水先案内、あるいは西崎まりのを記述する試み

誰でも一本くらいは小説が書ける。自分のことを記せばいいからだ。

そんなことは千も万も承知している。
だから、残しておきたいとは思いながら、あえて表に出そうという気も無かった。少なくとも、生(き)のままでは。他人の赤ん坊のホームビデオを延々だらだらと見せられるほど拷問的に辛いことは無い。それと同じ行為だからだ。
けれど、朋友・西崎まりのの死を突きつけられ、どうしても書き残しておきたいと思った。まりのさんの死は、僕にとっての青春時代というものの終焉でもあったからだ。
完結したものには検証が必要である。僕は、僕の青春というものを検証する試みをしたかった。

書き始めてみると「プロローグ篇」では当時の皆アマチュアの大学生だった周辺から男性向同人ジャンルの黎明、そこから商業ベースで『エロ漫画』が成り立っていくさまを描くことになった。同時に、僕自身がその只中でいかに奔騰(ほんとう)していったかの過程を整理することができた。

ここに記している内容について、当時を識る者にとっては『事実と違う』と感じることもあるかもしれない。
が、僕が書き残しておきたいのは、あくまでも「僕にとっての真実」だ。
歴史とは、それを観察していた者からの視点で都合のいい事象のみを取捨選択し辻褄を合わせた一連の『ストーリー』に過ぎない。僕は僕にとっての『辻褄の合ったストーリー』をここに記したいと考えている。お赦しいただければと思う。

それでも、明らかな事実誤認といった箇所についてはご指摘をいただきたい。そうした場合は訂正をさせていただくこともあります。
また、配慮はしているつもりであっても、本Blogの内容について、記されている当該及び関係者に不快な表現や記述についての申し出があった場合は削除・変更を検討いたします。ご連絡をお願いします。



正直を云うと、これから記述する西崎まりのとのことについても、どこまで書いていいものか、と悩んでもいます。
既に鬼籍に入って一年と半年。間もなく彼の三回忌を迎えます。
もうそろそろ、書いてもいいこともあろうか、とも思うのです。
同時に僕の知っていることをできるだけ記していくことも、彼が生きていた証を残すことにもなるのかもしれない。そう考えています。

いま耳許で彼が「え〜、それはダメなんじゃあ無いっすかぁ、浦嶋さぁ〜ん」と囁いているみたいだけれど…
書いちゃうけど、赦してね、まりのさん。