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映画『沈黙のパレード』は面白い?つまらない?ネタバレ感想

映画『沈黙のパレード』

映画『沈黙のパレード』

■あらすじ「とある地方都市で一人の少女が忽然と姿を消した。それから3年、華やかな夏祭りのパレードの裏側で殺人事件が起きる。容疑者として浮上したのは、その街でごく普通の生活を営む善良な人々だった…。天才物理学者・湯川学(福山雅治)が難事件に挑む劇場版ガリレオシリーズ第3弾!」

 

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて本日、土曜プレミアムにてミステリー映画『沈黙のパレード』が放送されます。原作は東野圭吾さんの同名小説で、2018年に発表された際は「ガリレオ」シリーズ6年ぶりの長編作品ということで大きな話題を集めました。

ガリレオ」シリーズといえば天才物理学者・湯川学が活躍する連作ミステリーの総称であり、2007年に福山雅治さん主演のTVドラマ版『ガリレオ』が放送されて人気を博し、2008年には劇場版として容疑者Xの献身、2013年には真夏の方程式が公開されて大ヒット!

そして2022年に、映画第3弾となる『沈黙のパレード』が前作から9年ぶりに公開されたのです。

ちなみにTVドラマ版『ガリレオ』は湯川先生のキャラが若干コミカルで、「実に面白い」とか「さっぱり分からない」などの決めゼリフ(?)や”フレミングの左手”を模した決めポーズなど漫画的な演出が目立っていました。

それに対して映画版はシリアスかつドラマチックな要素が強調され、決めゼリフも決めポーズも出て来ません。

これは監督の西谷弘さんが最初から決めていたことだったらしく、「テレビはキャッチーでコミック的な雰囲気をふんだんに取り入れ、映画はもっと人間の心の動きを表現したい」と意図していたそうです(つまりワザと作風を変えていた)。

しかしながら『沈黙のパレード』は過去2作の映画とちょっと違うんですよね。湯川先生は「実に面白い」や「さっぱり分からない」などの決めゼリフを言ってるし、かなりドラマ版のテイストに近いんですよ。

西谷監督によると「原作を読んだら東野先生がとてもドラマ版のファンを大切にしていると感じた。それに今はもう、ドラマだから映画だからっていう時代でもないだろうし、ドラマ版のファンの期待に応えたいという思いが強かった」とのこと。

また脚本を書いた福田靖さんは「事件の背景にしても動機にしても非常に切ない話なので、そのままストレートに見せていくと、とても暗い映画になってしまう」と考えたらしい。なので、今回の『沈黙のパレード』は敢えてドラマ版の湯川先生に寄せていったのでしょう。

映画『沈黙のパレード』

映画『沈黙のパレード』

とはいえ、完全にドラマ版みたいになっているわけではなく、映画版ならではの重厚なムードを残しつつ過去の2作品(『容疑者Xの献身』と『真夏の方程式』)との繋がりもしっかり描いているのが好印象でした。

例えば、柴咲コウさん演じる内海薫がシャボン玉で遊ぶ子供たちの側にいる湯川を見つけた時、「子供は嫌いじゃなかったんですか?」と訊ねて「苦手なだけだ」と返されるシーンがあります。

これは、『真夏の方程式』で吉高由里子さん演じる岸谷美砂が「湯川先生、子供苦手じゃないですか?」と訊ねた時に「苦手じゃない、嫌いなだけだ」と答えるシーンを踏まえた会話になってるんですね。

また内海薫に対する「僕だって、あの時と同じようなことを繰り返したくはない」という湯川のセリフは明らかに『容疑者Xの献身』の事件を意識したもので、演じた福山雅治さんも「このセリフには、学生時代からの親友だった石神を助けることができなかったという後悔が大きく潜んでいる」と語っています。やはり、こういうシーンがあるのはシリーズのファンにとっても嬉しいのではないでしょうか。


※以下ネタバレしてます(なお、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』についても触れているのでご注意を!)


