同人誌印刷 トム出版 長柄の教訓
長柄の教訓
先日、与謝蕪村の話を書いた。もちろんその話とは全く関係ないのだが、
あの、淀川の堤防の石碑 ( 春風や堤長うして家遠し )
のところから1kmほど川を下ったところに、阪急電車の鉄橋が見える。
その阪急電車の鉄橋の向こう側に、それと併行するように、
長柄橋という橋が架かっているのが眺望されるが、
ご存知の方もあるかもしれないが、あの長柄橋には古来、
諺にまでなった悲しい伝説の話があった。
この川は、ずっと昔、平安時代の頃は治水が難かしく、
雨季になるとたびたび氾濫し、その度に長柄橋が流されてしまうのだ。
そこで、官吏の役人が、何か良い策はないかと、
村人を集めて相談することになったのだが、
その時、村の長者である巌氏という者が、
橋の工事の際、橋脚に人柱を立てたらよい、、。
と、意見を言ったのが基で、
さてさて、まことに隗より始めよ、、の譬えではあるまいが、
自分がその人柱にされてしまったのである。
長者の一人娘、てるひのまえ(光照前)はこれを嘆き悲しんで、
--物言いわじ 父は長柄の橋柱 鳴なかずば雉子も 射られざらまし--
と歌を詠んだのである。
これを他山の石として、大阪人は今でも、
--- 人さんの前でいらん事いわんでもええ、黙っとけ。---
と、日常の教訓として子供たちを戒めているのである。
その蕪村の石碑のところから、長柄橋の全景が指呼の間に見えている。
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先日、淀川堤の石碑
( 春風や堤長うして家遠し、、、蕪村 )
の話や、
長柄橋の伝説など古跡に触れてきたが、川に関する話としては、
あと一つ語らねばならぬ地名がある。
それは大坂八軒家の渡し場である。
この八軒家いうのは、いわゆる船の発着場があったところの地名だが。
船着場といっても海ではなく、
淀川の京都伏見と大坂八軒家を往来する、
あの三十石船の船着場だったのである。
この八軒家が出てくる話で特に有名なのが、
例の森の石松つぁんが、、
ーーーーーーーー
八軒家から伏見へ渡す渡し舟は三十石といいますから、かなり大きい船でしょう。
これへ石松つぁんが乗り込んで、、大坂本町橋の名物の押し寿司を脇において酒を飲む。
つづいて、
清水一家で一番つよいのは誰でぃ、、
ーーーーーーー
、、とやりだす話。
それから、あの新撰組の大坂拠点「京屋」もこの八軒家のすぐ近くである。
また、十辺舎一九の弥次さん喜多さんも、ここが大坂に上陸した第一歩だった。
ちょっと古い話になるが、
その人物もやはりここ八軒家の出身だったのではないかと私は思っている。
何故なら、ここ一帯は、その当時から「渡辺の津」と称していたからである。
その渡辺の津ならぬ、住江の津の
3月30日(日)
COMIC CITY 大阪68 イベントステージが開幕する。