岡崎地域活性化の10年と少し

 岡崎地域は、京都市の都市部と東山山麓の間に位置するエリアだ。

 平安神宮南禅寺等の寺社をはじめ、京都国立近代美術館京都府立図書館等の文化施設、琵琶湖疎水沿いの四季折々の風景を楽しむことができる。

 岡崎地域は、平安時代末期に、院政が執り行われた白河殿のほか、法勝寺をはじめとする六つの寺院(六勝寺)が造営されたが、それらは鎌倉時代にかけて焼失し、その後は長らく農村が広がっていたようだ。

 近代に入って、この地域には再び脚光が当たる。

 東京奠都により京都が衰微する中、殖産興業策の一環として、琵琶湖疏水が計画され、水力発電によって電力が供給された。

 明治28年(1895)には、工業都市としての発展や京都の文化をアピールするため、政府主催の内国勧業博覧会と、平安遷都1100年紀念祭が同時開催された。博覧会会場には、紀念祭の象徴として平安神宮(社殿は平安京大内裏の朝堂院を模し、実物の8分の5の規模で復元)が創建され、奉祝の行事として時代祭が実施された。

 博覧会跡地には、岡崎公園が開設し、図書館や勧業館、公会堂(大正天皇の即位大礼時に、二条城内に建築された饗宴場・舞楽場を移築されたもの)、美術館等の様々な施設が建てられ、文化ゾーンを形成していった。また、周辺の東山山麓では、風致保全と合わせた別荘地の開発が進み、疏水の水を活用した庭園群が形成された。

 戦後には、国際文化観光都市を標榜して昭和35年(1960)に京都会館が建設され、文化交流ゾーンとしての地位が確立された。

 

 京都市では、平成23年(2011)頃から10年程をかけて岡崎地域の活性化に取り組んできた。

 10年前には昭和に整備された施設の多くが老朽化し、極めて落ち着いた(有り体に言えばどこか打ち捨てられたような)エリアで、特に公共施設閉館後の夜間は寂しい状況となっていたが、近年の活況振りは目を見張るようだ。

 市の施策を時系列で記すと、大略以下のようになる。

 2009年11月 共汗でつくる新「京都市動物園構想」 策定

 2011年5月 岡崎地域活性化ビジョン 策定

 2011年6月 京都会館再整備基本計画 策定

 2011年7月 京都岡崎魅力づくり推進協議会 設立

 2015年3月 京都市美術館再整備基本計画 策定

 2015年8月 神宮道と岡崎公園の再整備(岡崎プロムナード) 完成

 2015年10月 京都市動物園 グランドオープン

 2015年10月 「京都岡崎の文化的景観重要文化的景観に選定

 2016年4月 無鄰菴 指定管理者制度導入

 2016年1月 ロームシアター京都(京都会館) 開館

 2020年2月 京都伝統産業ミュージアム リニューアルオープン

 2020年5月 京都市京セラ美術館(京都市美術館) 開館

 2020年6月 「京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水」 日本遺産認定

 

 これらの中で、特に起爆剤となったのは、平成27年(2015)10月の岡崎プロムナード完成と、平成28年(2016)1月のロームシアター京都の開館であろう。

 以前は車道であった神宮道が歩行者専用化され、ロームシアター京都の中庭(ローム・スクエア)及びパークプラザ(蔦屋書店等が入居)と一体化して、大きな“広場”が形成された。これによって、人の流れが見違えるように変わった。

 その後、令和2年(2020)5月の京都市京セラ美術館開館によって、一連の施策はほぼ完成に至ったと思われる。青木淳・西澤徹夫による美しい建築、充実した企画展、豊かなコレクションの常設によって、美術館は息を吹き返し、毎週末多くの人が訪れる活力のある館になった。

 

