階層線形モデルにおけるクロスレベル交互作用効果の推定

Multilevel Analysis: An Introduction to Basic and Advanced Multilevel Modeling

Multilevel Analysis: An Introduction to Basic and Advanced Multilevel Modeling

 先日の研究会で階層線形モデル(マルチレベル分析;混合効果分析)を使う際の、クロスレベル交互作用効果の投入と傾きのランダム効果の検定との関係がすこし話題になったので、SnijdersとBoskerのテキストから関連する以下の部分を抜き出しておく。

Cross-level interactions can be considered on the basis of two different kinds of argument. The above presentations is in line with an inductive argument: if a researcher finds a significant random slope variance, she may be led to think of level-two variables that could explain the random slope. An alternative approach is to base the cross-level interaction on substantive (theoretical) arguments formulated before looking at the data. The researcher then is led to estimate and test the cross-level interaction effect irrespective of whether a random slope variance was found. If a cross-level interaction effect exists, the power of the statistical test of this fixed effect is considerably higher than the power of the test for the corresponding random slope (assuming that the same model serves as the null hypothesis). Therefore it is not contradictory to look for a specific cross-level interaction even if no significant random slope was found.(pp. 74-5)

 切片にしろ傾きにしろランダム効果を仮定するか否かは恣意的に決まるものではなく、あくまでランダム効果の検定にもとづいて判断するべきだという考え方ももちろんあるだろう。しかしながら社会科学の分野で階層線形モデルを使用しクロスレベル交互作用効果を検討するとき、ほとんどの研究者の関心の重心は上の引用部分でいうsubstantive argumentsのほうにあるのではないだろうか。Snijders & Bosker(1999)は「傾きのランダム効果よりもクロス水準交互作用効果(固定効果)のほうが検定力が高い」ことを根拠に上のような主張をおこなっているようだが、分析哲学的にも重要な論点を含んでいるように思う。階層線形モデルでクロスレベル交互作用効果を試したいとき、ひとつの意見として参考にすることができるだろう。

排除型社会: 他者を本質化する

 この章では多文化主義をキーワードに、存在論的不安の増大の帰結について検討が加えられる。図式的に示せば、存在論的不安の高まりは多文化主義を誘導し、それが本質主義を強化することで社会的排除を誘発する火種となる、とまとめることができる。この問題には、社会現実に対する人々のとらえ方が、自然的態度のエポケーから多文化主義的エポケーへと転換したという輪郭を与えることが可能である。

 社会的態度のエポケーはアルフレッド・シュッツが提示した概念である。ヤングは本書での議論と関連付けながら、以下の解説を加えている。

 私たちの社会的世界は人間の手によってたまたま今ある姿をとっているにすぎないのだが、自然的態度のエポケーにおいてはそのような考えが棚あげされているのである。ピーター・バーガーとトーマス・ルックマンは、共著『現実の社会的構成』のなかで、社会制度や行為に付与された意味が客観的実在として、つまり恣意的な人工物ではなく確固とした存在として認識されるようになる理由を指摘している。それは、懐疑を一時停止しているあいだは、アノミーへの恐怖や、実存的な孤独と孤立の感覚から守られるからである。すなわち、「制度的秩序は恐怖にたいする防護壁として現われる。アノミーになるということは、この防護壁を奪われるということであり、悪夢の襲来にたったひとりでさらされるということなのである」[1967, p. 119]。人間存在の根底にある不安定さ、そして生存に適した〈環境世界〉への欲求は、一連の防衛メカニズムを要求する。(p. 248)

 後期近代への移行にともない職場と家族を主成分とするライフスタイルは、誰もが一様に達成することができるものではなくなってきている。生活から安心が失われることは世界の自明性に対して疑いをもつきっかけになる。ここに、価値観と下位文化の多元化が重なると、人々は自分自身の生に絶対的な意味を見出すことがますます困難になる。このようにして、自然的態度のエポケーは修正を加えられることを余儀なくされる。

 当然のように自分たちとは別の仕方で物事をおこなっている人々が実際に存在することを考えれば、もはや自分たちの世界だけに安住することはできなくなる。後期近代の市民にとって世界がたったひとつではなく複数存在するということは、誰もが現象学的態度で生きなければならないことを意味する。自然的エポケーが通用したのは、戦後の先進産業諸国で合意と物質的保障と社会的包摂が維持されていた時代である。しかし、現在のように都市生活が多様化し、グローバル化したマスメディアが毎日のように多種多様な文化を垂れ流す状況では、もはや自然的エポケーは通用しなくなっている。こうした困難に対処する態度こそ、私が「多文化主義的エポケー」と呼んでいるものである。つまり、自然的エポケーの特徴である「懐疑の一時停止(あるいは〈括弧〉にいれる)」を、いわば多元化することである。この場合、それぞれの文化は、他の文化からみずからを区別するために、独自の排他的領域という〈括弧〉のなかに閉じこもろうとする。それはちょうど、それぞれの集団が、リスクを最小化するために、保険統計的計算にもとづいて物質的・経済的バリアを張り巡らせようとするのと同じである。(pp. 250-1)

 存在論的不安に対処するやり方として、多文化主義を表明することにははっきりとした魅力がある。そうすることで人々は自然的態度を完全には手放さなくて済むようになるし、他方で異文化に対しては無関心を決め込むことができる。

 多文化主義のおかげで、人々は自分たちの選択を相対化しなくても、規範の相対性を受け入れることができるようになるわけである。……多文化主義における異文化への距離の取り方(「尊重」とか「寛容」という言葉でごまかしているが)が異文化への不安をつくりだす可能性は十分にある。というのも、それは戦後の包摂型社会に代えて、排除型の飛び地が点在する世界をつくりだすからである。……かつて近代主義が求めたのは、開放的で、「脱埋め込み」的で、両義的で、断片化された世界をつくりだすことであった。それは自己とライフスタイルを自由に選択し、創造することが可能な世界だった。しかし、多文化主義はそのような世界を消し去ろうとする――つまり、一方で多様性を認めながら、他方では行為者から選択の自由を奪おうとするのである。(p. 259)

 明らかに多文化主義は多様性の共存とは相容れない性質を備えている。それは、多文化主義の内容が本質化の過程を含んでいるからである。近代主義の全盛期には、人間のあいだに本質的な差異など存在しないという信仰が生きていたため、本質的に同じであるはずの人々を対等に扱わないことは、不正義だと見なされていた。ところが、絶対的な標準が失われ価値の多元化が不可避的に進行する後期近代においては、差異を承認することへの圧力が大きくなる。人々のあいだに存在する差異が不変の「本質」と結びついたものとして理解されるとき、本質主義は力を得る。本質は本質であるがゆえに自身と異なる本質をもつ他者に共感することを、しばしば困難にさせる。異なる本質同士が混じり合うことなどは、ほとんど不可能といえるだろう。

 本質主義は、排除主義のもっとも重要な戦略のひとつである。……本質主義の魅力は、人間の歴史上つねに存在してきた。しかし、後期近代社会に突入した現在、その戦略がとくに魅力的にみえるようになったのは明らかである。後期近代は、存在論的不安が増大する時代である。多くの個人や集団が、アイデンティティの危機に悩まされている。そのような文化的傾向のなかでは、基本的価値や家族の価値が強調され、原理主義が人々の心に強く訴える。たとえば、公共領域へ女性が参入したことは、男性性にたいする大きな打撃となって社会的葛藤を引き起こすことになり、また、下層労働者階級の男性が周縁化されたことは、性差を本質化するマッチョ文化を生みだすことになった。(p. 267)

 本質にもとづくカテゴリの設定とステレオタイプの生成は、一方で、そのステレオタイプにしがみつくことでアイデンティティの獲得を担保し、他方で他者へのステレオタイプの押し付けは、自分自身と「本質的に異なる」他者の存在を明確化するのに加担する。自己本質化と他者の本質化は完全に同一のロジックに依拠している。どちらの場合も、多様性のなかから自らのライフスタイルを選択するという近代主義の進歩的な側面から遠く離れた地平へと人々を誘導する。そこに、「あり得たかもしれない自己の別の姿」として他者を見る視線はない。そして、逸脱と犯罪の原因が他者の本質と結びつけられるとき、他者の悪魔化が進行する。

 本質主義は、社会のさまざまな部分の人々を悪魔に仕立てあげるための必要条件なのである。他者を悪魔に仕立てあげることが重要なのは、それによって社会問題の責任を、社会の「境界線」上にいるとみられる「他者」になすりつけることができるからである。このとき、よくあることだが、因果関係の逆転が起こる。社会に問題が起こるのは、実際には、社会秩序そのもののなかに根本的な矛盾があるからなのだが、そう考えるのではなく、社会に問題が起こるのは問題そのもののせいだ、と考えるのである――つまり、「問題自体を取り除いてしまえば、社会から問題はなくなるじゃないか!」というわけである。(pp. 285-6)

 他者の悪魔化は、自身が所属する集団のアイデンティティを再確認するという作業と表裏一体のものである。物質的・存在論的不安に押し潰されそうな状況のなかで安全な〈環境世界〉を確保し日常生活の安定性を維持しようとするのであれば、自己の信奉する文化と逸脱的下位文化とが交錯する可能性など、あってはならないからだ。

