・就職用にと山口瞳『礼儀作法入門』(新潮文庫)と伊吹和子『編集者作法』(日本エディタースクール出版部)をブックオフで。『編集者作法』といっても、決して4月から編集者になるわけではなく――というかなれなかった?――普通のリーマン生活ですが、本の内容が、敬語や話し言葉や電話・手紙の作法といったことに重点が置かれているので、一般の会社員にも共通するものがあるかと。またなによりも、著者の伊吹和子という方は谷崎潤一郎源氏物語を訳すときに原稿口述筆記を担当された方。小林信彦が『<超>読書法』の中で大推薦している『われよりほかに――谷崎潤一郎最後の十二年』(講談社)の著者でもある。
三浦雅士『メランコリーの水脈』(講談社文芸文庫)を購入し半分ほど読み進める。三島由紀夫武田泰淳井上光晴大江健三郎などを中心に、戦後日本の小説を貫くメランコリー、現実との疎隔感、実感の希薄さ、というものを検証している。発売された当初(昨年の6月頃)に店頭で見かけた記憶があるが、こんなに面白そうな本だとは思わなかった。ぼんやりとした、薄い膜がかかったような意識――ある種の無力感にも繋がるような――は、先日日記に書いた高橋源一郎の発言よりも、さらに遡れそうだ。

村上龍コインロッカー・ベイビーズ(上下)』(講談社文庫)読了。『コインロッカー』に出てくるアネモネという女の子がワニを飼っていて岡崎京子『pink』を連想したが、どうやらこれは安易な思い付きらしく、実際はYOU(元フェアチャイルド、いまタレント)がワニを買っていたところから来ているらしい(これについてはこちらの2002/01/04 を参照)。キクもハツも設定では17、8歳くらいだろうが、何でこんなに疲れている印象を受けるのだろう。『限りなく透明に〜』の主人公もそうなのかもしれないが。(純粋な)観察者になるということは、先日引用した箇所にもあるとおり、どこか子供や赤ん坊の立場に立つことでありながら、それをした人間が老成した雰囲気を身に付ける。

角田光代『学校の青空』(河出文庫)読了。最後ぶち切れ気味の「放課後のフランケンシュタイン」と「学校ごっこ」が面白かったのだが、他の2編のほうが人間としては妥当な方向なのだろう。

漫☆画太郎『くそまん』
ジョージ朝倉『ハッピーエンド』ジョージ朝倉という名前から勝手に劇画の人かと思っていたら全然違った。

・『どん底』(監督ジャン・ルノアール)、『カップルズ』(監督エドワード・ヤン)、『ゴーリキー・パーク』(監督マイケル・アプテッド)、『暗黒街の顔役』(監督ハワード・ホークス)、『耳に残るは君の歌声』(監督サリー・ポッター)を観る。『どん底』『カップルズ』『暗黒街の顔役』の3本が特に面白かった。ハワード・ホークスの映画ははじめてみた。自動車に乗っているシーンでは窓の外が合成になったりしているが、そんなことは気にならない迫力がある。ボスからも疎まれるほど暴力的で強引な男の出世から破滅までがテンポよく描かれていて飽きないし、仕草とか、裏の意味を含ませた会話とかは格好よかった。『どん底』は原作未読、黒澤明のを観たことだけあった。単に社会的に悲惨な境遇に追いやられている人たちの哀切が嘆かれたり告発的に描かれているのではなく、がつがつと金を稼ぐことをしない、一種の自由人として、彼らというかその代表者たるジャン・ギャバン演じる主人公を捉えている。最後のシーン、主人公と恋人の女性とが草むらで寝転がっているシーンが、その上に広がる空ともども、それまでの暗いじめじめしたオンボロ下宿とはうってかわった開放感を感じさせた。

