ワイルドカード4〜7巻 

1巻新訂版追加短編
Ghostgirl takes Manhattan
http://d.hatena.ne.jp/thunderstrike/02011231
https://thunderstrike.hatenadiary.org/entries/0201/12/30
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982116411&owner_id=3134828


Captain Cathode and secret Ace
その1
http://d.hatena.ne.jp/thunderstrike/20120003


4巻 Aces Abroad
「ザヴィア・デズモンドとその他の物語」
http://d.hatena.ne.jp/thunderstrike/20071017

5巻 Down and Dirty
「いかさま大作戦」
http://d.hatena.ne.jp/thunderstrike/20071016

6巻 Ace in the Hole
「隠された切り札」
http://d.hatena.ne.jp/thunderstrike/20071015


7巻
Dead man`s Hand
「死者の見えざる手」
http://d.hatena.ne.jp/thunderstrike/20071012


ニューサイクル1「カード・シャークス」
ワイルドカードXⅢ「わずかな思い出の中に」その1 - 「ワイルドカード」徒然 Thunderstrikeの翻訳日誌



ニューサイクル2「マークドカード」
ニューサイクル3「ブラックトランプ」

ワイルドカードXⅢ「わずかな思い出の中に」その1

     スティーブン・リー

   あんたに何の係わりがある?
 そう思われたところで驚きはすまいが。
ともあれ信じて欲しかったのかもしれないね。
これはジョーカータウンにいるものなら知らない
もののない御仁の話さ。
  そうともこれはクオシマンの物語だ。
少々込み入った事情があるとはいえ、私はあの
恐ろしい事件のことをありありと思い浮かべる
ことすらできる。
そこにいたわけでも、そもそも関係者であったわけ
でもないのだけれど。
それでもまだできることがあると、
そう思いたかったのかもしれないね……


      1993年9月16日

<憐れなるもの達のための永劫女神教会>における
ブラッククイーンが飛来した(9月15日:ワイルドカード
が飛来した)夜を過ぎて、次の夜になるこの晩のミサは、
イースターとクリスマスが一緒に来たような活況を呈していた。

烏賊神父が言うには、これほど人が入ったのは今回を
含めて三回しかないとのことだった。

信徒席のみならず通路も人いきれで溢れ、歪な姿をした
親に、親と同じような歪な姿をした子や、そうではない
普通の外見をした子が肩を寄せ合って寄り添う姿は、ボスの
描いた絵画を思わせるものであり、唇のないカエルの姿を
した者があれば、手ではなく、湿った触手を握りしめて、
祈る者もある。
ただ皆一様に、烏賊神父が盃を掲げ、信徒たちに指し示した
ところに視線を向けている。


フロア全体に走るコードのようなものから、可聴域を超えた
調べが響き渡っている。
Mighty Wurlitzerマイティ・ワーリッツアーの調べだ。

マイティ・ワ-リッツアー、通称MWは、人であることが
かろうじてわかる、ブルックリンにあるオールセインツ教区の
元合唱団長で、おおよそ10フィートの土色をして節くれだった
薄いチューブのような外骨格から、複数の夥しい数の脊椎のような
ものが突き出ていて、チューブの行きつく果てには頭部の痕跡の
ようなものがあり、そこにはカエルのものを思わせる盛り上がった
一対の目と、わずかな鼻を思わせる切れ目があるが、口はない。
マイティ・ワーリッツアーは動きもしなければ、話しもしない。
蛇腹のような肺は、空気を無尽蔵に取り入れ、その身動きの
とれない身体を天然のパイプとなし、力強い音を吐き出す鞘と
して、強化されたバグパイプと称される調べを奏でるのである。

マイティ・ワーリッツアーは聖歌台にはめ込まれていて、
脊椎から幾つか伸びた柔軟に動くプラスティックのチューブは
本物のパイプオルガンの列にも繋がっていて、力強い音を創り出す。
それは音楽としては違和感がなくはないものの、高らかで活力に
満ちている。
ワイルドカードが彼に与えた、いわば天賦の才は信徒席のどの
ジョーカーをもっても換えようのない特別なものであることに
異論はあるまい。

マイティ・ウーリッツアーの歌うとき、奔放な音楽が巻き起こり、
圧巻たる管弦楽団が出現する。信徒席のジョーカー達が
Eight bar8小節の前唱の後、それに唱和し始めた。

聖なる 聖なる 歪にして聖なるかな、神のみ使いたる者よ……

結局のところ、誰が最初に気づいたのかは定かではないが、
信徒席にいた何者かは、捩れた身体と引き換えに、鋭い感覚を
与えられていたということではあるまいか。
ワイルドカードウィルスはときに、こういった歪んだジョークを
発揮するものだ。