 また、岡崎地域活性化の推進について、多様な行政リソースが絡み合っている点も非常に興味深い。

 博物館(美術館や動物園)、劇場の再整備といった文化振興の分野、文化的景観や文化財公開施設(無鄰菴)といった文化財保護の領域はもちろん、区役所、公園や産業の担当課、更には上下水道局までが参画して、一連の施策を進めてきた。

 様々な部署が、様々な文脈で、何度も何度も彫琢した結果が、現在の岡崎地域の状況を生んでいるのであり、この総合性は注目に値する。

 

 なお、これらの施策には様々な副作用もあった/あると思う。

 京都会館京都市美術館も、その再整備に当たって様々な批判があったことは、まだ記憶に新しい。前川國男文化財級の建築の改変、高さ制限の変更、公共施設への企業名の導入、彫刻の撤去、財政の圧迫などなど、議論の的になったトピックは多数挙げられる。(京都会館を巡る議論についてはブログ「I Love Kyoto Kaikan」が詳しい。)

 ここで詳細を論じる余裕はないが、いずれ歴史の波に洗われ、一々の功罪が明らかになるだろう。(少なくとも、今、私には、ロームシアター京都や京都市京セラ美術館が、京都の文化の振興に寄与していると信ぜられる。)

 

 さて、一連の岡崎活性化の掉尾を飾ると思われるのは、琵琶湖疏水である。

 疏水は、岡崎地域を南東から北西へ貫き、このエリアの景観の骨格を成している。歴史的にも、京都の近代史の起点となっており、京都市の小学生なら必ず習う必修事項である。疏水は、京都に電気をもたらした点でも重要であり(この電力は、電気鉄道を開通させ、映画産業を勃興させた)、また沿線の庭園群に水が引かれるなど、様々な文化を二次的、三次的に興隆させてもいる。

 岡崎地域の活性化において、この親水空間を楽しみ、歴史を掘り下げる事業は、まさに画竜点睛のものとなるだろう。

 令和2年(2020)6月に「京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき」が日本遺産に認定され、また、同年11月には、文化観光推進法に基づき「琵琶湖疏水記念館を中核とする文化観光拠点計画」が認定された。令和2年(2020)から令和6年(2024)にかけて、総額9億59百万円規模(うち3分の2程度が文化庁補助金と思われる。)の施策が進められているところだ。

 既に情報発信の質が明らかに向上しており、琵琶湖疏水記念館のハード面の整備も含め、今後の展開が期待される。

 ・日本遺産 琵琶湖疏水

 ・琵琶湖疏水記念館

 ・びわ湖疏水船

京都五山送り火

 2020年「京都五山送り火」の規模縮小について、広く報道されている。

 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/292554

 

 京都に数十年暮らす者としては、例年どおりの五山送り火がないというのは確かに少し寂しい。例年出かけて見物するわけでもないのだが、やはり季節を画するものであることには違いない。

 

 この数年は、仕事で関わることもあり、「京都五山送り火」について学ぶことが多かった。

 

 「京都五山送り火」はそもそも、全国的に見られるお盆の精霊(しょうらい)送りの一つである。

 日本では、お盆に祖先の霊(精霊)を墓参りや迎え火等の方法で迎え、数日後、送り火を焚いて送るという習俗が、今も各地に広く伝えられている。送り火は、各家庭の玄関先や庭で行われるもの、集落の境界や河原で行われるもの、山上や海浜で行われるものなど、様々な形態があるが、毎年決まった日に同じ場所で送るものとされている。

 五山送り火も、規模は非常に大きいものの、あくまでこうした送り火の一つということになる。

 

 「京都五山送り火」の起源は定かではないが、元々は、多くの燈籠を山の上で灯す「万燈籠(まんとうろう)」であったようだ。15世紀の史料に「四面の萬灯」などと記載があり、四方の山々で送り火を思わせる「万燈籠」が灯されていたことが分かっている。