 他者と距離をとることの基本となるのは、犯罪や逸脱を、社会の基本的価値観や構造とは関係なく起こるものとして説明することである。……本質化された他者に逸脱の責任を負わせることは、逸脱というのは逸脱的本質によって生みだされる現象で、その逸脱的本質は特定の個人や集団に内在していると考えることである(したがって、それは定義上「われわれ」の特徴ではない)。正常性を再確認することは、デュルケム的に言い直すと[Erikson, 1966]、正常と異常との境界線をもっとはっきりと区別できるように引き直すということである。「人々のなかに潜む悪魔」というイメージは、逆に身近な正常人のイメージを強化する働きをもっている。(p. 293)

長期追跡調査でみる日本人の意識変容

 編著者の先生よりご恵投いただきました。

 この本には「職業とパーソナリティについての長期追跡パネル調査」(Work and Personality[WP]調査)のデータを用いてなされた社会学的研究の成果が収められています。

 WP調査は約30年にわたる壮大なパネル調査のプロジェクトで、日本の社会階級・階層研究の分野における最重要の調査の1つといえます。WP調査のデータ分析にもとづく研究は、すでにたくさん発表されています。この本の各章を担当されている研究者の方々からお話を聞いていたので、本書の企画のこともなんとなく知っていました。目次を読むと魅力的なタイトルの章が並んでいて、とても勉強になりそうです。

 献本、ありがとうございました。

排除型社会: カニバリズムと過食症

 この章ではレヴィ=ストロースの「人間を飲み込む社会と吐き出す社会」という概念を手掛かりに前章につづき、現代社会の分析がなされる。

 クロード・レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』で提案した、包摂型社会と排除型社会の類型は、多くの社会評論家を魅了してきた。レヴィ=ストロースは次のように論じている。「未開」社会は、よそ者や逸脱者を飲み込み、自分たち自身と一体化し、そこから強さを得ようとする社会である。つまり、人間を飲み込む社会である。他方で、現代社会は人々を吐き出す社会である。逸脱者は社会から排出され、外部に追放されるか、あるいは特別な施設の塀のなかに閉じ込められる。(pp. 146-7)

 あらゆる社会が人間を飲み込む装置と吐き出す装置の両方を備えていることを見誤りさえしなければ、この考え方は社会を分析するための道具として役に立つ。人々を包摂/排除する過程で社会統制装置が果たす役割に注目することは必要だが、現存する理論の多くは統制装置を、統制対象である犯罪・逸脱や差異・困難の原因と切り離して考察しているという点で不十分である。ヤングの見方によれば、完全な説明を期待できる理論とは「犯罪と刑事司法制度の両者が組み込まれている社会的文脈がどのようなものであるか、社会統制システムが直面している無秩序と多様性の広がりがどれくらいであるか、そして市民が積極的に社会統制へ参加することで両者のあいだにどのような共犯関係がつくられているか」(p. 151)という問題を扱うものでなければならない。

 包摂型社会は多様性と差異に対して不寛容な態度をとる代わりに、困難に対して包摂主義的に接する社会であった。秩序に抵抗し問題を起こす人々は福祉国家の役人にとって格好の矯正対象であり、反抗するものは寛大に受け入れられ更生・改心させられふたたび社会へと送り込まれる。多元性を憎む近代主義にとって多様性は困難よりはるかに大きな脅威となる。このため、専門家集団や実証主義者に多様性をうまく説明するための仕事が課せられた。「近代社会は経済的にも社会的にも成功を収め、歴史的発展の最終段階にあると思われるほどなのに、いったいなぜこれほど多くの価値観や態度、行動の違い生じているのだろうか?」(p. 157)。近代主義のプロジェクトを円滑に運行するために、そこでは多様性を単なる逸脱にすり替えて、更生の対象に仕立て上げることが急務とされていた。

 近代社会における包摂主義は差異を差異のまま野放しにすることを許さない。青少年の非行やヘロインの使用は広く受け入れられている文化とは異なる文化(たとえば若者文化やボヘミアン文化)としては認められず、適切な発達の途上であったり(「われわれも若い頃はそうだった」[p. 159])、発達の過程で何らかの欠落が起きたことによる失敗(「奴らはわれわれのようには成長しなかった」[p. 159])として処理された。このような見方は「寛容の1960年代」に1つの頂点を迎える。そこではあらゆる「社会問題」が正常の範囲内にあると定義され、逸脱・病理の定義は非常に狭い範囲に限定される。このような見方をとることで「正常」と「異常」との軋轢は中和され、両者のあいだにはある種の連続が生まれ、「われわれ」にとって「異常」は危険視すべきものではなくなる。

 以上、包摂主義の言説が、あらゆる差異を「同じもの」か「欠如したもの」のどちらかに、あるいは「正常なもの」か「異常なもの」のどちらかに還元してきたことをみてきた。「われわれと同じ人々」と「われわれがもつものをもたない連中」という二分法は、いかなる差異の痕跡も消去してしまう。(p. 165)


 後期近代になり犯罪が日常化し社会的困難が増加すると近代社会と同じようなやり方で人々を包摂することは不可能になる。しかしながら、後期近代を排除一色の社会と見る単純なヴィジョンは、やはり物事の一面しか見ていない。レヴィ=ストロースの概念を借りて後期近代を適切に表現するとしたら、それは人々を「飲み込み」、そして「吐き出す」社会となる。後期近代では差異や多様性がいったん包摂された後、寛容性の程度に応じた格付けがおこなわれ、いくつかのものは排除される。社会的差異と社会的困難がともに増加した後期近代にあっては絶対的な規範は失われ誰もが犯罪者になる可能性をもち、そのため犯罪被害はいたるところで発生する。したがって、後期近代における社会統制は必然的に、ほとんどの人を巻き込むある種の選別のような様相を帯びていく。現代の社会統制は誰もが評価対象としての曝露状態におかれるという意味で包摂的であると同時に、評価の結果、矯正や統合につながることがない分離がおこなわれるという意味で排除的である。後期近代における社会統制を特徴づける「保険統計主義」の根底に潜むのは、このような社会認識なのである。

 それはスイッチのオンとオフを切り替えるように、包摂と排除を切り替えるというものではない。……ここで評価されるのは「リスク」であり、その大きさは保険統計的な観点から、すなわち計算と査定によって決められる。そのような社会のイメージを述べるなら、それはインサイダーが中心にいてアウトサイダーが周縁に追いやられるという同心円状のイメージではなく、地位に応じて人々が順番に並んだビーチのようなイメージであろう。……このビーチは上から下までなだらかにつながっているが、それでも大金持ちとアンダークラスのいる場所ははっきりと分けられており、人々が場所を移動することはできなくなっている。(pp. 167-8)

 保険統計主義を支えているものは精度の高い確率論的解析をもとにした、問題の生じる蓋然性の計算である。そして保険統計主義にもとづく社会統制が目指す目標はユートピアの実現ではなく、危険に満ちた世界に小さな塹壕をたくさん建設することである。要するに問題の原因を議論の俎上に乗せ、道徳的な検討を加えることなどは関心の埒外に置かれることになる。もっとも重要なのは問題が発生する確率を精確に知ることで、危険を避け、被害に遭う可能性を最小化することである。繰り返しになるが、このような保険統計的な手続きを重視する考え方は、単に統制機関の傾向としてあらわれているだけでなく、人々にも普及した態度である点を見落としてはいけない。さらに、ここで強調しておく必要があるのは、このような統制機関と人々の態度の変化の両方に、犯罪とリスクの増大が影響しているという点である。「個人社会制度『どうしたら危険な人々のなかから安全な人々を選別することができるか』という問題に直面することになった。しかし、正確で確実な選別方法がないために、結局は確率に頼って選別する以外に方法がない」(p. 171)のである。


 保険統計的な態度は実際の犯罪とリスクの増加に対する社会的反応であり、現代社会における排除の主要なルーツとなっている。しかしながら、後期近代の排除と包摂の理論にとって、社会的反応「以前」のそもそもの犯罪・逸脱の淵源を扱うことはやはり避けてとおれない作業といえる。この点については、経済的「欠乏」と文化的「欠乏」から犯罪の発生を説明する理論がすでに有効性を失していることが、これまで繰り返し論じられてきた。犯罪の発生原因として肝要なのは相対的剥奪であり、そのルーツは成功神話という文化への包摂が進行する過程において、現実的な機会の制限が存在する状況から犯罪が生まれることを定式化したR・K・マートンの理論までさかのぼることができる。人々を飲み込むと同時に吐き出しもする現代社会の特徴を、このマートンの理論のなかにはっきりと見て取ることができる。

 それは、人々を貪欲に飲み込み、同時に人々をつねに排泄するような、いわば「過食症社会」である。「過食症――つねに空腹で、それを我慢できない状態を指す。さらに意図的な嘔吐や下剤の大量摂取が伴う場合、その症状は〈過食神経症〉と呼ばれる」[Concise Encyclopedia, 1995, p. 145]。先進産業国の社会秩序は、その成員を飲み込むものである。それは教育やメディア、市場へ組み入れることをつうじて、大量の人間を食い尽くし、その文化のなかに同化・吸収する。マスメディアは媒体を増殖させ、あらゆる場所に入りこむことにより、人々の余暇時間に占める割合を増やしているだけではなく、グローバル化した成功と期待と欲望のイメージを垂れ流している。(p. 208)

