そんなに考えなくてもいいと思う

しかし、考えることをやめられない。今の目標は、考え過ぎて動けないから動きながら考えるへのチェンジです。

父と娘の予行演習

ナッツを食べていたら父が話しかけてきました。

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父「ナッツリターンだろう。ナッツリターンの練習だろう」

いいえ、普通に食べているだけです。

父「貸しなさい」

私のナッツを奪い取る父。

父「機内サービスのナッツです」

と私に袋ごとナッツを出してきました。

私「ありがとう」

特にボケるわけでもなく普通に受け取ります。

父「だめだろう。そんなんじゃナッツ姫になれないぞ!」

なぜかスパルタになる父。

父よ、ナッツ姫になるためには傍若無人なふるまいだけでは足りないのです。

 

財力が必要なのです。

 

残念ながら私たちにそこまでの財力はありません。

私たちは永遠にナッツリターンを起こすことはできません。

 

そんな楽しい父と娘の会話でした。

年末年始を振り返る2~年賀状~

7日に間に合わず寒中見舞いになってしまったのもありますが。

 

今年は去年結婚した人から、結婚式の写真とともに年賀状が届きました。

巷では、年賀状に家族の写真や子供の写真ってどうなの?という風が吹いていたりしますが、私は素直にうれしいと思いました。

別に自慢でもないし、単なる近況報告ですし、次に会ったときの話題にもなります。

いいじゃないか。

私の友人は干支もお正月にも全く関係ない、シュールなコラージュを貼ってきたんだ。

大学生のときからずっと。

反応に困ります。

いい意味で子供の心を忘れていないということなんだろうけど、意味がわからないです。

それとも私には高尚過ぎたのでしょうか。

 

年賀状を出す人数が年々減っています。

おそらく小学生の頃がピークだったと思います。

今年は3人にしか出していません。

友達が減った・・・のではないと思いたい。

 

年末年始を振り返る1~ガウディ×井上雄彦展~

お正月が終わってしまいました。

今回も本当に年末年始が楽しかったので、

ご多分にもれずその終わりを悲しんでいます。

しばらくは年末年始のよき思い出を糧に生きていきます。

 

年末に長崎に旅行に行きました。

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眼鏡橋

晴れていたので立派な眼鏡に出合えました。

ガイドでもなさそうな人に声を掛けられ、勝手に説明をされるという奇妙な体験もできてよかったです。

 

ちょうどこの時期に長崎美術館で

「ガウディ×井上雄彦展」がやっていました。

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やったね!

先に長崎に行くことが決まっていたから、ガウディ目当てでは決してなかったのですが、催されていると知ってからには行かないわけにはいきません。

オランダ坂や中華街を計画から外し、美術館をぶち込みます。

 

結果、すごく堪能しました。

サグラダ・ファミリアをはじめとした彼の作品は、緻密で圧巻な空間というイメージがありました。

それは感動的なのですが、どこかでそれにちょっと引いている自分がいました。

こんなに細かく作らなくてもよくない?

こんなに形があったら目が回るよ。

と、決して口には出しませんでしたが「すごい」と思うと同時に「気持ち悪い」と思っていました。

今回、ようやくその理由がわかりました。

自然をモチーフにしているからでした。

自然って何千年、何億年という膨大な時間をかけて形を作ってきたのに、

それをガウディはたかだか何十年というスピードで作ろうとした。

それに私は違和感を覚えていたのでしょう。

自分の中のもやっとしていたものがスッキリして晴れ晴れです。

 

ガウディそのものも魅力的ですが、井上雄彦が表現したガウディの世界観にも魅了されました。

ガウディが現代を訪れ自分の作品を観にくる世界中の人々を前にしたとき、そして今もなお建築されているサグラダ・ファミリアを前にしたとき、どのような思いを抱くだろうか、と描かれていた場面が心に残っています。

 