 また、「万燈籠」から文字や図形に変わったのは、17世紀頃と考えられている。「大」「妙・法」「船形」は、江戸初期の『洛陽名所集』(1658年)に記されているのが最初とされていて、左大文字の記述は『日次紀事(ひなみきじ)』(1679年)、鳥居形は『諸国年中行事』(1717年)の記述が初出とされている。

 五山送り火の由来については様々な俗説があり、それはそれとして興味深いのだが、いずれも学術的な裏付けはない。

 

 お盆の行事は仏教の影響を受けた部分も多く、送り火も仏教行事と言われることがある。が、その根幹は日本古来の先祖崇拝の儀礼、つまり民俗行事と考えられる。

 「京都五山送り火」も、各山の麓の住民による地域の伝統行事であり、極論を言えば「町内所縁の山で、自分たちの御先祖様のために送り火を焚いているのを、市街地から多くの人が眺めている」という関係に過ぎない。

 (ただし、京都市では、1983年に「大文字送り火」、「松ケ崎妙法送り火」、「船形万燈籠送り火」、「左大文字送り火」、「鳥居形松明送り火」の五つを、それぞれ京都市登録無形民俗文化財に登録している。その点では、市民共有の文化財という公的な性格もあると思う。)

 

 2020年の「京都五山送り火」は、各山1~6基の火床に点火されるのみで、文字や図形は構成されない。が、本来の意義に鑑みれば、小さくとも火を灯すことに意味があり、その形態は(それはそれで数百年の歴史があり、重要ではあるが)本質的ではない。

 今年の五山送り火の規模縮小は、感染症拡大防止に鑑みられたもので、第一には、見物の方々の密集、密接を避けるために為される。(意外と御存知ない方もおられるが、8月16日の点火時刻前後には、出町柳や嵐山の特定のエリアに、数万人の方々が殺到する。)五山送り火はイベントではなく、もちろん入場制限といった概念もない。その人出をコントロールすることは事実上不可能だろう。こうした状況に備えて、各保存会の総意で「規模縮小」を決められたのだ。

 

 従って、巷の誤解や揶揄に敢えて反論するなら、以下のいくつかの点を述べることができる。

一、当たり前だが、火と火の距離を離すことでソーシャルディスタンスとしたいわけではない。もっともそのことで、点火する保存会の方々(山によっては、例年は数百人に及ぶ。)の密集は避けられる。

一、送り火は疫病退散を主眼とするものではない。感染症の流行る今だからこそやるべし、というのは根拠の薄い申立てであろう。

一、文字や図形を構成せずとも、「京都五山送り火」の本質は揺るがない。ましてや火の多寡で効果(というのも変だが。)が変じるわけではない。

 

 「京都五山送り火」は、各山とも、わずか数十戸によって、数百年にわたって継承されてきている。まずそのことに驚かされる。

 世界中の多くの伝統行事がそうであろうが、五山送り火も、継承に当たって様々なリスクに晒されている。保存会の方々に親しく接すれば一層、何か一つ歯車が狂えば、たちまち瓦解しかねないとも思わされる。

 (例えば、現代人の暮らしが山から離れた中で、良質な資材(松)を毎年一定量確保するのは、徐々に困難になってきている。あるいは、家制度が緩くなり、伝統から離脱する選択肢も普通のことになっている。)

 

 「京都五山送り火」は、透徹したコンセプトと、歌舞いた表象を捉えれば、現代美術のように見ることもできる。本来の文脈とは異なる視点で敢えて見ると、その常世離れした凄味が浮き上がる。

 

 今は、その継承の困難さや、その我々に強く迫るような在り様を改めて想い、来年また元どおりに実施されることを願うのみである。

歴代内閣の嫌われ方

 日経世論調査では、1987年9月から定期的に内閣支持率を調査しており、内閣を「支持しない」と回答した者には、その理由も尋ねている。
 https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/cabinet-approval-rating/


 不支持理由の選択肢には、時期によって多少の異同はあるが、「○○党中心の内閣だから」、「政策が悪い」、「国際感覚がない」、「指導力がない」、「安定感がない」、「人柄が信頼できない」、「清潔でない」、「政府や党の運営の仕方が悪い」などの項目が挙げられている。