さて、そんな感じで主人公の湯川先生を含め登場キャラクターは皆魅力的でよかったんですが、内容に関しては正直気になる点がチラホラと…。

まず湯川先生が今回の事件に関わる理由について。

湯川先生って基本的に「犯人は誰か?」みたいなことには興味がなく、「不可解な現象を科学の力で解き明かしたいだけ」というキャラだから、そもそもこの事件に関わること自体が微妙なんですよね。

実際、内海が協力を求めに来た時も「今回の件で物理学者が力になれそうなことは何も思い当たらない」「これは君たち警察の問題だ。僕には関係ない」と全く興味を示しませんでした。

まぁその後で「事件に興味はない。だが行きつけの店の主人や家族に殺人犯の容疑がかかるかもしれないんだ。無関心でいる方がおかしい」と言って協力することになるんだけど、問題は「物理学者が科学知識を駆使して難事件を解明する」というガリレオシリーズにおける最大の特徴が活かされてないという点なんですよ。

なぜなら、遺体が発見された状況からしてそもそも「難事件」という感じがあまりしないし、意図的に「密室トリック」みたいなものが仕掛けられていたわけでもないし、序盤であっさり殺害方法も分かってしまうし…。要は”ミステリーとしての面白さ”が不足してるんですよね。

じゃあ「真犯人捜し」の部分はどうなのか?っていうとこれも微妙でして…

「蓮沼に恨みを持つ複数の人物が共謀して恐るべき犯罪を実行する」というシチュエーションは明らかにアガサ・クリスティーオリエント急行殺人事件を意識したものでしょう(東野圭吾さんの原作でも「オリエント急行」のワードが出て来る)。

しかし「その割にはあまり効果的じゃないなぁ…」と。

『沈黙のパレード』のクライマックスは「この中で実行犯は誰なのか?」という部分で、『オリエント急行殺人事件』の場合は「容疑者ほぼ全員が実行犯」という意外性が当時の読者を驚かせたわけですが、同じネタをやったら当然パクリになってしまいます。

そこで椎名桔平さん演じる新倉直紀が警察に自首し、「自分がやりました」と告白するものの実は一人だけ動機が違う(奥さんを庇うため)という「どんでん返し」を持って来たのは確かに見事だなと思いました。

でも、檀れいさん演じる奥さんの行動がいまいち納得できないんですよね…。

公園で並木佐織を突き飛ばし、資材に頭をぶつけて動かなくなった彼女を見て驚きのあまりその場を走り去ってしまうというのは、いくら動揺していたとはいえちょっと酷いでしょう。

もしその場で介抱するなり救急車を呼ぶなりしていれば、軽傷ですんでいた可能性が高いし、蓮沼にも誘拐されず、命も奪われることなく助かっていたはずなんですよ(結局、この人が元凶じゃん!)。

しかも、自分が殺した(と思い込んでいる)にもかかわらず、亡くなった少女の両親が経営する食堂に行って普通に料理を食べてるって、どういう神経なの?よく平気でそんなことが出来るなぁ(行動が怖すぎる…)。

この辺は、「登場人物たちの心情が詳しく描かれていないから」という問題もあると思います。実はこれって原作小説では丁寧に描かれてるんだけど、長いので映画版ではカットされたらしいのですよ(以下、脚本を書いた福田靖さんのコメント)。

仮に原作を1文字残らず打ち直して、そのまま台本にするとしたら、おそらく10時間以上の分量になるでしょう。それを2時間の映画にするわけだから、単純に8割は切らなきゃいけない。8割切って、なおかつ原作の流れや空気感を残していくのは本当に難しいんです。元の小説が緻密でよく出来ているから、本来どこにも切れる要素がない。

(「キネマ旬報」2022年9月下旬号より)

なんと映画化する際、原作に書かれている要素が8割もカットされていた!?そりゃあ納得できないはずだよ!(というか、そんなにカットされてるのにちゃんとストーリーが繋がってるのが逆にすごいw)

まぁ8割カットしても必要最低限の要素が残っていれば話は一応分かるんですが、登場人物がその行動に至った動機や誰がどうやって計画を立てたのかなど、心理描写とか経緯をもう少し丁寧に描いて欲しかったなぁ(酒向芳さんが演じた増村に関する描写も大幅にカットされてるし…)。

あと、タイトルが『沈黙のパレード』なのに皆あまり沈黙してないってどうなのよ?とか。

取り調べで蓮沼が完全黙秘を貫いたため処分保留で釈放されたことに対し、「だったら自分たちも沈黙してやる!」とばかりに皆が喋らなくなって捜査が難航する…みたいな展開を想像してたんですが、そういう感じでもないんですよね(吉田羊さんが思わせぶりに「沈黙罪ってあるんでしょうか?」と言ってたのは何だったのか)。