 ここで強調されているのは、逸脱の前提として包摂がもつ役割の重要性である。この問題について、消費文化への過度の包摂が逸脱と密接なかかわりをもつことを鋭く指摘した事例として、ヤングはカール・ナイチンゲールによるフィラデルフィアでの黒人スラムの研究(『崖っぷちの人々』)を引用している。

 彼は、かつてのマートンのように、犯罪や逸脱がいかにアメリカン・ドリームと深くかかわっているかを理解するようになったが、その経過を次のように記している。

 子どもたちは貧しく、福祉に依存し、移民労働者との競争に負け、地域のリーダーからも見放され、人種的に隔離され、多くのアメリカ人から恐れられ、蔑まれ、最後には投獄されている。本書に登場する子どもたちほど、アメリカの主流社会から疎外されている存在はないようにみえる。
 しかし、都心部の貧しいアフリカ系アメリカ人の子どもたちの生活がまったくアメリカ的なものだとはじめて理解したのは、私自身がかれらと親しく付きあうようになってからのことである。[ibid., pp. 5-6]

 ナイチンゲールは、黒人たちがアメリカン・ドリームを熱烈に信じることによって、逆に自分たちがその夢を実現できないことに怒りを覚えるようになっていく様子を詳細に描いている。最初に彼は、黒人たちがいかにアメリカの主流文化の影響を受けているかを描き出している。……

 この地域の多くの子どもたちは、すでに5歳か6歳になる頃には、大人たちの贅沢なブランドの名前を呪文のように唱えるようになる――グッチ、エヴァン・ピコン、ピエール・カルダン、ベンツ、BMW。……10歳になる頃には、ナイキやリーボックのスニーカーの熱狂的信者になっている……。[ibid., pp. 153-4]

 ……彼はアフリカ系アメリカ人の子育ての重要な要素が、リベラルな価値観を反映した「自由放任」ではなく、むしろ伝統的な「厳格な躾」であることも指摘している。……ナイチンゲールの説明によれば、黒人たちが伝統的価値観に熱狂的に賛同するのは、たんにテレビや市場の影響を受けているからではなく、自分たちの不利な境遇を補償しようとする、複雑でダイナミックなプロセスの表われであるという。
 ナイチンゲールは、マートンと同じように、こうした緊張が経済的・社会的排除と文化的包摂の組み合わせから起こっていることを強調するが、他方では、この矛盾を補償するために、文化的アイデンティティがいっそう大きな意味をもつようになることも指摘している。

 都心の子どもたちは、アメリカ主流文化の大規模な市場に包摂されている。そのことは、黒人の子どもたちが、日々の生活で直面している経済的・人種的排除にたいしてどのように反応するかを決定するほどの大きな意味をもっている。実際、子どもたちにとって、排除の経験は辛い記憶と結びついている。そのことが子どもたちを、とくに大衆文化へと熱狂的に向かわせているのである。というのも、消費文化は、子どもたちが挫折感を慰めるための魅力的な手段を提供してくれるからである。[ibid., p. 135]

 ……以上のように、カール・ナイチンゲールの理論は、アンダークラスの問題をたんなる排除の結果と考える人々を批判するものである。……さらにナイチンゲールの主張は、スラムを異質な価値観の集積場とみなすような理論を批判するものでもある。というのも、スラムはそのような場所であるどころか、まったくうんざりするほどアメリカ的価値観で満たされているからである。……
 これこそ、文化的包摂と社会的排除から成り立つ「過食症」社会である。その社会では、貧しい人々はみずからの不遇を埋めあわせるために、過剰なまでに主流文化への同一化をおこなう。そのことにより、かれらは、社会構造が本質的に排除的であることを、これまで以上に知るようになる。ナイチンゲールは後者のプロセスについて軽く触れただけであるが、このプロセスをさらに検討することで、私たちは議論をもっと先に進めることができる。このような排除を伴う過剰な同一化は、アンダークラスの人々にどのような反応を引き起こすのだろうか。もっとも明快な回答は、犯罪である。若者の場合には、ギャングなどの犯罪的下位文化の創出であろう。(pp. 215-21)

 過食症社会が生み出す下位文化を、ヤングは後期近代における多様性と差異を理解するための契機ととらえる。以下が下位文化に対するヤングの定義である。

 下位文化とは、既存文化を道徳的基盤として生まれてくるものであり、また、既存文化の枠組みのなかで認識された問題を解決するための方法である。……下位文化は、社会のあらゆるところに発生する。それは、広範な価値についての解釈の総体であり、解釈でどの部分が強調されるかは、年齢や階級、ジェンダーエスニシティによって異なる。それぞれの下位文化は、寄せ集め、再解釈、そして発明によって結びついている。(pp. 229-32)

 後期近代の社会は消費主義の文化に塗りつぶされつつある。このプロセスのなかでスラムの人々が主流文化に「包摂」されていく様子は、上で指摘したとおりである。フィラデルフィアの事例では、文化的包摂と経済的排除とのあいだの緊張を補償するために、スラムの人々が消費主義へといっそう同調するような文化を発達させていることも確認された。現代社会をおおう差異は、こうした下位文化と結びついたものとして理解できるとヤングは主張する。

 スラムに文化が欠如しているわけでもなければ、スラムの文化が他の文化と本質的に異質なわけでもない。そうではなく、スラムの文化は差異なのである。下位文化が特定の価値観を強調し、変化させるのは、その下位文化が社会全体の一般的文化と結びつき、それを切り貼りすることによってである。スラムの人々は、自分たちの不利な状況を埋めあわせるために、上位の一般文化にたいして過剰なほど同一化したり、あるいは過剰なほど拒絶したりする。……下位文化は、もはや後戻りできないほど主流社会と結びついてしまっているが、にもかかわらず、それは差異なのである。そこにこそ後期近代社会における多様性の意味がある。下位文化とは、重なりあい、選択、強調、そして変容の場である。さらに下位文化は、こうしたプロセスをつうじて新たな可能性を創造するとともに、他者を排除する場でもある。下位文化の成員は、こうした状況のなかで自分自身を理解する。しかし、そのときかれらは、自分たちを創造的な存在と捉えると同時に、他方では他者を本質化する。(pp. 240-1)

 消費文化への過同調とその結果としての相対的剥奪感の慢性化、そして逸脱への傾倒という悪循環は、後期近代に潜在する排除の弁証法の過程として理解することができる。また、ここでの問題は単に物質的欲望が満足させられないということにとどまるものではない。経済的な剥奪は個人が社会のなかで担うべき役割を失わせ、存在論的不安を助長する。存在論的不安の広がりが、自己と他者を本質化する下位文化の創出に拍車をかけていることは疑い得ない。

排除型社会: 後期近代における犯罪と不協和音

 この章の目的は後期近代における生活領域のさまざまな部分の変化と連動して、犯罪と犯罪被害のとらえ方が変化し、科学としての犯罪学そのものが変わっていった様子を考察することである。「犯罪学の発展を理解するには、犯罪学を、アカデミズムの外側にある実際の犯罪問題という文脈のなかに、とりわけ犯罪発生の規模や分布、その時代の政治・社会情勢のなかに位置づけなければならない」(pp. 91-2)。

 ヤングは犯罪学が直面した危機を、近代の危機としてとらえる。近代のパラダイムに対する挑戦と、そこから巻き起こる激しい論争は、犯罪と犯罪から生じる不安をめぐる議論のなかにこそ、もっとも鮮明にあらわれるためである。

 犯罪学が直面した危機は、近代の危機そのものである。社会に起こる問題の統制と調整のために法を執行すること、そして正当な社会秩序を管理するために政府が介入することは、近代という理性と進歩を追及する企てにとって2つの大きな支柱であった。……18世紀の啓蒙思想と19世紀の科学革命によって、犯罪学の主な2つのパラダイム――古典主義と実証主義――が遺産として残された。……犯罪が明確に定義され、刑事司法制度が犯罪統制において中心的な役割を担い、政府の介入によりすべての市民の社会契約が可能かと思われたが、どれも疑わしいものになった。このような変化は、当然にも犯罪学という学問の外からもたらされたものであるが、他方では、犯罪学の研究成果や知的潮流によってそのような疑問が増幅され、疑問が疑問を生むことにもなった。これと同じ経緯は、社会政策のあらゆる領域にみられるとはいえ、犯罪学にもっとも劇的に現われている。(pp. 87-8)

 新自由主義ポストモダニズムという2つの知的潮流が「歴史の終わり」を告げるために登場した。「前者は、政府の政策を効率よく遂行するために、かつての自由放任主義を復活させることを主張する。後者は、将来のポスト産業社会を想定して、そこでは啓蒙思想のなかで信じられていたものがすべて通用しなくなると主張する」(p. 88)。