 このデータによって、歴代内閣の“不人気の理由”を見てみると、思いのほか特徴がはっきり読み取れて興味深い。
 各内閣について、それぞれ最後の5回の調査を見ていくと、小渕内閣以降では概ね以下のようになる。
 ※()は当該理由を選んだ方の割合が最大であった時の割合


 安倍: 人柄が信頼できない(50%)
 野田: 政府や党の運営の仕方が悪い(57%)
 菅: 指導力がない(73%)
 鳩山: 指導力がない(66%)
 麻生: 指導力がない(62%)
 福田: 指導力がない(62%)
 小泉: 政策が悪い(46%)
 森: 指導力がない(64%)
 小渕: 指導力がない(54%)


 小泉内閣は、一貫して「政策が悪い」という理由によって支持されていない。何しろ行政の長なのだから政策がよくないとされるのは致命的なことではある。が、逆に、それだけ政策が論議され、注目されていた時期だったと考えることもできる。


 小泉内閣を除く、小渕内閣菅内閣の6内閣では、「指導力がない」ことが不支持の理由となっており、最もポピュラーな嫌われ方と言える。ただし、2番目の不支持理由まで見ると、森内閣は「人柄が信頼できない」、麻生内閣は「安定感がない」、菅内閣は「政府や党の運営の仕方が悪い」という理由が挙がっており、それぞれの個性を感じられる。
 ちなみに、管内閣では、東日本大震災直後の2011年4月・5月の調査で、「指導力がない」という不支持理由が70%を超えている。当時、いかに“指導力”が希求されたかを、これまた逆説的に示すものと思われる。


 このような中にあって、安倍内閣の嫌われ方は少し独特である。
 「指導力がない」「政策が悪い」といった“穏当な”理由ではなく、「人柄が信頼できない」が不支持理由の大半を占めている。政策的な良し悪しや、リーダーとしての資質ではなく、それ以上に、“人柄”という感情的な理由が選ばれているのだ。
 政治的リーダーの本質に人柄は関係ないという見方もあるだろう。政敵に嫌われる程度にふてぶてしい方が、味方には一層好まれるということもあるかも知れない。その意味では、「政策が悪い」と言われるより、「人柄が信頼できない」と言われる方が、まだマシかも知れない。
 とは言え,過去20年、このように“人間的に嫌われる”内閣はなかったという数的事実は、結構インパクトのあることである。

主要美術館・博物館 2018年度年間スケジュール

 主要な美術館・博物館の2018年度年間スケジュールをまとめました。


 ※特別展・企画展を中心に、コレクション展・公募展等は除外しています。


 300402主要美術館・博物館2018年度年間スケジュール.xls 直

芸術家の数(平成27年度国勢調査)

 平成27年度(2015年度)国勢調査に基づき、全国及び政令指定都市の芸術家の数を集計してみた。



 芸術家(著述家、画家、デザイナー、写真家、音楽家舞踊家、俳優など)全体の数は、京都市では、2010年度調査では8,630名、2015年度調査では8,320名で、310名(3.6%)の減。

 全国では16,830名(3.6%)の増、近隣の大都市(名古屋市大阪市、神戸市)でも増なので、京都市からは芸術家の流出が進んでいると言える。



 とりわけ「舞踊家、俳優、演出家、演芸家」は、全国では2,930名(5.7%)の増であるのに対し、京都市では330名(43.4%)の減と急激に減少している。

 KYOTO EXPERIMENTの開始(2010年)、アンダースローの開設(2013年)、あごうさとしのアトリエ劇研ディレクター就任(2014年)など、2010〜15年では、少なくとも小劇場演劇界隈では話題に事欠かなかったが、舞踊家や俳優の人口動態をプラスにする程の影響はなかった。

