究室から計3つのオフィスを渡り歩いてきたのは私を含めて三人のみということになりました。そう考えると、このDABことDavid Attenborough Buildingが完成する過程というのは私にとってもケンブリッジ滞在の日々がそのまま反映されていて、振り返るととても感慨深いです。
さて、そのような月日を経てついに入居したこのDABで何が見えたのでしょうか。もちろんこの建物にいる全ての人がまだ試行錯誤の段階にあるように、このプロジェクトの本当の効果が表れるには少し時間がかかるのかもしれません。ただ、過去数年このプロジェクトを実現させる過程に参加してきて、さらに実際に約2か月をこの新しいビルで過ごしてみて感じるのは、今回完成したこの建物が、自分が渡英してから重要性を学んだ多くのこと、例えば、研究環境における多様性、学際性、科学者・従事者・政策者間コミュニケーション、リーダーシップの発揮、そういった多くのことを目に見える形にした結晶のような環境であるということです。ケンブリッジ保全コミュニティーが上記のようなビジョンや目標を持ち続け、それを究めて形としたのがこの建物なのだなということを実感しています。
例えば、同じ建物の中にRSPBやBirdlifeのような実際の保全活動を進めている機関が入ることで、大学のアカデミクスのみが集う以前の環境に比べて多様性や学際性は一段と高くなりました。もちろん以前から共同研究のミーティングなどで顔を合わせる人は多かったのですが、そういった人たちとお茶の時間や、また階段の踊り場などで、日常的に出会う機会があるというのは確かにお互いの距離を縮め、理解を深めあう効果があると思います。感覚として言うならば、毎日保全関係の学会会場にいる、というような感じでしょうか。
そういった多様な人間関係をさらに促進しようと、入居後は建物全体のメンバーを対象とした親睦会のようなソーシャルイベントが立て続いています。また入居前後で各機関の間での共同研究がどの程度変化するのか、アンケートに基づいた調査も継続されています。
オープンな議論、幅広い人脈形成のために、様々な工夫もされています。例えば研究室のオープンスペース化。教授などを除くほとんどのスペースには明確な区切りがなく、人の出入りが自由になっています。もちろんこれには賛否両論あり、電話などがしづらいという意見も出ているのですが、私自身としては、各人のスペースが広いので思った以上に周囲のことも気になっていません。
コモンルームに人を集めて交流を図るため、コーヒーなどは無料で提供されることが議論の末決められました。本格的なコーヒーマシーンが置かれており、カプチーノやラテからホットチョコレートまで、カフェのようなホットドリンクメニューが自由に手に入ります。そのコモンルームに置くテーブルは、なるべく長いものにすることにこだわったそうです。経験上長いテーブルの方が、たまたま隣に座った他のグループの人と交流がしやすいからということでした。
入居後に行われたワークショップのひとつで、University of Cambridge Conservation Research Instituteのディレクター、バスカ・ビラ氏が言った「私たちが以前のそれぞれのオフィスにいた3カ月前と同じことをしていたのではここに来た意味がない。何か一つでも違うやり方をしていこう。」という言葉が印象に残っています。私もBTOやRSPBの研究者と共に、モデリングについて週一でインフォーマルな議論を行う、その名も「DABスタッツクラブ」というディスカッショングループを始めました。保全科学コミュニティーは統計に詳しい人が少なく、各機関内では込み入ったモデリングの話などをする機会があまりありません。そういった思いを共有していたメンバーが、同じ建物に拠点を置くことで気楽に集まって話ができる、というのはまさにこの建物ができたことによる恩恵だと思います。
この新しいオフィスで過ごす日常で、ふと自分の隣にいるこの人たちも、あの階段を上っているあの人たちも、そこのソファーで話しているこの人たちも、この建物にいる全ての人がコンサベーションに関わっているんだと我に返ったように思い返すと、奮い立つような気持ちと共に、これだけ多くの人たちが一丸となって取り組んでいけば、少しでもいい方向へ何か変えていけるのかもしれないという希望を感じます。
個人的には今年は、渡英してから地道に進めていた水鳥の個体数変化の解析がついに終了し、論文を書き進めています。長期に渡って多くの共同研究者から助けを借りて行ってきたプロジェクトですので、是非満足のいくいい形にまとめたいと思います。

