2011年 今年の落語総括

多くの落語ファンと同様わたしにとっても、2011年は東日本大震災が起こり立川談志が死んだ年として一生忘れられない年になりました。
談志の死については前回書いた通りなので、もう触れません。けれどそれ以外となると、今年の落語を振り返って記しておきたいことは、そんなにはない気がします。
ここ数年、毎年この時期には、この1年間に足をはこんだ落語会・観た高座の数を確認し、1年を振り返って、印象に残る高座の数々を思い出すのが楽しみでした。
でも、今年はあんまりそういうことをする気にならない。


その理由の一つには、今年はそんなに落語に行かなかったということがあります。
去年の暮れに「来年は少し落語を減らそう」と思い、意識して減らしたということもありますが、今年はふとしたきっかけで演劇を観るようになり、じぶんにとっては新鮮なジャンルだったこともあり観劇が増えました。その分落語が減った。
結果、今年観た落語会・高座の数は例年の半分くらいでした(その気にならないと言いながら、実はざっと数えてみました。すいませんw)。
聴いた落語家の顔ぶれもほぼ固定していました。よく聴いたのは、昇太、志の輔志らく談春喬太郎、三三、白酒、一之輔、こしら…といったあたり。
そんな状況なので、今年印象に残る高座を振り返ると言っても「アレとアレとアレ。以上おしまい」くらいの淡泊な感想になってしまいそう。困ったね。


それと、これは落語だけでなく、いわゆる“鑑賞”の対象になるもの全般(演劇、映画、音楽等々)についてのことなんだけれど、時々ふっと、自分はそういうものをあまりにもぞんざいに消費していてるかもしれないなぁと気が咎めることがある。また、自分は、自分が向き合うべきことを避けてこういうものに溺れていないか?と思ったりもする。
自分の日常がいかに脆いか。いまのところつつがなく生きているけれど、こうしていられるのは奇跡みたいに幸運なことだ。もっと大事に丁寧に暮らすとか、いまのうちにやっておくことが他にあるんじゃないか・・・なーんてね。思うことがあるんですよ、わたしも。
そういう思いとか迷いは今までもあったけれど、今年は今までに増して意識にのぼるようになりました。それは、自分が着実に歳をとっているということもあるし、3.11のこともあるだろうと思います。


そんなこんなで“たくさん”“網羅的に”“観まくる・聴きまくる”ということへの情熱は逓減の途をたどっている。それが2011年末現在のわたくしのありようです。


でも、これからもわたしは落語を聴き続けると思います。わたしはやっぱり落語好きだ。
それを確認できたのは、落語とはジャンルの異なるもの―演劇に数多く触れて改めて落語の魅力に気づいたこと、それから皮肉なことだけれど家元を失ったことです。

芸術的で、しかしなんだか分からない、なーんも心を動かされなかった演劇の公演を観て呆然と帰途につく時w、この気持ちどーしてくれる?落語を見習え、目の前の客を喜ばせることに尽くす落語家(主に春風亭昇太を思い浮かべていっていますがw)を見習え!と何度も思ったです。
(もちろん、演劇にだって素晴らしいものはあり、落語にだってどーしようもなくつまらないものもあります)。
落語の敷居の低さ(言い換えると“低俗”なところw)ってたいしたものだ。
もっと凄いのは、そういう低俗の中―くだらない・ふざけた世界で、時に心打つ・震えさせる“なにか”に出会ってしまうこと。そう滅多にないことだけど。


そして、そういう経験を多くの観客に与えてきた立川談志が逝った。
あれから度々談志を思う。と同時に、じぶんと共にいま・ここに生きている落語家たちを、彼らの高座をちゃんと観ておきたいと、改めて思うようになりました。それは“いまを大事にする”“いまのうちにやっておくこと”の一つである、と思えるのです。


ということで、最後にすこしは生きてる落語家のことも書いておかなくちゃw


今年の嬉しいニュースは、なんといっても一之輔さんとこしらさんの真打昇進決定。
これから二人の高座と落語家人生wをしっかと見まもり、かなうことなら見届けたいと思いますw。落語の楽しみはひとを観る楽しみでもあるからね。まずは春の真打昇進披露目興行が待ち遠しい。


それからわたしの永遠の特別扱いw、春風亭昇太
今年でSWAの活動を一旦停止、2012年は独演会も減らすと言っていたから、昇太師匠の高座を観るのは少し減るかな。しばらくゆっくりして充電した後、また明るくサービス精神たっぷりの高座を観せて欲しい。今年の高座でいちばん印象に残ってるのは、2月の下北沢演芸祭「SWAクリエイティブツアー」の『鬼背』。喬太郎師とはまったく違う、昇太師らしい心温まる『鬼背参り』だった。


3月の「柳家三三北村薫」。これはとってもいい企画だった。三三さんが語る『空飛ぶ馬』、情感あふれるラストシーンが忘れられない。この企画は今年第二弾もあるので楽しみ。


それからこの12月に観た、志らく談春ふたりの『芝浜』。
出来は関係ない、ただ、談志の逝った年の暮れに観たふたりそれぞれの『芝浜』として記憶に残ると思う。
この頃『芝浜』はそんなに好きな落語ではなくなってきているし、談志の落語で『芝浜』ばかりとりあげられるのはどうかと思うけれど、それでも談志の弟子たちがそれぞれどんな『芝浜』を作り上げていくのか、興味をもたずにはいられない。談志が生きているうちはやらないと公言していた志の輔師も、いずれ『芝浜』をやるだろう。それを是非是非観たい。


・・・記すことはそんなにないと言いながら、思い出すと結構あるじゃないかw それに、書いてたらなんだか楽しくなってきたw 来年が待ち遠しい落語のお楽しみもたんとある。
うん。わたしはやっぱり落語好きだ。好きなんだな。

立川談志「お別れの会」

12/21(火)午前11時30分〜@ホテルニューオータニ ザ・メイン 鶴の間
司会:立川談笑
1)黙祷
2)弔辞 石原慎太郎
3)一門より挨拶 山藤章二
4)献杯 音頭 吉川潮
5)参列者お別れの挨拶 
  三遊亭圓歌桂歌丸鈴々舎馬風三遊亭鳳楽三遊亭好楽三遊亭圓楽・三遊亭円橘/橘家 圓蔵/月亭花鳥・桂福団治
  笑福亭鶴瓶中尾彬池波志乃 
6)松元ヒロ パントマイム(ニュース・天気予報原稿読み手  山中秀樹アナウンサー)
7)デキシーキングス+北村英次 演奏『ザッツ・ア・プレンティー』『花嫁人形』『ランベスウォーク』
8)立川談志『芝浜(2007年)』一部上映
9)日野皓正トランペット演奏
10)弟子一同挨拶 土橋亭里う馬
11)三本締め 音頭 毒蝮三太夫


「明日の午前のお別れの会に連れて行ってあげましょうか」と落語関係者の知人に誘われたのは会の前日のことであった。
いえいえ一般人らしく午後の献花式に参列しますと一旦は断ったものの、今年3月家元最後の独演会(川崎麻生)の打ち上げにやはりこの知人に誘ってもらったのを断って、あとで少しく後悔したことを思い出した。
また断ったら今度は激しく後悔するかもしれない、それにこれは談志最後の大きなイベント(って不謹慎ですね、すいません)だし…と自分に言い訳して、前言撤回、知人にお願いのメールを入れてお別れの会に連れて行ってもらった。
何十年来の家元ファン諸兄諸姉、お許しください。あ、でもちゃんと会費は払いました、自腹で(当たり前だ)。