 一方、「個人教師(舞踊、俳優、演出、演芸)」の項目も、京都市では60名(15/4%)の減となっている。多くはバレエや邦舞の先生ではないかと思うが、例えば邦舞界で高齢化が進んでいることが一因なのかも知れない。



 全国で見ると、「彫刻家、画家、工芸美術家」が6,620名(21.2%)の増となっているのが目立つ。あいちトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭が2010年に始まり、2010〜15年は国際芸術祭が定着から飽和に至る5年だったと言える。こういったことも影響しているかも知れない。



 20180312芸術家の数(国勢調査から).xls 直

京都大学の立て看板と「京都市屋外広告物等に関する条例」について

 京都大学の立て看板が、景観条例違反で京都市から指導を受けたという記事が一部で話題になっている。
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/25/kyoto-university_a_23288103/


 記事には、「京大関係者によると、市の指摘を受け、大学は11月中旬、対策案を学内に示した。設置場所は大学構内を中心にし、設置できるのは公認団体に限定。大きさや設置期間の基準をつくるといった内容だ」とあり、既に市と大学とで意見交換がなされ、対策の検討が進められていることが伺われる。
 私は担当課の考えの詳細を把握しないので全く見当違いのことになるかも知れないが、また、既に今更のことであるとは思うが、思考実験として条例の解釈を試みたい。


 なお、本件で問題になっているのは、一義的には、「景観」の問題ではないということは最初に記しておきたい。
 今回の行政の指導は「立て看板が景観を破壊するからこれを撤去せよ」というある種の価値判断を伴うものではない。記事を見る限り、「京都市市街地景観整備条例」や「京都市風致地区条例」が問題になっているようでもない。あくまで「市の屋外広告物等に関する条例」に反していることが問題になっているのであり、技術的、機械的な話だ。ひとまずは、京大の立て看板が、「景観」を構成するものかどうかは、行政の関心の埒外のことである。
 何が「価値ある景観」なのかは、政治的な議論を伴うべきより大きな問題である。(もちろん行政もその議論について責任の一端を持ち、見識を示すことは求められるのだが。)

                  • -



1 原則
  まず、京都市の屋外広告物掲出に関して、一般にどのような規制があるのか、原則を明らかにする。


(1)許可の必要性
   京都市では、市内全域が屋外広告物規制区域(一部は禁止区域)に指定されており、京都市屋外広告物等に関する条例第9条第1項により、屋外広告物を表示しようとする者は、市長の許可を受けなければならない。


(2)許可の基準
   許可を受ける際の基準については、市域が細分されてそれぞれ第一種、第二種などと「区域」指定されており、内容が異なっている。
   「京都大学」と一口に言っても、複数の区域にまたがり、規制内容は一様ではない。ここでは、最も代表的な例として、百万遍交差点の南東角及び、当該角から東大路通の東側歩道を南下する箇所を見る。
   まず、百万遍交差の東南角は「沿道型2種地域」に指定されている。
   当該地域では、独立型屋外広告物等(立て看板・のぼり)は、例えば、次のような規制がある。
    ・区画内で表示する屋外広告物等の総面積は15平米まで
    ・最上部の高さは2mまで
    ・表示面1面当たりの面積は2平米まで
    ・色彩については、マンセル値の彩度がR、YRは6、Yは4、その他の色相では2を超える色が表示面の20%未満であること。
   次に、百万遍交差点の東南角から東大路通の東側歩道を南下する箇所は、「第2種地域」に指定されている。
   当該地域でも、独立型屋外広告物等(立て看板・のぼり)は、概ね同じような内容の規制があるが、例えば、区画内で表示する屋外広告物等の総面積は5平米など、多少厳しい内容となっている。


(3)許可の手続
   許可の申請には、屋外広告物許可申請書、個票、付近見取図、配置図〈平面図〉、立面図、意匠図の添付が必要である。
   申請手数料は、ポスター、のぼりその他の軽易な屋外広告物(立て看板を含む。)については1個当たり300円である。