 「社会主義」国家が崩壊し、政府の計画によって社会進歩を図るという〈大きな物語〉の破綻が明らかになると、新右翼は、社会計画に代わるメタ・システムとして市場原理を採択するという政治的回答を提起した。新右翼の市場哲学においては、犯罪の原因としての不公平な社会も社会的連帯の契機としての正義と公正の感覚も必要のないものである。その世界には「利益への誘惑」と「犯罪をおこなう機会」しか存在しない。そこで問題になるのは犯罪行為から引き出される利益と損失の収支の計算であり、計算の結果が黒字になればいつでも犯罪に手を染めるような利己的な行為者が想定されている。

 ポストモダニズムが犯罪学に与えた影響に関しては、1960年代のラベリング理論の登場にその萌芽を見出すことができる。ラベリング理論は「何が犯罪か」という問題について予断を許さず、リアリティの定義が複数の主観によって社会的に構築されていく過程を重視する。さらにラベリング理論は国家が悪に関する〈大きな物語〉を引き合いに出して、個人の生活に介入することを批判していた。そういう〈大きな物語〉がしばしば本質主義に陥るという誤りを犯しているだけではなく、実際に予言の自己成就的な効果をもちうるということも批判していた。


 ここからは近代主義的な犯罪学の理論に挑戦を突きつけることになった、具体的な要素について検討していく。

 人々の犯罪に対する見方を変え、刑事司法制度を再構築させた原動力は、何よりもまず犯罪発生率の上昇という現象である。犯罪発生率の上昇は近代社会を支えていた社会的実証主義の理論を打ち砕いた。西側諸国において完全雇用が実現し、生活水準は史上最高のレヴェルに達し、福利厚生も広くいきわたっていた時期(1960年〜75年)に犯罪は増加した。このため劣悪な社会的条件が犯罪を生み出す、という社会的実証主義の理論では犯罪をうまく説明することができなくなったのである。社会的実証主義を非難する右派の立場からは、犯罪の原因を社会ではなく個人に求める個人主義実証主義が登場した。それに対して左派は犯罪発生率の上昇は犯罪に対する政府とマスメディアの反応がナイーヴになり、それに応じて犯罪に対する社会的不安が広がっていることの比喩に過ぎず、実際に犯罪や逸脱が増加しているわけではないという反論を展開した。

 近代社会の支柱を支えた社会的実証主義は揺らぎ、それは次の2つの点から崩れていった。(p. 96)

  • 1つめは、社会状態が広く改善されたにもかかわらず犯罪が増加したという事実によって、最下層の人々、……から犯罪が起こるという社会的実証主義の説明が、もはや通用しなくなったことことである。
  • 2つめは、犯罪発生率の数値そのものの意味が問われるようになったことである。かつての犯罪発生率は明確な一定の数値であり、政府が不十分ながらも立ち向かわなければならない数値であった。しかし、今日の犯罪発生率は明白に確定された数値ではないし、しかもその数値は刑事司法制度を支配する人々の既得権益を守ろうとする行為によって、あるいは大衆の「ヒステリー」によって上昇するとみなされるようになった。

 近代主義のもう1つの柱であった古典主義のほうも、犯罪の増加によって脅かされている。犯罪が増加している西側世界のどの政府も、犯罪を統制するために膨大な資金を刑事司法制度へ投入した。それにもかかわらず犯罪発生率の上昇は止まることを知らず、刑事司法制度の能力が犯罪の増加に追いつかなかったことは明白な事実となった。こうして犯罪学者の多くは刑事司法制度を犯罪に取り組むための唯一の城塞と見なす立場を離れ、市民社会のさまざまな制度の働きにもとづくインフォーマルな犯罪統制のシステムへと、かれらの関心を移していくことになった。

 1960年代にアメリカでおこなわれた犯罪被害調査により、犯罪にはかなりの「暗数」があることが実際に示されることになった。この調査では実際に起きた犯罪のうち、その1/3程度しか警察に通報されないことが明らかにされている。こうした暗数の存在は人々が犯罪被害に遭う危険性が(実際の報告以上に)広域的に広がっていることを示す1つのバロメータであるが、犯罪の種類により暗数が異なるという事実が、犯罪学の伝統を揺さぶる一因となっている。一般的に窃盗に比べて暴力犯罪や性犯罪は、警察や犯罪被害調査において申告される割合が低い。さらに暗数は被害者の種類によっても異なり、被害者が社会的弱者である場合や、犯罪が私的な領域で発生する場合、その犯罪は表に出にくいものとなる。

 このように犯罪には「表に出た犯罪」「表に出ない犯罪」があることを踏まえると、犯罪学の従来のパラダイムはその有効性をことごとく失ってしまう。

 犯罪はこれまで信じられていた以上に頻繁に発生している。加えて、私たちがもっとも凶悪な犯罪とみなしている暴力犯罪と性犯罪では、統計において発生率がとりわけ少なく見積もられており、実際には私的で親密な関係で数多く発生していることが見すごされている。(p. 100)

犯罪の発生が社会の「常態」で、どこでも起こりうるものであるならば、その原因を特定の社会集団や下層階級にのみ帰することは難しくなる。こうして、犯罪の発生に対して社会的実証主義の理論がもっていた説明力は大幅に低下する。さらに、私的利益を追求する個人の行為が公共化される場として家族という単位を想定していた新古典主義の立場も疑問を付されることになる。新古典主義では、個人の利益を脅かす存在は家族の外部からやってくると考えられていた(だからこそ犯罪者は「よそ者」と見なされる)。しかし、ドメスティック・バイオレンスやレイプ、殺人、児童虐待が(家族を含む)親密な領域で生じるという事実が明らかになるにつれ、そのような近代主義の確信は覚束ないものになっていった。

 犯罪学の外部から、「表に出ない犯罪」の存在を告発し、犯罪に対するわれわれの認識に大きな修正を迫ることになった運動が、フェミニズム研究の発展である。1960年代以降のラディカル・フェミニズムは、家父長制家族において女性を支配するための行為の中心に女性への暴力があるとして問題にした。こうしたフェミニズム研究の分析により、これまでに表に出ることがなかった暴力犯罪における女性の被害者の存在が、次第に明らかになっていったのである。

 暗数や「見えない被害者」の問題と関連しつつも、いっそう厄介な問題へと私たちを巻き込んでいるのが、犯罪学の内外から生じつつある「犯罪とはなにか」という定義をめぐる疑問の提起である。近代主義においては、犯罪は家宅侵入や暴行、車の窃盗のような誤認しようのない客観的な事実として存在していた。ところがラベリング理論が発達した1960年代以降は、犯罪に対するこのような正統的解釈にとって重要なオルタナティヴが突きつけられることになった。ラベリング論者にとって犯罪とは客観的な事実ではなく、社会的に構築されたものである。「逸脱は行為そのものに内在するものではなく、人々の価値判断によって行為に付与される性質である」(p. 103)。殺人やモルヒネの投与が合法的な行為と見なされるか、それとも暴力的な犯罪と見なされるかは、誰がどのような文脈でそれらの行為をおこなったか次第で変わりうる。犯罪と犯罪でないものとのあいだに明確な線を引くことは難しく、あらゆる行為は人々に容認される行為から犯罪と見なされる行為までの1つの連続体のなかのどこかに位置づけられることになる。したがってラベリング理論の立場に立つ場合、犯罪の増加という現象は2つの側面をもつことが分かる。第一に、暴力と見なされる行為は増加したのかどうか、という問題がある。そして第二に暴力に対する人々の寛容度がどう変化したか、ということも問題にされなければならない。

 ますます力を増しつつある圧力団体の運動によって犯罪や逸脱の定義が見直され、新しい社会問題が提出されていったことを踏まえるならば、犯罪の性質や規模、さらには実存性までもが激しい論争の対象になっていったことは、とくに驚くことではないかもしれない。一例としてレイプを取り上げてみたい。かつてであれば、他者による「明白」な暴力をともなう性交が実際にどのくらいあるのかということが、最大の懸案事項であった。現在はフェミニストの努力により、夫婦間のレイプやデート・レイプが広く起こっていることが「発見」され、性的関係における強制と同意の線引きの問題へと、議論の中心が移っている。こうした議論では、あらゆる異性関係はレイプという点において1つの連続体をなすようになり、レイプとそうでない行為とのあいだに本質的な区別を設けることは、かつてほど簡単ではなくなっている。犯罪とそうでないものとが連続しているという考え方は、レイプ以外にも適用することができる。実際、児童虐待ドメスティック・バイオレンスなどの領域において、これと類似した論争が起きているものと考えられる。

 犯罪が風土病のように社会に広がっていることは、ここまでに何度も指摘している。このような遍在性をもつ犯罪が、実証主義において社会の底辺に位置する集団と結び付けて論じられてきたという事実は、司法制度による犯罪の摘発に明らかな偏向性が存在することを物語っている。1970年代に入り、犯罪学の見直しがはじまり、犯罪の遍在性司法制度の偏向性が強調されるようになったが、1940年代に、すでにサザーランドが、犯罪学の前提に潜むこれらの問題性を見抜いていたことは、注目に値する。

 伝統的な犯罪学によれば、犯罪というのは階級構造の底辺に集中するものであり、とりわけ青年たちのあいだに多く起こると考えられていた。……このような教条主義的な観点を揺るがす最初の動きは、1940年のエドウィン・サザーランドの著作『ホワイトカラーの犯罪』に始まった。彼はそこで次のように書いている。(pp. 108-9)