少なくとも数人は奉供されたキャンドルの匂いが特に強く感じ
られ、鼻をつく匂いが微かに運ばれてくるように思い、視界に
靄がかかったようになっていて……

「火事だ!」
歌うもの達の口からそんな言葉が立ち上り、
マイティ・ワーリッツアーの雷鳴のごとき警告がそれに
被せられたが、気づいたものは数人にすぎなかった。
教会の扉を、蛇の舌を思わせる赤々とした黄色の炎が舐め、
母に抱かれた子の口々から鳴き声が漏れ始めたのは、
ドアの隙間から灰色の煙がのたうつように立ち上り始めて
からだった。
通用口のドアの下から青い炎の気流が沸き起こって、
シューシュー音を立て、

「火事だ!」
再びこの声が巻き起こったときには、それは夥しい人々からの
ものだった。

壇上のマイティー・ワーリッツアーが咳き込みはじめ、
彼につながったバグパイプからもしゃっくりのような
異音が漏れ聞こえていた。
それはワイルドカードウィルスからブラッククイーンを
引き当てたかのように陰鬱に響いた。
それは歪なる主に捧げられた天翔ける賛歌だろうか。
混沌に満ちることがより人間らしいとでも言わん
ばかりに、教会の内に響くのは、もはや讃美歌ではなく、
阿鼻叫喚の叫びのみとなって、マイティー・ワ-リッツアーも
咳き込むばかり、もはや歌うことも叶わず、キーボードを無茶苦茶に
叩いたような唸り声を響かせるばかりとなり果てていて、
恐怖の顔をしたパニックが人々の面を覆い、
烏賊神父は触手の生えた口元にマイクを押し当て、
「慌てないで、押さないで、ゆっくりと避難なさってください」
と落ち着いた声で呼びかけていたが、
その音が途切れると同時に、ライトも落ち、突然の暗闇に、
叫び声のみが耳を聾し、混乱を増した信徒達は、一斉に
裏口に殺到し、押し合いへし合いし始め、
そこで最初の死者が出ることになった。
ドアは横木が嵌められたかたちでロックされていて、
さらにまずいことに、木製のドアを縛る金属製の帯部分が
灼熱に熱せられ、樫材の隙間からはちろちろと明滅する
炎が恐慌を煽り、どうにもならないドアに殺到した人々が
折り重なるようになって、その重みで圧し潰されることに
なったのだ。
運がいいものは、咳き込むだけで済んでいたが、煙に包まれ、
なす術もないまま、炎に包まれていった。

教会の中に戻ろうとした者もあったが、倒れ、踏みつけられた
者達に構いはしなかった。
己が生き残ることのみを考えての行動であったが、それもわずか
な間にすぎなかった。
急激に熱せられた空気と煙が彼らの肺腑を酸のごとく焼いていて、
じきに呼吸が困難となっていたのだ。

「ああ神よ!なんてことだ」烏賊神父がそう叫んでいたが、
耳を貸す者はおらず、神も介入を拒否したに違いない。
もはや煙に巻かれた人々の叫びも聞こえなくなっていて、
呼吸の出来ていたわずかなもの達は、その地獄絵図から逃れようと
もがいたが、それもわずか間にすぎなかった。
炎は西の壁を這い、東の天井は熱く沸き立った大気のナイアガラと
化し、中の酸素も火に押し包まれた挙句、火床も尽き果てたとみえて、
ちろちろ橙色の残り火に変ったところで、
正面のドアが焼け落ちて、開いた場所から新鮮な空気が流れ入り、
火災は突然の突風に煽られ、盛り上がって轟音を立て、
炎のうねりは一層激しさを増し、壁は再び炙られ、中央通路に
火球となって下り、砕けたステンドグラスがまぶしいナイフの
如く降り注ぎ、炎の波の中に飲み込まれていった。

烏賊神父の顔は、金色の糸と化した熱で圧し包まれ、呼吸もできず、
見ることも適わないでいて、もはやこれまでと思えたとき、
煙とぎらぎらした炎が跳ね上がる中、
「ママ、どこにいるの?ママ」子供の叫び声が地獄の業火に響き、
烏賊神父がその声の方向に身を投じようとして、
「こっちへ!」そう咆哮し、「こっちにくるのです、坊や!」
そう言葉を継いだところで、力強い腕に肩を捕まれ、
引き戻されていた。
「クオシマン……」烏賊神父は咳き込みながら、その背の盛り上がった
姿を認め、かつて教会であった火炎地獄の中に再び戻ろうとした、
「誰か他の者を……助けてください。子供が、憐れな子供があの中に……」
「こっちだ」クオシマンにそう告げられたが、
「私ではなく」烏賊神父は抵抗してもがき、
「彼らを」と言葉を継いだが、手は弛みなく、信じられないほど強く、
烏賊神父の抵抗は適いはしなかった。
恥ずべきことながら、己の一部は抵抗するのをやめていて、
聖歌壇が閃光の奔流と共に崩れ落ち、マイティ・ワーリッツアーの最後に
発した叫びは、最終戦争の最後のコードを思わせた。
西の壁が崩れ落ち、天井の一部が落下してきて、炎の立てる雷鳴のごとき
響きを越えて、サイレンの音が聞こえてきていたが、それは外からだった
だろうか?
そこには全き静寂があるというのだろうか?
そんなことを思いながら、振り返ると、烏賊神父は祭壇から
引き放されていて、脇の祭具室に引きずられていったが、
そこも炎に包まれており、クオシマンは果敢に炎を踏み越えて、
跳躍し、烏賊神父をその腕に抱え、ガラスの奔流と化した窓を抜け、
外に運び出されていた。
突然息ができるようになって、咳き込みながら、ゼイゼイ喘ぎ、
炎に痛めつけられた肺を冷やすよう努め、
白昼夢のような意識の中で、ガラスのヘルメットを被った暗い人影に
囲まれていることに気づいて、
「中にまだ」慄いた喉をふり絞って、そう声を出し、
「神の御心をもって、お願いですから、助けてあげてください」
そう言葉を継いだが、
誰か何か囁いていて、
後ろに倒れこんで、抱えられながら、
頭をだらりと倒し
はるか上で、
明るく旋回する閃光が間欠泉のごとく広がった。
まるで燃え盛る尖塔が、祈りに応じて現れたかのように。

