心に残る大人

 私が子供の頃、いつものように義父に外に出された夜、1度だけ忘れられない事がありました。



 真冬の夜、裸足にパジャマ姿で泣きながら、母の勤めるスナックに歩いていました。



 そこへ自転車に乗ったおじさんが通りかかり、声をかけてきました。



 泣きながら母の所へ向かうと言った私を、おじさんは送ってあげると、自転車の荷台に乗せてくれました。



 そのままおじさんは、自分の家に連れていきました。



 玄関に入り、すぐ居間がありました。



 深夜だったのもあって、居間は真っ暗です。



 おじさんは家族を起こしました。



 起きてきた家族が居間に電気を付け、コタツのスイッチを入れていました。



 おじさんが家族に雑巾を持ってくるようにいいました。



 おじさんは私の足を雑巾で拭いてくれました。



 そして、家に上げてくれました。



 そしてコタツに入れてくれました。



 最初はひんやりした部屋が、段々温かくなっていきます。



 おじさんに何かを聞かれ、お話をしたと思います。



 でも、何を話ししたかは覚えてません。



 ただ覚えてるのは、そこの家の人がくれたみかんの味と、部屋とコタツの温かさです。



 30年近く経っているのに、あの夜に食べたみかんの味は覚えています。



 泣いてばかりの私におじさんや、そこの家族の人達は優しかったです。



 そして、母が勤めているお店に送って貰いました。



 店の前で、私が



 「怒られるから入れないの、ここで待ってる!」



 そういうと、おじさんがお店に入って行き、母を呼んでくれました。



 おじさんと母が何かお話をして、おじさんは帰って行きました。



 それきり、そのおじさんとは会ってないです。



 顔は全然覚えてませんが、おじさんの優しさは忘れません。



 あの頃、そういう優しさに触れさせてもらった事、感謝をしています。



 30年経ても忘れない。多分一生忘れない大人の優しさでした。。。

私の責めてきた日々

 私はずっと自分を責めてきました。



 今は責めてはいけない、責める必要がない!と思っています。



 でも心の奥底には、自分を責めている私がいます。



 どんな言葉をかけても、どんなに慰めても、責めているんです。



 私は、性的虐待をされていた事を、ブログ上で話をしたのは、最近です。



 幸いにして、そのことについて、誹謗中傷もされていません。



 軽蔑されても仕方がないと思っているので、それはありがたいと思っています。



 軽蔑・・・・・。



 私が私を軽蔑しているのかもしれません。



 私は自分が汚れていると思っています。



 汚れた私が子供を産んでしまった事、子供に申し訳なく思っています。



 私が自分が汚れていると思っているのは、親がどうのとか言う話ではありません。



 私は父からせ性的虐待を受けていて、体の異変に気がついたからです。



 私の体は、心と裏腹に反応しました。それに父が気がつき一言いいました。



 「ばか・・・・」





 大人になりその反応は、仕方がなかった事も知っています。



 でも、自分が許せないのかもしれません。



 反応をした自分の体が、許せないんですね。



 だから私は汚れていると、思ってしまう。



 優しくされたり、大切に扱われる人間ではない!と否定してしまう。



 罵倒や争いの中に、自分の身をおく事で、安心している自分がいる。




 そんな考え、馬鹿げている事も知っています。



 もしかした、悲劇のヒロインで酔っていたいのかもしれません。



 自分を自分で否定する事で、安心をしているんです。



 自分で自分を否定していれば、他人に否定されても平気だから・・・。




 どうすれば、もっと自分を大切に出来るのか、



 どうすれば、もっと自分を好きになれるのか、



 私の大きな課題です。



 これが克服できたら、私は人をもっと大切にして、もっと好きになれるような気がします。

心の不安

 私は今まで、自分が虐待をされて育ってきた事を、周りには隠してきました。



 10代の頃は、親への憎しみを踏み台にして生きて来た部分もあります。



 生きづらい毎日を、親への憎しみの変えて、親のせいにして生きてきました。



 確かにACとなった原因は、親です。



 すべてACに関しては親のせいだと思います。



 でも今少しづつ克服していて、不安に思っていることがあります。



 私は今まですべて人や親のせいにして生きてきました。虐待されて育った自分が可哀想で惨めで、自分を哀れんで生きてきました。



 今原因がわかり、ACに関しては親のせいでも、これからは自分の責任です。



 本当はすべて親のせいにしたくない自分もいます。自分も悪かったのではないかと思ってしまう自分です。



 私は何も悪くなかった。私は生きていていいんだ。私は・・・私は・・・・。



 そう思っても理解をしていても、心の中にそう思っていたい私がいます。



 親が好きだから、本当は大好きだから、そう思ってしまうのかもしれません。



 虐待で殺された子供も、親が好きなんです。



 どんなことをされても親が好きなんです。



 悲しいけど、辛かったけど、親が好きなんです。



 親に感謝をしたい、自分が生まれてきてよかった!と伝えたい、そんな自分になれたら、もっと親を許して、親を好きだと本心で言えるようになるのでしょうか?