3/18。朝御飯を食べながら朝のワイドショーを適当にはしご。峰竜太麻木久仁子司会の日テレの番組で、ゲストに金子貴俊が出ていた。はじめはゲストがビデオに撮ってきた自宅の写真を元に、という裏番組の「はなまる」などでもやってる手法で話が進む。クローゼットから祭用のハッピが出てきて、それが亡くなった父親の形見だというところから、金子貴俊の生い立ちへと話が進み、両親の離婚や父との2人暮しや父のお店の倒産など、かなり重い内容のものに。多分詳しくは、先日出したエッセイ集で触れられているのだろう。不幸な体験を持っている芸能人というのは星の数ほどいるだろうし、そのエピソードは人気獲得の武器として使えてしまう、というのは確かにある。そもそもこの日の番組出演が、エッセイ集の宣伝の意味があるだろう(本を取り出すなど直接の宣伝はしてなかったように思うが)。けれど、金子貴俊の姿・語り口は、観ていて聞いていてとても気持ちが良いものだった。色々な臭さの無い、落ち着いた、適度な明るさを持った様子だった。
→金子貴俊『僕が笑っている理由』ISBN:4086500612

3/18。4月から勤める会社に行って、書類を受け取ったり直属の上司の方とお会いしたりする。
3/19。再試験の結果が出る。なんとか無事卒業が決定する。入学する前は結構憧れていた大学だったが、スポーツの応援などの愛校心を全開させる機会をとことんつかみ損ねた6年間だった。生協脱会の手続きを済ませ、出資金15000円を返還してもらう。そのお金でもって、記念にと大学グッズをちょっと購入。

・パーカッション・ミュージアム/惑星
パーカッション・ミュージアムとは、読響主席ティンパニスト菅原淳が率いる打楽器集団のこと。前に大学の般教講義で、菅原氏と団員の1人加藤恭子氏が来て、小さな演奏会をしてくれたときに、配っていたチラシに載っていたのが、このCDにはいっているコンサートだった。グスターフ・ホルスト組曲「惑星」ほか、4曲収録。

村上龍限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫)読了。解説で作品を「没主体の文学」と説明する今井裕康は、「ここにあるのは、ただ、見ること、見つづけることへの異様に醒めた情熱だけである」と書いている。さらに、それを読むものに強く感じさせるのは、麻薬やセックスや音楽の騒々しさだけでなく、何よりも文体である、と続けている。そういった文体の持つ力と比べると、直接的で説明的な、野暮ったいものかもしれないが、次のような台詞は、分かり易く作品の本質を述べてくれていると思う。
リュウ、あなた変な人よ、可愛そうな人だわ、目を閉じて浮かんでくるいろんな事を見ようってしてるんじゃないの?うまく言えないけど本当に心から楽しんでたら、その最中に何かを捜したり考えたりしないはずよ、違う?/あなた何かを見よう見ようってしてるのよ、まるで記憶しておいて後でその研究する学者みたいにさあ。小さな子供みたいに。実際子供なんだわ、子供の時は何ても見ようってするでしょ?(中略)リュウ、ねえ、赤ちゃんみたいに物を見ちゃだめよ」。

 高橋源一郎ぼくがしまうま語をしゃべった頃』所収の、谷川俊太郎との対談。そこでの高橋の発言。「でね、実は僕も、昔から、というか、ものを書き出す前から、感情欠乏症だったような気がしているんですよ。で、それはいつ頃からそうなったかを考えてたら、大体高校一年くらいからそうですね。(中略)映画見ても、本読んでも、感情がストレートじゃなくて、ワンクッション置いて遅れて出てくる。そして、それはたぶん僕だけじゃなくて、僕くらいの年代の人たちが、いまのような環境で育ってきたら、どうしてもワンクッションを置いて、浸透膜を感情が行ったり来たりするというのはあるんじゃないかと思う」。それに答えて谷川俊太郎は「……もしかすると、言葉というものを考えていくからそういうふうな状態になるってことだって考えられるよね」と述べている。言葉に拘ると余計に厄介な事態が生じるというのは、それこそ厄介な事態だ。

角田光代『キッドナップ・ツアー』(新潮文庫)読了。
語り手の少女の他に、2人の大人が出てくる。ひとりは少女の父親。もうひとりは少女の叔母(母親の妹)のゆうこさん。出てくるといっても、ゆうこさんの方はもっぱら少女の回想の中である。この2人に、著者が愛していた叔母さんの姿が投影されているのだろうなと思った。若く美しくかっこうよかったその叔母については、確かエッセイ集『これからはあるくのだ』に入っている文章で触れられていたと思う。大人と子供の関係が、友達感覚で、でもこれはテレビ番組で出てくる友達母娘とか、ましてやエイジレス(何だこの言葉・・・)な女とかといったこととは、おそらく全く別のものであるはずだ。