あれから5年

2009年(平成21年)11月21日、一つの社会人野球チームが約半世紀の歴史に幕を下ろした。
日産自動車硬式野球部
都市対抗野球優勝2回、社会人野球日本選手権優勝1回の実績を持つ名門野球部だが、折からのリーマンショック以降の経営改善のため、企業スポーツ活動(本社野球部、九州野球部、卓球部、陸上競技部)の休止という苦渋の決断をせざるを得なくなったのである。
私にとって、これほど悲しい出来事はなかった。それは、高校時代の部活動の先輩が日産の応援団でトランペットを吹いていたこともあり、日産野球部は私と社会人野球を結び付けてくれたチームだったからだ。日産野球部と出会っていなかったら、今の自分はないと言っても過言ではない。
最後の試合となった日本選手権準決勝の対JR九州戦は、延長戦にもつれ込んだ末タイ・ブレークで敗れた。試合が終わった瞬間はテレビの前で呆然としていたことを覚えている。
そして私の心は、あれから5年経った今もぽっかりと大きな穴が空いたままである。
いつの日か、日産野球部が再び東京ドームに姿を現してくれることを願うばかりだ。

屈辱、屈辱、アンド、屈辱

アジアリーグアイスホッケー2013-2014は、3月29日、日本製紙クレインズ王子イーグルスを下し、5年ぶり4回目の優勝を果たした。
クレインズアジアリーグ全日本選手権を通じてこれが地元・釧路で初の戴冠ということで、まずはおめでとうと言いたい。

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あの日から5年

2008年12月18日―。
この日付がアイスホッケーファンの心から消えることは、永遠にないだろう。SEIBUプリンスラビッツ廃部という信じられない報道があったあの日のことを・・・。
自分にとってもあの時の衝撃は忘れられない。朝出勤の準備をしていたら、視ていたテレビの情報番組の新聞見出しチェックのコーナーで、「廃部」って字が見えたので「ん?」って思ったら、それがラビッツのことと知って愕然としたこと、廃部反対の署名をしたこと、ラビッツにとって最後の戦いとなったアジアリーグプレーオフ・ファイナルを観戦に東伏見まで行ったこと(願わくば、ライバル・王子とのファイナルを希望していたのだが、レギュラーリーグの結果によりセミファイナルで対戦・・・)など、今でもはっきり覚えている。
しかし、5年経って我々ホッケーファンが受けた傷が癒されているのかというと、否であろう。ラビッツ廃部後、新チームとして東北フリーブレイズが誕生したものの、その後情報で出た「ラビッツを母体としたクラブチーム創設」の動きは全く聞こえなくなってしまったし、日本アイスホッケー連盟堤義明会長時代のワンマン運営の膿が出てきて(?)分裂状態に陥り、内閣府から注意勧告が出たのは承知の通り。タメ息ばかりの日々なのである。とてもじゃないがあの時のショックは癒せたとは言えない。
今、日本トップリーグ連携機構加盟団体の中で、首都・東京にチームがないのはアイスホッケーとハンドボールくらいだろう。東京に住んでいてアジアリーグの試合を観に行こうと思ったら、横浜及び東伏見で試合がある時か(それも数えるほどしかない)、日光、八戸、北海道へ遠征しなければならないという、とてもじゃないが「気軽に行ける」というポイントからかけ離れてしまっている。そして客足が遠のく→人気がなくなるという悪循環に陥っていくのだ。
来年2月のソチ冬季五輪でのスマイルジャパンの活躍が、日本アイスホッケー界再興のきっかけになってくれることを祈るばかりである。

稚拙ながら、西武グループのアイスホッケー活動歴をまとめました。見づらいかもしれないですが、ご覧いただければ幸いです(修正箇所等ありましたら連絡願います)。
seibu_history.pdf 直