    ワイルドカードXV

             スティーブン・リー

 

ハンナの姿が見えなくなってから、グレッグはパペットマンを解き放った。

LEDの光が近くで明滅し、数字は容赦なく動いている。

 

               1:00    

               0:59

 

 パペットマンは打ちひしがれ、指に繋がった糸は今にも擦り切れてしまい

そうになりながら、

 

何のつもりだ?

 

もはや誰に語りかけるでもなくそうぼやき、

 

逃げられたかもしれないじゃないかね

 

「そうやって生きてきたからね」

グレッグはその声に明白にそう応えていた。

「それもこれで終わる」

誰かが扉を叩き続ける音を耳にして、馴染みの感覚のように思い、

Nuke核を停止させる方法はないのだな?」

ブラッグドッグにそう投げかけ、

「そういうことか?」

そう言葉を継ぐと、仮面を被った顎がわずかに上下し、

頷いたことがわかった。

フィストの代表たるこの男は、なんとか意識は保っているものの、

傷は深く、失血もそうとうのものだ。

一瞬、パペットマンを使って、ブラッグ・ドッグに配線を引きちぎらせようと

思ったが、彼にはそんな力もないのがわかった。

 

もはやどうにもなるまい。

 

諦めきったパペットマンの視線を感じながらも、黄色いジョーカーの腕を

伸ばし、時限装置につながる配線の束を掴んで、

「誰の意思でもない、私自身の意思だ」そう呟いたところで、

超人的な力で、扉がはね飛ばされ、ビリー・レイの姿が視界に飛び込んできた。

「おい」ビリー・レイはそう叫んでいて、時限装置とグレッグの

姿を見つめていて、

「そういえば礼を言ったことはなかったね、ビリィ、それも勘弁してほしいものだが」

「これも追加にしといてくれないか」そう零すと同時に、

グレッグは時限装置につながった配線を引きちぎっていたのだ。

 

 

 

 

 

ワイルドカードXV 

           ジョン・J・ミラー

 

レイは轟音に目を閉じていて、顔と腹に何かヌメッとしたものが

かかったのを感じ、目を開け、呆然としながらも、

死んではいないことがわかった。

吹き飛ばされていなければ、粉微塵になってもいない。

では血が流れたというのだろうか?

手で顔を拭ってみると、緑色の塊がかかっていたことがわかった。

どうやら血が流れたのではなく、ガレージの中にいた芋虫が吹き

飛ばされたと見え、ばらばらになった身体が散らばっていた。

その三本の脚の痕跡を見つめ、それが誰かをレイは悟っていた。

「ハートマン、あんたって奴は、最後の最後にヒーローに

なりやがった」

 

核の爆発は阻止できたものの、別のありふれた罠が作動して、

生命を落としたということらしかった。

 

がれきの下からうめき声がもれてきた。

そこにドッグの姿を認め、引きずり出して、

Goddamnちくしょう」そう悪態をついていた。

核爆発は阻止できて、ブラックドッグの身柄もこの手で

確保できたではないか。

任務はまっとうできた。

それなのに、

Golddamnこんちくしょうが」そう繰り返さざるをえなかった。

まだやるべきことが残っていたからだ。

 

 