Biological recording 最前線

Biological recordingという言葉は、イギリスでは既にかなり浸透しているように思います。広義では生物に関するあらゆる種類の調査・観測、狭義ではいわゆる市民科学によって生物の在データを記録することを意味する言葉で、日本語では「生物観測」というところでしょうか。

イギリスにおけるあらゆるbiological recordsを総括しているNational Biodiversity Network TrustによるNBN conference 2015@Yorkに参加し、この国でのbiological recordingの規模に改めて衝撃を受けました。最前線という言葉は、様々な国の状況を知らないと本当には使えないのでしょうが、この分野に関してはイギリスが世界の最前線と言っても差し支えないでしょう、と思えた2日間でした。

このconferenceでGBIFの代表、様々な大学の教授陣、各分類群の調査を行う団体、そして大学院生やボランティア調査員まで、幅広い発表者による話を聞いて感じたのは、地域・分類群による情報のギャップ、種の同定スキルやデータの質の確保、データのオープン化、そして若者や子供、新しいボランティアをいかに巻き込むか、という4点がかなり普遍的な課題であるということでした。どの発表も大変興味深かったので、学んだことをここでも共有したいと思います。
まずNBN gatewayです。
ここでは分類群や生態系を問わず、様々な団体・個人によって記録されたあらゆる生物種のデータを集積しており、対象はイギリス国内ですが既に1億件、4万種以上のデータを収蔵・公開しています。GBIFが収蔵しているデータは6億件ですから、そのデータ量の多さが分かると思います。収蔵されているデータはウェブサイトで地図上に表示させたり、時系列ごと、サイトごと、種ごとやデータセットごとに様々な情報を容易に表示させたりすることができます。今後さらにこれらのデータを効果的に提示していくためのテストとして、9月から Atlas of Living Scotland というスコットランドを対象としたシステムも立ち上げられています。是非興味のある方にはこの2つのサイトは実際に訪れてみてもらいたいと思います。

同様にデータを集積・共有していく取り組みは、アイルランドNational Biodiversity Data Centreでも行われています。アイルランドの取組みで特に感銘を受けたのは、2010年に発行された Ireland’s Biodiversity in 2010: State of Knowledge にある、各分類群について現在までにどのような情報が得られているのか、欠けているのか(基礎的な調査がされているか、全国規模のデータベースがあるかなど)をまとめた取組みです。幅広い分類群について共通のフォーマットで「科学的知見の状態」をまずまとめることで、より戦略的なモニタリングや研究に効果的につなげていくことができると感じました。この発表をしたセンターのディレクター、Liam Lysaght氏とお話したところ、アイルランドではイギリスほど様々な取り組みが元々なかったため、こういった包括的な取り組みが比較的スムーズに行えたとのことでした。

種の同定スキルを向上させるための取り組みとして、ロンドン自然史博物館によるIdentification Trainers for the Futureというプログラムが紹介されました。これはインターンシップ制度などを通して、種の調査、同定、標本制作といってスキルをトレーニングするというものです。

Field Studies CouncilによるTomorrow’s Biodiversityというプロジェクトも種の同定・調査スキルの向上を目指したものです。Rich Burkmar氏からはこのプロジェクトの一部として、multi access keyを用いたミミズ類の同定サポートツールの紹介がありました。頭部の形状や環帯の位置など複数のaccess keyを選択・入力していくと、条件に合致した種が絞られていくというものです。

モバイルアプリによる種同定サポートもかなり普及してきたという印象を受けます。natural apptitude社のブースで紹介されていたiRecord Butterflies では、全国モニタリング調査の結果に基づいて、時期や場所によって可能性の高い種が絞り込まれて表示されるという仕組みになっているそうです。

さらには種の同定を"クラウドソーシング"するという取り組みも今や珍しくありません。twitterfacebookなどで個人的に写真をアップロードして聞く方法から(@wildlife_idという種同定目的のツイートをリツイートしてくれるアカウントもあります)、Open Universityが主導するiSpot では、同定者のこれまでの「成績」によって同定の信頼性を評価するというシステムを確立しています。詳しくはこちらの論文を。投稿されたレコードの58%が1時間以内に同定されるとのことでした。

