2008.2.21(2)

17:00くらいに目をさました。まだ、明るい。シャワーを浴びて、部屋に戻ると、同部屋のジョシュも帰って来たところだった。


ジョシュの話をするのを忘れていた。彼は香港生まれの中国人だ。中国の人の一部は、本当の名前の他に、外国人風の名前を持ってたりする。まあ、外国人には中国語の名前は発音しにくいし、よく海外の人と話す場合はそっちの方が便利なんだろうな。
彼と初めて話したのはジョアンナとマシューと飲みに行った夜。部屋に戻ると、どうやら同部屋だったらしく、お互い自己紹介した。くるくるした少し長めの髪に眼鏡をかけた彼を、僕は最初日本人かと思ったんだけど。話してみたら、香港の人だった。僕が、今回香港から入ったことを話すと、あそこは行ったか、あの通りは最悪だよね、とか凄い勢いで話し始める。そうこうしているうちに、「僕はこれから仲間と飲みに行くことになってるんだけど、友達に紹介するから一緒にこない?」と誘われて、少しだけお邪魔した。やっぱり皆、中国人で、ほぼ中国語だったんだけれど、中に一人だけオーストラリアに留学していた女の子がいて、色々と翻訳してもらった。皆、酔っぱらっていると、あんまり言語の壁って関係ないんだよな。ワイワイ騒いで、料理を食べて。そろそろお開きって時に、「明日は中国のバレンタインデーみたいな日でさ、皆で友達の家に行ってパーティーするんだけど来ないかしら」と誘われる。旅の間は用心することにしてるんだけれど、彼等はいたって平和そうだ。迷惑じゃなきゃ、ってことでお邪魔することにした。「当日、ジョシュに連れて来てもらって」


ジョシュは酷く疲れている様子で「18:30になったら友達の家に行こう。それまで、少し寝させて」というが早いかベッドにもぐりこんだ。僕は、今朝干した洗濯物をとりに、低酸素で息を切らしながら屋上へ。そこの椅子に腰掛けて、カップに入れて持って来た紅茶を飲みながら日記を付けている。今日はポタラに行ったから、明日はジョカン寺を参拝しよう。ついでに防寒服も探そうか。せっかくだし、どうせチベットにいる間しか着ないんだから、安く民族衣装が売ってたら買いたいなあ。


ジョシュの友人の家にはタクシーで向かった。町の中心から少し離れた所にあって、何だか高級住宅地らしく敷地全体が塀で覆われて、門にはインターホンがついている。家も、とても綺麗だった。リビングに入ると、昨夜集まって皆はもう来ていて、「お客さんだから!」って長いソファーの真ん中に座らせられる。「料理の準備ができるまで、ちょっと待ってて!」とホストの夫婦はキッチンに向かう。


ジョシュが、実は僕はカメラマンなんだとパソコンで自分の撮った写真を色々見せてくれた。ヒマラヤの、山々の写真。すごいなあ。僕も常々から上手く写真を撮れたらいいなとは思うんだけれど、ついついカメラを出すのも面倒で、適当に撮ってしまう。ジョシュは、「このカメラはすごいんだ! 日本製なんだぜっ!!」と興奮しながらその一眼レフカメラのいかに素晴らしいかを解説をしてくれた。
料理も出揃うと、皆で食べながらビールを飲んで、よく分からないゲームをやったり(ルールもよく理解してなかったけれど、どうやら僕は強かったらしい。全然実感が湧かないけど)、ホストの人が家の中を案内してくれたり。一番綺麗だったのは、屋上からの景色。ようやく日が沈み始めていたんだけれど、日本の夕暮れとは違って赤くは染まらない。けれど、黄から濃紺へと移りゆくグラデーションがヒマラヤの山脈の背景を彩って、それはもう綺麗だった。僕はついつい見とれてて、写真を撮るのを忘れてしまったんだけれど。残念。

結局その日は深夜まで飲んで、くつろいで。皆で日の出を待とうとしたんだけれど、高地ではアルコールがまわるのも早い。というか、本当は分解されにくくなるんだろうな。一人、二人と寝てしまった。最後に起きていた僕とジョシュは、せっかくならベッドで寝たいね、ということで真っ暗な中、二人で夜明け前の町を歩いてタクシーを拾い宿に戻った。寝ている人を起こさないよう、小声でジョシュにおやすみと言う。
ベッドに入るとすぐ、僕は睡魔にからめとられた。

随分と長らく放置してしまった。皆さんは、お元気にしていましたか?


