マイルストーン


とつかくんに落ちて半年目にして、これまでにない大!デ!レ!期!
理由はわかってる。あいばさんの1216を通過したからだ。


思いっきり自分語りになるけど、ここを避けてとつかくんのことを話せないのでやっぱり書く。


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わたしは過去の自分と未来の自分をかわいがりすぎる癖があって、自分の決めたことを変えるのが相当嫌いだ。
あいばさんに出会ったのがまさにもう日本を出ようと着々と予定を立ててた時期だったんだけど、突然現れた太陽のように眩しい子に身も心もかき乱されて、葛藤したまま初めて行った、札幌ドームの5×10コン。そこであいばさんの全力を見て、うんやっぱりわたしはフランス行こうって誓ったんだった。この人がこんなに全力なんだから、わたしも本気で生きなきゃって思って。


それからいろんな調整があって、とりあえず一年で一時帰国するなら、あいば30さいの誕生日には日本にいられるように出発を決めた。そこから一年間、テレビもコンサートも見れないけど、2012年の冬には会いに行けるって思ってそれを結構心の拠り所にしてた。


それが今、去年の自分が予想してなかったところにいるわけだ。思えば、帰国翌日6月17日のワク学東京ドームのときには、ひさびさの嵐に大歓喜してたのに、7月の京セラの帰り道ではとつかさんの話してた記憶があるんだよなあ。そのときのこと、秋の少年たち期(わたしが超絶センシティブだった時期)に思い出して、ああ人間の気持ちって変わるんだなって他人事みたいにはかなく思った。


「あらしからは降りる!とつかさんには行かない!」って宣言したとき、わたしはあの最初の札幌ドームと、来たる1216東京ドームとの間にいた。それでも何があっても1216には行くつもりでいたのは、ある種のマイルストーンだったからで、そこに辿りつけないとわたしの次の旅は始まらない、くらいに思ってたし。でも、当然自分はその場所に至るはずだったのに、あんなに怖いほど待ち遠しかったあいば30さいに全力じゃない自分が意味わかんなくなっていって、こんなんだったら12月16日なんて来なければいいのにって思ってた。


だけど東京最終日、泣きながら笑ってるあいばさんのことを中華コスの4人が迎えに行くのを見て、なんか今まで経験したことのないようなカタルシスに襲われて泣いた。まあ実際は直後一週間くらいは何にも考えられなかったんだけど、昨日12月24日が本当にやってきて過ぎていって、あいばさんのひとつ下になったわたしをここまでひっぱって連れてきてくれたのは嵐だなーって、凡庸だしただの思い込みだけどほんとに心からそう思った。


嵐に背中を押されて出て行って、先週の日曜日に東京ドームコンに戻ってきたときは、自分も周りもいろんなことが変わっていたけど(だってまさか他の現場からハシゴする自分とか想像してなかった)、でもあの日は今までの嵐コンの中で純粋に一番楽しかった。あいば30さいサプライズがなくても、たぶん一番。それがとにかく嬉しかった。見る側に過剰な思い入れがあるから特別なコンサートになったのではなく、見せる側に観客を引きつける引力があるから楽しかった、というところでわたしは最終的に胸いっぱい満たされたのだった。だから、わたしは自分の人生がどうとか関係なく、これからも嵐のことは見ていけるだろうなって気がした。それまでのこの半年、あいばさんのことまともに見れなかったから。



ってかわたし、ジャニヲタになって前の恋人と別れるとき、電話一本だったんだけどな!こっちのほうがずっとひきずってるよ!


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ちなみにここのアカウントでとつかくんのことを書く気はないです。嵐のためにとったIDだから。tempeteは仏語でstormの意味なので。でもほんとに今せかいじゅうにあらしをまきおこしてるのを去年たくさん見てきたから、とつかくんの夢もいつか叶えばいいなあ。
と思いながら、広い東京ドームでわたしは5人の姿を見ていたよ。

精一杯 運命に抵抗!