帰宅後、ニュースで参列者1000人以上と知ったが、まことに華やかな会であった。
受付前にクロークに並んでいる時から、ふと周りを見回せばテレビでみたことのある顔ばかり。ぱんぴーのわたくしは自分の場違いにおびえ、傍らの知人がいなかったらとっとと帰っていたかもしれません。


会場入り口で白いカーネーションを渡され、献花を待つ列につく。
もう、ここまで来たらずうずうしく!と遺影の正面の列に並んだ。
見上げる遺影の家元は、ものすごく嬉しそうな、最高にチャーミングな笑顔。いい写真だった。

談笑師匠の司会で会が始まる。
(さすが「とくダネ!」リポーター談笑師匠、滑らかな進行でした)
全員で黙祷、続いて石原都知事の弔辞。
とりとめのない内容だったけれど、遺影をみあげて語りかける声が時々すこし震えて、と胸をつかれた。あ、家元もういないんだ…と思い出した。しゅんとした。


でも、献杯のあとは明るく楽しく華やかだった。
さすが落語家たちは談志を偲ぶにもカラッと明るい毒舌で、会場を笑わせた。
松元ヒロさんの「今日のニュース」はウケてたなぁ。きょうは傍らで山中アナが読むニュースと天気予報に合わせてパントマイム。
談笑師匠の「会場入り口をご注目ください!」という声で、デキシーキングスが演奏しながら入場。遺影の前でひとしきり演奏した後、ステージにあがり『ザッツ・ア・プレンティー』。これがとても素晴らしかった、拍手喝采


ビールで気が大きくなって会場をきょろきょろ見渡すと、有名人がごろごろしてる。
高橋秀樹、顔おおきいわー。あ、ペーさんはやっぱりピンクなんだ、でもスパンコールでキラキラなのはどうかと思う。あ、パックン・マックンだ。テツ・トモだ。松村だ、ばうばう。久米宏、痩せてるー。あ、隅っこに座ってるの海老名香葉子じゃない?じゃ、うしろにいるのは泰葉だよ!小朝は来てるかな?あ、和田アキコ。意外と小さいね…。あ!ほら、たけしが来てるよ!わー!(たけしは献花をすませるとダンカンと森社長と共に風のように帰って行った)
・・・そして、ふと気づくと、目の前にピラフをかきこむ市馬師匠がいたww 他にも昇太師匠、花緑師匠、歌之介師匠、それから、えーと、思い出せないくらい、立川流以外のたくさんの師匠方の姿を目撃した。すいません、こんな感じでミーハーに楽しんでいました。爆笑問題勘三郎と上岡竜太郎には気づきませんでした。残念。


デキシーキングスの演奏の後、家元2007年の『芝浜』が会場の大スクリーンで上映された。大晦日のシーンからで、一部編集したものだそう。わたしはこの高座は見逃している。これが収録されたDVDも買っていなくて、観たのは今日初めてだけれど、これは改めてちゃんと観ようと決めた。映像でこれほどなら、ナマで観ていたらどれだけよかったろう。会場がしんとして、ほとんどの人がスクリーンに見入っていたのが印象的だった。


最後は紋付き袴の談志の弟子一同(高田文夫ミッキー・カーチスもいた)がステージにあがり、代表で土橋亭里う馬師匠が挨拶。それから毒蝮三太夫の音頭で三本締め。デキシーキングスが賑やかに演奏する『聖者の行進』の中、出口にずらりと並ぶ談志の弟子たち(志の輔師も談春師も志らく師も、みーんな!)に送られて会場を後にした。

明るくて賑やかで華やかで、関係者も参列者も笑顔で、談志の意思通りのお別れの会にしたいという皆の気持ちがひとつになって充ちているようだった。本当にいい会だった。


最後に。
立川談志の死は、やっぱりというか、自分で想像していた以上にショックであった。
わたしの周りには、30年、40年と談志を追いかけてきた筋金入りの家元ファンが何人もいて、その方たちに比べたらじぶんなんか全く俄かファンで、それなのに、なんでこんなに悲しいかな?と自分でも不思議に思う。
今思えば、わたしは落語が聴きたくて談志の会に行っていたのではなかった。いや、落語はもちろん聴きたかったけど、それより談志その人を見たいという気持ちの方が強かった。
自分の老いに・衰えに苛立って、それでも落語にしがみついている姿は、見るたびにざわざわと心を動かした。ひとが老いるということ。今できることができなくなるということ。手にしているものを失うということ。やがて自分にも訪れるそれらのことを、この人に教わるんだ。そんな気持ちでわたしは立川談志という人を見ていた。
そして、その最期はやっぱり壮絶で、打ちのめされた。
人はラクに容易に死ねない。


でも、人生の痛さ・苦さを思い知らせてくれる一方で、温かい感情を思い出させてくれる人でもある。
いろんな逸話や実際に目にした高座での振る舞いで知った、この人特有の“照れ”や“やさしさ”が好きだった。もちろん、わたしが見たのは、立川談志のほんの一部・一面に過ぎないし、お弟子さんや身近にいた方たちが知る姿とはきっと違うだろう。でも、わたしは、わたしが好きだった立川談志だけを覚えていたいと思う。


…とここまで書いたところで、落友からメールが来た。
最後の川崎の独演会の思い出が書いてあった。独演会が終わって新百合ヶ丘の駅までの帰り道、わたしが「家元の落語、今夜が最後かも」とつぶやいたのが忘れられない、と。
そうだったな。あの高座は本当に辛かった。考えたくないけど最後かもって思って、その通りになってしまったな・・・
と思いだしたら、また泣けてきた。
訃報から一か月。今日をいちおうの一区切りにするつもりだったけれど、なかなか切り替えられそうにないなぁ(ため息)。

rakugoオルタナティブvol.5「柳家と立川」



rakugoオルタナティブvol.5「柳家と立川」
7/16(土)18:00〜20:40?(たしか9時近かった気がする)@草月ホール
開口一番 柳家さん弥『夏泥』
立川志らく『らくだ』
柳家さん喬井戸の茶碗
仲入り
座談 さん喬・志らく


さん喬師匠と志らく師匠の対談目当てに行った会です。
志らく師匠は自分の落語論や落語に関わる関心事を独演会のまくら等で話すことがよくあり、落語に関する著書もたくさんあります(ちなみに最近上梓された『落語進化論』では、現時点での志らく師の落語論を知ることができます)。
でも、さん喬師匠は落語論のようなことは高座ではあまりお話しなさらないようだし、そういうお話を聴けるものなら聴きたいと思いました。
柳家立川流、大ベテランと中堅…立場があまりにも違う二人ですから、カタチだけのおざなりな会話になる可能性はあると思ったけれど、幸いそれは杞憂でした。さん喬師匠はかなり率直に考えを話してくださったように感じます(志らく師匠も同様ですが、大先輩との対談ですから、考えを異にすることはあっても反論は控えたところはあったと思います。ご自身も対談のあとTwitterでそうつぶやいてらしたし)。
二人が―特にさん喬師匠が―公の場で落語について語ったということで、この対談は非常に意義深かったと思います。