ワイルドカード7巻第1章

              G・R・R・マーティン

              1988年7月18日
午前5時

風がないにもかかわらず、木々はざわめいている、どれだけの間歩き続け、
どうやってここまで来たかすら、
すでに分からなくなっていた。
それでもここにいる。しかも一人だ。
これまで感じたことのない長く、暗い夜は彼に恐れをいだかせるに十分だった。
冴え冴えとして大きすぎる月の朽ちた肌を思わせる光が、大地に黒と灰色の影を
つくりだす中、彼の目は確かにそれをとらえた、と感じたが、それは一瞬に過ぎず、
それを二度と見てはならない、ということを本能が告げていた、というより知っていた、
といった方が正しいのかもしれない。
彼は足を進めるたびに裸足の脚を絡めようとする、薄いグレーの草をふりほどきつつ、
べとつく蔓の間をすりぬけながら歩き続けた。
風もないのに狂ったかのごとく蠢く不毛な枝葉を尻目に、身をよじり、縫うような
足取りですり抜ける彼の耳元に、知りたくもない秘密を告げる囁き声、わずかでも
脚をとめれば、それらの声が耳に届き、その意味が心に響き、彼の正気を破壊する
だろうから……歩みをとめるわけにはいかない。
甘く病んだ色あいの月の光は、何事のまどろみをも覆しえず、巨大な翼の羽音が空を裂き、
退廃の色合いを強める夜の光のもと、朽ちかけた蜘蛛を思わせる病的な影が蠢き、
脚をすぅっと動かして、姿を見せず、それでも遠くはないことを感じさせながら
消え入るように木々の間に滑り込んでいく。
そこで長く低い呻きが辺りの木々を震わせて、ごぉっと高まる響きは……
かえってその間隙の静寂と恐ろしさを高めるばかり。
感情が高まって、息も詰まらんばかりの中、目の前に地下鉄の改札口の姿が浮び上がった。
それは森の中に聳え立っている……煌々とした月明かりを浴びながら……
それを認めた途端、
足は駆け出していた。
もどかしくもつれながら、
永劫にも思える時間を感じながら、
遅々として進みやしない。
それでも闇をかきわけ、
改札を目指す。
その先にはすりきれかけた線路。
そしてわが家につながっているに違いないだろうから。
もう走れないというところで、ようやく手すりの先までたどりついた。
背後から何者かのせまる音……振り向かず……手すりをつかみ、
いかばかりかの安堵の息をつきながらくだっていく。
長い道行ながら、列車の唸りを感じるが、遥か彼方だ。
それでも進んでいくと。
再び恐怖の感情が蘇ってきた。
足元がねじくれ、ぐるぐる回り始めたではないか。
そして背後には何者かの影、急がなくては。
裸足で冷たい敷石を叩くように踏みしめながら下っていく。
追手の姿が視界に入る、黒いコートで身を包んだ巨漢の姿が。
叫ぼうとするも、声は闇にのみこまれるばかり。
駆け出したが、足は血を流し、足元は狭まっていくではないか。
そこで突然すべての光を吸い込むような闇の中に、
長く狭いプラットフォームが浮かび上がった。
そこには別の男の姿。
歪な男の姿があり。
猫背で沈黙のまま立ち尽くしている。
そこで振り返った男の顔をジェイは見た。
白い円錐状の頭部からぬめった触手がはみ出して、
頭を持ち上げ、咆哮をあげたところで、ジェイは叫んで。


……そして目を覚ました……、
すえた匂いのするくらい部屋だ。
「くそったれが・・」悪態をつかずにはいられなかった。
心臓は早鐘のように脈打ち、下着は汗でぐっしょりぬれ、
ベッドもまた濡れている。
最悪な気分だ。
ジェイは手さぐりでランプをつけ、両足をベッドの脇に降ろして、
悪夢を頭から振り払おうと努めた。
いつものことながら現実のようだ。
子供のころから同じ夢を見続けている。
週に二度叫んで目をさますようになったとき、両親のしたことは
まず本棚からH・P・ラブクラフトの本を始末して、それから
値のはるECコミック(怪奇コミック)に手をだしたが、効果はなかった。
時には一月くらいみないときもあって、これで永遠に終わったと感じたことも
ありはしたが、毎晩見るようになったりもして、夢は初めにみたときよりも真実味を
増していったが、内容はいつも同じだった。
悪夢のような森を抜けると、ニューヨーク市の地下鉄改札に出て、無限にも思われる
地下を進んだ後に、プラットフォームで円錐頭の怪物に出くわすのだ。
何度もこの夢をみるうち、これはただの夢ではなく、かつて体験したことで、
忘れているだけじゃないかと思わなくもなかったが、たとえそうだったとしても、
知らない方がいいこともある、そう思い定めるにいたった。
私立探偵であるジェイ・アクロイドは、この危険に対する勘で救われたことが
何度もある。
簡単に怖気づくたまではないといっても、それは目をさましているときに限る話で、
いつか彼自身がプラットフォームに立って、円錐頭の怪物が振り返り、顔を上げ
咆哮したとき、
目を覚まさない日がくるのではなかろうか、と密かに恐れてもいる。
「まったくどうかしている」ジェイはそう叫ばずにはいられなかった。
時計をみると朝5時を数分すぎたところだが、夢はともかくとして二度寝して
いるわけにはいかない、クリスタルパレスに野暮用があるのだ。
あそこには二時間もあればつけるだろう。
幸い心臓麻痺もおこさずにすんだようだから。
ベッドから身を投げ出して、シーツに毛布を丸めながら、洗濯かごの中の下着に
想いを馳せる、こいつも機会をみてランドロマットに放り込まねばなるまい。
来週には二週間ほどクリスタルパレスに泊り込むことになるのだから。
クリサリスに会うのも久しぶりのことになるが。
クリサリスに、ボディガードに雇う男が繰り返される悪夢に怯えていることを
知られたとしたら、とりわけぐっしょり濡れたシーツを見られたとしたらどう
なるだろうか。
たいして関心ははらわないだろうな。
ジェイ自体はクリサリスに惹かれていることを自覚しているが、クリサリスは
そうした誘惑に屈するたちには思えないが、
これはチャンスかもしれないぞ。
ジェイはつい夢想する。
あの透明な皮膚の下を流れる血潮の熱さ。
かごを思わせる肋骨の下で鼓動する肺府。
そしてその上の膨らみの先端も。
やはりまた透明なのだろうか。
わずかに色づいているのではるまいか、と。


