まず良心の呵責ゲージありき。その中に不義理ポイントが貯まっていき、ゲージを越えるとメンタルダメージを受ける。しかし義理を通すと不義理ポイントは減る。こんなモデル。

良心の呵責ゲージは世間擦れすると拡張していき、金稼ぎの効率と不義理ポイントの増加量は比例するというのはどうだ。つまりメンタルダメージを受けないためには、世間擦れしながら金稼ぎはそこそこに留め、義理を通していくことが重要という、そんな応用を考えられる。ただ人情ファクターをそこにどう絡めるかだ。

コミュニティ構築における、自分の意思を持ってそうな人に対する追随者1人と、自分の意思を持ってそうな人と自分の意思を持ってそうな人1人の構成について。

傍から見れば自分の意思を持ってそうな人とその取り巻き1人だが、コミュニティの強さという点からは後者のほうが上な感はある。ただ歴史上にある強いコミュニティでは、前者の取り巻きは記録されない傾向にあることに留意。

癒しを謳う産業がどうにも胡散臭いのは、時と場合を限れば何だって癒しになるためだ。コカインだってヒロポンだって癒しと言えば否定出来ないし、肉入りの男女に対する精神的依存も肉無しの男女に対する憧憬も癒しと呼べる。

デジタルな癒しが流行することによって社会学や心理学のマネタイズが進んだ印象を受けている今日このごろ、この方向性で日本のデジタル癒し産業の海外展開はアリやナシや。