余談ですが、ここ数年、わたしの落語についての大きな関心事は「落語とはなにか?」「なにが落語で、なにが落語ではないのか?」という"落語の定義"のようなことです。
これは、落語における"粋と野暮""美学"ということにも関わると思います。
なぜ、ただ落語が好きで聴いてるだけの自分がそんなことを考えているのかというと、「立川こしら」という、落語ファン、いやファンだけでなく落語家の中でもおおいに評価が分かれる落語家を好きになってしまったからです(笑)。
いや、自分で笑っちゃったけど、笑いごとではないのです。自分の好きな落語家が「彼のやっているのは落語ではない」などと軽んじられるのは本当に切ないことです(なのに、こしら自身までが、自分の落語を「落語のようなもの」と言ってはばからない。歯がゆい、悲しいw)。
それに、そういう落語家が好きな自分を、落語を知らない軽薄なファンみたいに見ている人も一部にはいるし、甚だ心外であります(たしかに落語をよくは知りませんが、わたしはわたしなりにマジメに落語を愛しているつもりなのです)。
わたしは、三三も白酒も一之輔も好きですが、もし好きなのが彼らのような"王道"と公認されているような若手だけだったら、そこにこしらが混じらなければw、わたしは「落語とはなにか」なんてめんどくさいことを考えることはなかったでしょう。
嗜好の幅が広いばっかりに、手に余る悩みをしょい込むことになりましたw


ともかく、そういうわけで、わたしは「落語とはなにか?」ということがずっと気にかかっているのですが、二人の話はそれを考えるうえで貴重なヒントになりました。
わたしのように「落語とは何か?」が気になる人、また「落語はこれからどうなるか?」ということに関心のある人に、是非聴いてほしかった対談でした。
で、ちゃんと伝える自信はないのですが、ほんのちょっとでも紹介したいな…という気になりまして、あまり時間をかけても忘れそうなので、とり急ぎ書いてみました。
対談を主な話題・テーマごとにまとめたつもりですが、対談の流れそのままではありません。メモのようなもの、とご理解ください。
また、お二人の発言そのままでもありません。
わたしの感想や考えたこともちょっぴり…じゃなくて、だいぶ混じっていますがご容赦ください。




◆「寄席育ち」「立川流育ち」
そもそもこの会は、主催者ぴあの某氏が、さん喬師匠から聞いた話を是非多くの落語ファンにも聞かせたいということで企画されたものだそう。
某氏がさん喬師匠から聞いたことのなかに「最近の立川流には勢いがある」という話があったそうで、"立川流の勢い"とは、志の輔談春志らくが、また最近は談笑も活躍していることを指している。
対談の最初に司会者(担当某氏)に「あの時のお話をぜひ…」と促されたさん喬師匠は、自分は"反立川流"であるけれども…と断ったうえで、次のように語った。


寄席で育つ落語家は、自分の師匠以外に多くの師匠方に仕えなければならない。いろいろな師匠がいろいろなことを言う(寄席で育つ若手は大勢の師匠の厳しい目を意識しなければならない、ということだと思う)。
一方、立川流の落語家は談志ひとりにつくせばいい。談志の言うことだけを聞いていればいい。若手は自由奔放に落語ができる。そこから"勢い"が生まれるのではないか。


これに対して志らく師匠は「とはいえ、寄席のない立川流では"落語家"とは呼べない出来損ないができてしまうことも事実」と、立川流の落語家育成の問題点をあげた。
いわく…
寄席で落語を聴かずに立川流に入門した若手は"落語を聴く耳"ができていない。よほど落語の才能のある人間でないと、立川流できちんと落語ができる落語家になるのは難しい。


立川流のさん喬師匠が現在の立川流の勢いを認め、立川流志らく師匠が立川流の問題点を認めた格好だったが、ともかく、寄席には寄席の、立川流には立川流の、良さと問題があるという話。


とはいえ、さん喬師匠にとっては"寄席"は絶対(それは、この後の話を聞いて感じたこと。さん喬師匠が認める落語家とは"寄席育ち"の落語家であるし、さん喬師匠がその"ご意見"は傾聴に値すると考えている客は"寄席の客"であると、わたしは感じた)。
また、志らく師匠も後日Twitterで次のように呟いている。
立川流は寄席がなく自由にしたから売れっ子の落語家がでたわけではない。それなりの才能のある人間が寄席より談志だと選択し、談志の影響で開花した」
イチローひとりに野球を教わるのと、そこそこの選手百人に教わるのとどっちがいい?談志のもとにいるということはそういうこと」
志らくほど同世代で寄席を愛し、そこに出演することを夢みていた落語家はいない。その私が寄席はなくても落語家は誕生すると言っているのです」


対談の場では、さん喬師匠は「どちらがいいかはお客様がきめること」とまとめたが、わたしは"どちらがいい"ということは決めなくていいと思う。
なにごとも、良いものを生み出す方法は多ければ多いほどよいのだから、それぞれ問題があると分かっている現行システムの二者択一でなくてもよいはず。
他に、より良い方法を考えていけばいいと思う。そう簡単なことではないかもしれないけれど、それでも、二者択一よりよいと思う。


◆「反立川流」「談志」
さん喬師匠が、司会者に「あの時のお話をぜひ…」と促されてまず言ったことは、「わたしは反立川流です」。
この言葉を、さん喬師匠は対談中なんども口にした。
「わたしは小さんの弟子。5代目に操をたててきた。すべてを理解しても反立川流でいなきゃいけないと思ってきた」。


わたし自身は"立場がなによりも大切"とは思わないが、そういう考え方の人たちがいることは分かる。
落語家にとって師匠は絶対、小さんの弟子であるさん喬師匠の「立場」では談志とその一門を肯定することはできないということだと思う。
けれど、さん喬師匠が5代目を想うように、志らく師匠も談志家元を敬愛している。
自分が愛するもの、大切に想うものを、面と向かって否定されるのは辛い。
志らく師匠は、さん喬師匠が繰り返す「わたしは反立川流です」という言葉をどんな気持ちで聞いていたろう…と思うと、わたしは志らく師匠に同情してしまう。


ただ、さん喬師匠は「師匠(5代目小さん)が亡くなってもうじき10年。もうそういう時代ではない」とも言った。
一門の市馬師匠や花緑師匠は以前から志らく師匠と交流があり、一番弟子の喬太郎師匠は志らく師匠と二人会もしている。
世代と共に落語界の各団体・個人の関係も変わりつつあるのが、今。


さん喬師匠は「談志師匠には可愛がってもらった」と、寄席の出ていた頃の家元とのエピソードをいくつか披露した。
自分(さん喬師匠)が二つ目の頃。『真田小僧』をやって戻ってくると、談志師匠から「おい、もっと現代的なくすぐりをやれよ」と言われた。
真田小僧』のまくらには、"懲役ごっこ"をして遊ぶ子どもたちとか、あの辺りのくすぐりが使われる。それが古い、もっと時代に合ったくすぐりをやれと談志師匠は言ったのだろう。
思わず「でも、あれやるとウケるんですよ」と言うと、談志師匠は困った顔をして「そうなんだよなぁ」。


さん喬師匠は談志家元を「真正面に弱い方だった」(恐れず素直に正面からぶつかると怖くない、という意味だと思う)と述懐した。


◆「志らく喬太郎
さん喬師匠は、客から"喬太郎志らくは似ている"と言われたことがあるという。
この日、志らく師匠の『らくだ』を聴いていて「喬太郎もああやるだろうな」と思ったと言った。