安定のバンプ厨ですこんにちは。
帰国して2ヶ月。まさかこんな悩みに直面するとは思ってなかったけど。結論から書きます。




嵐からは降ります。でも戸塚さんには行かない!




担降りという単語が自分に関係あるものになると思ってなくて、ほんと今まで本気で考えたことなかったんだけど、ここへ来て初めて他人事じゃなくなって考えた。その結果、わたしには「事務所内で自分の担当が下の世代に移る」っていう考え方がどうにもしっくりこなかったんだよね。先輩から後輩に「降りる」という意味での「担降り」なら、わたしはなんとなく違うだろうと。船を乗り換えるように次に次に、というふうにはしたくない。だから、あらしの船を降りて身ひとつになります。それから戸塚さんに「上がる」なら、それは別問題として考えよう、と。


めんどくさいねーw
とりあえず、初えびサマリまでは保留にしておこうと思ったの。そして12日の夜に入ってきて、なんかめちゃくちゃ楽しくて、すごい好きだ!!って思ったんだけど、それもふまえて自分の胸に手を当てて出した結論がこれだった。たぶん変なところで潔癖性なんだと思う。両立は出来ない。それは現場とか情報摂取とかの許容量の問題じゃなくて、気持ちの問題として。自分の部屋の中に2人以上のうちわがあるのがたぶん無理。


フランスから帰国したときの課題が2つあって、美術の勉強のためにもう一度日本で体勢を整えることと、12月のあいばさんを見届けること。どちらにしても、この半年の間に、フランス行くか京都の大学院行くか決めようと思ってた。でも戸塚さんがおおいにわたしの予定を狂わせたので!わたし、自分の決めたこととか計画とかを変更するのがほんとに嫌なの!よりによってあんな舞台班の子に…!だって東京に住んでないんだったらフランスでも関西でも同じことじゃないか。それはあらしとは全然ちがう。その上、今なら自分の来年以降の予定を何とでも出来るのがタイミング悪い。東京の大学…とかちらっと頭をかすめたり。いやいや、わたしそんなに器用じゃないんだ。ほんとに好きなら、自分のやりたいことも戸塚さんも諦めなければいいじゃん!ってなれない。たぶんどっちもだめになる。しかし今の自分が心から欲しくてたまらないものを我慢してでも手に入れたい幸せって何だ?てか人間の幸せって何だ?って思考になってきて、もう最後放棄したくなった。


あと、まあ… 正直に書くけど、わたしにとって、えびはあらしの代わりにはならないと思う。わたしにはあいばさんもあらしも大切で、まだ全然大好きなんだけど、えびに関しては戸塚さんロックオンなの自覚してるから。戸塚祥太という人が特別なの。それはまあ向こうで書いたけど、なんていうんだろう、たくさんいる人間の中から選んだのではないというか、偶然だけど必然というか。もし戸塚さんのことをゼロから知って好きになってたらもっと全力で行けたかもしれないけど、今そこまで行きたくないって自分に抑制かけてるのは、人生の本質ってなんだって教えてくれた人がいて、その影響を受けて今のわたしがあるから、なので。何書いてんのかわかんないやね。


戸塚さんは素敵な大人になると思うよ。だからあと5年は見ていたい。5年後の自分に、過渡期の戸塚さんを見れたことを自慢するの。だけど、わたしは自分の人生のほうが大事なので。初めて入ったあらしコンでフランス行きを決意したように、戸塚さんががんばってるから、わたしも自分のことすべきことをなそうと思う。


とかいいつつ、今名古屋のチケット探してる時点で説得力ないけどな!そんな感じで足もとふわっふわだよ!