 一般に、犯罪行動の原因は貧困にある、あるいは貧困にともなう精神疾患や社会的不適応にあると考えられてきた。しかし現在では、そのような理論をもって現実を説明することはできなくなった…そのような理論は、下層階級に偏ったサンプルが一般化されたものであり、そこではホワイトカラーによる犯罪の方は完全に無視されている。というのも、これまで犯罪学者たちは、とりたてて信念もないまま、ただ便利であることと、下層階級の人々が無知であるという理由だけで、刑事裁判所と少年裁判所からしかデータを入手しようとしなかったからである。しかし、そのような機関はおもに低所得層の犯罪者しか扱っておらず、そのため、犯罪学者たちが使用したデータは、犯罪者の経済状況に関してきわめて偏ったものであった。したがって、犯罪学者たちがそのデータを一般化して「犯罪は貧困と密接に関係する」と主張したところで、それを正しいとみなす理由はどこにもない。[1940, p. 10]

 犯罪がありふれたことであることと、犯罪の定義が恣意的であることに関するサザーランドの理解が犯罪学に根付いたのは、ようやく70年代に入ってからである。その背後には、非行問題についてさまざまな当事者からの報告が相次いだことと、権力者が関与した犯罪の摘発が増加したこととという2つの事情が関係している。いずれにせよ犯罪に対する人々の考え方が修正されたことにより、犯罪の因果関係をめぐる実証主義的な観点や、「法の前の平等」を主張する新古典主義の思想は、根本から問い直されることとなった。犯罪学が「存在論的なリアリティを失う」ことは、もはや不可避であるかのように思われる。

 犯罪の増加は最終的には、犯罪捜査と処罰をめぐる問題を引き起こす。限られた資金のなかで効率的に捜査をおこない逮捕者を挙げるために、容疑者ひとりひとりに対する個別の司法判断はきわめて杜撰なものになっていく。警察は手っ取り早く犯罪者を絞り込むために、特定の個人ではなく、そもそも犯罪を起こしていそうな集団の成員に職務質問の対象を限定するようになった。犯罪が発生したときに検挙されるのは「いつもの奴ら」ではなく、「いつものカテゴリの奴ら」というわけである。同じような「選抜」は、どのような犯罪者を刑務所に送り込むかという段階にもあらわれる。増加する犯罪者に対して、かれらを収監しておくスペースが足りないために、何らかの方法で刑務所に入れられる人間を絞り込まざるを得ないためである。凶悪な常習犯をそれほど厄介ではない犯罪者から区別することはもちろんおこなわれているが、判決の結果が司法との交渉の得手不得手や政治家や官僚からの圧力に左右されることもしばしばである。そこでは、刑罰の秩序は失われ、刑罰の重さは犯罪そのものとはまったく関係のないものに変質している。


 以上のような状況のもとで、犯罪の発生を理解し、それに対処するためのアプローチは決定的な転換を迎えることになる。もはや犯罪に関して分かりやすい動機や典型的な発生条件といったものは存在せず、犯罪者の更生や社会への再統合はまったく関心を寄せられなくなる。近代主義的な犯罪学のパラダイムは崩れ去り、新しい犯罪学へと理論的な移行を辿ることになった。政策犯罪学保険統計主義の誕生である。

 犯罪がどこにでも起こるもので「正常な」現象とみなされるようになると、犯罪の原因を探ろうとする研究にはあまり関心がよせられなくなった。新たに登場した政策犯罪学は、個人の資質から犯罪を説明する理論を公然と批判し、それとは反対に、犯罪はそもそも普遍的な状態であって、不完全な存在である人間がたまたま誤って行為した結果であると主張する[Young, 1995]。そして、犯罪を減らすために、人々に犯罪を起こす機会を与えないような障壁を設け、犯罪のリスクと被害を最小にするような予防政策を提唱する。このような観点からすれば、リスク計算に特化した保険統計的アプローチが、個人の罪状や動機に注目するアプローチよりも、はるかに適合的となる[Feeley and Simon, 1992, 1994; van Swaaningen, 1997]。……政策犯罪学は、加害者の責任という問題にも、犯罪の原因や犯罪への対処、犯罪者の更生といった問題にも、まったく関心をもたない。その関心は、犯罪が起こった後の問題ではなく、もっぱら犯罪が起こる前の問題に向けられる。すなわち、犯罪者の収監や更生は問題にせず、犯罪の抑止だけを問題にする。このような理論は、有罪判決を下された犯罪者を取りこみ、ふたたびかれらを社会に統合しようとする包摂主義的な思想とは、まったく無縁である。むしろ、それは排除主義的な理論であるといっていい。……その関心は犯罪それ自体ではなく、ひたすら犯罪の可能性に向けられ、違法であるかどうかを問わずあらゆる反社会的行為を対象とする。それは精神疾患や反抗的態度など、制度のスムーズな運営を邪魔すると思われるすべての要素を監視する。政策犯罪学は、社会の改革ではなく、社会の管理に関わるものである。犯罪を完全になくすことは最初から考えておらず(それは不可能なことだと考えている)、ただリスクを最小にすることだけを考えること、それこそが政策犯罪学の「リアリズム」である。(pp. 118-9)


 ここまで、犯罪の増加により、犯罪に対する人々の認識が変わり、犯罪学の理論も変化したことを確認してきた。したがって、次に取り上げるべきは、犯罪の増加は何によってもたらされたのか?さらに、犯罪の増加は人々の生活にどんな影響をもたらしたのか?という問題である。これらの問題に対して、すでに1章においてかなりの解答が与えられている。すなわちフォーディズムの揺らぎによる相対的剥奪感の高まりと個人主義の台頭が犯罪増加の直接的な原因となった。以下では、このような過程に影響した要因のうち経済の変化のみに帰することができない要素について考察していく。

 まずは市民権に対する要求の高まり相対的剥奪感の上昇に与えた影響について検討する。20世紀後半の1/3の時期には、労働者階級や女性、黒人、若者といったこれまで従属的な地位に追いやられていた人々によって、完全な市民権の獲得を求める活発な運動が繰り広げられた。その結果、これまでにないほど異質な人々が労働市場に統合され、人々が互いに比較しあう現実的な基盤が出来上がっていった。相対的剥奪は、このような状況から生み出される。

 機会と平等にたいする人々の期待が高まった結果、1960年代になると自由と革命が合言葉となった。……このような流れから、完全雇用と目を瞠るほどの高い生活水準が達成されたわけであるが、それでも時代の雰囲気は不満にあふれていた。そこにあったのは、誰もが平等になるとそれまで以上に小さな差異が気になるようになるという平等のパラドックスである。相対的剥奪感は、富が増大しても消えなかったし、市民権が幅広く獲得されても和らぐことがなかった。それどころか、富の増大や市民権の獲得によって、剥奪感はいっそう激しくなった。(p. 124)

 生活水準が向上した1960年代の後半に犯罪発生率が上昇したという事実は、絶対的欠乏を犯罪の原因とするような単純な欠乏理論によっては、もはや犯罪の発生が適切に説明されえないことを雄弁に物語っている。問題とすべきは、他者との比較から生まれる相対的欠乏と、それが生み出す不満である。こうした不満を「社会的に解決する手段がなければ、そこから犯罪が起こりかねない」(p. 137)。これこそが、市民権の要求と剥奪感との関係をめぐり、後期近代で生起している事態である。確かに、物質的な欠乏がある程度、解消されたとはいえるかもしれない。けれども、人々のあいだに依然として大きな格差が残されているというのも、まぎれもない事実である。自分よりも、明らかに恵まれた暮らし向きの人がいるのはなぜか。能力と見合わないような法外な報酬を得ている人がいるのはなぜか。「そこにはたんに人々が成功者と自分を比較するという静的な要素だけではなく、人々の願望がどんどん高まるという動的な要素が含まれている。……人々は自分が平等以下の扱いを受けていると思っているだけではなく、その平等の水準に満足せず、平等の水準をどんどん高めていっているのである」(p. 137)。

 相対的剥奪は確かに犯罪増加の重要な引き金となっているが、それが現象のすべてではない。もっとも致命的な結果は相対的剥奪個人主義と結びついたときにもたらされる。個人主義は部分的にはフォーディズムの凋落によって促されたが、2章でヤングはエリック・ホブズボームの『極端な時代』を引きつつ、文化的革命が演じた役割を強調する。

 ホブズボームの著作でも、時代が決定的に変わったのは個人主義が高まったためであるとされている。

 したがって、20世紀後半の文化的革命は、社会にたいする個人の勝利と考えることができる。いや、むしろこう言うべきなのだろう。すなわち、文化的革命は、かつて人間存在が社会という織物に編みこまれていた糸を断ち切ってしまった、と」。[1994, p. 334]

 個人主義こそ、都市の貧困層の不満を掻き立て、かれらの居場所を互いに闘争しあう「ホッブズ的無法地帯」にしたものであり、「社会的なつながりもなく、たんに隣りあって暮らすだけの人々からなる宇宙」[ibid., p. 341]を作りだしたものである。(pp. 125-6)