 そんな自分になる努力をしなければいけないんですね。。。。



 私のAC克服の道のりは、まだまだ続きそうです。。。

新たな出会い

 私はある人と出会い、いろんな事に気づかせてもらいました。



 そして、2度目のアダルトチルドレンの克服開始。



 前にあるサイトで、私はブログを持っていました。



 そこで、子供の頃の話を書き始めました。



 何度かパニックになりそうになりながらも、その私に教えてくれた人がサポートをしてくれながらの作業でした。



 今までこのブログに書いてある内容を書いていました。



 時には急ぎすぎて、落ち込んでしまったり、ただフラッシュバックを起さない事だけを考えて。



 今までさらけ出せなかった自分が、ドンドンさらけ出して、心が少しづつ軽くなっていうのを感じながら、もっと軽くなりたいと急ぎすぎたのです。



 そして私は壁に当たりました。



 今まで私は人や物に依存をしていないと思っていたのですが、かなり依存している事に気がつきました。



 いつのまにか、前にやっていたブログに依存をしていたのです。



 毎日狂ったように何度も更新をして、傷の舐めあいのような人たちの励ましに酔いしれていました。



 そして、ブログだけではなく、ブログで交流している人たちにも依存をしていたのです。



 私の依存や弱っている心のせいで、そこに漬け込んできた人もいます。結果的にストーカーみたいなことがあり、閉鎖をしました。



 閉鎖後は、寂しさと悲しさでどうしていいかわかりませんでした。



 でもこれも依存だったのです。



 ACは前にも書いたように、依存をしてしまう傾向があります。



 依存だと気がつけても、中々そこから抜け出す事が出来ません。



 そこに自分という存在を作り出し、そこにしか自分を置けなくなってしまう。



 そこから離れたら、自分が無くなってしまう様な恐怖感でした。
 


 離れて1週間ぐらい経った頃から、自分の依存に気がつき、今では平気になりました。



 今は、本を読みたい、音楽を聴きたい、そんな心の余裕も見えてきています。



 心から吐き出したスペースに、新たな自分を入れたくて、でもそれは人ではなく、知識だったり自然の美しさだったり、穏やかな自分でいたい為のものです。



 最近新たな自分も見えてきました。



 本当の自分でしょうか。



 もっと自分を好きになりたい、そう思うようにもなってきました。



 自分の過去を客観視できるようになってきて、心がこんなに軽くなるんだと、感動をしています。



 まだまだ克服しなければならないこともあります。



 いろんな自分を見つめて、徐々に克服できるように進んでいきたいと思っています。



 もっと自分を好きになりたい。。。

今までの異変

 私は今回ACだと気がついて、今までの私の体の異変についても気がつきました。



 私は中学生の頃、運動をしていて心臓に痛みを感じて、病院で検査をしました。



 詳しい病名は、親が聞いたので私は良く知らないのですが、「ストレス性の不整脈」です。



 先生の話では、子供がなる病気でなく、中年の中間管理職のストレスの多い方に見られる病気らしいです。



 先生にこの時、私は



 「あんまり考え込んではいけない!むやみに薬を飲んではいけない!」



 そう言われ、母は先生に少し叱られたようです。



 18歳の時に発見したものです。



 「多発性円形脱毛症」です。



 今も頭に出来ていています。



 小さい円形脱毛が無数に出来る病気です。



 これはクセになっているようで、治してもキリがありません。



 その頃同年18歳の頃に起した過呼吸症候群です。



 この時は、心臓発作と一緒に起してしまい、義父に病院に運ばれて、気がついたときに黒いポリ袋をかぶせられていました。



 これが最後で、心臓発作は起していません。



 過呼吸もパニックと一緒に起しかけた事が何度か今年に入りありましたが、大丈夫です。



 人によりいろんな症状が出るそうです。



 幸いにして、私はずっと薬を飲むような病気を併発しないで済んでいます。



 でもこの先、何も気がつかず年を重ねて生きていたら、他にも症状は出ていたと思います。



 私は結構溜め込むタイプだったので、こういう形で体がSOSを出していたのかもしれませんね。



 心のSOSは、いずれ体にも出てくるんですね。