様々な団体による発表はどれも大変興味深いものでした。
BTOのAndy Musgrove 氏は、ornithology(鳥類学)にかけてomni(全体の)-thologyという概念を提案。膨大な鳥類のデータを集積するBTOの調査に協力するバードウォッチャーが、他の分類群データを集める可能性について紹介していました。例えば、BTOによるGarden BirdWatchではマルハナバチ類、Breeding Bird Surveyでは大型哺乳類、BirdTrackではトンボ類や哺乳類の記録も相当数集められているそうです。
BTOのブースではBTOの調査を支えるボランティア調査員の動向についても話を伺うことができました。全体としてボランティア調査員が減る様子は無いそうですが、詳細を見ていくと、BTOの調査では最も長く続けられているサギ類のコロニー調査には若い世代が参加していないとか、標識調査に参加する若い世代は女性が多いなど様々な傾向があるそうで、ボランティア調査員の動機を理解するうえで興味深い情報だと感じました。

British Lichen Society では、約20人のボランティア調査員が過去50年で種の在データを約180万件収集・投稿して作成したデータベースにより、地衣類の分布縮小が明らかになりました。

SeaSearch というプロジェクトは趣味のスキューバダイバーからのレコードを集め、海域の貴重なデータを大量に収集し、NBNgatewayを通じて公開しています。

発表はボランティア調査員からも数多く行われました。スコットランドの北端にある諸島、Outer Hebridesにおける8人のボランティアによるあらゆる生物相の調査。Christine Johnson氏の発表からは、地元の生物相について質の高いデータを収集するために、誇りをもって荒天候の中でも長年の調査を続けている様子が垣間見えました。
生粋のボランティア調査員のBill Ely氏。データのギャップを自ら探して調査にいくそうです。データの空間的ギャップをデータベースで分かりやすく提示できれば、こういった動機をもつ調査員にとっては有用な情報になるだろうと感じました。
こういったボランティア調査員による貢献を非常に重要視するNBN trustの姿勢は、初日の夜に行われた授賞式で、特に大きな貢献をした個人を表彰していた点にも表れていました。Bill Ely氏はNBN Honorary Membershipを受賞していましたし、Terrestrial and Freshwater awardsとMarine and Coastal awardsにはadultとyouthカテゴリーがあり、youth awardは数万件のレコードを投稿したという10代前半の子どもが受賞する、という一幕も。
賞はなんと豪華スワロフスキーの双眼鏡と2万円近い商品券です!

昨年にNBN TrustのCEOに就任して以降、NBN Trustの活動を強力に推進し、今回もGBIFの代表からボランティア調査員まで実に幅広い人材を集めてこのようなconferenceを開催させたJohn Sawyer氏ですが、conferenceの2週間前に心不全で急死するというショッキングなニュースが届けられました。私が彼と直接会ったのは今年の夏前にただ一度きりでしたが、Michael Hassell氏と共にビルを訪ねてきたその時に、私が紹介したGBIFデータの空間的偏りの話に興味を持ってもらって、今回発表することを誘っていただいたというご縁でした。その時にNBNgatewayを実際に操作して見せてくれながら、近い将来こんなこともしたい、あんなこともする予定だ、と目を輝かせて話してくれたのが印象的でした。少し話しただけですぐに、明確なビジョンと多くの人を巻き込んで物事を推進していくリーダーシップがある人だなと感じたことをよく覚えています。
Sawyer氏が中心となって作成された最新のNBN Strategy 2015-2020 (PDF)を読むと、彼のビジョンがあたかも直接語りかけられているかのように伝わってきます。