 コミュニティや家族といった前資本主義的な条件が蝕まれたことで、さまざまな社会問題が勃発した。このような見方は、お決まりのノスタルジーを呼び覚ます。すなわち地域や家族、職場に根付いたコミュニティを再建し、個人主義が駆逐してしまった集団的価値を取り戻し、バラバラになった社会をもう一度つくりなおそうという回顧主義の合唱である。しかしながらヤングは、このような見方が後期近代の時代診断としても、そこで起きている問題への処方箋としても、完全に誤りであると喝破する。

 逸脱や犯罪を統制する家族や地域社会の機能が老朽化したことで犯罪が多発するようになったという主張は、なぜ個人が犯罪に手を染めるようになるのかという動機の側面を完全に無視している。同時に、犯罪への動機を生み出す要因として社会構造自体が重要な意味を持ちうるという可能性を見落としてしまっている。さらに、よしんば社会に犯罪を統制する機能があったとしても、そのような機能を修復することが犯罪の抑制につながるという期待は、とてももてそうにない。というのも、こうした理論では社会や環境に対して個人がどういう態度をとるか、ということを度外視しているためである。個人は環境の規制に盲目的に従う自動人形ではない。実際、伝統的なコミュニティに服従し、それらに敬意を払うような態度はますます見られなくなってきているが(そして、これこそが個人主義の発現であるのだが)、これは家族の機能不全や社会化の不徹底がもたらした流れではない。20世紀のもっとも重要な社会変化の1つである伝統的紐帯の衰退を帰結したのは、反権威主義の高まりによる個人の自立に対する要求の増大である。

 多数の社会成員に共有された集団的価値が失われたことで犯罪が増加したという主張も、無条件で支持することはできない。後期近代で起きていることは、道徳的価値の衰退ではなく、その多様化である。犯罪に対する人々の態度を決定する絶対的な価値基準が通用しなくなったことは疑いえない。しかし、このことは価値に対する人々の関心が低下したことを意味しない。犯罪の定義をめぐり、いままさに人々のあいだで激しい論争が展開されていることは、すでに言及したとおりである。価値の多様化は、犯罪の増加と密接な関係をもつ。しかしその因果関係については慎重になるべきである。凶悪な暴力犯罪の発生率の上昇は、暴力に対する人々の寛容度が長期的に低下してきたことを反映しているが、寛容性の低下と併走している潮流は価値の頽廃ではなく、これまで見過ごされてきた暴力や不道徳的行為に対する人々の気づきととらえなければならない。「私たちが目の当たりにしているのは野蛮に向かう絶望的な過程ではなく、さらなる文明化への過程」(p. 142)なのである。

 したがって個人主義が犯罪の増加に与えた影響は、コミュニティの衰退や道徳性の低下といった観点から論じられるようなものではない。より本質的なのは、個人主義が価値観の多様化と自己実現欲求の高まりにもたらした帰結である。このうち後者については、物質的な欠乏から生じる相対的剥奪感が、ときとして個人を犯罪に走らせるのと同じように、個人主義のもとで自己実現の追及が称美される一方で、形式的な個人が実質的な個人になるための具体的な手段が何ら用意されないのであれば、それは犯罪や逸脱の原因となる。対して、前者については、個人主義がもたらす価値の多元化を一概に反社会的過程として断罪するのは難しいように思える。実際、個人主義には両面価値性があり、それが否定的な側面と同時に肯定的な側面も備えているという点については、注釈を据えておくべきだろう。

 自己実現の欲求は、もちろん冷酷に自己の利益を追求するような態度を生み出すこともある。しかし他方で、それは不当に扱われることに抵抗する態度を生み出すこともある。ますます高まる自己実現の欲求も、他者を犠牲にする態度につながることもあるが、他方では誰にとっても自己実現が可能となるような世界への要求につながることもある。個人のアイデンティティにすがりつく態度は、最悪の場合は目的のためには暴力をも辞さないという態度を生みだすが、他方では個人に対する暴力を憎む態度も生みだす。要するに、個人主義は二面性をもっている。その暗い側面からは犯罪と悪事が生まれ、明るい面からは新しい社会運動の主体や、環境問題に対する新しい感受性、さらに暴力を許さない態度が生まれる。(p. 144)

 社会に広く蔓延し風土病的特徴をもつようになった犯罪が、社会にもたらす帰結についても簡単に触れておく。かつて資本主義が高度な秩序を必要としたのは、「たんに完全雇用とフォード式大量生産を達成するためにそれが必要だったからである」(p. 131)。右派が主張するところによれば、ネオリベラル化した市場経済において、資本にとって周辺にいる人々に秩序を守らせる理由は、もはや存在しない。

 今日のアンダークラスの人々は社会から必要とされなくなり、かれらの労働力も不要となった。かれらに時間を厳しく守らせることも、かれらを訓練する必要もなくなった。かれらの消費欲求は相変わらず重要であるが、それも容易にコントロールできるものである。これまでアンダークラスのコミュニティで起こった病理現象(ロサンゼルスの暴動など)は政治家の頭痛の種であったが、その影響もいまや無視できるものになった。そのような現象はメディアのお祭り騒ぎにすぎず、資本とはなんの関係もなくなっている。アンダークラスの人々は、自分たちの住む地域を、自分たちの手で破壊しているだけである。……――これが、ジェームズ・Q・ウィルソンをはじめとする右派の指導的理論家たちの考え方である。(p. 132)

 こうした立場に与するかどうかは別にして、経済活動から排除された人たちの犯罪が、経済の活力にとって何ら脅威とならないことを示す証拠は確かに存在する。「ニューヨークは、世界資本主義の主導的な金融センターでありながら、その犯罪発生率は第三世界並みになった」(p. 132)。こうした社会的排除の進行と犯罪の増加が経済システムに微々たる影響しか与えないときでも、市民社会で暮らす人々の生活の質は深刻な影響を被ることがある。1章で指摘したように、犯罪の増加と不道徳な方法による報酬の獲得を眼前にして、暴力に対する人々の寛容性は低下し、厳罰主義とセキュリティへの関心は高まる一方である。現在では、多くの人々が法と秩序に守られた安全な生活環境を切望している。これは皮肉としか言いようがない。「システムにとって法と秩序が必要なくなったまさにそのとき、人々は法と秩序を求めるようになった」(p. 134)。後期近代においては、犯罪とその統制に対して経済システムと市民社会との態度がかい離するという、ちぐはぐな状況があらわれはじめている。

排除型社会: 包摂型社会から排除型社会へ

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

  • 作者: ジョックヤング,Jock Young,青木秀男,伊藤泰郎,岸政彦,村澤真保呂
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 この章の課題は以下の3点に要約できる。

  • 第二次世界大戦後の黄金期(1945年〜1960年代前半)から1960年代の後半にかけて先進産業諸国起きた変化、すなわち近代から後期近代への移行を跡付けること。
  • フォーディズムからポストフォーディズムへ」の変化を中心に、社会変化が起きた理由を探ること。
  • こうした変化の各国に個別的な状況について手がかりを得るために、ヨーロッパとアメリカを事例として取り上げ比較をおこなうこと。

 こうした考察をすすめるための準備として、まずは後期近代=排除型社会の対比物である近代=包摂型社会がもつ特徴について明らかにする。

 包摂型社会では低い離婚率と低い失業率とが男女の役割分業と物質的な豊かさの継続的な増大の基盤を形づくる。このような前提のもとで、戦後の黄金期には労働と家族という2つの社会領域がたがいに支え合いうまく機能し合う社会が成立する。包摂や豊かさ、社会への同調によって特徴づけられる社会において、若者が非行や犯罪に走るという事態は起こりそうにない。社会に反抗しようと思っても、とくにその理由が見つからないためである。

 ガルブレイスは『豊かな社会』[1962]を揶揄していた。ヴァンス・パッカードは『地位を求める人々』[1960]を風刺していた。リースマンは「他人志向のアメリカ人」を批判していた[1950]。ウィリアム・ホワイトは、郊外で暮らす『組織のなかの人間』[1960]やその妻、家族の慎ましい生活ぶりを描いていた。最後に、ベティ・フリーダン[1960]は、学校やガールスカウトへわが子を送り迎えしながら、「人生って、たったこれだけのこと?」と自問していた。

 戦後の黄金期に登場したのは、労働と家族という2つの領域に価値の中心が置かれ、多数者への同調が重視される社会であった。そのような社会が包摂型社会である。すなわちそれは、幅広い層の人々(下層労働者や女性、若者)を取り込み、移民を単一文化に組み込もうとする、ひとつにまとまった世界であった。またそれは、近代主義の社会計画がすぐにでも実現するかに思われた世界であった。(p. 22)

 このような特徴をもつ社会では、逸脱する他者が一方的に排除の対象になることはない。近代主義の視線に曝された他者は、近代主義にとって好ましい属性を欠いているだけの存在で、忌み嫌うべき「外部の敵」などではない。かれらが社会化・更生・治療の結果、「われわれ」と同じ性質をもつようになったあかつきには、問題なく社会の一員として迎え入れられることになる。

 包摂型社会において、〈逸脱する他者〉とは、次のような人々のことである。(pp. 27-8)