志らく師匠と喬太郎師匠は全然似ていないし、それぞれのファン層も異なると思う。
喬太郎師匠の『らくだ』は聞いたことがないが(以前やったことがあっても今はやっていないのではないか?)、志らく師匠とはかなり違うはずだと思う(喬太郎師の『らくだ』は、屑屋か半次のどちらかがとっても暗いとか、どこかにダークなものが入っていそうな気がする)。
でも、「志らく喬太郎が似ている」と言う人が、なにをもって"似ている"と感じるのかはなんとなく分かる気がする。
くすぐりのギャグが同じように聞こえるのではないか。でも、それも実はかなり違うけれど(うまく言えないけれど、志らく師匠のギャグは喬太郎師匠よりもシュールだと思う。また、それだけが違いということでもない)。


◆「落語におけるケレン(外連)」
志らく師匠が、談笑師匠から聞いた話を紹介した。
談笑師匠がある会でさん喬師匠・権太楼師匠と共演した時のこと。楽屋で権太楼師匠がさん喬師匠を相手に「ケレンのある落語はいやだ」という話をしていて、それはきっと自分(談笑師)のことだろうと思った…という話(きっと、そうなんだろうなぁw)。
ケレンのある落語とはどういう落語か?と問われたさん喬師匠は「その場限り、その場がうければいいという考え」でやる落語、「客が望んでいる通りのことをやる」ことと答えた。


この言葉からは、さん喬師匠が考える"ケレン"がどんなものなのか、やや分かりにくい。
もしも、談笑師の落語―キツいギャグや強烈な風刺のようなものが盛りだくさんの落語や、設定を現代に変えた改作落語―のようなものを指しているのなら、そういう落語を一概にケレンというのは違うのではないかと思う。
そういうことをウケ狙いでやっている落語家もいるけれど、談笑師はウケるためではなく、噺本来の魅力やパワーを分かりやすく伝えるために意識的にああいう落語をしているわけだから。
(でも、談笑師の落語がケレンと捉えられがちなのは分かる。表面的には単純なウケ狙いと区別がつきにくい)。
「その場がうければいいという考え」がいけないならば、ウケるからという理由で昔ながらの"懲役ごっこ"のくすぐりをいれるはケレンだろう。でも、それは一見、昔ながらの落語らしい落語(≒本寸法の落語)にも見えるけれど。


落語におけるケレンとはなにか。ケレンのある落語は悪なのか。
このあたりの話は"落語の美学"とか"落語の範囲(どこまでが落語か?)"ということにも関わることで、難しい。いろいろな落語家の"落語の定義"を聞きたい。さん喬師匠の落語の美学も、もう少し詳しく聴きたかった。
でも、これこそ"価値観"の問題だから、ああいう場で話し合うのは難しかったろう。


◆「寄席」
落語協会、芸術協会、立川流、円楽一門。派閥はあっても、所詮落語家は個人の商売だ…という話になり、その話の中でさん喬師匠が「お客様は協会の寄席にいこう、芸協にいこう、と選んでいらっしゃるが、寄席に常時でられる芸人はせいぜい20人」というようなことを言った(すいません、このあたりやや記憶があいまいです)。


この、「客はまず○○(協会、芸協、立川流円楽党)を選ぶ」という意味合いの発言が気になった。
わたしは、どの団体の落語がいいか?というふうには一度も考えたことがないから。聴きたいかどうかは、あくまで落語家"個人"への興味がきめる。その落語家がどこに属しているかなど気にしたことがない。たぶん今はそういう落語ファンが多いのではないか?
落語を聴く"場"も、寄席が最上とは思っていない。もちろん寄席は好きだ、魅力的な顔付けの寄席は本当に楽しいと思うけれど、ライブ感に溢れた一期一会の落語が聴ける場所は、なにも寄席に限らない。独演会でも勉強会でも二人会でも素晴らし落語は聴ける。むしろ、つまらない落語家、嫌いな落語家の噺を我慢して聞かなければならないこともある寄席よりも、独演会のほうがいいとさえ思うこともある。
さん喬師匠は、いつものように「寄席がいちばんです、寄席に来てください」と強く訴えたけれど、どうしても頷くことはできなかった。


さん喬師匠はつくづく"寄席の落語家"なのだと思う。さん喬師匠の落語はあくまで"寄席の落語"で、さん喬師匠に見えている客は"寄席の客"なのだと感じた。
でもわたしは"寄席の客"ではなく、"落語の客"なのだ。そんなわたしでも、さん喬師匠の落語が聴きたくて、一時期はあちこち追いかけていたんだけどなぁ。
わたしみたいな客もいるということを知って欲しい、認めて欲しいと思う。


◆「落語の転換期」
さん喬師匠から「今、落語の転換期を迎えている」という発言があり、談志が死んだら(…お許しください)立川流はどうなるか?という話になった。
志らく師は、立川流は崩壊する、自分はひとりでやっていくであろうという予想(詳しくは志らく師匠の『立川流鎖国論』終章を読んでください)。
続いて、落語はこれからどうなっていくのか?という話へ。
志らく師匠「わたしはまだまだ大丈夫と思っている」。なぜなら「わたしたちの下には、白酒がいる、一之輔がいる。人材がいればなんとかなる」。
さん喬師匠は「それはお客様がきめること」。


何がよい落語で、なにがよくない落語なのか?それが分かる客いる限り、落語の未来はあるだろう。さん喬師匠はそう言っているのだろうと思う。


落語をきちんと評価できる客。そういう客を"通"というのだと思う。けれど、今"通"と呼べる客がどれくらいいるのだろう?
現在は多様な個性の落語家が活躍している、それは豊かで喜ばしいことだ。けれど、そのために、落語の"芯"みたいなもの、落語の美学を踏み外さない"本寸法"(この言葉はあまり使いたくないけれど…)のようなものは、かえって見えにくくなっているのかもしれないとも思う。
ことに21世紀になって落語を聴きだした客、基準が確立していない(基準をもたない)客は、自由にいろいろなタイプの落語をフラットに聴いて楽しめる一方で、迷いやすいと思う(自分がそうなのだ)。
さらに、近頃は、既にその反動がきているような気がする。古典落語を昔ながらにそのままにやる落語を殊更偏重する向きがあるように思う。
そういう状況で、はたして落語は客から正当に評価されるのだろうか。


さん喬師匠は「落語家は一分で、客が九分」とも言った。
その言葉には、客をバカにするな、見下すなという強い自戒が込められているのかもしれない。
けれど、その言葉は「客に委ねる」というふうにも聞こえる。細かいことだけれど、わたしはそういう言い方は適切ではないように思う。
なぜなら"プロ"である落語家にはいつも客の先を行ってほしいから。プロにあっ!と驚かされることを望んでいるから。






あの対談を聞いた方、補足のコメントをぜひお願いします。
もっと上手にブログか何かにまとめてくださった方がいたら、読みたいです、教えてください。
それから、さん喬師匠の発言にいちいち反論しているカタチになってしまいましたが(笑)、まったく他意はありません。
この対談の志らく師匠の感想は師匠のTwitter(@tatekawashiraku)をご覧いただくと詳しくわかると思いますので、ご興味のある方はご覧ください。


