2010年 また一つ齢を重ねて。。

あけましておめでとうございます。
というのもはばかられるような日であります。

しかも、放置ブログとなって数か月。
いろいろなことがありましたけれど、
それはまあ、後々書いていきたいと思います。

とにもかくにも、今年もまた元旦に齢を一つ重ねました。

数秘術的には変化の年を迎えております。
今年は身の丈+少々冒険も重ねながら
素敵なミルフィーユを創る年にしたいと思います。

昨年からの新たなつながりも大切に、
これからの新しい活動にも果敢に挑み、
DNAに刻まれた歴史もしっかりと味わいながら、
一つの世代の集大成を
あまり気負わないで生きてみたいと思います。


今年もよろしくお願いします。

気づくで学ぶ

多様な人々ともまれているWSDのクラスだが、
そこでいろいろと気づく仕掛けに感心する。

まず、このクラスの学習の構造は、
大学院レベルとは言われるものの、
とてもゆるい。

そう、このゆるさが、多くの人の相互作用を活性化するのだ。
これだけの緩さを残して、それを統括する教授の懐の深さには脱帽する。

ま、WSの学びの場が
がちがちの講義の場の連続にはなりようもないのだけれど。

学びの場は、気づきの場だ。
無理やりに教え込もうとしても何も生まれない。

特に、ガスのっ充満したこう着した組織ほど
これ以上何をしろというのだと、爆発したくもなるだろう。

ガスを抜きつつ、そのガスを味わう。
時に甘いといわれたり、
愚痴のいいあいか?と言われることもあるけれど、
その活動をしないと、その人が以前抱いていた夢なんて
ほこりが厚くてみえてきやしない。

どんな方法であっても
昔流行ったボディブレードみたいに
真ん中の核さえしっかりさせておけば
かえって両端が大きく揺れるほうが
いいのかもしれない。

そして、異物が大切。
異質なもの同士の、そのざらっとした摩擦感から生まれる熱こそ
気づくという学びにつながるエネルギーではないだろうか?

これだけのいい年をした大人になっても、
多様なものにもまれてみると
毎日多くの気づきと学びを感じる。

ああ、生きてるって、こういうことなんだろうな〜♪
なんて、ちょっとうれしくなってくる。

ワークショップデザイナーとしての学び

青山学院と大阪大学で始まった
ワークショップデザイナーのクラスに通っている。
http://www.hirc.aoyama.ac.jp/wsd/outline/index.html

さまざまな人が集まっていて、まさに雑多な世界なのだけれど
雑多だからこそそのアンテナに引っかかるつながりが多くて、
どんどん神経細胞のようにつながってきている。

これから・・・のこともよくわからないのに、
よくもまあ、これだけ化学反応をおこすものだ!という感じだ。

おとながこれだけ楽しむ様子を、
どれだけの子どもが見たことがあるのだろうか?

仲間の日記に、
「あら、大人って素敵!」と思わせたい・・・という記述を見つけて
本当にそうだなあ〜と思った。

まだこのクラスは始まったばかりだけれど、
まだたった2回しかリアルであってもいないけれど、
これからのことを考えると、わくわくどきどきが止まらない!

境界について考える

ワークショップデザイナーのクラスの同期生から
素敵な演劇のお知らせをいただいた。↓

劇団夢現舎公演 実験シリーズ1「境界」http://www.mugensha.net/j/j_top.html

内容はわからないのだけれど、この境界という言葉にひかれる。

先週のワークショップデザイナーの授業で
越境という言葉が出たからだ。
境界を越えるのが越境だとすると、
とても興味深い言葉だ。

私たちが、いろいろな葛藤を感じる時、
それは何か隔たりを感じることであることも多い。

以前看護職の新入職者のフォローアップ研修(1年目の終りの頃)で
ワールドカフェスタイルで研修をしたことがある。

このとき設定したテーマは、「壁」
その時、私の想像もしない
さまざまな壁が表出されて、驚いたことを思い出した。




大人と子どもの境界
大人と老人の境界
健康者と病人の境界
健常としょうがいとの境界
普通と異常の境界
良いと悪いの境界
常識と非常識の境界
・・・

ああ、これらの境界ってなんだろう。
だいたい境界なんてあるのだろうか?

考えてみると、世の中、私のわからにことばかり。
そう、なんと不確かな事をさもわかったように取り扱っているのだろう。

大学生から学ぶ

昨日はとある私立大学の学生さんに
ファシリテーションを教える授業だった。
今回は2年生のクラス。


この授業は、いつもとても興味深い。
おとなの学びでもなく、かといって子ども学びでもない。
ちょうど、その二つの社会をつなぐような世代の人との学びの場だからだ。
もちろん、最近は社会人の学生さんもいるので、
時折、とっても興味深い関係性に出会う事もあるのだけれど、
今回は、私の息子と同年代の若者との2コマ授業となった。

内容は、ファシリテーションについてだけれど、
学生達がこの授業のあと出向く実習についての計画を立てるという、
一石二鳥の時間でもある。


クラスの最初5分で、大体の雰囲気がつかめてくる。
それは学生同士の関係だったり、
教員との関係だったり・・・

特に教員が通常どういう風に授業を進めているのかは
結構最初の2分でわかる。
授業後、コーディネイトしてくださっている方と話すとたいていビンゴ!