この展示は「独創とは何か」に主眼を置かれていて、ガウディがずっと答えを探しているというストーリで作らています。

考えたことなかったなぁ。

個性とは違うものなぁ。

とガウディと一緒に考えながら進んでいました。

答えが示されたときに「あぁ、そうか」と妙に納得してしまいました。

その部分だけポストカードにして欲しかった。

 

うまく言葉にできないことがもどかしいですね。

本当はね、ここに書いてある何倍のことを感じ取っているのですが、

言語化機能がなめらかに稼働してくれません。

 

今回初めて知ったのですが、ガウディは路面電車に轢かれて死んだのですね。

予想外の最期に衝撃を受けました。

しかもそのみすぼらしい身なりに「一流建築家ガウディ」と気づかれず、

しばらく放置されていたって・・・

あんまりでしょう。

 

面白い絵本をつまらなく読む技術

姉と姪(1歳8カ月)が来ている。

姪は活発に動く。

だから、お昼寝なんてすぐにするだろうと思っていたら、

 

全然しない。

 

見るものすべてが珍しいのか、横になってもすぐに起き上がる。

 

困った。

あぁ困った。

大人が困った。

 

楽しく走り回っている姪だが、姉に抱きあげられると眠そうにしている。

そうだろう。

眠いだろう。

素直に眠りなさい。

 

寝ない。

 

疲れ果てた姉が先に昼寝をした。

姪は私に託された。

どうする私。

私にできることなど限られている。

幼児と遊ぶ機会などほとんどない私ができること。

 

 

絵本を読む。

 

 

私好みの絵本を読み聞かせする。

 

こんぶのぶーさん

こんぶのぶーさん

 

 シュール。

ちくわのわーさんが好きなので、そのシリーズのこんぶバージョン。

前回姪が来たときは、わーさんをプレゼントして読み聞かせていた。

 

乳幼児が好きなもの - そんなに考えなくてもいいと思う

以外とね、楽しんでくれているのだよ。

 

って、楽しませちゃだめだろ。

寝させるんだから。

我に返った私は、自分の高校時代を思い出した。

 

それは倫理の授業だった。

とにかく眠かった。

なぜかというと先生の声が眠りを誘うからだ。

抑揚がなく淡々と同じリズムで、モンテスキューやルソーを説明されたら

本当に眠かった。

 

これだ!

と、せっかくの関西弁のリズムが楽しいこんぶのぶーさんを

一本調子でゆっくりと読む。

 

絵本を読んでもらえると仰向けになった姪は

しばらくして顔を背け、ぬいぐるみで遊び始めた。

飽きてきたようだ。

よし、いける。

手ごたえを感じ、2回目のぶーさん。

半ばまでいったところで、完全に顔を横に背ける姪。

私は、1回目よりもゆったりと読んだ。

 

そして聞こえた。

 

スー

スー

 

寝息!

NEIKI!!

ひゃっはー!

 

心地よい達成感を胸に、私は姪から離れた。

 

 

誤解のないように述べますが、

こんぶのぶーさんはつまらない絵本ではありません。

感情を込めれば、アンコールのリクエストがくるような楽しい絵本です。

その楽しさを潰してしまう読み方を今回はしたというだけです。

繰り返します。

この絵本は面白いです。

 

 

今年もいい出会いを授かった

今週のお題「2014年のお別れ」〈2014年をふりかえる 3〉

私は、本や雑誌を読んで心に残った文を手帳に書いています。

そんなわけでお題にのっかって、今年書いた文をつらつらと書いていきます。

 

 

オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない

 

 遙洋子 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』筑摩書房 2000年より

 

上野ゼミの合言葉のようです。

「情報の真空地帯」っていう響きが好きで。

自分なんてひたすら人の真似ばっかで、なんにもないじゃん。

って思っていても、その真似が自分を作っているのだと背中を押される言葉です。

 

 

 

もし仮にこの世に平等ということがあるとすれば、それはひとそれぞれ違うということを認める平等です。自分と違うからといって、ダメかダメじゃないかを判断しているなんておかしな話です。

 

みうらじゅん『さよなら私』 講談社 2009年より

 

平等を全て同じにすることだと捉えているのでは、と目が覚めます。

人はそれぞれ違うってわかっていても、自分と違うことが気持ち悪く思えてしまう。

基本的にふざけているようなみうらじゅんから、こんな言葉が発せられると

必要以上に重く受け止めてしまいます。

・・・それもねらっているんですか?