ともあれ新鮮な空気を取り入れようと窓を開けると、
三階の部屋であるにもかかわらず汚れた換気扇を思わせる
外気が部屋に漂ってきてうんざりしながらも、
猫足バスタブにゆっくりと身を浸してから
すりきれた<ペンギンのオーパス>のプリントされた
バスタオルで身体を乾かして、
衣装ダンスの一番上の引出しから洗ってあるトランクスを
、その下の引出しから黒い靴下をとりだし、
クローゼットの前にいってスーツを見立てる。
しゃれているがしわくちゃになった白いリネンのスーツ、
チャコールグレイ、ブルックスブラザーズの三つ揃え
仕立てのよい香港製の細嶋の入ったもの、
三枚ともハイラムが渡してよこしたものだ。
ハイラムの見立ては悪くないし、当然それには敬意を払う。
ハイラムは、あんたがきたらいつでも目をかけるといってくれたが、
たとえハイラムが女性にみとれて、見落とされたところでジェイ自身は
こういって気にしもすまい。
「俺はPI(Private Inspector私立探偵)だ、車やドーナツ屋で張り込みを
したり、モーテルの窓から証拠写真を撮ったり、ドアマンを買収して叢に
潜んだりするから、むしろ目立たないに越したことはない。
スーツ姿でホリディイン壁新聞を飾るのは調査した相手の方でいい。
それなら6部買ってもいい」と。
それなのにハイラムは毎年クリスマスにはスーツを贈ってよこすのだ。
ボタン止めのえりのついた白い半そでシャツに、
髪にあうようなダークブラウンのスラックスを着込んでひとりごちた。
暑くなりそうだから、それに堅苦しいのはたくさんだ、Tieタイ(しがらみ)など
ないにこしたことはないのだから、と。

ワイルドカード7巻その2

          ジョン・J・ミラー

1988年7月18日

午前7時

ブレナンは窓から差し込む朝の光で目を
覚ました。
夢もない深い眠りだった。
何かをつぶやきながら寝返りをうっている
ジェニファー・マロイの横から互いを覆って
いるFuton布団をおしのけ、音も立てず
滑り出し、
椅子にかかったままの半ズボンにTシャッツを身に
つけスニーカーを履き、開いた後ろのドアから静かに
外に出た。
日はすでに上っていて、
大地は湿り気を帯びきらきらと輝いている。
気持ちのよい朝だ。
深く呼吸をして、新鮮な大気で肺を満たしてから
日課となったストレッチに柔軟をしてから走りだす・・・
A型枠の家の前を過ぎてから、まばらに砂利の敷かれた
私有道で早歩きに歩を緩め、
過ぎて左に曲がると兎の遊ぶ芝生と<アーチャー園芸&
造園>の看板が目に入って頬が緩む。
また平和で美しい一日が始まるに違いない。
そう変わらない穏やかな日々が。