ビューティフルワールド

新しいアルバム、好きなんだけど、にのみやの唄。が何を言ってるのかわからないのはわたしだけ?虹もギミゲも「君がやりたいことはわかる、わかるよ」って苦笑しながら受け入れられてたのに、今回全然理解できないんだけど。にのみやが本気を出すとああなるのか、それともにのみやが自分に求められてることを追求するとああなるのか、どっちなんだ。内容も意図も謎すぎる。あいばさんだったら悩まないけどにのみやだと悩まざるをえない。結局「泣いてもいいいよ」ってそれをいうために、いろいろ理由をつけて論証したり(〜から。の多用とか)、ケーススタディにしてみたり(貴方と書いてあんたと読むのくだり)、僕らがいるから大丈夫!って促したり、一曲かけて泣ける心理状態を作ってくれてる唄。ってことでいいの?それともにのみやが「にのみやくんも泣くの我慢してたら笑えなくなったことがあるんだね…」って察してもらいたいための唄?それにしても、“生きてること”と“嵐がそこにいてくれること”を説得材料にするなんてずるい。


Rock thisとJOYがお気に入り。JOYは山中湖の景色込みでだから、最初からシード権獲得済みだけど。あとしょうちゃんのソロは良いよねえ。甘くて平和で天国みたい。ずっと聴いていたい。しょうちゃんのラブ全開な歌ってほんと好き。わたしなんでさくらい担じゃないんだろう(お約束)。


なんか今回のアルバムは、風景コンとのつながりについていろんなことを思った。わたしは風景のアルバムがすごい好きなんだけど、やりたいことたくさん盛り込みたい!って勢いが先走ってとっちらかっちゃった感が嫌いじゃなかったんだよね。今回のほうがまとまりはあるけど、それはコンセプトが一環してるというよりは、嵐の守りたいものがはっきりしてるからなんじゃないかと。「僕の見ている風景」っていうのは、僕の見ている風景は何だろう?っていう命題であって、それをコンサートをしながら確認していくためのお題だったわけだね。その後に震災があって、しょうさんの言い方でいえば、非日常が日常になって日常が非日常になっちゃって。それでいえば、わたしにとっても2011年はほんとに普通じゃない年だから、このアルバムがチャレンジングすぎなくて、彼らの大切なビューティフルワールドを結晶みたいにぎゅっと閉じ込めたアルバムだったのは、わたしにも良かったなあと思う。自分が今こうしてパリで非日常な生活をしてるまっ最中にもしまじかる☆そんぐが来てたら、わたしきっと精神が崩壊してたね。
そのうえで、Rock thisの

「あなた方の前じゃ誤摩化せんぜ」

っていうのがすごい大事な気がしてて。アルバム全体でアイドルらしい夢とか希望とかを歌ってるけど、その根底にこれがあるのとないのでは全然ちがうよね。やさしくてわかりやすくてしたしみやすいけど、「あなた方の前じゃ誤摩化せんぜ」って。それってすごく嵐っぽいよなあと思って、あらためてしょうちゃんリスペクト。


あーでもこれはコンサート行きたくなっちゃうよねー。Beautiful World Tourは、ビューティフルなワールドツアーだったりしないのかなー

イドルジャポネ

あいばさんががんばってるからわたしもがんばる!って毎日全力でやってたら、仕事が3つくらい立て続けに決まりました。多すぎる 笑。でもあいばさんも元気に復帰したそうでほんとによかった。沖縄のちゅら海で輝いてるあいばさん見て、健康のありがたさが身にしみました。おかあさん、わたしを丈夫に産んでくれてありがとう。まさきママ、まさきくんをどんなときでも笑える子に産んでくれてありがとう。


フランスでの生活はこちらで書いていますので、興味ある方はどうぞ。


さてそんなわけで、ひとまず生活が落ち着いて、しかもわたしのところにはまだアルバムが届く前なので(お友達が送ってくれたのでしょっちゅうポストを覗いて心待ちにしてる^^)、ちょっとさかのぼって旅立つ前後のことを書こうかなあと。


