その7 “BUSINESS CYCLES and ECONOMIC POLICY “ Erik Lundberg

 今回の本書は洋古書店のカタログをみて最近、手に入れたものであります。投稿者も若干の洋書は保有していますが、都内等でも社会科学関係の洋古書を一定規模以上専門的に扱っている書店は余り多くは無いと思われますが、ここで投稿者の(多くの専門的研究者諸氏はそんなものはとっくに知っていると仰ると思いますが)知っている古書店を若干述べてみたいと思います。


①神田にある“崇文荘“
②高円寺の“都丸書店“
③国立の“西書店“であります。

このうち三番目の西書店はあるいはご存じない方もいらっしゃるかも知れませんが、経済書関係はかなり豊富であり行く価値は有ると思います。

又これら三書店とも定期的にカタログを発行しております。




 

 さて本日のこの本のテーマですが、あるいは気がついている方も多いとは思いますが、“タイトル“的にこのようにうたった本は実は余り多くはないというのが投稿者の認識であります。何故そうなのかは投稿者は自分なりの解釈を持っていますがそれを述べるのは又別の機会にしたいと思いますが、


 
 この本は原著はスウエーデン語であり其の翻訳でありますが、内容は戦間期から第二次大戦後までのスウエーデンの“景気政策“を解説したもであり、投稿者も戦間期は未だつめて勉強しているわけでは有りませんので、(まして未読でありますから)in dedail まで話す事は出来ませんが一般にスウエーデンはケインズが“ケインズ的政策“等を言う前に既にそれを実施していたと言われており、そういった意味ではその辺の連関が興味がもたれる物であります。



例によって本のカバーの裏側の文書の一部を紹介したいと思います。




 The books main purposes are to determine what atatistical and other information is needed to formulate both the objects and the means of government economic policy and then to ask what theoretical tools should be used in order to clarify the issues of economic policy.
Inflatinaly gap analysis ,national budgeting techniqes,and the theory of economic fluctuations,are exsamined against the experience of a country in which they are known to have been intelligently applied.



と言うような事であります。







戦間期を学ぶまで投稿者には未だ若干時間が掛かりますので読むのは暫く先になると思われますが。



追記:上記、戦間期を学ぶのは“未だ先になる“等と冗漫な事を書きましたが、実際、これをお読みの若干の方々はお分かり頂けると思いますが、今日の特に“経済政策“的混迷は、将に“目を覆わばかんり“と言う状況でありまして、其の根源はやはり、事実を無視した“教条“と“頭で捏ね上げた“空想的経済学のなせる態とも言うべきでありまして、この経済的混乱状況にまともな政策提起が出来ない状況であります。

 投稿者、別項で書いています“景気政策史“はやや十年以上前からこのテーマはすっぽり抜けていると気がつき、十九世紀前半だけでも取り合えず纏めようかと思い始めた物ですが、現代まで書かないと意味が無いかとも思った次第ですが、それには当然、膨大な資料等が必要となるわけでありまして、“そんな馬鹿な事、誰かやれよ“と思っていたのですが、だれもやる気配も無く、その間、投稿者も若干、体調をくづした関係で作業が中断していた物ですが、事のいきがかりから書き始めた物ですが、実際、今日のこの悲惨な経済状況を打破する為に、全く“協力者(複数形)“が必要な物であり、有意の方の賛同を求める物です。


 一般に“研究者、学者“と呼ばれる方々は他人の発見したテーマで何かを論ずる事はあまり好まれないようで、それは作業の進展にとって大きな障害になる物であります。“興味有るテーマ“として書いていますが、この一つ一つでさえ本気で追求したら一冊の本になるかもしれませんが、今日、求められているのは、そういうことではなく、その全体状況を示す事と考えます。そういった点から投稿者は今後の部分はなるべく短く、かけるだけ書きますので皆さん方のご協力をお願い致します。
2009.2.17





















以下次回
 

その6  “資本主義と自由“ ミルトン・フリードマン

  今回の投稿テーマは表記のフリードマンの主著の一つとされる“資本主義と自由“です。実はこの本はインターネット経由で手に入れました。古書店(街)は、文化的意義に於いても存在価値が高いわけでありますが、書名等解っている物についてはインターネット経由の方が早い場合があります。先日投稿したサミュエルソンの“経済学13版“もインターネット経由で手に入れましたが、今回の“資本主義と自由“についても先般、投稿しましたように、ある意味、サミュエルソンの“論敵“?で有ったわけで、