というわけで『沈黙のパレード』を観た僕の印象は、過去2作品と比較した場合「ミステリー映画としての強度は『容疑者Xの献身』、家族愛などエモーショナルな部分は『真夏の方程式』の方に軍配が上がる」という感じでした。

映画『沈黙のパレード』

映画『沈黙のパレード』

ただ、決して「面白くない」というわけではありません。

福山雅治柴咲コウ北村一輝飯尾和樹田口浩正、酒向芳、岡山天音村上淳、吉田羊、檀れい椎名桔平など豪華なキャストが参加し、たっぷり予算をかけて大規模なパレードのシーンを撮影するなど、映画自体は非常にスケールが大きくてよく出来ていると思います。

さらに役者さんたちの熱演も見どころで、食堂「なみきや」の店主を演じたお笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹さんは、大切な娘を亡くした父親の怒りや悲しみを見事に表現していました。

中でも草薙俊平を演じた北村一輝さんが素晴らしい!15年前の事件を解決できなかった草薙は「今度こそ!」と蓮沼を取り調べるものの、またしても処分保留で釈放。その悔しい思いや遺族に対する申し訳ない気持ち、そして事件の真相を知った時の葛藤など、様々な感情を見事に演じ切っていました。

しかも草薙の出番がメッチャ多くて、苦悩する草薙と彼を助けようとする湯川先生の姿がじっくりと描かれています。福山雅治さんによると「今回、湯川は誰のために動いたのか?というと、表向きの理由は”なみきや”の人たちのためですが、本心は親友である草薙を助けたいという思いが何よりも強いんです」とのこと。

つまり本作は「湯川と草薙の友情物語」でもあったのですよ。

ドラマ版の「ガリレオ」シリーズは基本的に湯川先生と内海(第2シーズンでは岸谷)の”バディもの”で、草薙はどちらかと言えば彼らを支えるサポート役でしたが、原作ではむしろ草薙がバディなんですよね。

そういう意味では、湯川先生と草薙の友情関係を深く描いた『沈黙のパレード』こそが、今までで最も原作に近い映像作品と言えるのかもしれません。

 

沈黙のパレード


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竹宮恵子原作の劇場アニメ『地球へ…』はどんな映画なのか?

劇場アニメ『地球へ…』

劇場アニメ『地球へ…


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて本日、BS12にて劇場長編アニメ『地球(テラ)へ…』が放送されます。

あらすじ「地球から2万光年離れた惑星都市で、学校に通う少年ジョミー・マーキス・シンが超能力を持つ新しい人類”ミュウ”であったことから、ミュウの指導者:ソルジャー・ブルーの遺志を受け継ぎ、まだ見ぬ地球(テラ)を目指して仲間たちと共に広大な宇宙へ旅立ってゆく…」

原作は竹宮恵子さんの同名漫画で、1977年から80年まで『月刊マンガ少年』で連載され、多くのファンから人気を博しました。

そして最終回が掲載された直後の1980年4月26日に劇場アニメ『地球へ…』が公開されたのですが、当時まず話題になったのは”豪華なキャスティング”だったそうです。

なにしろ主要キャラクターに井上純一、志垣太郎、沖雅也秋吉久美子薬師丸ひろ子岸田今日子など(敬称略)有名な俳優を多数起用しているわけですから、話題にならないはずがありません。

しかも収録の際には、なんと各キャストが自分が演じるキャラクターのコスチュームを着たままアフレコしたというのだから凄すぎる(あくまでもマスコミ向けのコスプレだったようですが、宣伝効果はバッチリですねw)。

中でもフィシスを演じた秋吉久美子さんは非常に気合いが入っていて、足元まで届く長い髪のカツラをわざわざアメリカから取り寄せ、劇中同様の緑のドレスに身を包み、それらの衣装代だけで180万円もかかったそうです(スゲー!)。

劇場アニメ『地球へ…』

劇場アニメ『地球へ…

ちなみに本職の声優さんも古谷徹神谷明石丸博也小山茉美増山江威子池田昌子塩屋翼柴田秀勝八奈見乗児銀河万丈など(敬称略)非常に豪華な配役ですが意外と登場シーンが短く、特に神谷明さんは「え?これだけなの?」と出番の少なさに驚きました。

 

そんな劇場長編アニメ『地球(テラ)へ…』は制作スタッフも豪華で、監督には『伊豆の踊子』(1967年)やTVドラマ『傷だらけの天使』(1974年)などを手掛けた恩地日出夫

