東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例 のお話

この手の条例は、「いつもいつも○○はダメ」 っていうネガティブリストみたいになってるけど、本当に青少年のの健全な育成を目指すならば、ネガティブリストではなくポジティブリストでないとダメだと思う。
つまり、「こうしてダメ」 という否定的な事柄ではなく 「こうなりたい」 「こうしたい」 というポジティブな影響を与えないとダメだと思う。


翻って、ちょっとソースはないんだけど、青少年の意識調査みたいなもので、「身近に尊敬できる大人はいますか」 と問うと、半数以上は 「尊敬できる大人はいない」 と言うような調査結果が出るわけですよ。 (おいらが見たいのは数年前の朝日新聞の調査だったけど、ソースは見つけられなかった)


○○してはいけない・・・って言うようなネガティブリストを例え幾つ積み重ねても、それは全く建設的な方向へは向かわない。でも、「こうなりたい」 「こういう人間になりたい」 という目標になりうる大人が身近にいればそれは青少年にポジティブな影響を与えると思う。

敢えて言うけど、こんな条例は本末転倒も甚だしい。
健全に育って欲しいなら、青少年に憧れを抱かれるような大人を育成しないとダメだろ。そこをスルーして起きながら、「あれはダメ。これもダメ」 といっても何ら効果はないと思う。


ダメな人ほど、ネガティブリストみたいな規律を作りたがるんだよね。それで物事がうまく行くって、当の本人は思っているけどそれは本人だけ。

「こうなりたい」 「こういう大人になりたい」 っていういう風に感じさせる大人が身近に居れば、こんな条例は元々必要ない。こんな条例を作ることは政治家の無能を示す以外、何の証明行為になるだろうか。と思う

重ねて言うけど、安易に何かを禁止すればいいと考える人は、決して他の人にポジティブな影響は与えられないんだよ

スパム記念

スパムもらった昨日のエントリ。
まぁまぁ
スパムで民主党ネガキャンしてる人は仮に、そのネガキャンに成功したとしてその後の展望があるんだろうか。
結局民主党自民党も同じ穴の狢だと思ってるので、今更民主党ネガキャンを聞かされてもね。


誰もが相対的な評価として民主党自民党かと言っているようですが、絶対的な評価としてはどちらもマイナスと考えています。よりベターな方を選ぶしか有権者には選択肢がないのは仕方ありませんがいくらなんでも選択肢が悪すぎると考えています。自民党は失敗した。多分再生の見込みはないでしょう。民主党もどうやら失敗しそうです。だから憂慮しているのは、その先の事で、どうなるんですかね?


どうなるんでしょう?
知ったことではありませんが、まぁ、こうした試行錯誤は民主主義が熟成されてゆく過程での通過儀礼なんでしょう。でも、右往左往して迷走している時代と時を同じくすることは不幸以外の何物でもないわけです。


スパム書いてネガキャンしている人はご苦労なことですし、何かしらの使命感とかも感じてらっしゃるのかも知れませんが、端的に言うと、迷惑だし失礼です。
共感を得ることは難しいでしょう。「民主党はだめだなぁ〜」と考えてる私の共感を得ることもできなかったのですから。


とだけ、さし当たり書き記しておいて、スパムを晒しあげたいと思います。

どこまで無能になれるか証明する行為

無料高速道路37路線発表 地方中心に全体の18%
http://www.asahi.com/politics/update/0202/TKY201002020290.html

休日1000円のの方が良かったんじゃない。わかりやすいし
こんな面倒なコトするなら財源が確保できるまで実行を遅らせても問題ないと思うんだけど。

現在大きく報道されている基地問題にしても高速無料化にしても子供手当にしても、選挙向けに出来もしない上手いことだけ並べ立てて大風呂敷広げたけど結局どうよ。
さらに言えば、政策的なことは財源の問題もあるから上手くいかないことがあることぐらいは理解できる。でも、家時と金の問題について、あれだけ偉そうなこと言ってた人間が、首相になったとたん、その信念までもあっさりと捨て去ってしまう豹変ぶりはどうよ。


民主党政権はどこまで無能になれるのかお手並み拝見
基地問題アメリカの事情もあって妙な追い風めいたものが吹き始めているような気もするけど、まぁ、頑張らなくてももっと無能になれるんじゃないかなぁ〜

ほんとに怖いのは

鳩山、小沢のすったもんだが続いている民主党による政権運営民主党の支持率は順調に低下しているが、自民党への支持率は一向に上向かない模様。「ですよねぇ〜」 という印象です。


ただ、このまま行くと早晩民主党は舞台から退場を余儀なくされそうな感じですが問題は未だに国民の不満は何ら解消されていない現実だけが残ってしまう事実。
自民はダメ、民主もダメ。となったとき、誰が国民の不満に応えんと欲し、誰が国民の支持を集めることになるのでしょうか?その者の帰結によってはどーなるか分かりませんね。


今日起きていることに一喜一憂していますが、ホントに怖いのは今日ではなく明日であり、明日ではなく1年先、2年先かもしれません。
もっとも、歴史的に俯瞰して、再生の前の破壊を許容するならば 「それも又良し」 かも知れませんが、時代を同じくしてしまった人は、どこに、誰に、何を求めるのでしょうか?

