散髪屋

あまりに長く閉じ籠もって息を殺す様な暮らしぶりが続いたので、何をどう書き残していいやらよく解らなくなってしまって、何年も何も書かずにいた。

僕の持病の事もあって、取り敢えずは慎重にしていたけれども、こうも長く続くともう色々と通常に近づけて暮らさなくては身が持たない。

お陰様でまだ誰も罹患せず、それなりに穏やかな暮らしが続いてはいるが、友人と会う機会も減ったし、そもそも殆ど出掛けずにいたし、元々経済に与える影響など殆どない暮らしぶりなので、洞穴生活の原始人にでもなった様な有様だ。

買い出しは週に一度、深夜スーパーで大人だけで済ませ、子供たちはリングフィットが日課になり、それでも兄弟二人で居れば少しも退屈はしない様で、横で見ていて感心してしまうくらい一日中くっついて楽しげにしている。

 

今日、春休みに入った子供たちと話していて、ふと、僕が居なくなったら、この子達も散髪屋さんに行くのだな、という様な事を思った。

うちは家族全員の髪を僕が切るので、子供たちをまだ一度も散髪屋さんに行かせた事がない。

僕自身も、最後に他人に散髪して貰ったのが何時の事だったか、思い出せない。

 

丁度今の長男と同じ年頃に、時々世話になっていた散髪屋さんの事を思い出した。

近所には散髪屋さんが二件あって、一件は陽気な御主人と物静かな奥さんの切り回すお店。

もう一件はかなりお年を召したお爺さんの小さなお店だった。

お爺さんはベテラン中のベテランに違いなかったが、剃刀を持つ手元が酷く震える。

入念に革砥をかけた剃刀が冗談みたいにぶるぶると震えながら目の前に迫り、まだ産毛しか生えていなかった鼻の下に当てられると、震えはピタッと止まって、今度は驚くほどの滑らかさで顔の上を滑り出す。

それでもいつも大変なスリルを味わった。

洗髪方も独特で、後ろから髪を鷲掴みにして文字通り前後左右に振り回す様な珍しい洗い方をする。

痛いのは勿論の事、お爺さんに力一杯頭をブンブンと振り回される自分の姿が鏡に映ると、何故か笑い出すのを堪え切れず、いつも吹き出してしまうのだった。

そうするとお爺さんは更に勢いを増し、顔を真っ赤にしながら親の敵の様に頭を振り回す。

ヒリヒリする頭皮にミントのスースーしたシャンプーを擦り込まれると、飛び上がるほど滲みるのだった。

それでいつもは陽気な御主人のお店で散髪をして貰っていたのだが、随分長くシャッターが降りたままになっていた時期があり、その間は月に一度、何か怖いアトラクションにでも挑む様な気持ちでお爺さんのお店に通った。

もう廃業してしまったのかな、と諦めかけた頃になって、お店はまた営業し始めたのだけれど、陽気なおじさんの姿はもうそこになく、すっかり痩せて、物静かと言うよりは幽霊の様な佇まいになってしまった奥さんだけが、以前よりもずっと薄暗く感じられる店内に、たった独りで立っていた。

何か事情があるのは明らかだったが、元々あまり言葉を交わす事もなかったし、おじさんはどうしたのか、と尋ねられる様な雰囲気ではなかった。

奥さんは、剃刀が持てないらしかった。

常連の客と何か楽しげに話しをしながら顔剃りをするのは、いつもおじさんの役目だった。

客足はすっかり減って、店の前を通ると、以前はいつも客が順番待ちをしていた長椅子に奥さんが背中を丸めて腰掛け、鏡に映った自分の姿をじっと見ている事が増えた。

僕は顔剃りはどうでも良かったし、顔を真っ赤にしたお爺さんに髪を引っ掴まれて振り回されるよりは、押し黙って一言も話さなくなった奥さんに髪を切られている方が随分とマシだったから、相変わらずその店に通い続けた。