  • マイノリティの人々。
  • 異質で、しかもその異質さが見た目にはっきり分かるような人々。
  • 絶対的で議論の余地がない、明確な価値観をもたない人々。実際、自分の価値観を疑うということは、まだその人が成熟しておらず、感受性もはぐくまれていないことの証しとみなされる。
  • 「われわれ」に脅威を与えるというよりも、「われわれ」の存在を支える役割を果たす人々。私たちは、同じ価値観をもたない人々の不安定な姿をみることによって、自分たちの価値観の正しさを確信する。
  • 同化や包摂の処置を必要とする人々。この場合、刑罰と治療のための言説は、他者を統合するための言説である。犯罪者は「社会に借りを返し」て、社会に復帰しなければならない。麻薬常習者は、治療を受けなければならない。道を踏みはずした10代の若者は、暖かく迎えてくれる社会への適応方法が叩きこまれなくてはならない。
  • 他者を締め出す障壁の前で立ちすくむ人々。ただしその障壁には透過性がある。近代主義者は、文化的手段を通じて社会化されていない人々を社会化していく。

 包摂型社会を支える生産/消費様式の特徴は、フォーディズムに集約される。フォーディズムが前提とする社会について、ヤングは次のように記述している。

 標準化された製品が大量に生産され、男性の完全雇用がほぼ達成され、製造業部門が膨張し、巨大な官僚制ヒエラルキーが出現し、正規雇用市場において仕事の将来性が約束され、定型的な出世コースが確立され、仕事の部署が明確に区分され、国家がコーポラティズム*1を推し進め、画一化した消費財が大量に消費されるような社会である。そこでは、労働世界と、余暇と家族の領域が表裏一体の関係にあった。……家庭に画一化された商品がどんどん入り込み、それらの商品が個人の成功度を測る指標となり、経済の安定的な拡大を示す証拠になった。(pp. 30-1)

 以上が包摂型社会の定義とそこにおける犯罪者・逸脱者への人々の眼差し、さらにはそうした社会を支える生産様式の大枠である。これらの条件が揺らぐことで近代から後期近代への移行が生じ、包摂型社会は排除型社会へと変貌を遂げる。「すなわち、同化と結合を基調とする社会から、分離と排除を基調とする社会への移行である」(p. 30)。


 排除型社会においては既存の労働秩序が崩壊する過程(労働市場の変容)とコミュニティが解体される過程(個人主義の台頭)という2つの過程を経て、それぞれの過程に特有のあり方をともないつつ排除が進行していく。こうした変化を引き起こした根本的な原因としてヤングが指摘するのは、フォーディズムからポストフォーディズムへの移行という市場における諸関係の変化である。

 まず、既存の労働秩序がポストフォーディズムから受けた影響から検討する。

 ポストフォーディズム市場経済で生じる分かりやすい形態の排除は、労働市場からの排除あるいは働き方の不安定化とでも呼ぶべき過程である。経済活動のダウンサイジングにより正規雇用市場が縮小したことで、構造的な失業状態に置かれたアンダークラスが出現した。ある試算によれば終身雇用の安定職に就く人々はすでに人口の40%まで縮小しており、残る半数以上の人々は不安定な非正規雇用の仕事に就くか、最低賃金の仕事で飢えを凌ぐかしかない状況に追い詰められているという。

 もっともポストフォーディズムの状況下では、正規雇用の仕事をもつ人々の生活も以前ほど将来にわたる安定性を約束されたものではなくなっている。経済活動のダウンサイジングは製造業における「リーン生産」*2化を余儀なくし、その結果、労働の単純作業化と雇用の柔軟化がすすんだ。製造業に代わり産業の中心に位置するようになったサーヴィス産業においても、事態は楽観的ではない。銀行業や通信業、保険業などではコンピュータ・ソフトの導入による「業務の効率化」がすすみ、企業における下級管理職やホワイトカラー層のポストが減少した。ポストフォーディズムへの移行を経験した社会では、「安全圏にいると思っていた人々も、不安定性の感覚に悩まされる」(p. 33)ことが珍しいことではなくなっているのである。

 労働市場から排除された人々と、労働市場に参入していながらも安定性の保証を欠く人々という分断状況は、各々のカテゴリに属する人たちに“二者二様”の剥奪感をもたらす。そして剥奪感の先にあるものは一方では犯罪の増加であり、もう一方では犯罪に対する厳罰主義の隆盛である。

排除が誘因となる剥奪感
労働市場から排除される一方で、消費者としての欲望は常に刺激される状況は、人々に強い相対的剥奪感を植え付ける。経済的な市民権と社会的な市民権の双方をはぎ取られた人々が、労働市場にいる人々と自己とを比較することで、相対的剥奪感を抱くようになるという過程に不思議な部分は何もない。市場に包摂されている人々と同様の期待をもちながらそれを実現する手段はもち得ないという悪夢を解消するために、かれらがとる最後の方法が犯罪行為である。
包摂が誘因となる剥奪感
労働者として市場に受け入れられている人々もまた、排除された人々とはちがった種類の剥奪感をもっている。かたちの上では労働市場に包摂されてはいるもののたえず不安定な状態にとどめ置かれているかれらは、自分よりも劣る人間が自分よりも苦労の少ない生活をしている様子を目にすることで欲求不満を覚えるようになる。さらにそうした人々の「報酬が不道徳な方法で得られていて、他方で立派な市民が犯罪の被害にあっている」(p. 36)と感じられるとき、かれらの剥奪感はいっそう掻き立てられる。不安定な中間層が抱くこうした剥奪感は、法を犯すものに対する厳罰化の要求として表出する。

 「下向きの視線」により剥奪感が生じるという後者の過程は、後期近代に特有の現象かもしれない。とはいえ、排除型社会に生きる労働者が「上向きの視線」が引き起こす剥奪感と無縁だというわけではもちろんない。このような社会において中間層が感じている苦々しい思いを、ヤングは次のように表現する。

 かれらは、底辺には自分たちにたかり漁る連中がいて、頂点にはいかがわしい連中、すなわち、信じられない額のボーナスや報酬を得ている経営者や実業家がいると思っている。かれらは、底辺の人々を、競争もしないで、ただの施し物を浪費するだけの連中とみなし、特権階級の人々を、「勝者が独り占め」の不公正文化の主役、すなわち評価や能力の裏づけもなしに報酬がバラまかれるような文化から恩恵を得ている連中とみなしている。これこそが「不満のレシピ」というものである!(p. 36)

 続いて、ポストフォーディズムがコミュニティの解体に与えた影響について検討する。労働市場の変容がポストフォーディズムによる生産様式の変化に由来するものであるとすれば、コミュニティの解体は消費空間の変化としてとらえることができる。フォーディズムからポストフォーディズムへの転換により、大規模な計画にもとづいて生産された商品を画一的に消費するようなモデルは有効性を失った。代わってあらわれたのは、あらゆる可能性が陳列された巨大な百貨店であり、そうした商業空間において個人は多様な選択肢の中から刹那的な満足と快楽を得るための商品を自由に選び取ることができるようになった。個人主義化した消費社会において自己実現アイデンティティの構築を目指してふるまう人々の行動は、多様なライフスタイルと下位文化を生み落していった。

 流行という札の付いた習慣、外観、感覚が売りに出されたバザールを前にして、果てなき自己表現を追い求める個人は、自発的にこの新たな個人主義へと傾倒していく(「選択することはいいことであり、自由には無限の可能性があり、伝統には価値がない」(p. 41))。ここにおいて自己表現への期待は青天井となり、物的世界における満たされない欲求と並び、後期近代において相対的剥奪感を生み出す源泉の1つとなる。しかし、ここでより重要なのは、こうした個人主義が最終的に行き着く先に私的におこなわれる他者の排除があるという点である。

 消費者の好みは一致しなくなり、ライフスタイルはたえず変化し、多種多様化していく。そのようにして人間の創造性が解放されると、自由と進歩への可能性が生まれる反面、そこで生じるさまざまな意図が互いに衝突し妨害しあうという事態が生じる。下位文化も互いに対立するようになり、多様性が多様性を妨げるようになる。……こうした対立が犯罪を引き起こすこともあるが、より一般的には、他者の行為を制限する風潮が広まるようになる。(p. 43)

