早稲田大学演劇博物館COEプログラム「シェイクスピアゼミ」

早稲田大学演劇博物館COEプログラム「シェイクスピアゼミ」にも顔を出してきた。河合祥一郎さんの講演で、非常に面白かった。九十分だったのだが、あっという間。河合さんの朗読がうますぎて、こちらも驚いた。それだけでなく、シェイクスピア理解がだいぶ深まって、こちらのことはしっかりと書きたいのだけれど、勉強不足なので、うまく書ける気がしない。ブランク・ヴァースという言葉の形式の重要性が、実感として理解できたということになる。シェイクスピア、すげえ(そのすごさへの違和感もありながらだけれど。)なにごとも勉強、勉強、勉強だ。でもすぐ飽きるのがよくない。勉強、勉強、勉強!

「粟谷能の会」

そういえば、先日は粟谷能の会も観にいった。能は「通小町」「葛城」「石橋」、狂言は「子盗人」という演目であった。「葛城」がたいへんよかったとのことであったのだが、自分にはよく分からず。「通小町」は謡曲で読むと、深草少将の怨念がかなりつよく感じられたのだけれど、上演では男のやるせなさがクローズアップされていて、驚いた。そしてよかった。決め所で、深草少将が小野小町を引っつかむところがあるのだが、そこがひっつかめ「ない」(!)という所作になっていたのだ。驚いた。能楽も久しぶりの観劇であった。満喫できた。

「京乱噂鉤爪」

国立劇場で上演されている新作歌舞伎、乱歩歌舞伎を観にいった。国立劇場のお囃子(歌舞伎)で研修生をしているという方にチケットを取っていただいたため、非常にいい席。国立劇場の大劇場は二階席が見やすい。パブリックシアターの構造に似ているのかもしれない。第一弾の乱歩歌舞伎が好評であったため、続編をオリジナルで作ったみたいであるが、台本はちょっとつらい。でも友人がいっていたが、「歌舞伎は無敵」であって、たしかに台本の「学生劇のような感じ」は歌舞伎の様式によってある程度脱色されていた。ような気もする。けれど、つらいものはつらい。けど宙乗りは楽しい。ぐるぐる回っていることを成り立たせ、しっかりと興奮させるあの歌舞伎の様式性はなんなのだ。歌舞伎もみないとなあ。一年ぐらい観ていなかった。

ピーチャム・カンパニー設立の経過

ピーチャムカンパニー設立にいたるまでの、会議について書こうと思いながら、書けないのだ。おそらく、あまりにいろんなものを話してしまって、そして血肉化しているからだろう。もちろん、その会議で出た問題点が解決されて、という意味での「血肉化」ではなく、常にその問題・課題を抱えて今後の活動を考えているということである。もう少しきちんとした形で、ピーチャム・カンパニーという劇団の思いを提出しなければならないな、と強く思っている。

コネマラ再び

「コネマラの骸骨」をもう一度観にいった。二度目はすこし俯瞰して見れて、作品の全体像が掴めた。しかしマクドナーの作品は難しそうだ。アイルランドではどう上演されているのだろうか。

「コネマラの骸骨」

マーティン・マクドナー「コネマラの骸骨」を観た。演劇集団円の森新太郎演出。面白かった。昨年の「孤独から一番遠い場所」という作・鄭義信の森演出に非常に感動・感銘したため、楽しみにしていたのだ。珍しく一ヶ月以上前から予約していた。期待に違わず面白かった。森新太郎という演出家の実力が舞台ににじみ出ており、なにより役者が輝いている。感情の起伏・タイムコントロール、役者に求められている技術を役者たちがしっかりとこなし、大胆な演技のときにも微細な動き・情緒のあり方にしっかりと気が配られている。森さんの演出は、舞台上にあるものすべてに隙がなくて、ほんとに観ていて楽しい。そうしてなによりも、二作品観て思ったことは、「感情をコントロールできない中途半端な、心と体が一致していない情緒のあり方」を描くのがとてもうまいということだ。それは、繰り返すが、役者・演出家がともに感情の起伏とタイムコントロールを行っているからこそ、できることなのだと、強く思う。面白い芝居を観ると、ほんと、楽しい。(ちなみに、「コネマラの骸骨」という作品はブラックコメディ(といわれている)であって、「楽しい」と一概にいってしまってはいけないのであるが、ここでの「楽しい」とは、舞台をみる「楽しさ」ということです。)