 投稿者からは“マネタリスト“と言われる論者の“景気政策“は何であるかと言う点で興味が持たれると言う事です。




 
 投稿者は“政治家“では無いので書物の“政治的解析“には殆ど興味は有りませんが、果たして“経済理論書“としてどのような効用があるかという観点から見るわけですが、全般的に“各種福祉“の効用に疑問を出している事、又“免許制度“に対する疑問等が出されているように見受けられます。又、政府支出の効果への疑問等を出しているようですが、他方で表題のように“自由の効用“を述べているわけです。



 これを読んでまず疑問に思った事は

 ①“景気政策“−市場型経済の持つ大きな特徴である“景気“にたいしてどのような“政策“が可能であるのかが見あたらないのでは?と言う事です。

そして、

 ②“福祉政策“一般に対する疑問は多く出されている“ようですが“
(未読ですので)果たして経済学、経済政策の大きな目標の一つである“国民福祉“についてどうするのかの対案が見当たらないようであると言う事です。

 


 つまり其の場合の“経済政策の目標“がなんであるのか?が良くわからないという事です。(自由か不自由かと言うのは“政治的テーマ“であっても“経済理論“と何の関係が有るのかは解りずらい所です。)





 

 

 つまりは“経済理論書“としてどれだけの価値が有るのか良く解らないという事が率直な所であります。他の解説によればフリードマンの主著と言う事では有りますが又、率直に今現存していたら現在の経済的困難に対しどの様な政策が“具体的に“出されるのかが良く解らない と言うのが現段階での感想であります。










 自分の本箱の中に、A Monetary History of The United States が有るのを革めて“発見“しましたのでそちらを“読まないと“ダメか?と言うのが現在の感想であります。





追記:“福祉政策の対案“と述べましたが、サイト上で見た所、“負の所得税“と言う提案が為されているようですが、これについては若干の疑問が有ります。それは何かと言うと、


① 所得の足りない人に略、自動的に給付されるようですが、日本の生活保護認定の厳しさは皆さんご存知の事と思いますが、これを自動的に認定するとするなら、保護には現在、収入だけでなく、“資産認定“や”扶養義務の調査等”も行われていますがそれを不要と言うのでしょうか?もしそうだとすれば、収入は少ないが資産は沢山あると言う人等にも給付することになりますが?


最低賃金もなくすと言う事で、其の分をカバー出来ると言う事のようですが、派遣を見ても解るように賃金は極めて“弾力的“であり、幾らでも下がると思われますが、それを給付で賄うと言う事なら、それは企業が払うべきコストを税金で賄う事になるのではないでしょうか?


③最近は直間比率是正と言う事がよく言われますが、(昭和の後半から現在まで、70から60位になっており)、これは所得税そのものが減っているわけであり、結果的に“福祉の枠“自体が減っている事になると思われますが?


フリードマン自体、均一税率を旨としているようですが、これを“累進税“である所得税に置き換えるなら、すぐ分かるように全体の消費性向は低下する事になり、それは現在のような不況に悪影響を与えると思われますがこれはどう考えればよいのでしょうか?




以上考えただけで疑問が多いと思われますが果たしてそれにどう考えればよいのか、回答できる方がいたらコメントをお願いしたく思います。
2008.2.2




















以下次回

その5  “株式会社法変遷論“  大隈健一郎

投稿者も、自らの仕事を持っている為、更新は極力行いたいと思っていますが、間々ならない事もあり若干の読者の皆さんにご迷惑をおかけしています。

さて、本投稿のある意味難しさは、“書評“とは違って“未読の物の感想を書く“と言う事にあります。当然、全部読んだ後書けば、それなりになるわけですからいいのですか、“読む前に書く“と言う事はある意味“本の価値の即応判断能力“を養うと言う事でもあり、古書店通いの力量を付けると言う事でしょうか?





