最近の出来事

 夏コミも終わってすこし余裕もできてきたしゆっくりしようとしたら1週間が過ぎていてた。きょーく(笑)。
 夏コミで出したもののpdfは
http://donuthole.org/?id=2
 で公開しています。


最近やったこと
 二日くらい前に新宿で打ち合わせ。キャッチコピーとコンセプトを絞る。
 サイトの作り直しをもくろむ。

やること
 web小説サイトを作る。今ある小説サイトはどこも読みづらいと思う。
 DL数を記録しておくスクリプトを書く。
 記事を1本書く。
 月末の締切2つをどうにかする。


 なんかいろいろ書こうとしたけど何もかけない気分だったのでやめた。そろそろ新しい小説も書きたい。何々を書きたいというより小説を書いているときの気分を得たいみたいな感じ。

締切に追われるだけで精神がすさんでくる

(日曜日のできごと)

新宿

 午後からルーシュさんと神様と新宿のハンバーガー屋でおしゃべり。電子書籍のことやギークハウスの編集/ライター版みたいなことを話した。たくさんお酒をのませてもらった。
 コロナビールの小瓶を3本くらい飲んだ。おいしかったので常飲したいけれど、家の近くには売っていなさそうなので残念。お酒をたくさんおいているスーパーへ今度行ってみようか。
 なんか書いちゃいけなさそうなことを書くといやなのであまり書かない。とりあえず、3000部くらい捌けるようになると2人が1年暮らせる程度のお金になるそうなのでがんばりたい。

秋葉原

 その後はムラシット先生(id:murashit)と連載とかの話をしに秋葉原へ行く。総武線に乗ろうと思ったら人身でとまっていたので山手線で大回り。
 連載は、小説のような感じになるみたい。テーマを設定したほうがいいというので考える。あと、ある程度たまったら電子書籍で出したいと考える。ほかの記事も同様に、まとめて出せたらいいなあと思う。その場合の印税(?)の扱いはどうしようか。

王子

 暁さんが花火会を主催してくれたので遊びに行かせてもらった。とても楽しかった。
 ムラシット先生が桃を持ってきてくれたので食べさせてもらった。ぼくはごはんを食べようとすると大体三口目くらいで飽きてしまってもういいやと気になってしまうけれど、桃はおいしいしたくさんある訳でもないから食べられる。それから、人に桃をむいていて食べてもらえると嬉しい。ごはんを作ったりするのも自分で食べるのはあまり好きではないけれどつくるのは好きだし、果物をむくのも楽しい。皮をひとつなぎで剥けた時とか。食べてもらってる時とか。
 人に甲斐甲斐しくしたい。ごはんつくったり、掃除したり。ぜんぶしてあげたい。家政婦とかになりたいわけではなくて、好きな人にだけ何でもしてあげたいと思う。
 花火は飛鳥山公園でやった。花火だけでなく、遊具がたくさんあったのでそれでも遊んだ。滑り台やジャングルジムに登ったのは久しぶり。園内には都電荒川線の車両や、SLがあってそれも面白かった。SLはすごい大きくて、こんなのが線路を走ってたなんてすごいなあと思う。あと、トイレに行ったらゴキブリが交尾をしていた。部屋の中でゴキブリを見るのはいやだけど、外だとそんなにいやではない。

 花火のあとは4人くらいで銭湯へ行った。銭湯はいい感じなので家の近くにもほしい。それか、引っ越したら川と公園と銭湯のあるところに住みたい。


 なんか疲れたので途中だけど終わり。気が向いたら書き直そう。

食べるラー油を使った鶏のチャーハン(そこそこおいしい)。

 桃が食べたいね(スーパーにいくたび値段におののいて結局食べていない)。
 今日はEnfants( http://Enfants.donuthole.org/ )のもうひとりの編集、id:bsr36さんと打ち合わせだった。展望や、8月末のプレビュー2、創刊号のこととかについて話した。きっと、こういう企画を立ち上げ継続するのに一番必要なのはお金や人じゃなくて理念なのだろうなーと考える。折れないようによしなにしてゆきたい。明日は某出版社の方とご飯を食べに行くことになったので楽しみ。それから、夕方には花火をやるとのことなので、それも楽しみ。楽しみなことがたくさんでうれしい。
 ところで現状、同じようなことをやっている(電子書籍はやってるし、雑誌とかフリーペーパとか作ろうぜ! みたいな感じの)ひとって自分の見てるインターネットではあまり見ないし、見かけてもあまり力を入れて活動しているようなところは見られない。つまり、うちの企画って電子出版黎明期でスタートダッシュそのまま逃げ切り! みたいなことできるんじゃないのかな、と甘いことを考える。とりあえず、楽しんでやったらオッケーじゃないのみたいな気分だけど、実際には発行間際には死にそうになっているのだし、もろもろの調整のためにメールを打っているときは面倒で仕方がなくなる。なんとも調子のいいやつだ!