音楽は『隠し砦の三悪人』、『用心棒』、『椿三十郎』、『天国と地獄』、『赤ひげ』など黒澤明監督の作品に数多くの楽曲を提供した佐藤勝

脚本は金子修介監督の『咬みつきたい』や村川透監督の『聖女伝説』、TVドラマ『太陽にほえろ!』や『暴れん坊将軍』などのシナリオを担当した塩田千種

そして主題歌は、70年代に『結婚するって本当ですか』が60万枚を売り上げる大ヒットを記録し、一躍人気のフォーク歌手グループとなったダ・カーポ

こうして見ると、アニメ業界というより”実写作品”に関わってきた人たちが多いような気がしますが、これについて恩地日出夫監督は以下のようにコメントしています。

実写との違いということについてよく聞かれるわけですが、今回の『地球へ…』では、特に僕の今までのやり方を変えずに”映画”を作れたと思っています。実写では撮れるけれどもアニメでは撮れないというカットがありますし、逆に実写ではものすごく難しいけれど、アニメでは簡単に撮れるというカットもありますし、そういう意味では当然違いは出てくるわけですが、基本的にカット数の問題などは、これまでの僕のやり方を崩さないでやっていけました。

恩地監督は「カット数の問題などは、これまでの僕のやり方を崩さないで…」と言ってるんですけど、実はこれが本作の大きな特徴なんですね。一体どういうことか?というと…

一般的に「アニメは実写に比べてカット数が多い」と言われています。

これは要するに「ワンカットの秒数が短い」という意味なのですが、カメラを回しっぱなしにして役者の演技をじっくり撮影できる実写に対し、アニメの場合はあまりワンカットが長すぎるとアニメーターの負担が大きくなってしまうため、なるべくワンカットを短くする傾向がある=「実写に比べてカット数が多い」というわけです。

ところが『地球へ…』の場合はアニメなのにカット数が極端に少なく、劇場版『銀河鉄道999』が1600カットなのに対して、たったの650カットしかありません。すなわちワンカットが非常に長いのですよ。

例えば『銀河鉄道999』の上映時間は129分なので、ワンカットが大体5秒ぐらいですが、『地球へ…』はワンカットが平均10秒以上、長いシーンでは57秒もあってビックリしました。

しかも、キャラクターが1分近くず~っと動きっぱなしで細かい芝居をしていたり、一つの画面に多数のキャラが同時に出て来たり、アニメーター泣かせの長回しカットがテンコ盛り!見ているだけで「大変だなぁ…」という気持ちになりましたよ(苦笑)。

 

また恩地監督はカメラアングルにもこだわり、通常なら作画の手間を軽減するために定番の画角にするような場面でも、敢えて実写的なアングルを選択したとか。

さらに監督がこだわったのが”照明”です。当時のアニメーション表現では人物や物体の影は背景の状態に関係なく、割と記号的に付けられていました(そのため背景が明るいのにキャラの正面から光が当たるなど、不自然な描写も見受けられた)。

しかし『地球へ…』では画面に実在感と立体感を持たせるため、レイアウトの段階でワンカットごとに光源の位置を決めておき、常に照明が当たる方向を計算しながら作画していったそうです。

恩地監督は「実写とアニメの違いをあまり気にせずに作った」と語っていますが、こういう部分を見ると本作は「極めて実写的である」とも言えるでしょう。

劇場アニメ『地球へ…』

劇場アニメ『地球へ…

もちろん「ワンカットが長い」という特徴が本作の内容に影響を及ぼしていることは間違いないでしょうし、細かくカットを割った昨今のアニメに比べると、『地球へ…』は非常に「ゆったりとした(あるいは地味な)印象」を受けるかもしれません。

ただ、広大な宇宙を舞台に繰り広げられるスケールの大きな物語を描くには、これぐらいワンカットを長く丁寧に見せる方が効果的なのかなぁ…と個人的には思いました。

また、参加したアニメーターも凄腕揃いで、作画監督須田正己タツノコプロ出身で『北斗の拳』や『ドラゴンボール』なども担当)を筆頭に金田伊功、兼森義則、稲野義信、ひおあきら、小松原一男など優れた原画マンがズラリ。

そしてワンカットが長い分、キャラクターの動きがとても細かく描かれており、作画も非常に滑らかなんですよね(描く方は大変だったと思いますが…w)。特に金田伊功さんが描いた終盤の戦闘シーンはスピーディかつ迫力満点で必見です!