本当に、落語とはなんなのでしょうね。
で、わたしは、こんなものがなんで気になるのかなぁ。
じぶんでもよく分からないですよw

立川こしらの被災地レポート



とても久しぶりのブログ更新です。
3/11の震災のあと、なにかに対する態度を決めるとか判断するということがじぶんの中でとても重くなりました。そのせいで、じぶんの気持ちを言ったり書いたりすることに多少慎重になっていたかもしれません。
なにもかもに、すこし醒めたというような気持ちでした。楽しんでいたもの・惹かれていたものと、すこし距離を感じるようになっていました。
落語を聴いていても、気がつくとなにか別のことを考えていたりする。
なんというか、あの地震で、たぶんじぶんのなかであらゆるものが動いたりずれたりしたのです。その位置づけを少しずつ変えたのです。で、いまだにじぶんは、そのひとつひとつを、もとの場所に置き直したり「これはこっちにしよう」と置き場所を変えたり、そんなことをやっている気がします。


それでも、落語にはぽつぽつと行き続けています。この連休はひさしぶりに3日続けて落語を聴きに出かけました。
5/6には恒例「こしらの集い」に、5/8にはこしらさんが出演した東北福寄席チャリティ落語会に行きました。今回は、その2つの会で聞いた、こしらさんの被災地レポートのことを書いてみます。
“被災地レポート”というのは仮のタイトルで、「こしらの集い」では一席目の落語のマクラで、チャリティ落語会ではいちばん最後の高座で語られた、こしらさんの体験談です。落語ではなく、強いて言えば漫談のようなものです(漫談としてまだ完成されてはいませんが)。


「被災地を巡る落語会をやらないか」という誘いをうけ、こしらさんは被災されている方々に落語を聞いて楽しんでもらう慰問ツアーを行いました。同行者は柳家花ん謝さん(※途中からは弟弟子の志らべさんも加わる)、一行は4/28〜5/5まで岩手県沿岸部の避難所を巡りました。ボランティア興行だからノーギャラ、被災地への交通費も宿泊費も自己負担。こしらさんはツアーに行く前に自身の落語会で「僕の交通費と宿泊費に使います、募金してください!」とお客さんに頼みお金を集め東北に赴いたそうです。


宿泊所を転々としながら日中2〜3ヶ所の避難所を巡ります。
避難所にいる方々は、若い人はボランティアとして瓦礫の撤去作業に出かけたり、子どもは保育所や学校に行っていたりして、昼間避難所に残っているのはお年寄りばかり。そういったお年寄りを相手に落語をやるのです。
お年寄りたちは、被災地の外から誰かが訪ねてくるのをとても楽しみにしていて、大歓迎してくれるのだそうです。段ボールのパテーションで仕切られたプライベートスペースにこしらさんを招いてお茶をふるまってくれたり、いっしょに昼ご飯を食べようと声をかけてくれるお年寄りもいる。
宿泊所と避難所、避難所から避難所への移動は車。その運転をしてくれるのは地元のボランティアで、そういう方々も年配者が多かったそうです。落語好きなおじいさんドライバーがいて、長い移動時間の間中、苦手な落語(笑)の話題で話をしなければならず、花ん謝さんと交互に相手をしてつないだとか(ふたりの見事な阿吽の呼吸に笑わされた)。


ああ見えて(というと失礼ですがw)こしらさんはお年寄りの扱いが上手です。彼の落語はお年寄りが喜ぶタイプのものではないけれど(これもごめんw)、避難所のお年寄りの心をちゃんとつかんで十分に楽しませたことと思います。
実際、ラジオのパーソナリティで鍛えられたこしらさんのトークは、どんな年代の人が聞いてもとても楽しいものだと思います。多くはありませんが、こしらの集いに来るお客さんの中にも年配の方がいます。
でも、こしらさんはもともとお年寄りの扱いが上手かったわけではありません。
そもそも年寄りに喜ばれる分かりやすい落語なんかやるのはダサいと思っていたこしらさんです。けれど、たまの仕事で呼ばれる地方の落語会の聴衆はお年寄りばかり、当然こしらさんの落語はウケない。それを嫌って落語以外の仕事に精をだし、多少大きな仕事をもらえるようになると、偉い人を相手に仕事の話をしなければならなくなる、そして“偉い人”というのはたいていお年寄り。どこに行ってもお年寄り!(笑)
でも、ある時気づいたそうです。お年寄りは“落語家”というだけで信用してくれる、自分が仕事をもらえているのは落語家という“肩書き”のおかげだったのだと。こうなったらちゃんとお年寄りとつきあおう・・・そう決意したこしらさん(この話は6日の集いでもらった「月刊こしら」※に書かれているので、興味のある方は集い参加者に借りるとかして読んでみてね)。
※こしら執筆・編集の「こしらの集い」だけで配られる小冊子。今回はいい話だったけど、いつもはほとんどくっだらない話ばかりなので要注意w


若い落語家の高座や客への接し方を見ていると、かつてのこしらさんのように「自分の客はこいつらじゃない」と思っているんだなと感じることがあります。そういうことはただの客にもなんとなく分かるものです。そういう落語家は、彼がバカにしている客から「おまえのつまんない落語を聴いてやっている」と思われていることに気づかない。結局、目の前のひとを喜ばせることに全力になれないひとは、落語家としてだけじゃない、どんなしごとも上手くいかないのだと思います(そのことに気づいたこしらさんは偉かった!)。


閑話休題
避難所のお年寄りや落語好きの運転手さんとのやりとり、避難所のポケモン好きの子どもとの交流・・・こしらさんのエピソードは笑えて心が温かくなるものでしたが、被災地が抱える様々な問題を痛感する話もありました。
たとえば避難所の格差。
食糧、お風呂やマッサージコーナーといった厚生設備は言うに及ばず、慰問の芸能人のためのステージや音響設備まで整っている避難所(―マスコミにとりあげられる有名芸能人の慰問などは、おそらくこうした避難所に限られたものではないかと感じました―)もあれば、いまだに仮設トイレもない劣悪な環境の避難所もある。
避難している人たちが、なにもすることがなく避難所の外の人と気軽にコミュニケーションもとれず、避難所に囲い込まれたような状態で無気力になってしまっているケースもある。
そういう状況を、避難所のボランティアが作っている場合もあるようです。
被災地に長く滞在してボランティアをしている人たちは、純粋に「少しでも役に立ちたい!」と思って被災地に来た熱意のある人たちなのでしょう。でも、動いてみたもののどう動けばいいのか分からない、自分で判断して問題を処理できる能力に欠けた人たちも少なくない。そうした人たちのために作られたマニュアルがあり、マニュアル通りの融通の利かない対処が被災者を孤独にし、なんでもないことを複雑にしている。ボランティアのあり方を考えさせられる話でした。
(こしらさんが見たものは被災地の一部です。ボランティアの話もほんの一例にすぎません、念のため。)


そして被災地の惨状にはやはり胸が塞がります。見渡す限りの瓦礫。しんと静まり返って生きものの気配がまったくない。こんなところでどうやって気力を振り絞れというのか?とても無理だ…とこしらさんは思ったと言います。
けれど、被災された方たちは、そんな場所に暮らしながら、何故そんなに優しくできるのか?と泣けてくるくらい、一行を歓迎してくれるのだそうです。一行が訪れたなかで最も酷い環境の避難所での話(できたらこしらさんから聞いてほしいので詳しくは書きませんが…)は、聞いていてつい涙ぐんでしまいました。立川こしらの話を聞いて胸が熱くなって涙をこぼす日がくるなんて思いもしませんでした(笑)。
もちろん、そんな話も、あくまであの調子で明るく語るこしらさんでした。


