やばいの続き

野川

野川

やっと読めるようになりました。
たぶん夕暮れに空き缶に載せた素焼の馬と目が合うたび、死者の仕草がよみがえる。そうした空間に、ぬるっと滑り込む。
そんなカンジでせうか。

続いています。最近。死者の感覚が…

やばい…

神々の精神史 (講談社学術文庫)

神々の精神史 (講談社学術文庫)

を何気なく読んでいると、「屍愛譚について」に突き当たってしまう。
日曜美術館でやってた、磯江毅の「深い眠り」が不意によみがえり、脳裏から剥がれなくなってしまった。
そう、モデルはもちろん生きていたはずだが、見るものには、モデルの遠い過去を、驚くべき細密な深いモノクロームの絵の、後れ毛や、白い肌に感じるわけで、おそらく現在のことは想像もしまい。


いかん。説明すると変質者として取り扱われそうだ。

さえない2

で、こんどは祭りぎらいの川北先生。

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

さえない

さえない。まったくさえない。

なにがテーマと言うわけでもないけれど、見込みどおりに考えがすすまない。

なんだかわからないうちに、

ファミリーポートレイト

ファミリーポートレイト



無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

を読み進めていた。

なんの関連もないはずだったが、何気なくnomadを追っていたわけでしょうか。

いつのまにか、ほとんどすべてのひとが、無縁・公界のなかにいることになってしまったのでは、ないでしょうか。

おまけ。

久洞中ためまはし見候処、公界寺に子共・兄弟を置き候ては、無能沙汰の限りにても、其寺持たせ度御御躰と深く見及候。誠各誤られたる義にて候。(中略)一類を以公界寺住寺望に候者、専に能を被付、公界僧之成に可被取成候第一候。(p64)

枯木灘……

そのつもりではなかったけれど、

ラカンはこう読め!

ラカンはこう読め!

枯木灘を交差しながら読む。

主人公秋幸になんどもなんども不意に訪れる「男」。

「彼らのやっていることは、彼らの主張とは裏腹に、<現実界>からの逃避であり、幻覚そのものの<現実界>から逃げようとする必死の企てにすぎない。<現実界>は幻覚的な見世物の姿をとって出現するのである。」

「海は、秋幸をつつんだ。秋幸は沖に向かった。波が来て、秋幸はその波を口をあけて飲んだ。海の塩が喉から胃のなかに入り、自分が塩と撥ねる光の海そのものに溶ける気がした。空から落ちてくる日は透明だった。浄めたかった。自分がすべての種子とは関係なく、また自分も種子を作りたくない。なにもかもと切れて、いまここに海のように在りたい。……
そのままそうやって泳ぎ続けていると、自分が呼吸にすぎなくなり、そのうち呼吸ですらも海に溶けるはずだった。

「現実への覚醒は夢の中で遭遇する<現実界>からの逃避だ。
……
ラカンにとって、究極の倫理的課題は、真の覚醒である。
むしろ覚醒しているときにわれわれを強くコントロールしている幻想の呪縛からの覚醒……」


枯木灘 (河出文庫 102A)

枯木灘 (河出文庫 102A)

最終講義

先生の最終講義を聴きにいきました。
曾てと変わらないペースで書き続けているのに、ちょっとびっくり。

昭和陸軍の軌跡 - 永田鉄山の構想とその分岐 (中公新書)

昭和陸軍の軌跡 - 永田鉄山の構想とその分岐 (中公新書)