           G・R・R・マーティン
 

三回目のノックも返事がなく、ジェイは中に入ることにした。
驚いたことにクリスタル・パレスのドアに鍵はかけられていない、
招き入れられているということだろうか、やっかいなことになって
いないとも限らないわけだが、
なにしろボディガードが必要な事態に至っているのだから。
ならば鍵をかけるのではあるまいか?
まずは暗闇に包まれた酒場に入ってみることにして
「誰かいないのか?」そっと声をかけてみたが
「クリサリス?エルモ?」答えはない。
「まぁいいさ」呼吸を整えつつそう己にいい聞かせる。
たしかにボディガードの必要な状況とみえる。
明かりをつけながら状況をつかもうとしながらも、
目が光になれるのを待ちながら悪い方を考えないようにしていると、
なじみの部屋の輪郭が暗闇の中からぼうっと浮かび上がって
きた。
小さな丸テーブルにひっくり返した椅子がのせられたままで、
バーの壁面には、わずかながら何段にもボトルが積み重ねられて
いて、反対にある長い銀色のミラーに映し出されている。
そこにはいくつものブースがあって、
他はそこそこにして見渡すと、
クリサリスがいつもいて、アマレットをたしなんでいたプライベート
アルコーブがようやく視界に入った。
朝の薄明かりが差し込む中、ジェイは、闇にまぎれて
その透明な指をアイボリー色のシガレットホルダーに
添え、喉からけだるげに紫煙を吐き出しながら振り返って
微笑むことを願って、
「クリサリス?」そう呼びかけてみた。
酒場をゆっくりと横切って、アルコーブについたが、椅子には
誰も座っていない。
不思議と背筋が寒くなるのを感じる。
それはジェイ・アクロイドにとってなじみの感覚ながら、
テーブルの脇でクリスタルパレスの知識を反芻し始めた。
クリサリスが高価なビクトリア調の家具に囲まれ寝起き
しているのは三階で、
侏儒の用心棒、エルモが住んでいるのは二階で、
目のないテレパスのサーシャもそこに同居していて、
クリサリスのオフィスを含む稼ぎどころはすべて一階に
あるわけで・・まずはそこを調べることにした。
オフィスは階段下の奥まったところにあり、
カーブを描く細かい彫刻とクリスタルのノブのついた扉で
閉ざされている。
くしゃくしゃのハンカチをポケットから取り出して、
それを手にあてがって注意深く指二本を添えノブを回すと、
ゆれながら扉は開いた。
窓もなく真っ暗でありながら、部屋の中に何があるかジェイには
わかった。
死の匂い。
強い銅のような匂い。
血の匂いで充ちている。
恐怖が汗のように滲み出すのを感じながら、
匂いに神経を集中すると、
嗅ぎなれた瘴気の他に、
紛れもないあの人の香水の匂いがするではないか。
「なんてこった」誰に聞かせるでもなく悪態をつきながら、
ハンカチをもったまま明かりをつける。

そこにはかつて魅惑的な世界が広がっていた。
よく磨かれたハードウッドの床に、ゴージャスな東洋の
毛織物がかけられていて、
床から続いている高い本棚には、びっしりと革表紙の
初版本で閉められていた。
ジェイよりも年を経たと思しい硬いオーク材のテーブル、
最古の社交場から取り寄せたような、革張りの肘掛け椅子が、
だがそれは損なわれていた。
椅子の木製の脚は砕け、破片が飛び散っていて、
革張りは裂かれ破れていて、
三つある高い書棚は崩れていて、
ひとつが真ん中から断ちわられているのだ。
裂け目は鋭利なナイフを使ったようなすっぱりとした
切り口で・・・あたりには雪崩おちた本が散らばっている。

そのひじかけいすの残骸を背にしてクリサリスが倒れている。
乱雑に散らばった壊れた脚とクッションの間に、
そしてオーク材のデスクは倒れその身体の上に覆いかぶさっているでは
ないか・・・
デスクに隠れて顔が見えなくなっている・・・
青いジーンズに飾り気のない白いブラウスを着ているが・・・
ブラウスの前は飛び散った血にまみれ、左足はありえない方向に曲がっていて、
デニムの膝から赤い頚骨が飛び出している。
かがんでみてみると、透明な皮膚を通して左手の腱の下の骨がすけてみえるが、
指は5本とも砕けていて、
その指を手にとってみると、
かすかな温かさを感じたように思われたが、すぐにそれは冷たいものに変わっていった。
一瞬の逡巡の後、手を離して、デスクを上からのけることにした。
重さに顔をしかめながら、
強引に押しのけて、
ぶつくさいいながら、壁を背にしたところにデスクをたてかけたところで
クリサリスを見下ろすと、
そこには顔がなかった。
頭蓋が陥没して完全にそぎ落とされたかたちになっている。
椅子の背もたれのところは乾いた血とつぶした脳漿と頭蓋のものと思しき骨の破片に
まみれている。
すべてが赤く濡れている、いすの脇には小さな血溜まりが、東洋の毛織物にまで滴って、
たまらず上を見上げると、
飛び散ったと思しき血がデスクの前面と壁の低いところのみならず、
電球のソケットまで彩っているではないか。
古式ゆかしい模様のついた壁紙は紫色でかわらずビクトリア調ではあるものの、
きっと目を凝らしたら血にまみれているに違いあるまい。
ジェイは立ち尽くし、何も感じないよう努めた。
もっとひどい死体もみてきたではないか。
クリサリスは随分長い間危険なゲームに手を染めて、
多くの秘密を知りすぎた。
いつこうなっていてもおかしくはない。
遅かれ早かれこれは起こったんだ、と己に言い聞かせながら。
再び死体に目を向けて、その状態を脳裏に刻み込んだ。
これはもはやクリサリスではない、ただの死肉だ、ものいわぬ証人
なのだ、と言い聞かせながら。
あらかた記憶に叩き込んだところで、今度は室内の様子に意識を移した。
はじめに気づいたのは小さな長方形のカードで、死体の左太もも近くに
それはあった。
さらに周りを改め、かがんで近くを確認してみたが触れはしなかった。
そうする必要もない
血にまみれておらず
表が上になっていたのだから
トランプのカード、
……スペードのエースか……
「Son of a bitch(縁起でもない)」とひとりごち。
オフィスを出て、後ろ手でドアを閉めたところで、階段のところから足音が
聞こえてきて、
壁にぴったりはりついて、相手を待つことにした。
鉛筆のような細い口ひげをはりつけた細身の男が姿を見せた。
スリッパを履き、シルクのドレスガウンを着た。
目があるべきところが青白い皮膚で覆われた男が、
ゆっくりと振り返りジェイが潜む暗がりに頭を向けて、
「心が読めるんだよ、ポピンジェイ」そう言い放ったではないか。
暗がりから出て「サーシャ、警察に連絡するんだ」
それからこう付け加えるのも忘れなかった。
「俺をポピンジェイ(めかし屋)とよぶんじゃねぇ」と。