僕は大学院生になりました。毎日、研究の日々です。
研究室に泊まり込むことが、多くなりました。睡眠時間が減りました。
本を読む時間も大分少なくなって、今は映画も観に行きません。
それでも毎晩、空を眺めたり、いつか行きたい、遠くの国のことを考えたりしています。
そこは、あまり変わらない。


先日、人生で初めての論文を投稿しました。少しだけ、時間の余裕ができた。
というわけで、少しずつ、こちらへの記録を再開したいなと思います。
この記録は、あまり写真もないし旅行記としての実用性にも欠けるけど。
それでも、少しずつ、書いていこうと思います。

2008.2.21(1)

ジョアンナとマシューは今朝早く、ネパールへと旅立っていった。今日はとても空気が澄んでいて、部屋の窓からヒマラヤ山脈がくっきりと見渡せて。こっちに着いてからはずっと、朝から天気が悪かったから、今日はとても良い気分だった。幸先が良いな。



10:30頃にポタラ宮へ。どうやら整理券はないようで、正門から皆、適当に入っていく。閑散期だからかな。



ポタラ宮ってのは、かつて中国に軍事占領される前まで、チベット政府があった場所だ。出発前にダライ・ラマの自伝を読んでいたので、ここがあの…といった感慨に。増築に増築を繰り返したらしく、異様な風貌で、中も必然、迷宮みたくなってしまっていて。噂によると、部屋は全部で1000あるとか。でも実際、観光客が見れるのは、その中の20部屋程度らしいけれど。さて、宮は丘の頂上にあるから、階段を登って…って階段長えええええ!!! そして、かなり急!!!



し、死ねる…。高山病にこそ罹らなかったけれど、低酸素は確実に効いていて。少し階段を登るだけでも心臓がばくばくいうし、足に疲れがどんどんと溜まっていくのが分かる。そんな僕を尻目に、チベタンの老人や子供は、平気な顔で上って行ってしまう。チベタンは凄いな。



やっと頂上に…!! ここから見るヒマラヤは、また格別に綺麗だった。ふと気付くと、鳩が居眠りしている。多分、日本で見るのと同じ種類。こんな場所にも、いるんだなあ。やっぱり高山では鳩も、すぐ疲れたりするんだろうか。



間近から見たポタラ宮。思いのほか並んでる。入場料は、100元。高いな…でもこれ払っても多分、大半は中国の役人とかの懐に入ってしまうんじゃないだろうか。そう思うとうんざりしてくるけれど、まあ世界遺産に登録されてるんだから、幾らかは保全に充てられるだろうと願いつつ、入場。ここから先は、撮影禁止らしい。


ポタラ宮に入ってまず一番最初に目に留まったのは、天井の梁がチベットの空と同じ、真っ青な色で塗られていること。そして、日本のものとは異なり、仏像もとても色彩豊かだということだ。恐ろしげな顔つきの仏像が多いな。多分、大乗仏教小乗仏教の違いなんだろう。また、インドから流れてきたので、ヒンズー教の影響もあるんだろうか。半分獣のような恐ろしげな仏像も多かった。また、面白かったのは、一室で猫の親子が飼われていて。親猫はずーっと寝てるんだけれど、3匹の子猫達は、お供え物を食べるは、お布施にじゃれつくはでやりたい放題。何だろう、何かの化身のように考えられてる猫だとか?

あれだけ苦労して登ったけれど、見られる部屋は少なくて、あっという間だった。屋内は空気がひんやりしていて。外も外で寒いけれど、日光がとても暖かかった。途中にあったお土産ブースで絵葉書のセットを買う。これで、友人達に手紙を送れるな。
本宮から丘を下りる坂道は、北向きの斜面にあるせいで日陰。つまり、雪が凍り付いている。チベタン達の子供と「うわー滑るー!!」とやりながら、少しづつ下りていった。何か、やたらと疲れたな。
一旦ホテルに帰って昼寝することにした。

2008.2.20

今朝は大分、冷え込んでる。また雪が降っていた。まあ、今日もやむまでゆっくりしよう。



同室のジョアンナとマシューも起きてきて、生憎の天気に悪態ついている。各々お茶を淹れて、窓の前のベッドに座りながら外を眺める。ジョアンナはスイス人、マシューはイギリス人だ。そういえば、昨日の日記には書き忘れたけれど、彼等は僕が来る前から泊まっていて、明日の朝にはネパールに発つらしい。ジョアンナは僕のバックパックを見て、
「日本人のバックパックは大概小さいけど、あなたのは特別ね! それじゃ、ほとんど何も入らないじゃない!!」
なんて言ってた。まあ、確かに僕のバックパックには、必要最低限のものしか入ってないけれど。というかまあ、実際のところ、足りない物も、ちょいちょいあったりするけれど。僕からすれば、欧米人のバックパックはあまりに大きすぎる。彼等はまるで、普段の身の回りの品を全て持ち運んで旅してるみたいだ。その中でもジョアンナの荷物は凄い。バックパックは僕のやつの2倍くらいあるし、さらに手持ちカバンが1つに、ガラガラ引くカバンがひ1つ! マシューは、大き目のバックパックが1つだったけれど。こっそり、
「でもさ、ジョアンナはさ、疲れると手持ちの方は全部僕に運ばせるんだぜ! 参っちゃうよね!」
それでも多分、マシューは、にこやかに引き受けるような気がする。流石、英国紳士。