落語家や芸能人が被災地を慰問するというのは、もはや珍しい話ではありません。昨日は偶々テレビで、某二世落語家が一家揃って炊き出しをして被災された方たちを慰めている様子をみかけました。
有名芸能人も二世落語家も「励ましたい」という気持ちに嘘はないでしょう。でも、不思議なことだけれど、テレビを通すと彼らのふるまいは“いいこと(善行)”のアピールのように見えてしまう。彼らが語ることばはすうっと頭の上を通り過ぎてしまう。
被災地でこしらさんが見たこと・体験したこと。その話は生々しく印象に残りました。それは、一つには“ライブ”の力、また“語り”の力なのかもしれません。
もう一つは“センス”でしょうか。同じ場所にいて同じ光景を見ていても、誰もがこしらさんのように感じるわけではない。こしらさんの心に残ったことはこしらさんだけに見えたものです。何気ない光景のなかに潜んでいるハッとするもの、うつくしいもの、矛盾、欺瞞。そういうものを見てしまうセンス。それは、優れた落語家が備えている資質の一つでもあります。


目の前に広がるものの中からある部分にフォーカスするセンス、見たものをいきいきと語る才。それらを備えている人を“語り部”というのかなと思います。落語家の中には語り部として優れた人たちが少なくないですね。代表的なのが鶴瓶師。彦いち師も。こしらさんもそういうタイプなのかもしれないと思いました。
わたしが「この人の噺を聴きたい」と思う落語家は、語り部として優れたひとたちのようです。特に“センス”を重視しているかもしれません。
ヘラヘラしてて生意気で、シニカルでいじわるで、そのくせ避難所のひとたちの歓迎に他愛もなく感動してしまうようなところがある、立川こしら
落語ヘタだけど(ごめん、また言っちゃった)、わたしは「コイツはなんだか信じられるな」と思う。このひとの見たもの、感じたことを知りたいなと思う。立川こしらはそんな気持ちにさせるヤツです。


そうでした。わたしは「このひとの話が聴きたい」と思うひとのところに出かけて、「さぁ、なにかお話しして」ってわくわくと座って話を聴くっていうのが好きだったんだ。自分にとって落語はそういうものだった・・・
そんなことを思い出させてくれた、こしらさんの被災地レポートでした。

こしらの集い



こしらの集い
2/4(金)10:00〜20:52@お江戸日本橋亭
『BL版宮戸川
中入り
『夢の酒』


サボりがちのブログをつい書いてしまったほど、昨夜の集いは面白かったのですw。いや、“面白い”という言葉は適当じゃないな(爆笑でしたけどね)。帰り道、友人とあー面白かったねと言い合いながら、自分のからだのなかのどこかが震えていると思った。あんまり軽々しく使いたくない言葉だけど、あれはやっぱり「衝撃」だったのだと思う。だから震えていた。


『BL版宮戸川
お花(こしら版では“おみつ”なんですけどw)のキャラクターが強烈。「開けろよ!開けろっつってんだろ、開けろよクソババア!」って戸を叩いてるんですよw。で、半七に気が付くと「あらぁ、半ちゃん(ニッコリ)」って凄い豹変ぶり。
そんな強烈なキャラクターのお花と半七の宮戸川が始まるのかと思ったら、お花はあっさり退場。おじさんの家に向かう途中で、半七が「アニイ」と慕う辰が登場し、二人でおじさん宅へ。半七・辰の純情ボーイズラブストーリーの展開へ。
半七・辰のボーイズラブにありがちなやりとりも可笑しいのですが、わたしは婆さん(半七のおじさんのおかみさんね)が好きでした。
婆さん「小網町で半裸の女性死体があがったってッ…」
おじさん「かりにそうだとしてもお前が行ってどうする?」
婆さん「捜査ですよ」
「かりにそうだとしても…」っていうおじさんのツッコミも、「捜査ですよ」っていうのも可笑しくて好き。


『夢の酒』
落語はだいたいテキストで覚える(笑)というこしらさんですが、この噺は文楽を聴いて覚えたそうです。「これから文楽師匠の落語をやります」と言って、いつものように「江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し…」で始まった『夢の酒』w。この頃は寝ている若旦那が女房に起こされるところから始まるやり方が多いけど、文楽師匠のは若旦那が夢の中にいるところから始まるそうで(わたしは聴いたことない)、こしらさんもそうでした。
フツウに夢の酒やるのかな?と思いながら聴いてたら、若旦那の嫁が突然おかしくなり始めたw。焼きもちのヒステリーでこんなうちに来なくたって大野屋さんからだって縁談があったのにと怒ってたんだけど、突然「大野屋の若旦那はね、あれはカエルなの!わたしは見たの」「だるまさんが転ばない、だるまさんは転ばないけどみっちゃんは転んだ…」とワケのわからないことを口走り始める。大旦那「メンヘル?!」w
嫁が壊れるのを恐れて、いいなりになる大旦那。嫁の唾を垂らした水(!)を飲めと命じられ飲む。すると大旦那は夢の中へ。


この夢の世界が衝撃でした。
なにも知らずに聴いていただいたほうが楽しいと思うので詳しくは書きませんが、わたしはこんなアニメをどこかで見たような気がすると思ったし、ちょっと湿度のあるシュールな昭和漫画みたいとも思った。諸星大二郎の世界だと言った方もいる。とにかく聴いてる人によってあたまに広がった画は違うみたいで、それが素晴らしい。いい落語ってそういうものじゃないですか。
ナンセンスだけれど、適当に作ってるわけじゃないことが分かる。他愛のないギャグが実は伏線になっているというのが多々あって、たとえば嫁がカエルだと口走ってた大野屋の若旦那は、のちに大旦那の夢の中に登場して「よろしくお願いしますケロ!」w 嫁の言う通りカエルだったんだー!と大笑いしてしまった。そういう作りこみ方は白鳥師に似ているかもしれない。


さらにわたしが素敵だと思うのは、こしらさん自身はあくまでもヘラヘラしていること。いつも自分の落語はくだらないですよーっていう姿勢なんだよね。それがずっと変わらない。この人はたぶん売れて突然エラそうになったりしないだろうな…と思える。そういう了見はすごく落語家らしいと思うんだけど。


昨夜、こしらさんはステージを一段上げたような気がするんだけど、どうだろう?
わたしはそう感じたんだけどな。そのうち三遊亭白鳥を超えて、落語の最北端を極めるひとになるかもしれないと思いました。

2011年1月の落語



今年初の記事になります。
(今頃になって申し上げにくいのですが…)今年もよろしくお願いします。
1月は8つの落語会に行きました。


1/5(水)
志らくのピン
19:00〜21:10@内幸町ホール
らく次『夢の酒』
志らく初天神
志らく『大工調べ』
仲入り
志らく『寝床』
『大工調べ』の啖呵はハラハラしたw 全然言えてなくてただのめちゃめちゃ早口なんだもの。
でも、『初天神』は凄かったね。
何かが降りたのか憑いたのか、金坊が暴走!
父親よりも物知りのお利口な金坊がアレ買ってコレ買ってとねだるところで、激しくヘンなキャラクターに変貌!
「団子買ってくだしゃ〜い」って哀れを装おうとするあまり、物乞いのくしゃくしゃ爺さんみたいになっちゃう、そして、そのキャラが戻らない!
志らく師はマクラで、昨年末に日光のある温泉旅館を訪れ、その受付の男性がノートルダムのせむし男みたいな怪しいヒトだったって話をしたんだけど、団子買ってくださいの金坊には、その怪しいヒトのメージが重なってたのかもしれない。
「買ってくれないとタコチュウチュウ人間になっちゃう」「花開くゴリラになっちゃう」その顔と仕草がすっごく可笑しい。
志らくさんのクレイジー落語は、近頃顔芸の方向に走っておりますね。