ワイルドカード7巻その3

       ジョン・J・ミラー

1988年7月16日

午前8時


そこには丘がある。
腕を振り、軽く息を弾ませて、
険しい斜面を駆け上がる、そうすると朝露に
濡れる青々とした芝地が広がっていて、
コースを定めてはいないが、行き着く場所は
決まっている。
舗装されていない田舎道の先、
暑すぎず心地よい風の吹く場所、
砂利敷きの私道に囲まれた、
<アーチャー園芸&造園>という看板の
掲げられた玄関、

そこに帰るのだ。

そしてつながった私道に囲まれて三つの
庭がある。
ブレナンの造園技術の粋を示すものだ。
最初のひとつは日本のtsukiyama築山様式の小型庭園で、
次は英国風の生垣で覆われたもの、
三つ目は様々な種別、様々な色で彩られた花のベッド、
その花のベッドに彩られた私道沿いには温室が二つある。
一つは熱帯植物の、
もう一つは砂漠の植物のもの、
そうA型枠の小屋だ。
そこの回りを全速で駆け、後ろで歩みを止め呼吸を数分整える。
そうして身体をリラックスさせ、kare sansui枯山水
視線を遷し精神を瞑想状態にして、
微風にそよぐ水の 流れが凍りつき、三対の石の周りに敷詰められた
子砂利に姿を変えたかのような、
そこで時を忘れ。zazen座禅をし入り込んでいくのだ。
そこで岩を見ているわけではない。
その影、苔が覆うさま、その成長を見てから、
ゆっくりと腰を上げ、そのリラックスした状態で一日を迎える。
それから手入れのいい木の床に、Futon布団のしかれ、ゆったりできる椅子、
それと書見ランプと本棚のあるサイドテーブルに大き目の籐のあまれた洗濯かごのある
寝室に戻ると、ジェニファーはもうそこにはいない。
そしてバスルームからはシャワーの音が、
ブレナンは汗にまみれたTシャツを脱いで洗濯籠に放り入れ、
リビング兼オフィスに向かった。
そこでTVをつけ、朝のニュースを眺めながら、デッキチェアに腰を落ち着け、
PCの電源をいれてスケジュールをチェックする。
ニュースではアトランタにおける本日の党大会のことを大きく取り上げられている以外は
さして事件らしい事件はないものと思われた。
もっともそこで語られている選挙予報はかなり先走り誇張されたものに思われはするが、
グレッグ・ハートマンが候補としては好ましいにしても、その道は容易でないといえる。
なぜなら彼の政治信条と信念に対して真っ向から対立する候補、レオ・バーネット牧師の
存在があるからだ。
正直政治家という人種は信用できたものじゃないと考えているが、
もし選挙権があったとしたら、ブレナンはハートマンに投票することだろう・・
正直で労わりに満ちているように思える人間だからであり、少なくともバーネットのように
デマを撒き散らしたりはしないだろうから。
ハートマンにはジョーカーの支持者も少なくない。
ニュース画面のカメラは、アトランタ公共公園にパンして、そこに集まった上院議員
多くの支持者とその熱狂を映し出した。
それから街中でのジョーカーのインタヴューが流されたところで、ボリュームを絞って、
ハートマンとジョーカーたちの善戦を願いつつ、コンピューターのスクリーンの方に
集中することにした。
時間を無為にすごしつつある、己のスケジュールにこそ集中すべきだろう。
スクリーンに示された本日のアーチャー造園の仕事は二件、
どちらも懸かり中のもので、
一件は岩から伝い落ちる水の流れを子砂利で表現したtsutai-ochi伝い落ち様式のヒルガーデンで、
最近越してきた日系アメリカ人銀行員の依頼によるもの、
もう一件は何層にも連なる植え込みに囲われた魚の泳ぐ池のある庭園で、 
道を下った先に住む医師、ヨアヒム・リッツの依頼によるものだ。
ヨアヒムはこの辺りの医者の顔役とも呼べる男で、自身の手のふさがって
いるときは、他の医者を手配してくれたりもするが基本かかりつけの医師といえる。
日本庭園には多少熟達したといえるか。
そうひとりごちながら、椅子に深く腰掛け、
このところの安らかで充実した日々に軽いとまどいを覚えてもいる。
死と破壊にまみれた生活を捨て、己の人生に向き合うようしたことは悪くないどころか
最良の選択であったといえる。
血の匂いのしない平和な日々をおくることにはこれまでにない満足を覚える一方、
