公開された吉田調書などをざっと読んで気になった点メモ

・あんだけの事故が起きた直後も東電の空気はヌルかった
・首相が東電に乗り込んで行った瞬間も東電は平時と同じ社内決裁をやっていた。考えられない。
・東電の武黒フェローとやらがポンコツなのかも?「もう何もできません」とお手上げ状態
・東電の清水社長が撤退すると電話してきた。全面撤退という趣旨だった



・政府はメディアを通じてSPEEDIのことを初めて知ったらしい
・ベントというのも初めて聞く言葉だった

・「イラ菅にしても今日はひどすぎる」「つまらないことでどなったり終始ひどかった」という証言
・枝野「菅さんが現地に行って私が官邸で全体を見ている。正直その方がものは回ると思っていた」
・専門家は誰も明確なことを言ってくれない

・指揮官が官邸を離れることは反対だった。でもあの人は性格上、絶対行くと思った。結果としてはよかった。3/20くらいまでは首相の判断もプラスに働いていた

昭和天皇が見た主な映画メモ

ハムレット
若草物語
ローマの休日

ミッキーの捕鯨船

ベン・ハー

羅生門

サウンド・オブ・ミュージック
日本のいちばん長い日

皇太子殿下 世紀のご成婚
明治天皇日露戦争
広島の原爆に関するニュース映像
アドルフ・ヒトラーのイタリア国訪問に関する映画
日本の象徴天皇


いずれも昭和天皇実録より

戦争を止めたかった昭和天皇メモ

昭和天皇は日独伊三国同盟には反対だった
近衛文麿天皇に近く、国民の期待も高かった
昭和天皇は自らの意思に反して戦争を拡大していった軍部に激怒
松岡洋右の外交は常軌を逸していた
→当初は日独伊+ソの四国同盟を夢想
独ソ戦が勃発すると対ソ参戦を主張した
・米「中国から撤兵を」陸相「やだ」
→近衛首相が政権を投げ出し東条首相誕生
満州事変以降、内閣がコロコロ変わる中、天皇だけが政治的な経験や情報を蓄積していった
・独断で外交政策を決める軍には、内閣との協調を求め続けた
天皇が考えを直接発言できたのは首相や大臣、陸海軍の首脳だけ
・御前会議での天皇の発言は止められていた(御前会議は国策を形式的に決定するだけ)
・しかし1941年9月6日の御前会議ではそのルールが破られた。平和を望む明治天皇の和歌を読んだのだ。
※2014年9月11日読売新聞より抜粋