 具体的な例としてヤングはストリート・ギャングによる他者の攻撃と、家庭内で女性に対する暴力が生まれる過程を指摘している。

ストリート・ギャングによる他者排撃
製造業のダウンサイジングのあおりをもっとも受けたのは沈滞した工業地帯の工場で働いていた若い男性の不熟練労働者だった。労働市場から締め出されたかれらは仲間からの尊敬を得るために、かれらがもつ唯一の資源である体力を元手に、「男らしさ」に価値を置く下位文化を創造するようになる。ストリート・ギャングの結成はそうした下位文化の具体的な発現形態の1つである。こうしたストリート・ギャングは従来の支配層のもつ文化に反抗的な態度を示していくが、同時にかれらは(自分たちと同じ)弱い立場にある他者をも攻撃の標的に定めるようになる。これは身体的な頑丈さや強さを最大の美徳とするような価値観を中核に、かれらが自分たちの下位文化をつくり上げていることと密接に関係している。こうして、「かれらは女性差別主義者であり、人種差別主義者であり、露骨なインテリ嫌いになっていくのである」(pp. 44-5)。このような他者の攻撃や追放にもとづく排他的・排除的なやり方による自己アイデンティティの形成の結果、今度は自分たちが他者から排除され追放される側に回ることになる。ここで注意が必要なのは、ストリート・ギャングに身をゆだねる若い男性自身が、もともと社会的排除の犠牲者(正規雇用の仕事が減少した結果、生まれた構造的な失業者)だったという点にある。すなわち、すでに排除されているものが暴力や犯罪に手を染めることで社会的なスティグマを背負い込むようになり、問題がどんどん悪化していくという過程がここでは進行している。「そこにあるのは、逸脱者がますます逸脱の度合いを高め、周縁化されていく排除の弁証法とも呼ぶべき過程である」(p. 45)。
家庭内における暴力の頻発
戦後最大の構造的変化は、女性が労働市場やレジャー、政治、芸術といった広範な領域に公的に参加するようになったことである。その一方で、家庭や職場における男女間の平等が実現したとはいえないのも事実である。そこにはいまだ深刻な男女間の対立の根が潜んでいる。現代社会をとらえるうえで重要度が高いのは、平等を求める女性の期待が男性支配を脅かすことで対立が激化するような状況である。もはや家父長制的支配が素直に受け入れられる時代ではなくなり、これまで家庭内で女性を差別したり周縁的な地位に追いやったりしていた男性の権力は、急速に正当性を失っている。しかし男性による支配が抵抗にあい、その正当性が崩れつつあるからこそ、暴力が頻発する。女性に対するドメスティック・バイオレンスが全暴力事件の40%にも及ぶという報告があるほど(ジェーン・ムーニー[1996])、平等を求める個人とそれを阻もうとする個人との対立から生まれる暴力が家庭内に吹き荒れているのである。

 経済的な不安定と過激な個人主義、さらに交通手段の発達による空間的・物理的距離の短縮、マスメディアの働きによる多様な社会の情報の流入、移民の増加により、個人をいっそう不安にさせる社会状況が出現した。多元主義的な社会の誕生である。

 それは、選択可能性が高まったこと(消費の機会と雇用の柔軟化への要求が増大したことによる)、信念や確実性がつねに疑われるようになったこと、自己反省が強まったこと、はっきりした人生コースが消失したこと、社会の多元化がさまざまな信念のあいだに葛藤を引き起こすようになったこと、などである。このような状況から、存在論的な不安とでも呼ぶべき感覚が生まれる。そこでは、自己のアイデンティティが一貫した人生に根ざしたものではなくなり、私たちの確実性の感覚に脅威やリスクが侵入することを食い止めていたはずの防壁もなくなった。正常と異常の区別も、その基準となっていた絶対的な価値観が相対主義的な価値観に包囲されることによって、もはや失われてしまった。(pp. 48-9)

 生産と消費の様式が変わり犯罪が増加した後期近代では、逸脱に対する人々の解釈の枠組みも大幅な変更を迫られている。

 近代社会において〈逸脱する他者〉というのは、広く共有された絶対的価値観とは反対の存在であり、明らかに異質なマイノリティとしてあった。共通の価値観をもたない少数者たちは、社会にとって脅威であるというよりも、むしろ少数であるがゆえに社会を統合する役割を果たす存在であった。しかし、現代の後期近代では、〈逸脱する他者〉はどこにでもいるようになった。……現代においては、異質性がはっきりと目に見えるような他者などどこにもいない。さまざまな文化も多元的であるだけでなく、境界線がかすんでぼやけ、互いに重なりあって融合している。(p. 50)

 このような状況にあっては、もはや逸脱に対して寛容な態度ではいられなくなる。逸脱を定義する絶対的な価値基準は消え去り、誰もが潜在的な逸脱者となり、安全な場所と危険な場所との境い目も曖昧になった。犯罪に対する不安から自分たちの生活を守るための(あるいは自分たちが逸脱者として排除されることを回避するための)最後の方途として、人々は自分の属する集団の価値観を妄執的に信奉し、罪のない人々を一方的に糾弾しスケープゴートに仕立て上げる傾向を強めていく。

 存在論的な不安から逃れるため、人々は安定した土台を築こうと躍起になる。そして、自分の価値観を絶対的道徳としてふたたび振りかざし、ほかの集団を道徳的な価値観が欠如していると攻撃し、美徳と悪徳を明確に区別し、柔軟な判断を止めて強引に決めつけ、混じりあい同化するよりも懲罰的で排他的な道を選ぶようになる。こうしたことが社会構造のさまざまな部分において、いくつもの形態をとって現われる。……こうしたプロセスの現われとして、ブラック・ムスリムや、移民コミュニティにおける原理主義、あるいは極右に共鳴する人々の露骨な伝統主義を挙げることができる。かれらは、極端なかたちで過去の価値観に傾倒することで、自分たちが排除されることに抵抗する。すなわち、現在の不安から逃れるために空想的なナショナリズムをでっちあげ、紋切り型の、あるいは空想上の過去のイメージを模倣する。(pp. 50-2)


 分断化され犯罪化した世界は、排除する側(「中心領域」)とされる側(「外集団」)、そしてそれらを分かつ境界線(「防疫線」)という部分から成り立っている。しかし、〈逸脱する他者〉がつくられる過程は西ヨーロッパとアメリカ合衆国とのあいだに重要な違いがある。その違いは2つの世界における市民権に対する人々の信念体系の違いに由来する。最後にこの問題について確認しておく。

機会の平等
アメリカにおける市民権の概念は社会的平等よりも形式的平等(法的・政治的な平等)に力点が置かれる。すなわち、機会の平等という理念である。このようなイデオロギーが強い排除的性質を帯びることを想像するのは、けっして難しくない。すべての人々は能力主義にもとづいて競争に参加する機会をもっているという前提に立つ以上、競争の敗者が報酬を手にすることができない原因はかれの能力不足に帰せられることになる。つまり、競争に敗れた責任は自分自身で背負うしかないのである。
包摂される権利
一方、戦後体制のもと福祉国家としてスタートしたヨーロッパの多くの国では政治的市民権と同じくらい、社会的市民権が重要なものと見なされていた。競争への参加者が自己の能力に応じて報酬を獲得するという部分はアメリカと同じだが、たとえ競争の結果、最下位になった場合でも、基礎的な暮らしを送るのに必要な財は保障される。包摂される権利を重視するタイプの社会では、競争の敗者が生まれる要因は個人の責任ではなく、システムの失敗にあると考えられている。

 極端な排除型社会であるアメリカを際立たせている仕組みが、経済的排除と地理的排除を重ねることで排除の増幅をもたらす都市設計のあり方である。

 合衆国においては経済的排除は仕方ないことと考えられているが、それは、露骨な社会的・空間的排除によって支えられている。シカゴ学派が描いた有名な「同心円地帯」*3は、経済的排除と社会的排除がぴったり一致していることの証しである。しかもこのような垂直方向の隔離は、いっそう露骨な水平方向の隔離によって強化されている。そこでは、同じくらいの豊かさのコミュニティでさえ、互いに隔離しあっている。(p. 68)

この点に関する欧米間の違いについてのヤングの見解は以下のようなものである。

 これまでアメリカが採用してきた政治的・社会的政策は、無際限の郊外化や都市からの人口流出、都心部の荒廃などを許容する類のものであった。このような政策は、ヨーロッパではほとんどみられないものである。アメリカ的な隔離政策を採用しなければ、アンダークラスの人々を限られた空間に押しこめることも起こらないし、日常的な基準が通用しないような社会環境が大規模に発生することもないだろう。ヨーロッパでは全体として、アメリカほどスケールの大きな空間的・社会的排除は、いまだ生じていない。(pp. 69-70)

*1:重要産業を国有化するのではなく、産業の大部分を私企業に任せたまま、国家がその活動を管理するという国家統制のあり方(p. 31)。

*2:「贅肉のないlean」生産とは、少品種大量生産を目的とする従来のフォード型生産体制とは異なり、多品種少量生産を効率的に実現するための新しい生産体制のことで、トヨタ自動車の生産方式をもとに90年代の欧米で提唱された(p. 33)。

*3:都市・家族・スラム等を調査したシカゴ学派のひとりバージェスが仮設した、都市における土地利用上の階層構造(p. 68)。

現代の階層社会

現代の階層社会1 格差と多様性

現代の階層社会1 格差と多様性

 編者の先生からご恵投いただきました。ありがとうございます。既刊の2、3巻と合わせて読むことで、この分野についてもう1度しっかり勉強しようと思います。

現代の階層社会2 階層と移動の構造

現代の階層社会2 階層と移動の構造

現代の階層社会3 流動化のなかの社会意識

現代の階層社会3 流動化のなかの社会意識

 SSM調査研究の成果として75年調査以後、シリーズとして刊行されているこの「SSM本」ですが、今回のシリーズは装丁がたいへん美しく、大学の書籍部でも目立っていました。2、3巻の表紙が夏らしい爽やかな色あいだったのに対して、1巻の表紙はオレンジ色を基調にした温かみを感じさせる装いとなっています。秋の訪れとともに、この本が僕のところにやってきたのかなと、すこしだけそんな気がしています。

 ともかく、2011年の社会学界を代表する刊行物になるという期待を抱きながら出版を待望していたシリーズなので、全巻・全章、時間をかけてじっくりと読み込んでいこうと思います。