  以上が一般的な規制ということになる。
  基準に合致するよう配慮し1件ずつ許可を得れば立て看板を掲出できないわけではないが、立て看板を制作・掲出する学生に手続を逐一徹底することは、事実上かなり難しいだろう。
  また、立て看板を制作する学生(部・サークル)は多数に上るが、それらを逐一、大学が把握し、取りまとめるなどすることも、やはり困難を伴うと思われる。
  仮に行政が、原則に沿って許可の必要性を言い募れば、大学としては、立て看板の掲出禁止など抜本的な措置を迫られることになるだろう。結果として、立て看板が並ぶ現況は、まさに政策の意図するとおり、一掃されると考える。


2 例外
  多くの法規には、規定し切れないことや立法時に想定できないこと、社会情勢の変動等に弾力的に対応できるよう、例外規定が設けられている。
  京都市屋外広告物等に関する条例についても、第9条第1項但書の各号において、許可を要しない場合が定められている。
  詳細に検討する。
  なお、許可を要する場合であっても、第11条第3項によって、基準を満たさずとも特例的に許可される場合が定められている。


(1)例外の詳細
   「京都市屋外広告物等に関する条例」では、屋外広告物設置の許可について第9条で定めている。少し長くなるが以下に引用する。



(屋外広告物の表示等の許可)
第9条 屋外広告物規制区域内において、屋外広告物を表示し、又は掲出物件を設置しようとする者は、市長の許可を受けなければならない。ただし、次の各号に掲げる屋外広告物及びその掲出物件については、この限りでない。
 ⑴ 第6条第2項第1号から第3号までに掲げる屋外広告物
 ⑵ 次に掲げる基準に適合している管理用屋外広告物
  ア 面積が0.3平方メートル以下であること。
  イ 区画内において表示する管理用屋外広告物にあっては、当該区画内に存する管理用屋外広告物(歴史的意匠屋外広告物又は優良意匠屋外広告物であるものを除く。)の面積の合計が2平方メートルを超えないこと。
 ⑶ 区画内において表示する自家用屋外広告物 (次号に掲げる自家用屋外広告物を除く。)で、当該区画内に存する自家用屋外広告物(次号に掲げる自家用屋外広告又は歴史的意匠屋外広告物若しくは優良意匠屋外広告物であるものを除く。)の面積の合計が2平方メートルを超えないもの
 ⑷ ポスター、のぼりその他の自家用屋外広告物で別に定めるもの
 ⑸ 団体(営利を目的とするものを除く。)又は個人が政治活動、労働組合活動、人権擁護活動、宗教活動その他の活動(営利を目的とするものを除く。)のために表示する屋外広告物で、第11条第1項各号(第6号を除く。)に掲げる基準に適合しているもの



   ここで、京都大学の、各部・サークル等が制作し掲出する立て看板は、管理用屋外広告物や自家用屋外広告物に当たるとは考えにくく、仮に第9条但書に相当するとすれば、第1号又は第5号のいずれかである。


 <第1号の検討>
  第9条第1号の「第6条第2項第1号から第3号までに掲げる屋外広告物」とは,以下の三つである。
  ⑴ 法定屋外広告物
  ⑵ 国若しくは地方公共団体の機関又は別に定める公共的団体が公共の目的のために表示する屋外広告物及び国又は地方公共団体の機関の指導に基づき表示する屋外広告物でその表示の公益性が高いもののうち市長が指定するもの
  ⑶ 工事、祭礼又は慣例的行事のために表示する屋外広告物で、表示する期間をその物に明記するもの(当該期間内にあるものに限る。)
  まず、当該立て看板は、法定屋外広告物ではないので⑴には相当しない。
  次に、京都大学国立大学法人であり、上記⑵の「別に定める公共的団体」(京都市屋外広告物等に関する条例施行規則第8条に規定)に相当する。が、当該立て看板は、公共目的ではなく、国又は地方公共団体の機関の指導に基づくものでもないので、全体としては⑵には相当しない。
  しかしながら、当該立て看板は、工事や祭礼のために表示するものでこそないが、一部のもの(11月祭や、新入生の入部勧誘のためのものなど)は慣例的行事のために表示する屋外広告物と言える余地があると思われる。