1/6(木)
志の輔らくご in PARCO
18:30〜21:27@パルコ劇場
※全て志の輔師匠
『だくだく』
『ガラガラ』
仲入り
『大河への道』
伊能忠敬を講談とも落語ともつかないオリジナルの話芸で語った『大河への道』が印象的だった。
詳しくは朝日新聞・篠崎氏の記事をどうぞ。結びの言葉に納得。


1/11(火)
こしらの集い
19:00〜20:56@お江戸日本橋亭
マクラ(小学校教科書電子書籍化のお仕事〜立川流新年会で談春師匠に…〜志らく一門新年会)『天災』
中入り
『こしら版ロミオとジュリエット 小言杢兵衛長屋』
『小言杢兵衛長屋』(小言幸兵衛)が傑作。何故“幸兵衛”じゃなく“杢兵衛”なのかというと、そもそもこしらさんは『小言幸兵衛』という演題を忘れていた(やる前「たしかタイトルに“長屋”がついてます」とか言っていたw)うえに、噺の途中で幸兵衛が杢兵衛に変わっちゃったからだ。
仕立て屋に未婚の息子がいると聞いた幸兵衛が、息子と向いの娘みい坊の出会いから道行きまでを妄想するところがありますね?こしら版では、杢兵衛(幸兵衛)は、仕立て屋の息子とみい坊が仮面舞踏会で出会うという妄想をしますw「みぃちゃん、僕は君への変わらぬ愛をあの月に誓う」「やめて。月は夜毎かたちを変える不実者」。そうなの、ロミオとジュリエットなの、この二人。杢兵衛お前の息子の名前はなんだ?」仕立て屋「はい、山田ロミです」。
で、みい坊は一人娘なのに、杢兵衛の妄想の中ではいつの間にか兄がいるのよね(なんでだよ?だったら嫁にいけるじゃん!…というツッコむのも虚しいw)。
兄の名前はマキューシオ(ロミオの親友の名前)。この名前が出てくるのに、なんで「幸兵衛」が出てこないんだろう?…ということも含めて、トンチンカンがどこまでマジでどこまで計算だかつかめないのだ、立川こしらは。


1/12(水)
松雄貴史のオススメ落語会vol.2
18:15〜21:13@渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール
開口一番 柳亭市也『牛ほめ』
春風亭一之輔『あくび指南』
柳家花緑『笠碁』
仲入り 
立川生志『井戸の茶碗
春風亭昇太花筏 
ちょうど今日(2/3)からBS12chで始まる『松尾貴史の落語BAR〜sideA&sideB〜』の番組収録の落語会(ちなみに今日の放送分は昨年末にぎわい座で収録したものです)。
会場は内幸町ホールをもう少し大きくした感じ。改装して最近色々な催しに使われだしたとのことですが、なんだか空間が落語に馴染んでなくてよそよそしかった。ま、そのうち落語にしっくりする会場になるでしょう。ちなみに志らくのピンも4月からこの会場になります。
あ、高座はどなたも良かったです。


1/17(月)
月例三三独演新春特別公演
19:00〜21:10@国立演芸場
柳家三三『道灌』
旭堂南湖 講談『柳田格之進』
仲入り
三三『文七元結
久しぶりに三三さんの文七を聴いた。以前聴いた時は談春師の影響?と感じるところがあったり、熱演が似合わないなぁと感じたり、まぁそんなに好きではなかった、三三さんの文七は。今回は「泣かせよう」という意図が感じられず、笑いを誘うところが多々あり、好ましかった。
お土産は来場者全員に特製三三チロルチョコひと粒。食べるの勿体無いと思ったけど、既に食べちゃってもうありません。月例の会場で詰め合わせを売ってくれるといいな。


1/18(火)
立川談志の会
18:30〜20:35@紀伊國屋ホール
立川平林『平林』
松元ヒロ スタンダップコメディ 
立川談笑『片棒・改』
仲入り 
立川談志『羽団扇』〜落語チャンチャカチャン
一月(正月)ということで『羽団扇』だったのかもしれません。わたしは初めて聴いたけど、古くからの家元ファンの友人も「久しぶりに聴いた」と喜んでいた。
わたしは行けなかったけど、この会の後の談志一門会(25日)では『子別れ』を通しでなさった。これも久々の口演だったという。
「最近の家元の高座は体にしみこんでいる名人の芸を自らの身体を通して再現しているように見える」。これは落語つながりのマイミクの言葉。
今年はできるだけ家元が出演する会に行きたい。


1/27(木)
真一文字の会
19:30〜21:29 @内幸町ホール
開口一番 春風亭一力『子ほめ』
※以下、すべて春風亭一之輔
『普段の袴』
『味噌蔵』
仲入り
『宿屋の富』
今年初の勉強会。会場も日暮里サニーホールから内幸町ホールに変わり、自由席から指定席へ。もう席とりに並ばなくていいって嬉しいw でも、会場が大きくなっていくっていうのは応援する者としても嬉しい。内幸町ホールのちょっと堅い雰囲気に慣れないせいか、この日ははじけ方もほどほどだったかな。でも気持ちいい三席でした。


1/31(月)
道玄坂落語会 白酒初春の会
20:00〜22:02@Mt.RAINIER HALL
開口一番 林家扇『寿限無
桃月庵白酒『お見立て』
柳家喜多八『やかんなめ』
仲入り
桃月庵白酒『寝床』
場所は渋谷の道玄坂。会場は映画館を改装したライブハウス。入場した時は、なんだか落語にむかないなぁと感じた。
この会、会場の性質上そうせざるを得ないのか、ワンドリンク制。わたしは寝ちゃったり途中でお手洗いに行きたくなったりするのがイヤだから、基本落語の途中ではお酒は飲まないし水分もあんまり摂らないので、こういうのはいらない。そういう落語ファン、けっこういると思うけどな。それに、お酒飲むのはいいとして、なにしろ映画館のずらっとお行儀よく並んだ席で飲むわけですから、全然雰囲気がないw 
…というような不満を抱いていたのですが、始まってみたらとっても楽しいおとなの落語会で、おおいに満足して帰途についた。
なにしろ喜多八&白酒だから。二人揃ったらやっぱこれだ“毒とエロ”w。
白酒師のマクラなんか、ホントにお下品(牛久のキャバ嬢、立ち…あぁもう書けない)で、ガハハと品悪く笑って盛大にデトックスした。
二席とも良かったけど『寝床』が良かった。白酒師の寝床には、旦那が繁蔵に「そこをなんとか(機嫌を直して義太夫をやってください)」といわせたいんだけど、繁蔵に散々じらされる…というところがあって、その二人のやりとりがほんっとに可笑しかった。
そして喜多八師匠の『やかんなめ』!あれはもう、ひとつの「至芸」ですね。「よくぞ、みどもを、呼び止めたー!」ってフシをつけた甲高い声が、帰る途中に蘇ってニヤニヤしてしまいました。