Conferenceの最後には、何よりもオープンデータの推進に心血を注いでいたというSawyer氏の生前の意思に呼応する形で、BTOのディレクターAndy Clements氏からBTOが所有するデータ1億5千万件をNBNgatewayに提供するという発表がありました。BTOは鳥類データの量、種類、質全てにおいて世界トップの機関と言っても過言ではないと思いますが、そのデータを利用するためにはBTO内部の研究課題との調整など様々な条件をクリアする必要があり、どちらかと言えばデータのオープン化には保守的な機関だという印象を持っていました。その団体が今回こういった決断をしたというのは本当に衝撃的で、Sawyer氏の意思がひとつ世界に違いをもたらした瞬間を目撃して、奮い立つような想いをしました。私も一歩ずつでも自分にできることを押し進めていこう、そんな気持ちを改めて強くした貴重な学会経験となりました。

メッシと滅私

tatsuamano2015-05-04

こちらでも初夏の雰囲気が感じられるようになってきました。天気のいい日が多く、日も長くなり、何もかもがまるで輝いているかのような季節です。この季節だけ見るとどこに行ってもなんて素晴らしいところなんだろうか!と思ってしまうので、こちらでの物件探しは敢えて暗い冬にするのがいいのではないかといつも思います。

さて、「メッシと滅私」という少し前から気になっていた本を読みました。
ここのところヨーロッパで活躍する日本のサッカー選手には並々ならぬ関心をもって注目しています。立場的にいろいろな面で共感する点が多いのですが、何より日本代表の結果が出ない時に頻繁に行われる、「個か、組織か。」という議論には、自分の研究分野についてもよく考えさせられます。この本と、その中でしばしば引用されている「ヨーロッパを見る視角」という本のメッセージのひとつは、「世間」という集団の中に個人が属している日本と、尊重される個人が集まって社会を形成しているヨーロッパでは、個人と社会の関係性に根本的な違いがあるということです。これらの本を読んで常日頃から感じていたことがだいぶ理解できたような気がしています。

「個」のヨーロッパ、というのは日常的によく感じさせられます。
まず多くの判断基準が本当に個人に任せられ、それが尊重される傾向があります。極端に言えば、人が何をやっていようが自分が何をするのかは勝手です。例えば日常生活でも、初めの頃は「あのイベントは他の人は行くんだろうか」とか「普通この場面ではどうするんだろう」など、自然と「正解」を求めようとしていたのですが、この考え方は世間で期待される振る舞いが決まっている日本的な思考なんだなと納得させられました。そういった場面ではよく up to you だと言われます。ということはどっちが正解…?などと思わずさらに考えてしまうのですが、これが本当の意味での up to you なんだということが次第に分かってきました(とは言っても常に例外もあるのですが…)。
こういった個人による判断が尊重されることには、他人にあまり影響されることなく各々の能力を最大限発揮できるという利点があるように思います。もちろん個人が持つべき権利の主張や行使がしやすい点も利点と言えるでしょう。前例や常識にとらわれずに判断するという意識は、新しい研究分野を生み出す原動力になっているのかもしれません。日本で私が学んできた研究の進め方とは、しっかりした先行研究のレビューから自分の研究課題の位置づけを行うというのが大前提でしたが、どうもこちらでは先行研究との比較というのがそこまで重要視されていないように感じます。第一に自分のやりたい研究課題があって、その絶対的な重要性や結果の面白さを人に伝えようとするという意識が高いのです。また、自分の考えや概念を確立して積極的に主張するというのはどうやら若いうちから教育されているようで、学部生のレポートなどを読むと、バックグラウンドとなる知識もあまりないときからこんな主張までするのかと、良くも悪くも時々驚かされます。

一方、そういった個が集まって社会を形成しているという意識も、各々に強く感じます。会話をしていて特に感じさせられるのは、社会というものは自分たちで作るものだから、必要があれば変えていくものだという意識です。これは即ち政治や社会の在り方に対する関心につながりますから、政策や人々の生活を変えていかなければならない環境保全という分野が欧米で発展してきたのにも納得させられます。さらに言えば新しい研究分野を作りだし、それを主流化させていくということが得意なのも、個人が社会のような大きなものを作っていくことに慣れているからなのかもしれません。