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突然ですが、わたしねえ、東京がすごい好きだったんだよね。18のときに最初どこに行こうかなあって考えたとき、東京をまっさきに候補から外して沖縄か北海道か迷ってた人間が(そんな決め方で大学決めた)、10年後こんなに東京が好きになると思わなかった。その理由のひとつには、あらしを好きになったことがすごくあると思う。ひとり千葉の子いるけどw、千葉と埼玉と神奈川含めの東京、ね。


フランス語学習者の例にもれず、星の王子さまフリークのわたしですが(今は実家だけど、日本で翻訳された星の王子さまは全部あるよ)、あのお話のなかに、王子さまがどうしてあのバラのことが特別大切だったのかを話すシーンがあるんだよね。王子さまは彼女(バラは女性名詞だから)のことをとても美しいと思って、あの1本のバラに精一杯愛情を注いで世話をしたから、地球に来てから世界にはこんなにたくさんのバラがあることを知っても、やっぱりあのバラだけが特別だって思うの。
それと同じことをわたしは東京という街に感じてる。都会だからとか歴史があるからとかそういう普遍的な理由じゃなくて、例えば総武線から国立競技場が見えることとか、新宿で朝まで友達とおしゃべりしたあとの始発の感じとか、日本橋や汐留や浜松町や平井大橋や多摩川の河川敷や、もっと言えば5人が生まれ育った場所だという、とても偏狭的だけど絶対に代わりのきかない理由がたくさんあって、あってというかたくさん出来て、特別大事な街になったんだと思う。


わたしは東京の人が冷たいとか全然思わない。むしろ人懐っこくて優しくて、東京の人と接してると人間の体温を感じる。あらしの5人とか、まさにそう。根っこがあたたかい感じ。そして「オタクは担当に似る」の言葉どおり、あらしで出会った人たちはみんな優しくてあったかかった。あらしの友達に出会うまでわたしはずっと女の子の友達がいなくて(こういうこと書いてしまうあたりが我ながら中2)、だから同性同士であんなに深い関係を築ける5人によけい憧れがあったんだけど、こっちで女の子の友達が出来てから、ああこういう感じなのかなってちょっとわかった気がした。同性の友達がいないっていうのは自分に欠陥があるからだと思ってたんだけど、わたしと同じく自分で自分のこと「俺友達いないから」って言っちゃうにのみや(同じく中2、出席番号わたしの前)や、ありがとうじゃなくて大好きになっちゃうあいばさん、いつも他の4人のことを手放しで褒めるじゅんくん、4人の信頼を一心に集める愛されさとし、「嵐があっての自分だから」の信念を絶対揺るがせにしないさっくん、彼ら5人を見るにつれ、わたしに心を許せる友達が出来たのは、元を辿れば5人が思いやりのある優しい子達だったからだなあって思ったりして。


これまでいろんな土地を転居してきたけど、送別会してもらったのも初めてだし、色紙もらったのも初めてだし、最後にあんなに餞別をたっくさん持たせてもらったのも初めてで、言葉にならないほど嬉しかった。そのうえ本当に泣いてくれる友達がいるなんて思いもしなかったから、本当に信じられなくてびっくりした。でもそうだよね。いつもあんなにたくさん「ありがとう」と「またここで会おうね」を伝えようとしてるあらしを見てるみんなだものね。前のわたしなら、なんでそこまでやってくれるんだろうってわかんなかったと思う。今ならわかる。今は、わたしの判断基準のひとつに「あいばさんならどうするだろう、あらしだったらどうするだろう」っていうのが出来てるから。


なんか最後のほう何言いたいのかよくわかんなくなっちゃったけど、つまり、嵐が好きになってよかったあいばまさき!っていうことです。だから、フランスで美術の勉強することとあらしを好きでいつづけることは、人によってはアンビバレンツに映るかもしれないけど、わたしのなかでは矛盾はない。です。なのでこっちにいてもイドルジャポネを追いつづけるよ。