 

正義を犠牲にして、平和を築く 

 

ラジオで国際紛争解決人なる人が出演していて、その方の言葉。

残念ながらお名前などを忘れてしまったのですが、この言葉だけは妙に記憶に残っています。

この言葉を聞いてから、平和って言うのはキラキラした輝いているものではなくて、

どす黒くて隙間から弱弱しく光を放っているものではないかと見るようになりました。

大量虐殺の罪を問わない代わりに、これからの暴力をやめさせる。

もっと政治的な取引があるんだろうけど、そんなの庶民にはわからない。

理不尽でしょう。

殺された人の家族の叫びなんて黙殺です。

正義を貫くことが、平和を妨害しているなんて、直視したくない現実です。

でも、これって日本から遠い国の珍しい話じゃなくて、

今の日本にも言えることですよね。

犠牲にしているのは必ずしも正義ではないと思いますが。

 

 

 

 

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

 

 

さよなら私

さよなら私

 

 

 

結婚についての考察

今年結婚したという職場の人に、

その人と結婚した理由を聞きました。

答えは

 

 

お互いの実家が近かったから

 

というものでした。

 

性格や外見でもなく住んでいる場所というのが衝撃的でした。

これを聞いた時、ある漫画を思い出しました。

 

 この中で、モテテクとかバカらしい、素の自分を好きになってくれる人じゃないと意味がないと言う30過ぎで独身彼氏なしの薫子さんが、

理想の結婚の為に日々努力をし、モテテクもナチュラルにこなし、男を落とし、めでたく結婚したサエコさんに

「どんな男にもウケる 最強の女子はどんな女なのか」

とたずねるシーンがあります。

これに対するサエコさんの答えは

「近くに住んでる子」

でした。

最寄駅が一緒、沿線が同じ、は食い付きがいい。

地元が同じとかも絶対デートに誘われるとサエコさんは言う。

理由は身近に感じるから、らしい。

 

これを思い出しました。

「近くに住んでる」というのは、男ウケどころか結婚までいける

無敵の要素のようです。

大学の同級生も実家が近かったからという理由を挙げて、結婚していました。

 

結婚になると、「近くに住んでいる」ということが、身近に感じるというよりも、

相手の育った環境、両親はどんな人かがある程度予想できるのも大きいんじゃないのかな、と推察します。

 

ここまでのサエコさんの意見と私の推察をざっとつなげると

 

地元が同じということで最初から話が盛り上がって、親近感がわく。

つきあっても、相手のバックボーン&周辺の環境を予想できる

この人と結婚したらどんな家庭を築けるのか想像しやすい

結婚

 

ということでしょうか。

もちろん、家が近くても結婚しなかったカップルや、遠距離を見事成就させ結婚したカップルもいるので、「家が近い」は単なる要素に過ぎません。

でも、「地元志向」が強い人にとっては重大な要素のようです。

先の二人も地元から離れるつもりは毛頭ないようでした。

 

 

私の周りでここ1,2年で5組結婚しました。

私は彼・彼女らに尋ねました。

 

「いつ結婚を意識したのか」

 

答えは以下です。

 

・「遠距離だったが、彼が戻ってきてプロポーズしてくれたとき」

・「会った瞬間に、この人と結婚するんだろうなって思った」

・「付き合うときに『いつになるかわからないけど結婚しよう』と言われた」

・「付き合うときには結婚すると決めていた」

・「結婚するならこういう人とという自分のイメージにぴったりだった」

 

へい。

へいへい。

なんてことだ。

一番最初以外、付き合う=結婚じゃないか。

付き合う以前から結婚を意識していたものまである。

おかしいな。

「俺が結婚を決めた瞬間」ってな感じで

風邪で弱っているときに看病してくれた様子にこの人が奥さんならいい、とか

 冷蔵庫のあるものでパパッと料理を作ってくれたとき、みたいなのがないのか。

あれは都市伝説か。

それともネタか。

どこかにあるはずだ!やる気スイッチのごとく結婚スイッチが!!!