それから定休日以外にもシャッターが閉められている事が増え、訪れる客は本当に少なくなっていった。

ある時、その日も締め切ったシャッターの前を通り過ぎた時、店の前で声を潜めて話す大人たちの会話が耳に入った。

おじさんが他所の女の人とお店のお金を持って出て行ってしまった事。

奥さんが客に電気髭剃りを使おうとして一騒動あった事。

おじさんは亡くなってしまったのだろうと思い込んでいたから、少し驚いた。

それからまた暫く、お店のシャッターは閉められたままだった。

次に店が開けられると、店の奥にピンクのカーテンが掛けられていた。

床から30センチほどのカーテンの隙間に、大きな黒い革靴が覗いているのが見える。

最初は男物の靴が置かれているのだと思っていたけれど、鏡に映るそれは、時々所在なさげにもぞもぞと動いた。

散髪が終わりに近づいた頃、奥さんがカーテンの側で、何か小声で囁くのが聞こえた。

驚くほど大きな男の人が、カーテンを開けてのそりと近付いて来る。

まるで白衣を着た壁が迫って来る様だった。

手は野球のグローブの様に分厚く、握られている剃刀は玩具の様に小さく見えた。

眉は殆どなく、顔色は土気色で、映画で観たフランケンシュタインそのものの様だった。

片方の目は白く膜が掛かったようになっていて、額に古い縫い傷らしきものもある。

お辞儀のつもりなのか、僕の後ろに立つと少し首を下げ、それから剃刀を持つ手をゆっくりと動かし始めた。

見た目に反して分厚い手はそっと僕の顔に添えられ、剃刀は丁寧で正確な動作を繰り返す。

 

奥さんは何年かすると店を模様替えし、時々は客と談笑するようになった。

小さな、客によく吠えつく犬を飼った。

男は相変わらず髭剃り以外の時はカーテンの影に居て、客とは殆ど話さない様だった。

奥さんとは、妙に他人行儀な丁寧語で話すのを何度か耳にした。

地の底から響く様な、低く嗄れた声だった。

首を動かすのは矢張り挨拶のつもりらしい。

よく見ると、手にも顔にも古傷のような痕が沢山あった。

大人になってから知った事で、刑務所で服役中に職業訓練を受け、理容師資格を取得する方も少なくないと聞く。

これは全く僕の想像でしかないけれど、もしかしたらそうした方だったのかも、と思う。

カーテンの影で時々所在なさげに動く大きな革靴、その気になれば片手で簡単に握り潰せてしまいそうな、小さな僕の顔に恐る恐る触れる様子や、客には吠えつく犬が、その人の足許では寛いだ様子を見せるのも、仕事を終えてカーテンの影に去って行く丸めた大きな背中が少し寂しそうに見えるのも、記憶の中で、スクリーンで花を摘む、フランケンシュタインの姿と重なる。

何処かへ駆け落ちしたらしい陽気なおじさんが、常連客と大きな声で笑っていた頃より、時々犬が煩く吠えついてくるけれど、ピンクのカーテンの影にじっと小さくなって隠れているフランケンシュタインが居る、時計の音が静かに響くようになった理髪店の方が、僕にはずっと居心地が良かった。

 

いつか、子供を連れて、何処かの散髪屋にでも行ってみようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうはいい日

パニックになってはいけないけれど、冷静な危機感は持ち続けなくては、と思いつつ、何だか夢の中にいるような、熱に浮かされたような、薄ぼんやりとした不安感に包まれたまま、ニュースを見て溜息をつく。

武漢、イタリアやパリの惨状を聞いて、余所事のようには思っていないつもりだけれど、自分の国だけは大丈夫だとか、自分の家族だけは特別だとかは微塵も思わないけれど、具体的に何か行動しているかというと、子供達を出来る限り家の中に居させるという事くらいで、他にどうすればよいのか見当もつかない。

このまま新学期が始まったら、不安な気持ちに蓋をして、また子供に重いランドセルを背負わせ、毎朝見送るのだろうか。

本当にそれで後悔しないで済むか、自信が持てない。

 

ふと、母が存命ならこんな時何と言ったろう、父ならどうだろう、と考える。

戦争を経験した世代だからなのか、何か通常と違う事が起きそうな時、父も母も、独特の嗅覚の様なものが働くようだった。

特に母は、唐突に脈絡もなく、まだ見慣れない顔の政治家をひと目見て、「この人は駄目だ、危ない。」などと言い出す。

政策がどうだとか、具体的にここが駄目、というのではなく、「兎に角嫌だ、大嫌い。」という様な言い方なので、政治に疎い僕は、まだ曖昧な印象しか持てないその政治家の顔を眺めながら、(ふうん?)と半信半疑に聞き流してしまう。