キエンとシャドーフィストに対する復讐に目を背けることに罪の意識を感じないでもないが、
ここ数ヶ月に至り、徐々に緩やかであるとはいえ、それも薄れつつあるように思えてきたのだ。
Tachibana Tosutuna橘俊綱Sakuteiki作庭記を手にとった。
造園に対してよく参照している古典的論文ながら、そこから新しいイメージを掴むには至らなかった。
TVになじみの深い女性の姿が映し出され、その集中はとぎれることになったからだ。
TVのボリュームを上げてリポーターの声に意識を向ける。
「……ナイトクラブ、クリスタルパレスにおいて今朝未明、そのミステリアスな支配人、
クリサリスが、遺体で発見されました・・・警察は明言を避けていますが、現場からは
スペードのエースのカードが押収されていて、弓と矢を用い、1986年から1987年初
頭にかけて50余人の死にかかわったとされている正体不明のヴィジランテ、ヨーマンに、
何らかの関与があるものとみて調査を進めているとのことです・・・」
そうしてスクリーンを眺めていると、シャワーを浴びて濡れたままのジェニファーが壁をすりぬけ、
お茶を二杯持って現れた。
「どうしたの?」ブレナンの深刻な表情をみてジェニファーは聞きなおした。
「何があったの?」
目に冷たい光を宿したまま、スクリーンをみつめ、厳しい表情のまま言葉を搾り出した。
「クリサリスが死んだ」
「死んだ?」
ジェニファーが信じられない調子を滲ませながら繰り返しているとブレナンがそれに応えた。
「殺されたんだ」「誰が?どうして?」ジェニファーは椅子に沈み込みながろうそう尋ね、
カップをひとつ手渡すと、ブレナンは自然とそれを受け取って、脇に置いてから応えた。
「詳細は語られていないが、死体の傍らにエースのスペードがあった・・
つまりはめられたということだ・・」
「誰が?あなたをはめるというの」
そこでようやくジェニファーに視線を向けて返した。
「わからん、だがそいつをみつけださねばなるまい」
「警察に……」
「やつらは俺が犯人だと思っている」
「そんな……」息を呑みながら、ようやくジェニファーがを言葉を継いだ。
「一年、いえそれ以上この街をでていないのに・・」
ニューヨークを出て、シャドーフィストを仕切る犯罪王キエンに対する復讐から
手を引いてそれほどたってはいないはずだが、何しろ忙しかったのだ。
ジェニファーとの旅で互いを愛し、過去の傷を癒すすべを学び、
ニューヨークから見て北の地、Goshenゴーシェンを出たところの小さな街に腰をすえたのだ。
そこでジェニファーはロバート・トムリンの伝記を書くことに思い至った。
死をもたらし、破壊しかもたらさない生き方に飽いていたブレナンは造園業を始める
ことにした。
なにより何かを作り上げる生き方に惹かれてやまなかったのだ。
そしていささか造園に対する才能もあったとみえる。
ジェニファーは研究を重ね、執筆することに喜びを感じているようだ。
静かで平和な日々、
「誰かが俺を犯人に仕立て上げた」声を潜めて囁いた。
「誰なの?」
ジェニファーに視線を移して応えた。
「キエンだろう」
すこし思案して尋ねるジェニファーに、
「それじゃどうしてクリサリスを……」
肩をすくめてブレナンは続けた。
「奴がシャドーフィスト会のボスであることを掴んだのかもしれん、そこで
口封じと同時に俺も始末しようと考えたのかもな」
「ここにいれば警察に見つかることはないわ……」
「かもな」
「だとしても真犯人はみつけださねばなるまい」
「ここでの生活はどうなるの……」
「捨ててしまうというの……」
過去の方を捨て去るべきなのだろう、そうするほうが容易いだろうから。
その内の迷いに対し、ブレナンは応えた。
今と未来を生きるべきなのかもしれないが、俺にはその道を選べはしない、と・・
クリサリスは誰かに殺された、その事実を忘れ去ることなどできはしない。
そいつにはめられたとするならば、なおさら許すわけにはいくまい、と。
ブレナンは立ち上がって結論を口にした。
「みすごすわけにはいくまい、それはできない話だ」
ジェニファーのまっすぐな視線を感じながら、視線を外して、弓と銃のしまってある
納戸の鍵をあけてとりだし、ヴァンに積み込んでから、ジェニファーがついてくるのを
しばし待った。
それからブレナンはエンジンをかけ、違う道に踏み出したのだ。
たった一人で。