でも、実際の授業と通して出現するものは
いつも想定外! それが、楽しい。

私も時折、
キレイにまとめられた講義やセミナーを受ける事もあるのだけれど、
私はちょっと天邪鬼なのか、ざらっとした違和感の残るものが好きだ。
あるいは講師が予想した(であろう)以外の学びを感じられたりすると
うひょひょひょ〜と、口角が上がってしまう。

今回の学生さんも、予定のプログラムとちょっと入れ替えてみたら
すてきなきづきを、場に提供してくれた。
これは、予定調和ではない調和だった。
なんか、心から「ありがとう」と伝えたくなる。



そう、双方向の学びの場には
双方に大きなお土産があるのだと思う。


来週は、どのような展開が待っているのか?
わくわくする!

学びあい、育ちあう

昨日は、看護に関して語り、それを知にかえる活動
寺子屋ポリフォニーの日でした。
http://www1.ocn.ne.jp/~teracoya/

今回は、工学と看護学、介護学の現場と研究の場のコラボレーションを
垣間見る機会になりました。
この会は、毎回様々な方が参加します。
そして、その都度それぞれが学びの種を持ち帰る場になっています。
来月は年度の集大成のフォーラムが開催されます。

昨日はそのフォーラムの準備と来年度の年間テーマを決めました。

テーマに挙がったのは、「学びあい、育ちあう」です。

この会は、看護部のトップマネージャーが多く参加しているのですが、
若いスタッフの方を話題提供者として招いたり、
医療とはまったく関係のない方からお話を伺ったりしています。
そして、それを謙虚に受け止めながら、
その内容を類推して、自分たちの現場に持ち帰る・・・
あるいは、自分たちのやってきたことの共通性を見つけたり
言葉をつけたりするといったことをしています。

従来の現任教育(プログラム)というものが、
今教育をしている者の安心感のために作られているのではないか・・
というのが、昨日出ていた意見でもありました。

先週のことになりますが、
狭山市にある、公立小学校の研究授業に出かけてきました。
公立の小学校の研究授業なのに(失礼m(__)m)
福岡から福島までの小学校の先生、学生さんなど100名以上が集まられていました。
1年生から6年生まですべてのクラスが公開されていました。
私は5年生と2年生の合同授業を中心に参観しました。
5年生が、自分たちで選んだ絵本のpopをつくり、
2年生に、6名程度の小グループで(それぞれが3名ずつ)
読み聞かせをしています。
そしてその後、コミュニケーションの基本を意識しながら
(伝わる声の大きさ、うなずきながら聴く、目を見て話す、笑顔で話す、はっきりとゆっくりと、良いところから伝える・・といったことを、それぞれの子どもたちが最初に言っていました。)
5年生が2年生に問いを返して、感想や意見を引き出していました。
一つ一つの場で、絵本の内容が深まっているのを感じました。
私は「さっちゃんの魔法の手」という、
2年生には少し難しいのではないかと思われるグループをみていたのですが、
2年生の子どもたちが、前のめりになって絵本に集中しているのと、
その後の問いの中で「答があるわけではないから、自分の考えを言っていいんだよ」と優しく問いを返す5年生になんだか胸が熱くなりました。
2年生もちょっと緊張気味でもあったのですが(大人がたくさんみていますから、普通ではなかったのだと思います)
ゆっくりと自分の言葉で答えていました。

また6年生のクラスでは、そのクラスの人数よりもたくさんの大人がいる中、
しっかりと自分の意見をアサーティブに言い合う子どもたちの姿を見ました。

国語科の授業というよりも、本当に大切なコミュニケーションや、道徳や、そして「自分で考えるひとをつくる」授業だと思いました。

今まで看護の現任教育の中で、
私たちは「子ども教育」ではなく「おとな教育」をしていきましょうと
伝えてきた私でしたが、
子どもとかおとなとか言うのではなく、
知らないことを知るにする教育なのか、それとも考えることを共有して多様性を承認できる人をつくる教育なのかなのだと思い知ったのです。


この学校での取り組みは
こういう授業の方式を変えることから始まったのではなく、
最初に始めたのは、職員室改革だったそうです。
学校外のファシリテーターを二名導入し
何時間もかけて、職員室内の組織改革から
この授業は始まったのだと聞きました。

職員室にも各教室や廊下にも、ワークショップで生まれた、
この取り組みに対するBeingや、自分たちでつくったルールが
大きな模造紙に描かれて貼ってありました。

最後にワークショップとして体験できた、授業も素晴らしかったのですが、「先生が変われば子どもも変わる!」という、
ここの先生方の言葉は胸に残りました。

小学校の研究授業から
私達の寺子屋ポリフォニー
そして私の活動の一つでもある、看護部門の組織開発。

どれも同じ、学びあい育ちあうことが根幹にあるのだな〜と
再確認できた数日間でした。

狭山市立堀兼小学校のみなさん。
本当に素敵な体験をさせてもらってありがとう。



よかったら、その素敵な活動をされている先生のブログを読んでください。↓
http://d.hatena.ne.jp/iwasen/

触発されたこと

友人が日記に、自分の仕事の仕方をアップしていました。
その名も「ねるねるね〜る」
そう、お子様向けお菓子の名前。
そこに書き込みをしたら出てきた
自分の言葉を、今反芻しています。


ここででてきた私の言葉は

湧 沸 枠

の3文字。


そうか〜。
この三つのwakuで今年は進んできたのかな〜?


今年宇宙的同志(ちょいと変な言い回し・・?)と始めた
WAKUWAKUワーク
このWAKUともつながる漢字3文字です。

WAKUWAKU同志の彼女がみてくれる数秘術では
来年は、システムを作る年だとか・・


最後に出てきた漢字の枠につながるのかもしれないな〜


友人の日記に触発されて
頭に浮かんできたことを、記録しておく日記でした。