その人が瞬く間に国の重要なポストに納まって、毎日の様にニュースで報道されるようになる頃になって、漸く僕も、(この人は嫌だ、危ない)というのを理解する。

物がなくなるのは一瞬だよ、ぎりぎりになってから慌てても遅いんだよ、というのもよく言われた。

これも本当に物のない厳しい時代が身に沁みていたからなのだろう。

 

子供達は七歳と五歳になったばかり。

休校中も家の中で新しい遊びを発見しては無邪気に歓声を挙げている。

下の子はよく、「きょうはいいひだねえ。お菓子をいっぱい食べて、おもちゃでいっぱいあそんだから!」などと言う。

その言い方が、あんまりしみじみと実感がこもっているので、こちらも思わず笑ってしまう。

そうだね、ラムネを食べて、「くちのなかでしゅわしゅわしてなくなった!」とはしゃいで、ブロックで遊んで、絵本を読んで、いい日だったね。

「明日も明後日も、きっとずーっといい日だよ。」と口に出して、ふいに子供の顔を真っ直ぐ見ていられなくなった。

本当にそうだろうか。

明日はきっと今日よりいい日が来る、と本当に言ってやれるのだろうか。

 

背中を叩いて活を入れてくれる分厚い手と、理屈抜きに不安を吹き飛ばしてしまう様な、朗らかな声を懐かしく思う。

親になった身で、未だに子の身の振り方一つも決められないで情けないけれど、こんな時は「寄る辺なき身の寂しさよ」と思わずにはいられない。

 

 

 

 

 

しづかに

もう先月の事。

所要あって妻が長男を連れて里帰りした。

僕はお留守番と相成った次男の御機嫌を伺いつつ過ごしていたのだけれど、夜になって激しい頭痛があり、いつもの薬が効かずに何度か吐いて寝込んでしまった。

何とか風呂に入れたり食事させたりして早目に横になったのだけど、その間次男は炬燵に入って御機嫌で好きな番組を見て、留守中に妻がいつでも様子を見られるように設置したウェブカメラに「しづかに」と自分で書いた紙を見せたりしていたらしい。

