ダヴトオール首相とアジア

久しぶりに書き込みます。

トルコではエルドアン首相が大統領なり、ダヴトオール外相が首相に就任しました。ダヴトオール首相は、ある時期マレーシアのマラヤ国際イスラム大学で国際関係論の教鞭をとっていたことがありました。彼をマレーシアに招聘したのは、当時のマレーシア副首相アンワル・イブラヒム氏でした。元副首相からある席で直接聞いたので間違いないと思います。

新首相は、クリミア・タタール人の血をひき、アジアに対する関心が強いです。新首相はトランス・アジア研究所をつくりたいと言っているようです。

実現することを期待しています。

5月28日、アゼルバイジャン共和国独立記念日


5月28日は、アゼルバイジャン共和国独立記念日

1991年のソ連解体により、アゼルバイジャン共和国が独立した。ソ連解体の過程でアゼルバイジャンは、1989年10月5日、共和国主権宣言。1991年2月5日、「アゼルバイジャン共和国」に国名変更。1991年8月30日、共和国独立宣言。この過程では、5月28日は出てこない。

1918年5月28日、ロシア革命後にガンジャにおいて、「アゼルバイジャン民主共和国」として独立宣言をおこなった。この共和国は赤軍のバクー進駐により崩壊するまでの23か月間の短命な共和国であった。当時のイスラム世界における独立国の政体は、王国など君主制であった。アゼルバイジャン民主共和国は、イスラム世界最初の共和国であった。イスラム教徒が主体となって樹立した共和国であったが、世俗化、信教の自由を定めた世俗憲法を持ち、複数政党制による議会政治を行っていた。現在から見ても先進的ではあったが、赤軍進駐により独立を維持することができなかった。

現在のアゼルバイジャン共和国は、アゼルバイジャンでの最初の独立を独立記念日としている。民主共和国では民族政党ミュサヴァト党が政権運営をおこなっていた。ミュサヴァト党は、アゼルバイジャン共和国ではイーサ・ガンベル党首率いる野党。他方、イルハン・アリエフ大統領は故ゲイダル・アリエフ大統領(元ソ連共産党政治局員)の長男。現政権はソ連共産党幹部の息子がなっている。5月28日を独立記念日として祝っているが、アゼルバイジャンではその歴史をあまり触れいない理由は、ミュサヴァト党が野党であるからこともあるのであろう。

鈴木住子『チャードルの女』


鈴木住子著『チャードルの女』(日本週報社 昭和34年9月初版、10月2版)

昔から、この本については知っていたが、最近古本で入手した。前嶋信次先生が紹介を書くなど意外に話題となった本である。ウイグル人によってウイグル語に翻訳されている。読んでみると面白かったので一日で通読してしまった。

著者は、本人は自覚していたと思うが、日本の対回教徒工作に身を挺してウイグル人を結婚し三人の子供をなした。戦時中は南京、上海、北京にウイグル人などのイスラム教徒コミュニティーにくらしていた。日本の敗戦後、夫に従い子供を連れて大陸奥地まで入っている。

東トルキスタン共和国のことも書かれており、歴史史料としては裏付けはないが、読み物として面白い。彼女は夫とも離婚し、子供とくらすこととなった。日本のスパイとして国民党に逮捕され、子供たちと生き別れとなる。国民党と共産党に敵対したとして獄中に7年間つながれた。共産党の獄中では、思想改造のため日々告白させられている。後に釈放されて帰国している。大陸での15年間は波瀾万丈である。このような生々しい経験をした日本人女性は希有であろう。

大陸で多くの辛酸を経験しているのか、性的なことも含めて結構赤裸々に書いている。大陸に渡る年齢が20代前でイスラムや歴史に関する知識がなかったせいか、タタールイマーム(導師)をタタール王とするなど事実誤認も散見された。

初版が出版されて1ヶ月で重版されていることから、昭和34年当時結構読まれていたのかもしれない。いまでは新疆や戦前期の対回教政策に関心がある人だけが読むような、忘れられた書籍となっている。

チャードルの女 (1959年)

チャードルの女 (1959年)

トルコ:日本の大震災とトルコの原発建設計画(現地報道)

3月16日付トルコ各紙は、東北地方太平洋沖地震東北関東大震災東日本大震災)およびトルコの原発建設計画に関して報じている。

1. エルドアン首相の発言概要(訪露前に行った記者会見)