 <第5号の検討>
  当該立て看板は、非営利の任意団体である各部・サークルが、非営利の活動のために表示する屋外広告物であり、該当すると言える余地があると思われる。


  ここで、当該立て看板は、第9条但書第1号の3又は同第5号に該当する可能性があるとしたが、これ以上は法令には明記されておらず、基本的には、行政の裁量の範疇ということになる。
  この時、第1号の3の「慣例的行事」の解釈に当たっては、直接的には関係がないものの「京都市屋外広告物等に関する条例第11条第3項に基づく特例許可に関するガイドライン」が参考になる。
  前述のとおり、第9条但書は、そもそも許可を要しない場合を定めたものであるが、仮に許可を要するとしても、基準を緩和し特例的に許可できる場合があり、条例第11条第3項がこれを定めている。同項に関連して、できるだけ恣意的な運用を回避するため、「ガイドライン」が定められており、以下のような記述がある。



3 基準
(中略)
 ⑵ その表示が公益,慣例その他の理由によりやむを得ないもので,景観上支障がないと認められる屋外広告物の基準は次のとおり。
  ア その表示が公益,慣例その他の理由によりやむを得ないものとは,次に掲げるものをいう。
  (ア)鉄道その他の公共,公益上必要な施設で,その機能の確保を図るうえで必要なもの。
  (イ)その表示が歴史や文化を体現しているもの。
  (ウ)その他基準に適合させることによって,公共の利益を著しく害するおそれのあるもの。



  3⑵ア(イ)に「その表示が歴史や文化を体現しているもの」という記述があるのが注目される。これが明文化された判断基準の最後の砦である。ここから先、何が「歴史や文化を体現」すると言えるのかは、初めは担当行政官の、そして究極的には、議会や司法というシステムを通して、市民、国民の判断に委ねられることになるのである。


3 中間的な結論


  ・京都大学周辺で立て看板を立てるには許可が必要
  ・許可基準は、高さ2mまで、面積2平米まで、彩度の高い赤や黄色などは使用不可、など
  ・申請には、各種図面類の添付が必要で、手数料が300円かかる。
  ⇒煩雑さ、取りまとめの難しさなどから、大学当局が原則禁止するのではないか。


  ・例外的に、「慣例的行事のために表示する屋外広告物」と言える場合は許可不要
  ・例外的に、「非営利団体が(政治、労働組合、人権擁護、宗教)その他の非営利活動のために表示する屋外広告物」と言える場合は許可不要
  ・上記に該当すると言えるかどうかは、社会通念に照らしつつ、京都市の担当課が判断
  ・「慣例性」については、「その表示が歴史や文化を体現しているもの」と言えるかどうかが要件に関与すると考えられる。


  ここまでの議論で、ひとまず以上のような結論を得ることができる。
  私が同様の事態に直面すれば、まずは「慣例」の要件や、「その他の非営利活動」の内実を担当課に確認し、議論・調整するであろう。
  本件がどのような解決を見るか、今しばし推移に注目したい。

文化芸術振興基本法の改正

 2017年6月23日に「文化芸術振興基本法」が改正され、「文化芸術基本法」になりました。
 2001年に成立してから16年程が経過したところでの改正。



 しばらくきちんと読めていませんでしたが、仕事が一段落したので、少し読み込んでみました。
 新旧対照表の形にまとめ、特に気になった箇所にマーカーと個人的な感想を付けました。何かの参考にどうぞ。
 (流用し易いよう、ワードファイルも。)



2911文化芸術振興基本法の改正精読.pdf 直
2911文化芸術振興基本法の改正精読.doc 直