これは僕が具合を悪くして休んでいるから、起こさないように、と気を遣ったものらしく、四歳にしてはなかなかの気遣いと知恵の使い様、と感心した。

にこにこと御機嫌で静かにしていてくれたのにも助けられた。

具合の悪いのは悟られないように子の前では普段通り平然としていたつもりだったのだけど、どうやら勘も良いらしい。

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こんな夢を見た

ひなびた観光地らしき場所。

ずっと昔、暫くの間この辺りで暮らしていた記憶がある。

これから駅を目指し、電車に揺られて、今は遠く離れた我が家へ帰らねばならない。

辺りはすっかり暗く、脚は疲れ切っている。

大きな神社の境内へと続く急な坂道へ向かうが、路面電車の為に設置された遮断器がいっこうに上がらない。

大勢の人達がいつまでもいつまでも待ち続けている。

待っている間、通りの向こうの建物へ目をやると、壁面に三人の男が張り付いて、大きな団扇を下に向けてゆっくりと扇いでいるのが見えた。

日に焼けた藍色の作業着、ニッカボッカ、脚絆、ヘルメットにマスク。

三人とも揃いの格好で狭い足場に立ち、背中を壁に押し付けるようにして、古ぼけた大きな団扇を所在無さげにゆらりゆらりと動かしている。

建物の壁面にある貸看板のスペースは長く使われないまますっかり蔦に覆われて、まるでその男たちが看板の一部にでもなってしまったかの様に風景に溶け込んでいる。

この遮断器は、いつまで待ってもけして上がることはないのだろう。

道も、建物も、遮断器も、全てが古ぼけて埃じみている。

僕は遮断器の降りている道沿いに、線路の脇を歩き始めた。

後ろから遮断器が上がるのを待ち続けている人たちの「あっ」という小さな非難の声や、舌打ちが追って来る。

通りの両側には土産物屋や料理屋が所狭しと並んでいて、呼び込みや売り子たちが声を掛けてくる。

「よかったらこれどうぞお持ち下さい〜。」と手に押し込まれたのを見てみると、いかにも質の良くなさそうな靴下の三足セットだった。

まあ只なら貰っておくか、と礼を言って歩を進めると、すぐにまた別な売り子が声を掛けてきた。

服装から、さっき靴下をくれた店の者だと判る。

「ちょっとお時間いいですか〜?これうちの新製品なんですけどぉー、すごーくいいんですよぉ〜?お試しになりませんかぁ〜?今ならとってもお安くなってますぅ〜。」と息継ぎもせず話し掛けてくる。

さっき物を貰ってしまった手前、無下にするのも何だか申し訳ないような気がして、立ち止まりはしないがつい曖昧に返事をしてしまう。

ああ、こういう仕掛けだったのか、やられたな、と思う。

歩を緩めてはいけない。

小柄で髪の短い、人懐こそうな笑顔を貼り付けたその女は、どこまでもどこまでも付いて来た。

「こちらへは御旅行ですかぁ〜?お宿はどちらですかぁ〜?」等としつこく話し掛けてきていたのが、そのうち耳慣れない呪文のように聞こえ始め、何やら恐ろしくなってきた。

ふと、聞き覚えのある猫の鳴き声がした。

細くて高い、小さな声なのにどんなに遠くにいてもよく聴こえる、あの不思議な声。

はっとして顔を上げると、昔飼っていたのにそっくりな、小さな猫がこちらをじっと見ている。

柄は少し違うようだけれども、間違いなく同じ血筋の猫だ。

思わず駆け寄って背中を撫でたけれど、すぐにするりとすり抜けて行ってしまった。

細くて柔らかな感触も、何もかもそのままだった。

嬉しくなって立ち上がると、不気味に思い始めていた女の姿はいつの間にか消えていた。

よく見ると、通りのあちこちに、柄は色々だけれど顔や声のそっくりな猫たちがいる。

土産物屋の店先や路地裏にしたたかに根を張って、誰にも飼われず、時々は暗がりや石畳に染み込む様に消えてしまったり、また突然姿を現したりしながら、まるで空気や、雨や、お日様の光みたいに、誰にも邪魔されずに暮らしている。

 

ああ、遠い我が家へ帰らなくては、と思う。

 

 

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壊れる

壊れる。

兎に角色々な物が壊れる。

車が壊れる。

パソコンが壊れる。

エアコンが壊れる。

どれもそれなりに古いものだから、いつ壊れても何の不思議もないのだけれど、どうしてこうも続けざまに壊れるのか。

物に自然治癒力はないので、壊れることはあっても勝手に直ることはない。

壊れて困るものばかりが続けざまに壊れるように感じるのも、

壊れたという事実だけが印象に残り易い所為なのだろう。

そう考えると人の身体というのは本当によく出来ている。

年々衰えを感じずにはいられないけれども、怪我をすれば、まだ少しづつでも回復しようとするのだから。

 

手元不如意で簡単に買い換えという訳にもゆかず、修理の利くものは何とか応急処置のようなことをして凌いではいるが、何れはそれも限界が来るだろう。

暑い盛りに居間のエアコンが故障したのには特に閉口した。

配管の工事をし直すのにかなりの額が必要な事が判っているので、各部屋のエアコンの温度を低めに設定し、サーキュレーターで冷気を居間に送る事で何とか凌いでいる。

 

子供の頃、夏はまだこれほど厳しくはなかった。

外で遊び回っていても、日陰に逃げ込めば何とかなった。

部屋にエアコンなどなくとも、命の危険までは感じなかった。

何時の間にこんな事になったんだろう。

ちび達が大きくなる頃にはもっと厳しくなるのだろうか。

何もかもが厳しくなるばかりだったらどうしよう。

傍に居て、役に立とうとそうでなかろうと、何か言ってやれるだろうか。

何かしてやれるだろうか。

物が壊れる度につい舌打ちをしてしまうけれど、自分の身体だってもう随分長く使ったのだし、いつ壊れても文句の言えないような扱いをしてきた。

それを考えると、古くなって使い物にならなくなったものたちにも、舌打ちなどぜず労いの言葉の一つも掛けてやった方がいいのじゃないか、などと思う。

 

