庫裡再建

いままでいろんなことがあった庫裡再建計画。
今日やっと全体の建築の担当が決まった。

設計書があり、見積もりをとる。それで決まりだと
考えていたのだが、すべてのしごとに
もうひと手間かけるかどうかという隙間があるようなのだ。

だから、簡単に安いからよいとはいえない。
どこまでも人がする仕事だから、このあたりに大事な部分
があるのだろう。

出来あがってみて、そして何十年もして、それら丁寧な
仕事の成果が現れるという部分。

やはり人とひととの信頼関係が大事なんだね。

ある会合で、

午後の会合で
地震の話しが出た。

お参りに行っても
よく話題に上る。

津波もある。
安政の大地震津波被害が大きかったという話しも。

たしかに昔家がなかったところも造成して
たくさんの家が建った。
防波堤が出来たが、それらは津波は防げないという。

それらの危険を恐れながら、
ほとんど備えはできていない。

御経を読みながら

法事で御経を読む。月参りでも、七日のおまいりも・・・。
その御経の言葉のなかに、
仏の心をあらわす、ところを繰り返し読んでいる。
阿弥陀なる仏の心はどのようなこころなのか。
私たちが、真実の幸せを得ることがなければ、
仏にとって一番大事な正覚を得ないという。
仏の命をなげすてても、わたしたちい真実の幸せを手に
いれてほしいという。

では、幸せではない現実がどうしてあるの?
そうしてしあわせになれないのか、それを解く鍵も
仏の
心をあらわす言葉に、あるのではないかと思い当たった。

その一つ。
自分のいのとを自分のものとして、思い通りにしたいと思うこと
その原因だという。
身体、その上のなりたつ心のはたらき。それらをすべて自分のものとして
思い通りにしようとする。
その結果。思い通りにならない人生は、つらく生きている意味がないと
思う。これが間違いのもとだと、

思い通りになっても、ほんとうに自他ともに幸せになれるのか
だいたいその「思い」が問題をもっている。

ひらがなで書けるようになった

いままでどうしたことか、ひらがなで書けなくなってしまった。
いま復旧した。よかった。

今日は、いままで読みかけの本を2冊読破。ちょっとつかれつつ、買い物につきあって、夕方出かけた。そこで職人さんが、ブラシをつくっていたので興味があったので、みていたらいろいろ話した。

丁寧につくってあったので、ちょっと高価だけれど購入することにした。まえまえからよいものがあるといいなとおもっていたのだった。

収穫

お参りの合間をぬって、楽農園にいく。
大根とブロッコリーを収穫した。大根はでっかい。これがうまいのです。葉っぱも炒めて柔らかく頂けます。ブロッコリーの茹でたときの、青さはいいね。ということで、今日は畑の実riwoaziwaimasyou.

輪読会

毎月19日は輪読会。ちょっとした話のきっかけから、考えるヒントが浮かぶ。そんな会がわたしにとってのこの輪読会だ。
 「宗教って、ほんとうに必要なのかい。無くても人はしっかり生きていけるじゃん。」というのがたいがいの現代人だろう。
 ではそんな現代社会に向けて、信仰をどうあらわしてやろうか。会で話しているうちに、いろんなアイデアが生まれてくる。貴重なディスカッションの場なのだ。
 今年は何を読んでいきましょうか。
 hakutakeさんコメントありがとう。ぜひ仲間に入ってくださいね。