 今回のテーマである“株式会社法変遷論“に何故投稿者が興味を抱くかと言えば“株式会社発生史論“ではかの大塚久雄氏が有名であるわけですが、投稿者が別項で纏めている“景気政策史“との関連を常に追求対象とするわけですが、今問題意識を持っているのは、



 ①1825年に資本主義成立後の初の本格的恐慌がイギリスを中心に起きているわけですが、其の中で余り注目されていませんが秋ごろより恐慌が起きますがその前段で1720年の泡沫会社禁止法が撤廃されているという事です。この恐慌では南米への“投資“が問題となっているわけでその“証券投資“が一つの恐慌の誘引と成っていると思われる事です。

そこで考えられるのは同年の“泡沫会社禁止法の撤廃“が一定の意味を持ったのではないかという考えです。
その後のイギリス会社法制の変更は“投資拡大“を一つの大きな理由になっていると思われる事です。





 ②またこれは全般の会社法制の“発展“と恐慌との関連と言う事であります。周知の方も多いとは思いますが近年不動産担保による“不動産証券化“が行われていますがこれは平成10年の“特定目的会社による特定資産の流動化“等による金融商品の広範化が起こされていますが、それらの周囲にも会社法制の大規模な変更等が行われています。投稿者の関心はこれらと恐慌、不況の問題の連関のありやなしやという事であり、投稿者は“景気政策入門講座“でも触れましたように“金融資産“の実物生産から背理した“無限定の拡大“は金融恐慌の大きな基底的誘引とならざるを得ないと考えていますのでその連関がどうかと言う事が現在持っている問題認識と言う事です。














以下次回

その4   “経済学“  サミュエルソン

 第4回目の投稿は“サミュエルソン 経済学(上下)である。サミュエルソンがどうかしたのか?と言うのが大方の若干の読者の方の感想であると思いますが、投稿者自身もつい最近まで、サミュエルソン ウン、あの“新古典派総合“で80年代以降力が無くなった経済学者か・・と言う程度の認識でしたが(ご本人には全く失礼千万です)、そして経済理論的にはそれに取って代わったのは、ご承知のようにフリードマンであり、又“サプライサイド経済学“と言われた一派でした。


 ちなみに日本語版wikipediaには“サプライサイド経済学
まともな経済学ではない“と言うような趣旨が書いてありますが、投稿者の疑問は何故簡単にそれら流派に“負けたのか“と言う事であり、それはつまりは“新古典派ケインズ“というその構成に問題が有るからではないかと思うからです。



 そして又“経済学“は非常に版を重ね18版まで有ると思われますが、
(日本語版では13版が一番新しいのではと思いますが)現在、投稿者は日本語版 7版と11版を持っていますが、(他の版も手に入れようと思っていますが 岩波系のS書店に頼んでありますが)、要は投稿者の興味はどのようにサプライサイド、マネタリズムに影響されていったのか、また反論が出来なかったのか?と言う点にその解析を行いたいと言うのがその些か“無謀な“興味の主体“であります。




またそれらは“標準的“マクロ経済学の教科書に少なからず 特にアメリカでは又日本でも少なからず均衡派に覆われつつも、少なくとも些かは影響を与えていると思うと、今不況にも少なからず影響ある極めて“実際的問題である“と考えざるを得ないからです。







投稿者、別項“景気政策入門“でシステムとしての経済社会の構造を概括的に書きましたが、一般的に言って、“短期的に例えば漁業等で一時的に不魚で価格が上がる “需要−供給 の論理“というような物はおよそ常識の範囲の問題であり、“学問的な考察対象“にはなりえないと思っているわけで、本来的な経済学の任務はもっと大局的視野による経済構造システムそのものの解明こそがその“学問的“任務であると思っている次第です。



 つまりは“新しいマクロ経済学“の教科書が求められていると思われます。有意ある方の出現を期待したいと思います。
















以下次回

その3 “An analysis of Soviet views on John Maynard Keynes.“  Carl B. Turner

 興味有るテーマその3回目です。次から次へと“未読の本“ばかり挙げると投稿者は“本は買うが全然読んでいない“という事になりそうですが、一応弁明しますと読んではいないが“一応当たりは付けている“という事ぐらいは言っておいた方が良いかもしれませんが、今回投稿は表題のとおり、ソ連ケインズ評価 という本です。