 

 

 

 

 

みかじめ料

先日の夢。

宿屋なのか小料理屋なのか、大きな店の一階で蕎麦を啜っている。

建物はかなり古く、時代掛っている。

近くの席にあまり人相の良くない男達が三人居て、先程から頻りに小声で何か囁き合って、良からぬ相談をしているらしい。

男達の風体は時代劇に出てくるような遊び人風で、町人を結っている。

僕の服装は時代劇風という訳ではなく、いつもと変わらない。

リーダー格らしき年嵩の男は、背は低かったが頑丈そうな体つきで、目付きが刺す様に鋭い。

もう一人の男は痩せて背が高く、爬虫類のように青褪めた表情のない顔をしている。

残りの一人は狐の面のように目が細く色白で、何がそんなに可笑しいのか、袂で口許を隠して始終にやにやと笑っている。

リーダー格の男が懐手にしたまま、「あんた今俺たちの話を聞いてたろう、聞いたからにはお前も一口乗れ。」というような事を言う。

断りたいが、そうすれば間違いなく面倒な事になりそうだった。

ここは話を合わせておいて適当なところで逃げ出そう、と思い、三人の男達に付いて行く事にする。

年嵩の男が「いいか、大きな音をたてるなよ。」と言い、静かに店の奥に向かう。

ゆっくりと二階に上がり、店の中を進む。

二階はお座敷になっていて、部屋数もかなりある。

時々店の者らしき人物と出くわすと、「お変わりありやせんか、御用心、御用心。」と口々に言い、さも店側に頼まれて見回っているかのように堂々と振る舞う。

何しろ大きな店なので、店の者がさぼっていたり、払いをくすねたり売り物に手をつけているような場面に出くわす事も少なくないらしく、そうすると(口を噤んでおいてやるから何かよこしな)と目配せをする。

出し渋ると、「ふてぇ奴だ!」と大袈裟に騒ぎ立てて、店主の前に引き出す。

そうやって小銭や手近にある物を強請り取ると、どんどん懐に入れる。

店主か番頭のような立場の者が、「御苦労様。」と心付けを渡すまで、店の中を隅々まで覗き回って延々とそれを続けるらしい。

時々は本当に泥棒や万引きなどを見付けて引き渡す事もあるらしく、役に立つ事もないわけではないが、店としては煩いからさっさと追い払ってしまいたくて、額もそう多くはないからというので大抵はすぐに心付けをせしめるのに成功する。

そうしたら慇懃に礼を述べて立ち去る。

この男達はそれが稼業らしい。

多く取り過ぎない、頻繁にたかりに行かない、時々は誰か適当な鴨を見繕って店に引き渡す、というのがコツらしい。

「どうだ、こんなに楽な稼業はねえぞ、お前も仲間に入れてやろうか。」

「ほら、最初の分前だ、取っとけ。」

年嵩の男に手首を捕まれ、小銭を握らされる。

男の手はがさがさして分厚く、暖かだった。

ごつごつした岩みたいな赤ら顔は、にやっと笑うと目尻に深い皺が刻まれ、人懐こそうな好々爺風に見えなくもない。

狐顔の男が「あんたそれにしても酷い格好だねえ、あたしが何か見繕ってやるよ。」と言って、また袂で口を隠して笑った。

背の高い男は話を聞いているのか聞いていないのか、空を見上げたままぼんやりと口を半開きにして風に揺れている。

そんな稼業に加わる気もないし、全く迷惑な話だと思ったが、段々とこの三人に興味が湧いて来た。

このまま深入りすれば抜けられなくなって厄介事になるのは目に見えているが、かと言ってどう逃げ出したものか、と思いを巡らせながら、真っ暗になった路地を三人の後から付いて行く。

 通りの先に赤い提灯を灯した店が見える。

男達は次はあそこへ向かうのだな、と思う。

 

 

 

 

 

 