16年前の悪夢、再び

昨年9月から熱戦が繰り広げられてきたアジアリーグアイスホッケー2012-2013は、3月30日に行われたプレーオフ・ファイナル第4戦で、レギュラーリーグ2位の東北フリーブレイズが、1位の王子イーグルスを1-0で下し、対戦成績3勝1敗として2年ぶり2回目のリーグ優勝を果たした。
フリーブレイズは一昨シーズン、リーグ加盟2年目で初優勝を果たしたが、その時は東日本大震災の影響でファイナルが中止となり(開幕前日に震災が起こった)、アニャンハルラと同時優勝という結果だったので、単独優勝は初めてになる。まずはこれについておめでとうございます、と言いたい。
さて、我らが王子イーグルスであるが、今シーズンは開幕10連勝というこれ以上にない好スタートを切り、勝点102(34勝8敗)という圧倒的な数字でレギュラーリーグを1位通過(2位・フリーブレイズとの勝点差は22点)。昨年12月に行われた全日本選手権も8年ぶりに制し、正に絶好調の状態でプレーオフに挑んだが、アニャンハルラ(レギュラーリーグ4位)とのプレーオフセミファイナルまでは良かったものの、ファイナルになるとそれまでの戦いが一変、リーグ最多得点(199点)を叩きだした攻撃陣が沈黙してしまい、さらに持ち味である堅守も、第3戦の第1ピリオドに一挙4点を失うなど、レギュラーリーグの戦いがウソのように変わってしまい、結局第1戦を先勝後、3連敗という形でシーズン完全制覇(アジアリーグレギュラーリーグ、プレーオフ全日本選手権)を逃してしまった。
実は王子、今回に近い負け方で、優勝を逃した経験がある。
1996年(平成8年)のシーズンは、前2シーズン日本リーグ(当時)で優勝を逃したことと、創部70周年という節目を迎えたこともあり、日本リーグのタイトル奪還と全日本選手権制覇による二冠達成が至上命題となっていた。実際シーズン開幕直後からの王子は好調で、リーグ前半を11勝3敗1分け(勝点23)で1位で折り返し、後半さらに勢いを加速させて結局22勝4敗4分(勝点48)で1位通過。2位の西武鉄道(当時)に勝点11点差を付けてのものだった。
ところが、いざプレーオフに進むと雪印とのセミ・ファイナル1回戦でまさかの敗戦。その後の2戦は圧勝してファイナルに進んだものの、西武との対戦となったファイナルでは2試合とも逆転負けで覇権奪回に失敗、という苦い結果に終わってしまった(ちなみに、翌年3月に長野で行われた全日本選手権では決勝でコクド(当時)に2-8という信じられないスコアで葬られ、18シーズンぶりにタイトルなし、という最悪の結果に終わった)。
当時のチームキャプテンである高木英克(のちに王子監督)は、この時のプレーオフについてこう語っている。

「悔しかったですね。一番の原因は気の緩みです。ずっと1位をキープしてきて、プレーオフに出場できる安心感から緊張の糸が切れてしまった」(アイスホッケーマガジン(ベースボールマガジン社)1997年11月号、日本リーグチーム情報から)

今回の結果は、精神的なものが招いたのかどうかは分からない。プレーオフMVPに輝いたフリーブレイズGK・畑の好守や攻撃陣に勢いがあったのも事実である。しかし、最後は「何が何でも単独優勝!」というフリーブレイズの執念の前に負けたような気がしてならない。
また、私的な話になってしまうが、今回あまりにレギュラーリーグから調子が良すぎたため、プレーオフでもやってくれるはず、という期待値が大き過ぎた。阪神タイガースで散々「期待し過ぎると裏切られた時のショックが大きくなる」ということを教わったはずなのに・・・
今回敗れたことで、OB諸氏からは強い風当たりが来ていることだろう。正直私もまだ悔しい気持ちを引きずっている。しかし、この敗戦が、来シーズンへの糧になってくれるものと信じている。常勝は王子の宿命であり、また最近はどのチームも実力接近で勝つことは大変だが、来シーズンこそ笑ってシーズンを終えたいものだ。