(1)巨大地震による日本での原発被害を理由に、トルコが原発建設計画を停止することはないだろう。

(2)リスクを伴わない投資など存在しない。もしリスクの全くない投資を望むのであれば、石油パイプラインは建設すべきではないし、台所でのガスの使用も止めるべきだ。

2. ユルドゥズ・エネルギー大臣の発言概要

(1)我々は日本の事故を看過はしない。この事故から得られる教訓や注意点は十分議論すべきだ。

(2)現在の原発の安全対策は、40年前に建設された原発と比較して確実に変化している。トルコが建設を予定しているのは第3世代の原発である。我々の原発建設の決意に変更はなく、日本の関係者との協議も継続している。

3. トルコは2010年5月、ロシアのロスアトム(Rosatom)社との間でトルコ初の原発(原子炉4基)建設の契約に署名した。約200億ドルと見られる事業の許認可手続きは既に開始されている。トルコはスィノプでの原発建設についても、地震発生前から日本企業と交渉を続けていた。

4. ハジェッテペ大学原子工学部のカディルオウル前学部長(原子力専門家)の発言概要

(1)メルスィン県アックユにおける原発建設のためにロシアが提案している技術は未だテストされたことがない。1986年のチェルノブイリ原発事故を思い出して欲しい。トルコは全く信頼性に欠ける国から原子力技術を購入しようとしている。

(2)我々はトルコの原発でいかなる技術が使用されるのか承知していない。

東北関東大震災

この度の東北地方太平洋沖地震により被災されました方々に、心よりお見舞い申し上げます。

亡くなられた方々に対して、衷心よりお悔やみ申し上げます。

合掌

トルコは中東でますます重要な国になる!

チュニジアで始まった民主化要求の動きは、エジプトそして湾岸諸国に拡大している。これらの国は、民主主義国家とは名ばかりで独裁国家、強権政治体制、一党独裁であり、民主国家と言えない。

トルコが1923年にトルコ共和国として独立したが、共和人民党(CHP)が一党体制で続いていたのが、1950年代に多政党体制に移行した。しかし、政治が安定せず、1960、1970年そして80年代に軍の介入が政治的な安定をもたらした。軍人は経済的な安定をもたらすことができなかった。故オザル首相(のち大統領)がトルコ経済を外資にも開放することで活性化した。2002年、公正発展党(AKP)が政権をとると、欧米はイスラム原理主義がトルコに広がるとして警戒した。エルドアン首相の指導力のもとにトルコは中東で安定して民主国家、そして経済的に発展した国になりつつある。地域大国になりつつある。

エジプトでは、軍人主導による民主化移行が始まるが、この行方は分からないが、トルコの動きと比べると、数十年前の動きである。アラブが政治的・経済的に安定した民主国家になるまで相当に時間がかかるであろう。

中東イスラム諸国において、安定した民主国家であるトルコの政治的・経済的な役割がますます大きくなるであろう。このような情勢にあって、日本はトルコとの関係をもっと戦略的な関係にまで拡大する時期にきている。しかし、外務省など日本政府には、そのような意識がないことは残念だ。

1990年1月20日 バクーでの虐殺

ゴルバチョフは,ゴルビーとの愛称で呼ばれ,ソ連時代にペレストロイカなど改革を推進ことで日本では彼の人気がまだ残っているようで,日本のテレビ番組では高いギャラを支払って,彼を使うことがある。ロシアでは人気のない人物となって,時代遅れの人物だ。ゴルバチョフに高いギャラを支払うのは日本のマスコミぐらだ。だから,彼も喜んで日本の番組に出演する。日本のメディアは海外からいつもバカにされている。

ソ連末期でゴルバチョフ国家元首でありながら求心力を失っていたとしても,彼の時代に起きたバクーでの事件は,歴史の一コマであるかもしれないが,ソ連の非情さとして記憶されであろう。

1990年1月20日のバクー起きた虐殺事件は,アゼルバイジャンでは「1月20日の悲劇」として,市民に追悼されている。バクーで改革を求める,子供も含む一般市民の集会の中に,ソ連軍戦車部隊が突入し,150名もの市民が戦車に轢かれ,銃弾で斃れた。この事件のあと,アゼルバイジャン共産党員たちはソ連共産党から脱党した。アゼルバイジャン人たちの民族意識を覚醒させ独立への動きが加速した。中央アジアには,そのような動くはほとんどなかったことに比べると,アゼルバイジャンには独立運動は起きていた。

ゴルバチョフは直接命令しているかは不明であるが,彼の時代に虐殺が行われている。日本のマスコミは彼の時代に起きた虐殺という悲劇を,多分全く知らないのであろう。ゴルバチョフは彼以前の共産党員と同じ思考レベルであると思う。悲劇の張本人を使う日本のメディアはおめでたい。

ソ連が戦車で市民を轢き殺す,中国天安門事件でも同じことが起きている。共産主義は人民の命よりも体制維持が大切なのだ。

1月20日共産主義がいかに人命を軽視しているかを証明した,悲劇の記念日でもある。