奇妙な夢

ひとつめの夢

久しぶりに奇妙な夢を見た。

起きてすぐ家人に話したので、わりあいはっきりと憶えている。

最初の夢は、家族で旅に出る夢。

何処か田舎の方へ向かっている様だが、余程辺鄙な場所とみえ、夜行列車に乗って途中何度も乗り換えがあるのだけれど、その乗り換えというのが不便極まりない。

真っ暗な無人駅で降ろされ、別な路線の駅へ向かうが路地には人影もなく、とぼとぼと暗い道を不安気に歩いているのは同じ列車に乗り合わせ、おそらくは同じ場所へと向かう乗客ばかり。

皆が互いに様子を見合って(この人に付いて行けば乗り換え駅に辿り着くだろうか、時間に間に合うだろうか)と心細気な足取りなのが見て取れ、自信のあるしっかりした足取りでずんずん歩いている者は誰一人として見当たらない。

案内の地図もなく、何処となく話し掛けられるのを避けている風な訳ありな人達ばかりなので道を訊ねる訳にもゆかず、またたとえ訊ねてみても、誰もまともに応えられまいと思う。

舗装もされていない田舎道は妙にだだっ広く民家もまばらで、どの家も堅く扉を閉ざして灯りもなくひっそりと静まり返っている。

乗り換え駅を探して歩く私達の、砂利や小石を踏む「ざっ ざっ…」という足音だけが聴こえる。

どんどん景色が寂しくなり足許が暗くなるようで、不安な気持ちは募るばかりだが、それを顔に出すまいと努めて、淡々と歩を進める。

妻も子供達も口を利かず、少し緊張した面持ちで付いて来る。

何度か路地裏へ折れて道が狭くなり、これはいよいよ正しい場所へは辿り着けまいと諦めかけた頃、急に道が開けた薄明るい場所に出た。

古めかしい街灯があり、道には煉瓦が敷かれている。

真夜中だというのに明りを灯している店も幾つか目に入った。

どの人も少し安堵して表情が柔らかくなる。

飲食店に入って行く夫婦者や土産物屋の暖簾を潜る者、それぞれに散って行くのを見て、どうやら次の列車が来るまでここで時間を潰すのらしいと気付く。

私達も何処か休める場所を探して少し落ち着こうと、きょろきょろしながら通りを進んで行く。

店構えの大きなゲームセンターの前を通り掛かると丁度電飾看板の灯りが落とされ、辺りがフッと暗くなった。

店仕舞をしているところらしい。

ゲームセンターと言っても今風の派手な店構えではなく、硝子扉の両側に、マネキンを幾つか並べておけるような深くて大きな飾り窓(飾り部屋と言った方が相応しい様な)の付いたウィンドウがあり、元は衣料品か何かを売っていた店舗なのではないか、と思わせる様な懐古的な風情である。

実際その頃の名残りと思しき壊れたマネキンに、これまた使い古されたウサギの着ぐるみだの、ボロボロになったピエロの衣装だのが着せられて置かれている。

それを眺めていたら、その飾り窓の向こう、暗くなった店の奥に、懐かしいピンボールマシンや、小さな頃に遊んだ記憶のある古い大型筐体の並んでいるのが目に入った。

そのゲーム機とゲーム機の間に、彼らは立っていた。

飾り窓にあったのよりは少しだけ新しく見えるウサギの着ぐるみ、滑稽なくらい大きなボクシンググローブを着け、大きなトランクスを穿いたピエロ、紅いビロードの上っ張りを着て大袈裟なシルクハットを被り、腰に丸く束ねた鞭を下げた顔色の悪い男が、身動ぎもせずに、じっとこちらを見ている。

それに気付いてゾッとして、慌ててまた歩き出す。

彼らは暗い店の奥から、たまたま通り掛かった私達を、まるで自分達もマネキン人形か何かのように、只じっとこちらを見据えていた。

店の前を通り過ぎる時にちらと振り返ると、彼らは矢張り身動きもせず、首だけをこちらへ向けている。

店の中を片付けるでもなく、帰り支度をするでもなく、互いに話をするでもなく、暗くなった店の中からじっと通りを窺っていた。

 

暫く行くと、古くて大きな雑居ビルの前へ出た。

地下へと続くエスカレーターがあり、下へ行けば天井の低い紳士服売り場や、肌着の買える店があるのを思い出す。

けれどもそこには大した物は売っていない。

興味を引くような物は何もない。

上へ行けば電気街と、またその上にも小さなゲームセンターがあり、寂れたフードコートがあった筈だ。

自販機で何か買って、そこで子供達を休ませようと思う。

段々に思い出す。

ここへは以前にも寄った事がある。

 