 

とにかくその結婚スイッチが押された瞬間がなんとももやっとしているので

全く腑に落ちず思考を巡らせていました。

冷静に考えれば社会人になってから付き合えば、

濃度の差はあれ「結婚」は初めから意識するものでしょう。

 しかし、会った瞬間に結婚を考えるのは何か理由があるだろう。

おそらく本人の考えている「結婚の条件」があって、それを表していたから

「この人だ!」って思ったはずです。

その「結婚の条件」を聞いているのですが、なぜかみんなはっきりとしない。

その瞬間は「この人だ!」だけだろうけど、後々考えたら

「そういえば、こういうところに惹かれた」だの言葉にできる部分があるでしょう!

その部分を聞きたいんだ!!

なのに出てこない!

ホワイッ?!

ミステリー!

 

なぜ?!

なぜあなたたちは結婚したの?!

何がそうさせたの?!

 

ってぐるぐる考えていたらポンって出てきた。

 

好きだから付き合って

もっと好きになったから結婚したんだよ

 

はっ!

シンプル!

飛躍してる!

そして納得!

 

恋から愛に変わるとか言いますからね。

人それぞれだよ、結婚なんて。

お互い感謝して、笑いあえる時間が少しでも長ければいいんだよ。

 

・・・いいのかこんな結論で。

 

 

 

 

母が帰ってきた

おかえりなさいお母様。

私はあなたの帰りを待ちわびておりました。

あなたがいない2週間はいろんなことがありました。

まず、仕事と家事の両立がこんなに大変だとは思いませんでした。

一人暮らしをしていたから、別に家事ぐらいどうにでもなると考えていたのですが、

よく考えたら、それは学生のときの話で、しかも毎日、料理掃除洗濯を

していたわけではありませんでした。

家事らしい家事をしてこなかったのです。

私がしていたのは何だったのでしょう。

そうか。

あれを人は堕落と呼ぶのですね。

 

幸いにも午後から勤務だったから、ある程度時間的余裕はありました。

だから、昼食を食べる前かその後に夕食を作っていたのですが、

もうほんとにどうでもよくなりますね。

最後3日間くらいは顔が死んでいたという自覚はあります。

もしかしたらもっと手抜きをしてもよかったかもしれません。

でもね。

私だけならまだしも父親にカップラーメンを渡すのはどうかと思ってしまったのです。

夕食に一人カップラーメンを食べる父。

あまりにわびしい光景です。

くわえて、体は正直なのですぐに警告音を出してきます。

「野菜足りないんですけどー!!?」

「えぇ?!そんなに塩分を摂るの?!」

メンテナンスを怠ってはいけません。

食事と健康って本当に密接ですね。

 

ベストを尽くそう。

 

私の中の松岡修造が燃えた瞬間です。

 

結局のところ、ときどきお弁当にしたり外食をしましたが、

自分にしてはよくできた方だと評価します。

余っていた食材を結構減らすことができたし。

・・・ん?目的変わってた・・・?

 

 

福山さんのラジオ終了の真相も聴けました。

「眠い」

だそうです。

 

 

・・・だよね。

うん、まぁ、そうだよね・・・

ニュースで取り上げられてしまい、理由を告げるのを申し訳なく思ったそうですが

それだけ周りがショックだったのですよ。

しかし、「眠い」という理由にどこかホッとした自分がいました。

活動を休止するんじゃないかとか考えましたので。

スターも睡魔には勝てないですよ。うんそれなら仕方ない。

 

 

いろいろとあったはずだけど、あまり覚えていません。

私の脳なんてそんなもんです。

キャパなんて小さい小さい。

 

ここ2週間を反省しながらお土産のお菓子を貪ります。