あいばさんの入院のこと

あいばさん入院のニュース聞いて、息が止まった。
どうしよう。
ってどうしようもないけど、気持ちがぐらぐらする。
あいばさんの健康があやういバランスの上に成り立ってるのわかってるけど、覚悟してても心が追いつかない。
「いろいろあったね。病気とかね。…笑ってもいいよ?」っていうあいばさんは本当に強い子だと思う。あいばさんがあんなに優しい人である理由のひとつに身体のことがあると思ってる。だから、ひやひやするほど元気いっぱいなところも、ときどき映る手術跡も、全部まるごとあいしてる。
だけど、いつもあいばさんがそこにいることに甘えて安心して頼り切っているから、あいばさんの存在が揺らぐと、わたしまで不安定になるというか、足下がおぼつかなくなるというか。不安でしょうがない。


かなしいことってどうしてこう続くんだろう。って一瞬思ったけど、ごめん、これはかなしいことじゃないんだよね。
まっすぐにひじをのばして手を振るように、嬉しいときうひゃひゃひゃひゃーって笑うように、これはあいばさんの癖なんだよね。
きっとこれからもつきあっていかなきゃいけないと思うから、今はどうぞ安静にしてお大事に。
何も出来ないけど、ただただ祈ってる。

28さいおめでとう

わたしが日本を発つのが6月18日なのは、にのみやが28さいになるのを見届けてから行くため、っていうのは周知の事実ですが(そうなんです)、ビザの関係で1年後までに一度帰ってこなければいけないんですけど、その期日が2012年の6月17日なんだって…。1年行ってくるのに、にのみやの28歳も29歳も日本で迎えられてしまうという不思議…。いつもにのみやのことを「あいつはあいばの何なんだ!」っていってるけど、むしろわたしはにのみやの何なんだ。


去年のにのみや誕生日に書いた突き放しダイアリwからもう1年経つんだね。早いなあ。その前の年は、まだそんなににのみやに特別な感情がなかった。でも、わたしが最初に生で見た嵐のメンバーはにのみやだからね。もう明日引っ越すから言っても問題ないと思うけど、神楽坂に住んでいるので拝啓父上様の撮影してるのを見たのが最初。なんにも印象に残らなかったから、とっておきの撮影エピとか何もないけど 笑。でも、あのときはものすごくいっぺいちゃんだと思ったんだよなあ。実際あんなに頭切れる子だと思わなかった。


三谷さんの言葉で、「期待に応えて予想を裏切る」っていうのがあるんだけど、にのみやっていつもそんな感じ。嵐が背負ってる期待ってはんぱないと思うけど、それを全部満たしながら、でもこちらが思ってる通りのことなんて絶対しない。その遥か上をこえてくる。おまえらの考えてるレベルはそんなもんかよっていつも言われてる気がする。今でもときどき思い出すのが、国立0903の「4chが見たい嵐はしやがれで、6chが見たい嵐はあらしちゃんで…」っていうくだり。「嵐の見たい嵐は、今日100%ここにありました」っていったあの言葉にわたしは心底感動した。にのみやがコンサートを大事に思ってるのは十分知ってたつもりけど(5人ともだと思うけど)、にのみやのあの言い方が本当にものっすごくダイレクトに入ってきて、今でも強烈にあの瞬間のこと覚えてる。あの場でああいうことをしれっと、でも自信もって言えるから、にのみやはにのみやなんだと思う。


にのみや、お誕生日おめでとう。
日付変わる今この瞬間にも、東京はじめじめと雨が降っているよ^^

ところで

今日、さんざん笑ってさんざん泣いて、しばしのお別れをしてきたお友達。ちょっと感傷的な気持ちで、最初に出会った日のダイアリ*1見返してたら、その日の夜に唐揚げと麻婆豆腐食べた記録がwww