そんな欧米的な「個」の意識が如何なく発揮されているなと感じさせられた経験が、つい先日もありました。
それはある研究テーマに興味を持った人が集まって、ブレインストーミングからプロジェクト案作成まで半日でやってしまいましょう、という試みです。当日は生態系の復元に興味を持った30人以上の人が大きめの会議室に集まりました。その所属は大学から周辺の保全研究機関まで様々で、立場や年齢も幅広い研究者や保全関係者です。まず座っている順に3グループに分けられ、research, practice, influencing othersというお題それぞれについて、必要だと思うことをブレインストーミングします。このブレインストーミングというのが自然にできるのは極めて欧米的だと思います。なかなかこういった場面で発言するのは自分にとっては長らく難しかったのですが、それは英語の問題もさることながら、「今は話の流れが違う」など他人の発言との関係や、「自分も何か発言することが期待されているのでは」といった自分の立場など、いわゆる周囲の「空気」を読もうとしてしまうことがもう一つの大きな問題なのだということに気付きました。本当のところは、こういった場にいる人たちは例え私が何も言わずにずっとそこに座っていようと何とも思わないのです(いること自体に気付いていないかもしれません)。一方でどんな発言であろうと最低限の尊重はされます。そんな場で何も言わないことはいないことと同じなので(日本ではいることが重要という場面もあるかもしれません)、自然と発言しようという気にもなるのです。この日はその後2時間ほどで、ブレインストーミングの結果から各人が興味をもった案への投票、特に人気のあった内容について志願者をリーダーとしたプロジェクト案の作成、その案をベースとした意見交換までが行われました。

そんな様々な違いを体感しながら生活していると、改めて日本という国は欧米の国とは全く別の軸上に位置しているのだなと思います。
もちろん女性の社会進出などヨーロッパに比較して遅れている部分も多いのですが、日本の国としての歴史は長く、経済や社会の発展は欧米並み、もしくはそれ以上に進んでいる部分もあるでしょう。それでいながら、このグローバライゼーションの進んだ今も、これだけ欧米と全く異質の文化や社会の在り方が根付いているのは、少なくとも私にとっては誇らしいことです。

そんな欧米人とは異質の日本人の良さは何だろうということもよく考えます。「世間」や、もっと具体的に言えば組織や他人のために何かができる滅私の精神というのは、日本のよさのひとつと言えるのかもしれません。自分にはいわゆる会社人の経験はありませんが、自分の父親の世代が組織のために懸命に働いてきたことが、日本の驚異的な経済成長につながったことくらいは想像できます。保全の現場で言うならば、異なる利害関係をもった関係者間で合意形成をする場合などでしょうか。欧米の人たちが持つ強い信念と強烈な行動力が世界を変えていく例は数多くあるでしょうが、同時にそれが引き起こす衝突も同じだけ多くあるように思います。自分の権利や希望を主張するだけでなく、一歩ずつお互いに引いて合意する、そんなことは日本人の方が得意なのではないだろうかなどと考えたりします。日本人が国際感覚を身につければ、立場や文化の多様性を考慮した柔軟な意思決定を率先することができるのかもしれません。また、ゼロから何かを作り出す、変えていく、というところには日本では意識の変化や多大な労力がかかるにしても、一度世間がその方向に進み始めたら、迅速に大きな社会の変化が期待できるのかもしれません。
共同研究や教育、研究室の運営ではどうでしょうか。私がこれまで関わったり見たりしてきた欧米的なやり方は、極めて分業的且つ個が優先された進め方で、アウトプットは個々の能力の単純な合算という感じがします。一方組織や他人のために滅私できるということは、1+1が2以上のアウトプットにつながるのでしょうか。それとも個々の発揮できる能力が1未満になってしまうのでしょうか。もし前者であるならば、どんな時にそれが達成できるのでしょうか。
さらに、そんな滅私の精神が環境に対しても発揮されないだろうかなどと夢想したりもします。人新世(Anthropocene)と呼ばれる現代において、既に人類の欲望を最大限に満たしながら環境保全を達成することはほぼ不可能と言ってもいいでしょう。それならば持続可能な発展を実現していくためには、日本人の滅私の精神こそが重要になるのではないだろうかなどと考えたりします。
ずいぶんと話が飛んでしまいましたが、個が必要、個が必要、と言われ続けるサッカー日本代表をヨーロッパから見ながら、そんなことを考えました。