待乳山聖天についての覚書 3

生駒聖天宝山寺の参道の左右には、料理旅館が軒を連ねており、それが昔の遊郭の名残であるとのことだ。おそらく今も営業している店もあるだろう。
奈良、東京の二つの聖天様の近辺には遊郭がある。ということだ。

乳山性母さんはぜひお参りにいくべきだろう。きっと御利益があるに違いない。
命名した組長の直感の鋭さはすごいな、と思った。

先日行った待乳山聖天の境内からは、巨大なペニスのようなスカイツリーが屹立するのが間近に見えた。
(柳川)

待乳山聖天についての覚書 2

待乳山聖天の本尊は歓喜仏とのことだ。歓喜仏とは、男女が抱き合う形で表されることもある。元は大日如来が方便のために、この仏に化身したとのことだ。
欲望を抑えられない衆生にまずは欲望を満たすことで悟りに向かわせるとのことである。

また、この寺のシンボルは大根と巾着である。大根を巾着に入れると、イイのだろう。

吉原という売春の土地とのつながりを感じさせる。

そしてこの歓喜天が祭られている寺は、ほかにもある。奈良の生駒聖天宝山寺である。

(つづく)
(柳川)

待乳山聖天についての覚書 1

腿テントの女優「乳山性母」を命名したのは座長だったが、浅草のはずれ、山谷のあたりに「待乳山聖天」という寺がある。
現在の山谷堀公園とは、昔、隅田川から遊郭の吉原へ向かう水路だったそうだ。その隅田川と堀が交差するあたりに、「待乳山聖天」がある。(続く)
(柳川)

田中浩一展 ザムザ・シンドローム/ギャラリイK(京橋)

つい最近のある日、自分のグループ展のDMを私にギャラリイKに伺うと、なにかバケモノのようなものが描かれた大きな絵が否応なく目に入った。その絵からは何か圧力のようなものを発していた。何かに似ていると思った。ギャラリー主の宇留野さんと美術批評家の宮田徹也さんとあと二人の男性がそこにいた。そのうちのお一人が、作家の田中浩一さんだった。目がギラギラと輝いている人だった。今考えると、かもしれないが、髪が乱れてすこしお疲れのようにも見えた。その日はちょうどオープニングの日だった。私は、感想を言おうとしたがうまく言葉にできずに、月並みなことしか言えなかった。自分のボキャブラリーの貧困さが恥ずかしかった。その絵は、鮮やかな青の背景に、ワイシャツと赤いネクタイが何重にも積み重なったかのようなモノが中心に大きく描かれているものだった。田中さんは、東京都庁からみた風景もモチーフの一つであるようなことをおっしゃった、私は、初めに見た時に何かに似ているとおもったのは、それだと思った。都庁からみた東京の風景は、私もいつか描きたいと思っているものだった。それは、都市というよりもバケモノのようだと思っていた。
田中さんは、礼儀ただしく穏やかにお話される中に、なにか極端なものを秘めていらっしゃるような感じがした。
その田中さんが、その後亡くなられたと聞き、驚いてしまった。
もっと別の作品も見たいと思ったのだ。
でも死は、なんというか田中さんの個人的な出来事であり、いくら新しい絵が見たいとおもってもかなわない世界に行ってしまわれたのだなと思った。
死はいつ訪れるかわからないものだから、私も生きているうちに頑張りたいと思う。

【以下ギャラリイKのサイトから】

※ 遺作となった今年の展示作品から
「魔都を召し上がれ」2010年 キャンバスにアクリル 193×270cm (画像

※ 宮田徹也氏による、2008年個展の論評 → コラムページの<田中浩一展 −魔都− 2008年8月18日〜23日>へ

いいなと思う映像2

安穂野香さん
この人は名古屋の人で、私が名古屋にいた頃、『セーラー服おじさん』として都市伝説的に語られていた人だった。
東京に来てから、アングラ的なライブハウス等で活動しているのを知った。また、『あらびき団』という番組にも出ていた。

ただ、とても異様でエキセントリックに見えるけれども、私はとても純粋な美しさと光と狂気を感じる。

ライブに行って、彼からCDを買ったときの最高の笑顔と暖かい手を今も忘れない。

代表的とも言える曲 『ナイスピース』

OK・リミックス

『サイア』

『日照』
これは、亡くなった奥さんが歌っている。とても美しい歌。

(柳川)

いいなと思う映像をアップ

悪霊おばけさん。
この狂気のエネルギーいいね。
かっこつけてないのもいい。イケメンだけど。

そして最後にはお片づけ。そして警察から罰も受ける。
社会の中で芸術はそういうものなのかな。それを含めての表現。?

これもなかなかおもしろいです。


浅草です。浅草大好きだな〜。

(柳川)