 いろいろ野望や欲望の詰まった企画なので成果を収めたい成功も収めたい。何をもって、というのかはわからないけれど(きっと、3年後くらいの就活に役に立つなんて矮小な理由じゃないでしょう?)。
 それから、Enfantsでは編集者を募集しているので興味がありましたらご連絡ください。funebot@gmail.com
 しかし内容のない空っぽな日記だ。

ところで

 CSSのことよく知らないからできるのかわからないけど、letter-spacingじゃなくて、もっと詳細に文字のアキ量を設定できるやつとかないかな。とにかく文章が不恰好で仕方がない。
 HTML5とかCSS3とかいうけどこういうところがちゃんとできて、さらに自由に、感覚的に組めるようにならないとepubとかはやんないんじゃないの? って思う。
 あと、すこし違うけれどディスプレイだと特色や特殊な装丁(ニス塗りとか箔押しとか)ができないし、それができないのはページをめくれない以上に悲しいなあと思う。便利だから電子書籍使うし、つくるけど。

とても反省した気分なので次からはちゃんとしようと思った

 生真面目だと自分では思っているこの性格がきらい。自分の大すきな自分になりたい。
 上に書いたようなことを、若いときに陥る一過性の考え、なんて思ったりせずにきちんと向き合えるようになりたい。それはきっと大人になって生きていくこととは関係ないことだろうけど、でも、ちゃんと最後まで考えることを見届けてあげたい。その価値は何十年後かにちゃんとわかると信じられそうだから(青臭い)。

今日は鶏のトマト煮を作りましたが、トマトピューレの量が多すぎたかもしれません。

 生きていくのって大変だなあっておもいます!
 だって、こいつには何をいっても無駄なんだろうな感を漂わせている人が周りにはたくさんいるし、そういう人に直面するとすごく生きるのが面倒になるんです><
 でもでも! きっとそれって仕方のないことなんですよね! 彼にもそういう風な考え方をするにいたる人生があったわけだし、それは尊重したいとおもいます! だって、彼はぼくと同じように理不尽や不条理にさらされながらおぼれないように必死に生きてきたんですから! その結果として彼のぼくのちょっと受け入れがたい人格が出来上がった訳で、それはぼくが口を挟めることじゃありませんよね><
 真剣に話をしている途中で煙草を吸いに席を立ったり、一言いうこともしないでトイレに行くような人格を形成するような環境や、彼の内的なものに干渉することなんてできません>< クソみたいな気分です! みんなみんな死んじゃえばいいのに、なんていってもだれも死んでくれません>< だったらぼくがフライアウェイ! 未知なる世界へ飛んでゆきましょう! 死ぬときは浴槽で手首を切ったりとかがいいですね! だって、最後まできちんと迷惑をかけることを完遂することができるぼくの一番やりたいこと一番大嫌いな人に一番いやな思いをさせることができるんですものぼくの死体を最初に見つけるのは彼でそれは避けがたいことですぼくの死体をちゃんと見つめて触れて水を吸った肌を剥いて自分の言動の結果を受け入れて! って思うんです! これがぼくの十数年を生きてきて出来上がった人格なんですいやらしい人です自分でもあんまり好きじゃないですみんなみんな大嫌い生きていくのって大変ぼくはぼくのありたいように幸せに生きて生きたいのにどうしてか邪魔をされてしまうんですどうしてでしょうぼくが幸せになるとなにかこまることでもあるの><
 ところで、ぼくはときどき小説とか書いてみたりするのですが表現をするってとっても難しいんですね>< だってだって、自分の影響圏を離れたり、好意的に読んでくれる層を離れて発信しようとするとその言葉は受け入れてくれられないのですもの! 無関心ならまだましです、端からこれはクソだって思われながら読まれたら何も届くわけないんだからさ! その範囲を離れて発信しようとすることってとってもとっても難しいくてきっと、がんばっても何にもならないんじゃないかなって時々思ってしまうんです>< だから、表現も生活も命もあきらめてしまいそうになるんです! ぼくのだいきらいな彼みたいに心(心なんて言葉は嫌いです)をなくしたように生きていったら楽なんじゃないかな! 判断の基準をすべて常識に留め置いて自分ではなるべく考えないようにしたらいいんじゃないかな! でもでも、そんなのはだめだぞう! ぼくは自分の頭で考え、二本の脚で立ってゆくんだ! ぼくの頭はぼくの考えだけ、ほかの人の考えなんてどこにもない、オリジナリティあふれる特別な人間なんだぼくは! がんばるぞぅ><


 クソみたいなスタイルシートを書くと読みにくい、ネタに走った文章を書きたくなるけれど、これって本当はよくないんじゃないか、自分を損ねる結果にしかならないんじゃないかと思います。もっと、誠実に書きたいです。
 とりあえず自分がねじくれてしまうような環境にはいたくないですね。クソッタレ。
 クソみたいな出来事が起きると考えることを放棄して適当なことをいいたくなります。自分の考えも意思なんて本当はないですが、それでもちゃんとあるって言って思って、そのとおりに行動しないといけないんじゃないかな、なんてときどき考えます。そうやって、意思を確かに保って生活したいと思うけれど、生活を保っていくことや表現をやめてしまいたくなることも多いです。ああいった人と話していると、何かを書いたりすることには何の意味なんてないんじゃないかな、って思わされるからです。
 でも、彼も悪い人じゃないです。
 それから、人間に可能なもっとも気高い生き方とはなんだろうと考えます。ところで、敬体で日記を書くのってなんかいやですね。彼の生き方はぼくには到底受け入れられないけれど、それでも、彼は自分なりに生きてきて、そうなったのだから、それは大切なことだと思います。だけど、ぼくは彼の人格や態度が大嫌いで、どうしたらいいのかわからなくなってしまいます。どうしたらいいか、というか、自分はこれでいいのか、こういう考え方やいき方をしていていいのか。こんなのは若いときに陥る一過性の考え方のひとつなのでは? と、考えてしまうからです。文章がぐちゃぐちゃですね。こういうときは眠ったほうがいいのかな。こんどは、真剣に書いてやりたいです。
 きっと。もう少し歳をとったら許せるようになるのかな、と思うのですが、それってきっと鈍感になっただけなんじゃないの。とも思います。
 何を書こうとしても青臭くなってしまいがちでつまらないので終わりです。


 書いてから10分もすると上に書いたことが全部いやになってしまいますね。若いのっていや。でも若いままで居たい。