 今気づけた事に感謝します。。。

断念。。そして再開


 私の体の異変は・・・。



 そのサイトを見ていて、急に喉が絞まる感じがして、心臓の鼓動が早くなる。



 涙が止まらなくなり、手の震えが始まり、手足が段々冷たくなっていく・・・。



 怖くなってしまい、急いでサイトを閉じる。。。



 フラッシュバックを起して、パニックを起してしまった私。



 その後も思い出すたびに、喉が絞まっていき、心臓が苦しくなる。またあの症状が始まると思い、考えるのを止める。



 私は、勝手に克服しようとして、ちゃんとした知識もなく始めてしまったので、こういう結果になってしまった。



 これは後で知った事です。



 でもパニックの症状になるのが怖くなり、私はアダルトチルドレン克服を断念しました。



 自分の心のドアを無理に開けて、また閉じてしまったのです。。。。



 私には克服するのは無理!



 カウンセラー精神科医も信用できない!
 


 もう克服なんて馬鹿なことを考えないで、共存していこう!



 そう思いました。



 それから数ヵ月後、ある方との出会いがありました。



 その方は、私と同じアダルトチルドレンです。



 そして克服をされていて、克服の仕方を教えてくれました。



 なぜか私はその人を信用してみようと思いました。



 前から私のサイトに訪問してくれていた方です。



 この人には、私のすべてを見透かされているような気がしていました。



 詳しい話をしていない、対して交流もなかったこの方を、私は信用したのです。



 それが、私の2度目のアダルトチルドレンの克服の始まりでした。。。

私ってアダルトチルドレン?

 私がアダルトチルドレンと言う言葉を知ったのは、今から3年くらい前です。



 今ではどこのHPか忘れてしまったのですが、そこにはアダルトチルドレンのチェックシートが載っていました。



 興味半分で試してみると、殆どの項目にチェックが入ります。



 その時主人にそのHPを見せて、自分が殆ど該当する!と教えました。



 主人も試してみたら、私ほどではないのですが、主人も該当する項目が結構ありました。



 その時主人に、



 「これは結構当てはまる人いるんだよ!」



 そう言われて、私もその時はそうなんだ!と思いあまり気にしていませんでした。



 でも、心の中ではなんか引っかかるものはありました。



 その後ネットの世界にはまっていき、たまに「アダルトチルドレン」の言葉が目に入ってきます。



 でも、今思えばわざと見ないようにしていました。



 3年前に友達に教えてもらった、○天サイト!ここで私はブログを始めました。



 日常の事、子供の事などを書いていました。



 3年前から始めたのですが、更新もあまりしていなく、ほとんど気にもしない程度のものでした。



 去年の春過ぎの頃から、結構更新をするようになり、いろんな知り合いも増えていきました。



 しかし日記の更新は、1週間に1回程度でした。



 今年になり、新たな知り合いも増え、毎日更新をするようになり、それと同時に今までと比べ物にならないほどの、情報を目にするようになりました。



 私は去年の夏ごろから、自分はウツ病ではないのだろうか?と思いはじめていたので、ウツ関係の記事も見るようになりました。



 そしてこの世に、ウツ病を患っている人の多さにビックリしました。



 今年に入り、ある人に教えてもらったサイト!



 そこにはウツ病の事で見に行ったのですが、私の目に飛び込んで目が離せなくなった、「アダルトチルドレン」の文字!思わずクリックしてしまいました。



 食い入るように読み始めた時に、私は自分で「アダルトチルドレン」だと、確信をしてしまいました。



 なぜ自分がこんなに孤独で寂しいと感じているのか、毎日が不安でいつも死にたいと思っているのか、自分の子供時代の虐待が原因だったのだと気がつきました。



 でもそんな事に負けているような気がして、自分でなんとか出来ないかと、アダルトチルドレンの記事を読むようになりました。



 しかし、勉強になる記事ばかりではありません。



 あるサイトには、見るに耐えられないような事も書いてあります。



 専門家精神科の先生が書いているのか?と疑ってしまうような内容も多々ありました。



 そんな時、あるサイトを見たときに、私の体に異変が起こりました・・・・。