アホか!!

仙谷行刷相、高齢者資産に課税の検討を

仙谷由人行政刷新相は26日、読売テレビ番組で「相続税相続税という名前でなく、
残した財産に(税金が)かかることも考えないといけない」と述べ、高齢者資産に
課税する仕組みを検討すべきだとの認識を示した。25日に閣議決定した2010年度予算案での
歳入確保に特別会計の剰余金などの「霞が関埋蔵金」に依存したことについては
「もう逆さまに振っても出てこない感じになっているのではないか」と指摘した。


埋蔵金での歳入確保が難しくなった場合には「(国民の)皆さん方に
負担をお願いしなければ仕方ないのではないか」と言及。「消費税だけでなく、
その他の税目も議論をしたほうがいい」と強調した。行刷相は現役世代の負担の
もとに高齢者の生活が支えられている問題点を示したうえで「高齢者が
どうやって社会にお返しをしていくか考えてもいい」と語り、
資産への課税を検討すべきだとの考えを明らかにした。


資産とかは、今まで稼いだ所得の固まりなわけですよ。で、しかも、全うに生きてきた人の資産は、所得に対して今まで税金を払った上で積み重ね貯めてきたお金です。「死んだら使い道ないんだから」的に、国家がそれを収奪することはいかなる名目を持っても論理的に筋が通らないと思う。
どっかの国の脱税総理みたいに、不当な蓄財を行っている輩からは見せしめの意味も込めて全財産を巻き上げるようなコトをしても別に怒りはしない。極端すぎるとは思うけど。金を巻き上げるから、まず不当に財をなした者から国庫に納めさせるべきで、全うに税金を払った上に気づいた財産に対していたずらな課税はすべきではないと思う。


私は財産とか資産とか呼べるものは何も持ってないし、またそういったものを手に入れられるとは思わない層の住人だから関係ない話だけど、こーいうのは断固反対する。


消費税に関しても、生活必需品みたいなものは非課税の対象とし、その分高級品・嗜好品の類の税率を厚くする。とかそーいうのなら分かる。一律に上げれば、こー言う間接税は低所得者の方が負担が大きい。安易にとれるところから徴税しようとする態度の、一体どこが「生活重視」なのだろうかと思う。
ほんと、民主党の政策は骨の髄まで腐りきっている。


それでも国民が選んだ政府ですか。そうですか。はいはい
もういやだ。

取りやすいところから取る

たばこ税1本5円上げ固まる 1箱300円から400円に


 政府・与党は21日深夜、平成22年度税制改正の焦点となっているたばこ税について、1本当たり5円程度引き上げる方向が固めた。現在1箱300円の主力銘柄が400円に値上げされる見通し。


 鳩山由紀夫首相は同日夜、たばこ税について、「増税があるべきだ」との考えを改めて表明した。


 増税幅をめぐっては政府が1本当たり3円を主張したのに対し、与党の社民党国民新党は1本5円を主張したが、その後の調整で最終的に1本5円で折り合った。政府は22日に税制改正大綱を閣議決定する。

「取りやすいところから取る」基本ですかね
健康とか何とか大層なこと言ってるけど、本質的にはそーいうことなのだろうと。
予防医学的措置だっけ?自己責任とかどこへ行った。余計なお世話だ。人の健康心配するなら、健康よりも年金を心配してくれ。


ネットとかでコメント見てると喫煙者に対する風当たりの強いこと強いこと。吸わない人から見れば喫煙は愚かしい行為に映るのだろうと思うし、迷惑に感じてる人もいるであろうコトは容易に想像がつくのですが、喫煙者嫌悪の感情のまま「いいぞ、もっとやれ。値上げしろ」ってのは違和感を通り越して嫌悪感を感じます。偽善的だなって。


受動喫煙云々を言うならそれは分煙化とかマナーの問題だし、タバコ吸った後の臭いとかがイヤとか言うなら「お前の香水とかコロンの臭いイヤ」と同レベルの話だと思う。予防医学的見地というなら他にも害になるものはある。予防医学的見地で酒の値段を上げるとか塩の値段上げるとか、肉とかだって該当するだろう。


私が禁煙家だから反対に向かう傾向が強いことは否定しようもない事実だけど、今回の増税案は論理的に公平性を欠いているように思えて納得できない。
論理的公平性とかそーいうのを無視して情感の赴くままに反対だ!!とか言ってると、結局、論理的非公平性によって自分の権利が侵害されたとき、誰も見向きもしないというのは歴史的によくあることなんだけどね。某有名掲示板でも散見する詩

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』マルティン・ニーメラー

に通じる部分はあるんですけどね。まぁ、そーいうことには無関心なんだろうと思う。
ちなみに、ナチスは反タバコ政策を強行してたんだけどね。


まぁ、ぼやいてみました