少しずつ読み進めて、やっと読み終えました。インドの映画監督サタジット・レイによるコラムを集めた本です。
アメリカ映画、フランス映画、イタリア映画、ロシア映画、イギリス映画、インドの各部の映画のほか、日本映画についても多く言及されていました。
交流のあった黒澤監督の作品だけでなく、日本映画に対する言及には小津安二郎、溝口健二、衣笠貞之助、五所平之助、市川崑、勅使河原宏、羽仁進、小林正樹、新藤兼人らの監督の名前があり、まー、とにかく観てること観てること。
表現も魅力的で、後半に「日本印象記」と題した旅行記がありました。
三十三間堂は「仏像がまるでフットボール・スタジオアムの観衆のように、列をなして並んでいた」と描写され、奈良の鹿は「短く切り落とされたやわらかい角の先で観光客にせんべいをうながす」と紹介され、奈良の大仏は「信じがたいような成金趣味」と書かれ、日本の人の本領を修学旅行に来ている学童たちに見出しています。
ハリウッド映画から学ぶべきところについても鋭く書かれていて、サマセット・モームが脚本家としてハリウッドの映画スタジオで働いていた頃の話もありました。
世界の映画制作環境を学んだ上で、ビジネス視点での葛藤が書かれる部分に引き込まれます。
ヌーヴェル・ヴァーグがなぜほかの国でなくフランスで起こったのかという理由は、なぜ「ゲームの規則」がフランスで制作されたのかというのと同じである。それは、世界中でフランスだけが、芸術規範からの出発が即嘲りにつながらない唯一の国であるからだ。
(「インドのヌーヴェル・ヴァーグ」より)
インドの監督に欠けていたのは、形態へのセンス、すなわち時間の経過とともにあるリズミックな形態へのセンスである。これは、基本的には有能なシナリオライターがいないことを意味する。というのは、映画のリズムという広い意味での相(かたち)は、すでにシナリオの段階に含まれているからである。
(「映画制作」より)
自身はデザイナー出身で芸術性の高いものを作りたい意向がありつつも、もうひとつ外側の視点から見た自国の慣習・状況分析がすごい。
それを踏まえての以下は、ヨガを市場化した全てのグルたちも同じことを思っているでしょう! と思う思考の言語化で、とても正直です。
私たちのアプローチは、注意深く、かつ、正直でなければならない。私たちが、外国人の東洋に対する好奇心を利用してはいけない理由はなにもない。しかし、これは、彼らのまちがった異国情緒につけこむようなものであってはならない。わが国やわが国の国民について一般的に考えられている多くの概念は一掃されなければならない。もっとも、映画的視点からいえば、そうした先入観を取り払うより、現存する神話をそのままにしておくほうが、ことは簡単だし、より多くの収入を見込めるのだが。
(「あるベンガルの映画制作者が抱える問題」より)
わたしは映画館で『大都会』という映画をきっかけにサタジット・レイ監督を知ったのですが(下にリンクを貼りました)、内容にとにかく驚きました。
夫の職場の銀行がある日突然倒産して、妻が奮起して外へ働きに出たら思わぬ才能が開花し家計が支えられるのだけど、同居している夫の父はそれがどうしても気に食わなくて、夫の母は黙って嫁をサポートし内心は語られず、どう葛藤しているのかセリフからはわかりません。
『チャルラータ』という映画も思わず妻の才能が開花する話です。それを認める気持ちに至るまで、意見は決して前面に出てこない。だけど心境の変化はしっかりと暗喩で描かれています。
これは宣伝しずらい! と思う映画だけど、圧倒的に面白い話。特に『大都会』は、この人はどう思ってるんだろう・・・と思っているうちに物語がグイグイ進んでる。
観ればすごくインパクトのある物語なんだけど、こういうのってホントに宣伝しずらい。
ギャン!!!
── と、観客に思わせるほどの映画を作った監督の葛藤の機微が鋭く書かれていました。
この映画の衝撃から8年経っているのだけど、記憶がずっと残っています。
この本の中で自身の作品の撮影話が出きたオプー三部作と呼ばれる映画も、DVDを購入して観ました。観ずにはいられませんでした。
(映画の感想は Threadsに短く書いています)
(DVDは買って手元にあるので、ヨガクラスで定期的にお会いする方で「借りたい」という方がいらっしゃったら、遠慮なくリクエストしてください。持っていきます)