 

ふたつめの夢

気難しい顔立ちをした痩せた男が、地味な焦茶の着物を着た女と向かい合って座っている。

女の髪は後ろで纏めて結い上げられ、着物には汚れを防ぐ為か襟に白布が当ててある。

男も女も、若いようにも、歳をくっているようにも見えた。

 

真っ暗な車窓の向こうを何か薄ぼんやりとした白い物が時折通り過ぎて行くようだが、目を凝らして何か確かめようとしてみても上手くいかない。

「どうしても俺と居られないか」

「自分のこの身は神様に捧げたのだから、どうしてもあなたとは行かれない」というような会話が聞こえる。

深刻な様子で黙りこくった後、また先程の会話と似通った話が繰り返される。

「解っている。それでもいいから。」

「解っていない。この身は神様の物なのだから。」

何度めかの会話の後、男が「どんな覚悟だって出来ている。何でも君の良い様にしたらいいから。」と言い、それに女が「では、参りましょう。」と短く応え、それからは二人とも黙って暗い窓の外に顔を向け、列車に揺られている。

列車が停まり、暗い路地に降り立って暫く歩いてゆくと、いつの間にか一緒に降りて歩き出した筈の他の乗客達の姿は周りになく、男は女に手を引かれるようにして急な坂道を登って行く。

何処か悪いところでもあるのか、男は苦しげに顔をゆがめている。

長い坂の先に女の家がある。

小さな家に不釣り合いな大きな蔵があり、女は「家の物は好きにして構わないけれど、この蔵へだけは絶対に入ってはいけない」と言う。

暫くは何事もなく二人で過ごしたけれど、女は神様の用事だとかで、度々家を空ける。

男に入ってはいけないと言い置いた蔵に暫く籠もると、真夜中だろうと早朝だろうと構わず、顔を隠す様に出掛けて行って、何日も戻らない事もあった。

その間、何処で誰と何をして過ごしているやら、男にはさっぱり解らない。

最初のうちは黙っていた男も段々に焦れて来て、その事を問い詰める様になった。

女は頑なに口を閉ざして答えない。

男はまた蔵へ籠ろうとする女に追い縋り、女の肩に掴み掛かる様にして蔵の中へと入って行った。

蔵の中には、ばらばらにした人形の身体の一部がうず高く積み上げられている。

人と同じ大きさに作られた人形達は、乱雑に脱ぎ捨てた服が時折人の形を成す様に、異様に捻れて床に打ち捨てられている物や、角には高く高く積み上げられ、今にも崩れ落ちて来そうな山も出来ている。

激昂した男が女を壁に追い詰め、肩を掴んで激しく揺さぶると、がくがくと揺れた女の頭が人形の山にぶつかって、がしゃんと陶器が砕ける様な嫌な音をたてた。

女の表情がすっと失せ、女の後ろからがしゃがしゃと不快な音がして、何かが虚ろに積み上げられた人形の中を這い登って行く。

真鍮色をしたパイプの先端と尾に、矢張り鈍い金色をした大小の珠の付いた何かが、蛇の様に素早く這い登って、一番上に積み上げられた人形の頭の中にするすると収まった。

途端に人形の頭と首の付け根の隙間に薄い皮膚が張る様に繋がり、その下にあった胴が繋がり、腕が繋がり、その腕で手繰り寄せる様にして脚を繋げ、人の形を成した人形がゆっくりと動き出す。

壊れた人形の様に目を見開いたまま動かなくなった女を呆然と見詰めている男は、それに気付く様子もない。

人形が不自然に首を捻らせて男を見下ろす。

蔵の小さな明かり取りから射す微かな月明かりに人形の貌が照らし出された。

半面は能面の様な静かな相貌だったが、もう反面は大きく罅割れ、顎が外れた様にぶら下がり、尖った小さな歯がびっしりと並んでいる。

 

人形は蜘蛛の様に音も立てず、ゆっくりと男の方へ降りて行く。

大きく口を開けて。

  

 

 

 

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