復活

ふう。やっとここに帰ってこれた。
と言うのも、3年ぐらい使ってたパソコンが昨年から調子が悪く、すぐにフリーズしてしまうという症状に襲われ、再インストールしてごまかしごまかしで使っていたのだ。
しかし、あまりにもすぐフリーズするってんで、温厚で有名な僕もさすがに我慢の限界、と、もらったばかりのボーナスを新パソコンに投入したのだ。
で、それがやっと届き、セッティング完了。と。やはり新パソコンの何が良いって、
メインメモリがどうとか言う以前に、フリーズしないのが良い。こんな当たり前のことが今まで当たり前じゃなかったなんて。

その14

32ページ
緑ジャンバーを頭に巻きつける吉澤ひとみ。ジャンバーから覗く表情はどこかいたずらっ子のような、そんなスマイル。彼女には、このスマイルをいつまでも失わないでほしい。例え、モーニング娘。のオリジナルメンバーがいなくなっても。例え、同じ4期メンバーがモーニング娘。から去っても。
この笑顔がある限り、僕は彼女を信じ続ける。
33ページ
新聞での写真集紹介で使われたカット。もしも、僕が彼女のことを全く知らないとして、このカットを見せられたらどう思うんだろう。少なくとも、青汁を一気飲みし、「美味い!」と言ったりするようなイメージを持つことはまずないだろう。
人間って面白いもんだ。

その13

でも大丈夫さ。辻加護を失っても、僕らにはまだ吉澤ひとみがいるじゃないか!
30ページ
モノクロカット。モノクロでもやっぱりあのジャンバーはありえない。しかし、それをしれっと着こなしてしまう吉澤氏にはもはや言葉は不要。どんな美辞麗句も彼女の前には陳腐な形容詞へと成り下がってしまうのは当然の結果と言えよう。
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かつてこれほど世界を激震せしめた写真があっただろうか、いやありはしない。全米が泣こうが、あの『タイタニック』を超える興行収入だろうが、アカデミー賞最多8部門にノミネートされようが、この写真を前にしては虚しいから騒ぎである。年金が未納で国中が騒いでることなんてこの写真を前にしては「バカバカしい」の一言に尽きる。
かの大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニも、この写真を見て、「美はここに完成した」とタクトを置いたし、棟方志功もこの写真を見て彫刻家として生きることを決心した。彼の作品によく見られる菩薩の数々は、吉澤ひとみの美にインスピレーションを受けているのはあまりにも有名な逸話である。
それにしても美しい。

菩薩

今のモーニング娘。にとって、辻、加護という飛び道具を失うのはやはり大きいのではないか?と思わされる今日の『HEY!×3』。特に辻の持つ天真爛漫かつピースフルな雰囲気は唯一無二だと実感した。誰からも等しく愛されるってやっぱり才能だよなぁ。
で、毎回毎回誰かが卒業するたびに思うんだけど、やっぱり僕が見たいのは、単独としての辻や加護ではなくて、モーニング娘。という集団の中に位置する辻・加護だったり、辻・加護を愛するモーニング娘。のメンバーだったわけで。そう考えると、辻・加護でこうやって笑えるのもあと少しだ、と、どことなく刹那に襲われる。
それでもその刹那をはらんだ一瞬一瞬の楽しさこそがモーニング娘。の本質なんだよなあ。

その12

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吉澤ひとみインダハウス。
外ではボーイッシュ&元気ハツラツなオロナミンCガールとして評判の吉澤君であるが、家に帰るとご覧の通りおしとやかなお嬢さんになってしまうのだ、と言わんばかりのショット。
リングか何かをいじるその右指の所作が、石川梨華級の女らしさを主張しているのが分かるだろうか。右小指がもう少し伸びていれば、と悔やまれるばかりである。
しかし、あの緑の毒々しいジャンバーを衣装で選んだの誰?
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吉澤ひとみオンダテラス。
悶絶必死吉澤ひとみ女の子ショットはまだ続く。
こちらを振り返るその表情は、間違いなく普通の可愛い女の子だ。
もしや、これが飯田や安倍、後藤、加護をして言わしめるところの「女の子らしい」姿なのだろうか。
しかし、こうやって改めて後姿を見てみると、なかなかどうして良い足をしていることに気づく。
いや、なんというか、非常に重いローキックを放てそうな、そんな肉付きだ。一度その足でケツバットをしてもらいたい。平均的な成人男性ならこの写真を見てそう思うこと請け合いである。

その11

普段の生活リズムへのリハビリには、やはり吉澤写真集が効くと言われている。その栄養分は実にレモン1千個分。あきらかに摂取過多だと思われるだろうが、毎日吉澤写真集を摂取することにより、当初は拒否反応を起こしていた肉体が、次第に現実世界の感覚を失っていくことに気づくだろう。そして、完全に脳が吉澤ひとみで満たされた瞬間、私は真に普段の生活リズムを取り戻したと言えるのである。
27ページ
我々を笑顔で導く吉澤ひとみ。その、右へ曲がっていく道の奥には何が待っているのだろうか。栄光か、はたまた絶望か。現代のハーメルンはその「吉澤ひとみ」というラッパで我々を誘う。
その先は崖だよ。と親切な人は言う。でも僕はその歩みを止めないだろう。最後の一瞬が崖であっても、「吉澤ひとみ」の音色が積み重なってゆく「今」を華やかに彩るならば、それはそれでハッピーなのだ。ハッピー。