ケインズマルクスを殆ど評価していなかったと言うのは有名な話ですが、ではレーニンはどうであったのか?これは経済思想史的に些か重要な問題であると投稿者は考えています。簡単に言って80年代に簡単に旧社会主義体制が瓦解したのは何故かと言う問題はやや難しい問題であり、勿論投稿者は現代において短期的でなく“一党独裁“が許されるとは思っていませんが、その問題に連関が有るか、無いかという事であります。またここでくどくど投稿者が述べるより、今度は表紙カバー裏の説明書きを引用したいと思います。








  An Analysis of Soviet Views on John Maynard Keynes is the first study to be made of Soviet criticism of Keynes’s theories. It traces the development of Soviet criticism of Keynes from the time of Lenin until the retirement of Khrushchev. The study is based chiefly on articles which have appeared in Soviet economic journals and on complete works by Soviet experts in the field of Western economic thought,many of which are not availavle in translation or outside the Soviet Union. Mr. Turner also includes an examination of the Russian translation of The General Theoly,Keyness major work,in order to evaluate its accuracy and the extent of editorial bias.

Keynes is one of the few Western economists treated individually by Soviet economists. Soviet criticism of Keynes has varied considerably in scope and intensity,reaching an extraordinaly pitch of vindictiveness at the height of the cold war. However,in Lenin’s time,before Keynes’s influence had become paramount in the West, and before publication of The General Theory,Keynes was regarded with relative leniency,since certain aspects of his views on the Versailles Treaty coincided with those of Lenin.

After World War Ⅱand the translation of The General Theoly into Russian in 1948, the Sovietsw became aware of the dangers of Keynesianism from a Marxian viewpoint. Since Keynes had adovocated a modified form of capitalism, intended to eliminate its worst excesses and crises by moderate state intervention without recourse to revolution or radical socialism, his ideas were anathema to the Soviets. One critic,V.S.Volodin,devoted an entire work to the refutation of Keynes’s theories.

Publised rt the height of the cold war, Voldin’s work reflects the crudely distorted Soviet view of Keynes then prevalent,which attempted to discredit him as little more than an imperialist warmonger. There was no real point-by-point rebuttal by selecting major issues and dealing with these at length in an oversimplified and abusive manner.
Voldin and other critics found Keynesian economist to be the basis for revisionist and reformist movements in the West and even in Yugoslavia.




The possibility of effective, beneficial state intervention in the economy under a capitalist system was completely ruled out.

Under Khrushchev, the hardness of Soviet criticism of Keynes was considerably modified. More varied and sophisticated criticism was evident, particularly with regard to the Soviet view of the role of planning in the capitalist state.The Soviets began to distinguish between different types of Keynesianism and even noted other Western schools of economics opposed to it.

However, they still remained unalterably opposed in principle to all form of Keynesianism. Since capitalism could no longer be considered in imminent danger of collapse,the Soviets were forced to admit in 1960 to a third stage in the general crisis of capitalism,whose doom had been predicted by Lenin.

1969年の発行です。






という事で、投稿者は勿論、語学堪能と言う訳では有りませんが、“必要最低限な限り“判読はしなければならないという事でやっておりますのでご一読下さい。

 
尚、投稿者、別サイトで勢い余って“研究者“としましたが、あの“イングランド銀行券の歴史“で名高いコピーターズが自分の事を“経済学徒“と呼んでいるのから比べるとやはり精々“一経済学徒“と呼ぶのが適切と思われます。









尚、投稿者はここ以外にケインズレーニンの関係について、やや興味ある部分を他の本で読みましたが又別の機会に述べたいと思います。
















以下次回

その2  “景気変動と企業合同“  カール・ムース

 年が明け、新年おめでとう御座います、と言いたい所ですがそうは言ってられない方も多い本年の年明けだとも思います。投稿者も参拝に行ってきましたが例年よりも、人出が少ないように見受けられました。昨年顕在化した経済危機も今年の前半、どのような政策を取るかでその雌雄も決せられるとも思います。あまり言いたく有りませんが政治家(特に政権与党の)であれば選挙で勝つのは其の大きな目的にもなろうとも思いますが、是非、俄か勉強でもいいですから“科学的、経済学的“認識を持って頂き合理的科学的政策を打ち立てられんことをお願いいたします。(当然、投稿者は“政治家は全部ダメ”等とは思っていませんが。)



