平成最後の  伊波虎英


手のひらにのる鏡餅へやに置き平成最後の年を迎へる


誕生日近づきくれば聞き分けの良くなる子どものやうな正恩(ジョンウン)


三が日凡々と過ぐ 火事、殺人、餅つまらせて死ぬ人のゐて


峻険な肢体めぐれる修験者の足音ならむ心搏動は


ため息は修験者の吹く法螺にして死ぬまでつづく回峰の行


修験者の息ざしを消す足音のここちよき律 自、死、だ、け、は、す、な


成人の日にふる雨はなんの喩か非新成人の傘をうつ雨
 

魚のやうに  伊波虎英


現実がひだり耳から押しよせる断線したるイヤホン越しに


誰かれを呪はぬためにくだらないテレビに日毎ばか笑ひする


菅野美穂の笑ひ袋が欲しわけもなき哀しみの日々につのりて


わが指の魚のやうに冷たくて触れたきものに触れられぬ夜


透明なクリアファイルの重なりにへだたる書類と書類の文字よ


少々の暴力ならば愛の名のもとに許さる愛はおそろし


恐らくはないのだらうがあるやうに思はせてくれ横綱の品格
 

秋ゆゑ  伊波虎英


萎草(ぬえくさ)のメアリー・マッグレガー「SAYONARA」の心にうかびくるは秋ゆゑ


一週間に一人のペースで九人を殺めしものが手で顔覆ふ


ハッシュタグで芋づる式にたぐらるる自殺志願の少女らのこゑ


人は見掛けによらぬものなりウェルダンの肉を好めるドナルド・トランプ


誰ひとり殺めず自殺せしゴッホ幸せとおもひ不幸とおもふ


大きなる大葉で小さき葉の大葉はさみて売りし商人気質


南仏へ常盤貴子と旅をする二十五分の語学講座に
 

◆継続は力なれ  伊波虎英


 「短歌人」の誌面にはじめて自分の歌が掲載されたのが二〇〇四
年の一月号。それから十四年、筆名を変更したり(二〇〇四年六月
号から)、表記を旧仮名遣いに改めたり(二〇〇五年二月号から)
ということもありながら、一度も欠詠することはなかった。郵便事
故がなければ、今月号で一六八冊もの「短歌人」(七三九号から九
〇六号)に自分の歌が載ることとなる。


 あらためて振り返ってみると、すごいことだなと思うし、今まで
よく続けて来られたなと我ながら感心する。以前は、駄作で誌面を
汚すなら、欠詠するほうがよっぽどましだというように考えたこと
もあった。もし一度でも欠詠していたら、自らに都合の良い言い訳
を繰り返しながらずるずると欠詠を重ね、遂には退会していたにち
がいない。そうなれば間違いなく短歌そのものからも離れていたこ
とだろう。欠詠せずにいたことで、毎月の締切に追われなければ生ま
れて来なかった歌が数多くあるのだ。そういう意味で、僕にとって
「短歌人」は歌の生まれる場所だと言える。


 とは言うものの、はたして「継続は力」という具合に身になって
いるのか? ただ惰性で続けてきただけに過ぎないんじゃないか? 
と、最近の作歌状況から暗澹とした思いになってしまうのも事実だ。
実は、今回と同じ「歌の生まれる場所」というテーマで書いた二〇
一三年七月号の三角点(「シフォンケーキと万年筆」)でも同じよ
うな思いを吐露していて、全然、進歩がなくて本当に情けない……。


 なんだか、自分が短歌を続けているかぎりは、この先、何年経と
うと、ずっと同じように悩み、苦しみながら歌を詠んでいるような
気がする。なので、「短歌人」という場を離れてしまったら、短歌
そのものからも離れてしまうことになってしまうぞ、と自分を脅し
ながら、とにかく「歌の生まれる場所」から離れることのないよう、
毎月毎月、詠い続けていくしかないのだろう。「継続は力なれ」と
念じつつ。


 不発弾のような歌しか出来ぬ夜は歌との無縁を装っておく
                       足立尚彦『でろんでろ』
 

白飯と納豆  伊波虎英


CMの30秒にうるうるとなるのは秋の所為にしておく


標準語の語りに違和感おぼえつつ「わろてんか」見る十月二日


公明党共産党しか選択肢なき選挙区に住みて秋暮る


二枚とも〈希望〉と書くか〈絶望〉と書くか迷ひてこねる納豆


白飯の上で糸ひく納豆のひとつぶひとつぶが政治家に見ゆ


納豆に汚(けが)されてゆく白飯のまんざらでないひとつぶひとつぶ


納豆とご飯が口でつぶれゆく混沌のまま日本もわれも
 

ハンドスピナー  伊波虎英


五十歳最初の顔を撮られたり免許更新の流れ作業に


くるくるとハンドスピナー回されて流行りとなるはなんだかわかる


ハンドスピナーくるくる回す快感を宇宙創りし神ももちたり


一位らしい戦ひをする広島に二位らしく戦ひ阪神負ける


鳥谷が安打かさねし十四年われは歌詠む短歌人にて


歌人やめずにゐよう鳥谷が引退するまでと思ふたまゆら


あきあかねふはふはとうくあきあかね駅へとつづくまつすぐな道
 

うなぎと風鈴  伊波虎英


「う」の付くもの食べたかどうか考へるうなぎを食はず土用丑の日


背後から不意に切られし無念さを旨い旨いと食ふ関東人


真つ向から切られて果てしふんぎりの良さを旨いと食ふ関西人


真つ向から切られてみたいどつちみち食はれるならば背開きよりも


デーゲーム見つつうとうとのほほんと野球とともに滅びたき午後


のろのろと列島を這ふ台風に抒情をすてて風鈴は鳴る


さらば抒情、ハロー台風 風鈴の狂ひ鳴る夜の殺意をなだむ