こうしてみると、今まで落語と無縁な場所(ホール)で落語会が開かれるというケースがぽつぽつ増えているような気がします。落語は箱にも影響されるから、会の雰囲気が変わる可能性もありますよね。ピンは会場変わってどんな感じになるかなぁ。それから、談春喬太郎人気も一時より落ち着いてきた気がする。客は動いているよ。
落語を聞きだしてから少しは月日が経って、最近は正直新鮮な驚きや感動は減っている落語ですが、少しずつ変わっているのだなと感じた1月でした。

2010年 今年の落語総括



今年もこういうコトをする季節がやってきて、気がついたら大晦日ですよ。一年、まったく早いです。
さて。自分的恒例行事「今年の落語活動を振り返る」。
今年は落語会(寄席含む)に156回出かけ、567席の落語を聴いた。数的には昨年とあまり代わっていない。少しは減ってるかと思ったんだけどな。


落語を聴きはじめて6年になる。相変わらず落語は好きだけど、若手や聴いたことのない人を積極的に聴きに行くということがだいぶ減っている。時間が惜しいからだ。確実に楽しめるところにしか行きたくない。だから、わたしが聴いている落語家の顔ぶれはここ1〜2年ほぼ固定していて、しかもそんなに多くはない。
そんなわたしを「このヒトを減らしても聴きに行こう!」と思わせてくれる落語家、現れないかな・・・なんてことを思う。


というわけで、今年も毎度おなじみの落語家達の話しか出てきませんが、今年良かった落語家・落語は以下の通り。


今年、躍進著しい若手といったら、やはり桃月庵白酒春風亭一之輔立川こしらの三人です。
まず白酒師。わたしが聴いたなかで印象に残っているのは…
居残り佐平次(3/19 白酒ひとり)
船徳(5/19 白酒ひとり)
寝床(6/3 白酒独演会@道楽亭)
火焔太鼓(6/5 特選落語会 市馬・白酒二人会)
メルヘンもう半分(8/23 Wホワイト落語会)
落語らしい薫りがありながら毒がたっぷりの爆笑古典落語。白酒師、今年は安定していた気がする。いつ、どんな会でもほとんどハズレがなかった。


それから春風亭一之輔
今年の春頃、彼はこんなことを言ってた。人気のある落語家のチケットがとれなかった時に次善の策で行ってみたらけっこう楽しい、そんなディズニーランドの魅惑のチキルームのような“チキルーム芸人”になりたい、と(笑)。しかし、次善の策だなんてとんでもない!最近の一之輔さんの会はうかうかしているとすぐに満席になってしまうのだ。チキルームどころじゃない、開園したらダッシュで並ばなきゃいけない人気アトラクションだよ、既に。とにかく今年の一之輔さんの勢いには目を見張るものがあった。特に10月の真一文字三夜今月19日のいちのすけえん@国立演芸場の盛況ぶり。二つ目で国立演芸場をいっぱいにするって凄いよ。『鈴が森』『初天神』『あくび指南』『不動坊』『錦の袈裟』『明烏』・・・一之輔さんで聴きたい好きな噺がどんどん増えています。


そして立川こしら
今年最も爆笑したのはこしらさんの落語だ。相変わらず上手くはない、でも彼は「センスがいい」のだ、間違いなく。落語が上手くてもセンスの悪い落語家は多い。こしらさんは上手くはないけどセンス抜群なのよ。そのセンスはわかりやすい江戸の薫りはしないけど、個性的でチャーミングだ。だからヘタでも好きなんだ、こしらさんの落語(・・・なんか貶してるのか誉めてるのか分かりにくいけど、間違いなく誉めてます、こしらさん)。で、そんなこしらさんの、今年おもしろかった落語はコレ。どれもお江戸日本橋亭の座布団の上で体を折って大笑いした落語です。
文違い(3/2 こしらの集い)
だくだく(5/4 こしらの集い)
三軒長屋(8/7 こしらの集い)
らくだ(丁の目の半次一代記・序)/(文七・ちはやの)鰍沢 (12/3 こしらの集い)


以上の三人以外で、今年よかったのは柳家三三。もともと上手さに定評のあるところに、自然な滑稽味が出てきて、とても好ましかった。面白さで印象に残っているのはこの二席。
妾馬(5/28 J亭 立川談笑の会)
お化け長屋(6/11 喬太郎・三三二人会)
それからもちろん11月の談洲楼三夜。ずっと記憶に残る会になると思う。


それから立川志らく
今年は滑稽噺の傑作がたくさんありました。
松山鏡(4/5 志らくのピン)
反対俥(8/3 志らくのピン)
金明竹(11/10 志らくのピン)
ほかに明烏(1/14 志らくのピン)百年目(4/17三鷹志らく独演会)も良かった。
こうしてみると「志らくはピンを押さえておけ!」と言えそうですね。来年もピンはできる限り欠かさずに行こうと思います。


その他の落語家で印象に残っているのは・・・
柳家喬太郎 文七元結(2/28 特選落語会 柳家喬太郎の会) 
〃    東京無宿・棄て犬(5/30 柳家喬太郎みたか勉強会 夜の部)
立川談春  庖丁(4/18 談春アナザーワールド
自分の好みの変化だろうか、この二人については実は時々「?」と感じるようになった。喬太郎師にの芝居のような“演技”、談春師の“人情噺のなかの饒舌”。どちらもスッと醒めてしまうことがあるのだ。
もちろん「素晴らしい!」と感じることもたくさんあるふたりなのだけど。
それから志の輔師と昇太師は、共に大好きな方たちだけど、お二人とも大きな会場でやることがますます増えているせいだろうか、「粗さ」を感じることがあった。働きすぎで疲れていらっしゃるのか。少しゆったりなさって欲しい。


そして最後に今年いちばん印象に残ったこと。
立川談志の落語を再び聴けたこと。
へっつい幽霊(11/24 立川談志一門会)
芝浜(12/23 リビング名人会)
今年の4月に復活した頃は、ご自身を“しかばね”と自嘲していた談志が、シャンとして高座にあがりきっちり落語をやった。そのことが尊い
今月26日に市馬師匠の会(年忘れ市馬落語集)にゲスト出演した際、談志家元は23日の『芝浜』を、あの喉の状態でよくもやり通したと思うと仰っていたが、それは心から出た言葉のように思った。思い通りの落語ができないことに焦れて鬱々としていた人が、こんなことを言うようになった・・・と感無量だった。
へっついも芝浜も、以前の(50〜60代の頃の)談志のそれらとはもちろん違う。声が十分に出ないから抑揚がつけられない。でも、それが不思議な効果をうんでいたように思う。淡々とした、哀しみと温かみのある実に味わいのある落語だと思った。舞台袖で芝浜を聴いた志らく師は、その夜Twitterに「声がでなくても落語はできる」と書いていらしたが、本当にその通りだと思った。


来年も落語は聴きます。でも、来年は本当に落語を減らそうと思っている。落語家が落語に向き合うように、自分も自分がすべきことにちゃんと向き合わないといけないなと思うようになりました。けっこういい齢ですからw 焦るほどではないけれど、時間はもうそんなにない。限られた時間を大事に、好きな人たちの落語を大事に聴きたいと思います。