 興味有る本 その二回目ですが今回の本は“数年前“やはり神田のS書店で手に入れたものです。題は“景気変動と企業合同“であり、原題はドイツ語で“カルテル景気変動“となっており訳者は竹内謙二(リカード等訳書等ある政策論のある意味大家かもしれませんが)となっており、昭和15年6月 改造社出版となっています。これも投稿者の別項に何らか有用と思って買ったまま未だ景気変動(景気政策)と独占 寡占というようなテーマは未だ着手していない為家の中にそのままになっている物ですが、当然予測がつくように不況期には“独占体(寡占)“において価格調整、生産調整が行われるであろう事は大方の皆さんも考えられる事と思います。



 これも投稿者未読の為ここであれこれ言うよりもその著者序文の一部を紹介した方が早いと思われますので以下紹介します。






 “恐慌史の研究家が将来これに関する資料を整理する時があるならば、どこの国でも経済学者が景気変動の事実を根本的には、貨幣及び信用創造の現象としてみている、という事が明らかになるだろう。殊にドイツの経済学会では信用論的な景気変動分析が殆ど病的なほど過大な部分を占めている。
 そしてかかる分析の成果は今日ではもはや見通しがつかないほどの特殊文献なる物をなしている。・・とし

 今日までのところ、カルテルの政策が景気の動きに対し如何なる作用を及ぼすかについては、一つも系統的な労作がなされていない。・・・“
原著日付1933年6月となっています。










 という事で景気政策追求の一分野として当然、探求さるべき物であり、又一般にドイツとイギリス等では“独占 寡占“の成立過程に相違が有るともいわれているところであり、探求は簡単では無いかも知れませんが、必要な分野とされるべき所です。又当時の理論分野で景気分析が“信用論的な物が大部分“であったと言う事も興味深い所ですが。








以下次回

その1  “証券市場に於ける景気観測の原理“  オットー・ドンナー

“興味有る本及びテーマ(古書店の効用)として第一回の投稿をしたいと思います。

 投稿者は“学者“では有りませんので、“嗜好“で何らか勉強したいとは当然にも思っていません。なんらか“現実の諸問題の解決“に役立ちうる目的でない物は何の意味も無い只の暇つぶしでしかないでしょう。
(学者という言葉が悪いという意味ではありませんが)


 そういう中、投稿者が古書店街へしょっちゅう行っている事は前回述べましたが、現在手元に、何冊かの興味引かれる本が有りますので、それを主体に述べて行きたいと思います。


その中には当然、何らか“一般に見られない“物では無い物もありますが、今回はその第一回として表題の本について述べてみたいと思います。当然の事ながらこのテーマで取り上げていく本は投稿者が未だ“中身を読んでない“ものについて述べるという事で、これはつまりは将来それを参考として纏まった何らかの経済学的に“役立ちうる“物になれば良いと言う事です。


 



 この本はつい最近神田の“明文堂書店“で手に入れた物ですが、五千円だったと思いますが、この表題の本は原題ドイツ語で昭和13年2月に立命館出版部発行、石田興平訳となっています。

原著者のオットー・ドンナーは序言によればドイツのベルリン、“ドイツ景気研究所“の研究員で内容は証券市場の変動と景気変動の関係を科学的に明らかにしようとする物であり、当然にもこれにより何らか“証券収益“を得ようとする物では有りません。中身はおよそ十九世紀後半からのドイツの証券市場を中心に述べているようです。


投稿者が何故この本に興味を抱くかという事は、別項で“景気政策史“を取りまとめている最中ですが、その中でやや疑問に思ったのは多くの邦語文献で十九世紀金融史ないし英銀行政策史等述べている物は幾らかはあるわけですが、その中で特にイギリスにおいても十九世紀後半には証券市場がかなり発達していたはずですが、その金融市場の分析に証券市場の事が殆どと言っていいぐらい出てこないという事です。


金融市場に身をおいている方だったらすぐ解るように金融市場の中で証券市場の動きは無視するわけには行かないはずです。というのも特に債券市場は金利と密接なリンクがあるはずでその点を何らか述べていない歴史分析は何らか“不足“な部分が在るのではと思わざるを得ないからです。(十九世紀後半にはイギリスには日本国債も市場に有ったわけでその値動き等も問題になっていたはずです)






 現在の投稿者の“問題意識“はまだそれだけですが、別に“投稿者が“それを示さなければならない理由も無いわけですが、何方か既にいい文献をご存知の方がいたらご教示いただければとも思います。







以下次回