それから、ヤクホテル内にも(有料で)ネットを使える場所があると聞き、行ってみたのだけれど。色々設定をいじってみたけれど、日本語が使えるものはなかった。



雪が止んで晴れ間が見えてきたので、午前中に配布していると聞いた、ポタラ宮の整理券を手に入れに行く。ネットで手に入れたラサ市内の地図を見ると、ヤクホテルからポタラまでは、昨日スーパーを探した大きな道を真っ直ぐ歩くだけで着くらしい。
高山病にこそかからなかったけれど、空気が薄いのはどうしようもない。1km位歩いてポタラに着く頃には、大分ばてていた。



ポタラ宮だ。馬鹿でかい。ポタラの前の広場では、子供が雪だるまを作っていた。どこに行っても、雪の日に子供がやることって変わらないよね。とりあえず、正門に向かってみたけれど、門はしっかり閉ざされていた。裏にまわってみる。



幸い、裏の門は開いていたので、中に入ってみる。庭園のようなところだった。誰かいないかと探してみると、チベタンの庭師らしきおじいさんがいたので聞いてみると、どうやら今日は整理券は配布していないらしい。といっても、英語も通じないし、中国語は僕の方が単純な単語以外は分からないので、多分だけれど。おじいさんは「明天! 明天!」と言っていたので、明日、また来てみることにした。その後は、裏路地をのんびり歩いて回り、夕方になる頃、ヤクホテルに戻った。



部屋に戻ると、マシューとジョアンナが居たので、ホテルの前のバーに飲みに行った。旅に出てから初めてビールを飲む。ラサビールはスッキリしていて、飲みやすいビールだった。彼等がチベットで訪れた場所の話だとか、今まで訪れた国の話だとか、あとはそう、僕がイギリスのSFやコメディーが大好きだという話をすると、マシューは喜んで、じゃあ日本に帰ったらあれを見ろ、これを見ろと教えてくれた。
そうして今日の夜は、ゆっくりと過ぎていった。

2008.2.19

チベット初日はあいにくの曇天だった。昨日は部屋が暗くてよく分からなかったけれど、こうして見ると、かなり綺麗。ドミトリーで30元。シャワー・トイレは共同だけれど、綺麗にしてあって、お湯もしっかり出る。そういえば、日本を出てからまだ一枚も写真を撮ってなかったことに気付いたので、泊まってる部屋の写真を。



注目すべきは二重窓。この他に、20元の一段安いドミトリーもあったのだけれど。泊まっている人の情報だと、そっちは二重窓じゃなくって死ぬほど寒いらしい。こんなんでも大分違うもんなんだなあ。



さてさて、近日中にやるべきことをメモしておこう。

  1. ちゃんとした食事を摂る(6食連続カップラーメンは、正直しんどかった)
  2. スーパー、デパート、百貨店を見て回って、物の相場を確認する
  3. 日本語を使えるPCがあるネットカフェを見つけておく
  4. 買い物
    • 街中で使うカバン(お土産にもなるし)
    • シャワーの時に履くゴムサンダル(持ってくるの忘れた)
    • 耐熱カップ(同上)
    • 絵葉書

のんびりしてたら、いつの間にか雪になっていた。まだ小降りなので、早めに必需品の買い出しだけでも済ますことに。ヤクホテルの前の通りを歩いて、スーパーを探す。すぐに、それなりの大きさのスーパーが見つかった。サンダルと耐熱カップ、水を購入。サンダルは11元。カップは少し高くて、40元。町の中を見て回りたかったけれど、風邪ひいたら馬鹿らしいので、すぐに宿に戻る。雪が、少し強くなってきた。フロントで、沸かしたお湯を持ってきてもらえるように頼んで、部屋に上がる。窓から外を眺めると、雪の中でもリキシャのおじさんは頑張っていた。



買ってきた耐熱カップの中をしっかり石鹸で洗って*1、係の人が持ってきてくれたポットのお湯でパックのお茶を淹れた。数日ぶりにほっとする。只今の時間は13:00。雪はまだ止みそうにないし、ホテルの前のレストランで昼食にすることにした。
レストランは結構、居心地の良さそうな所だった。働いてるのはチベタンで、英語も結構通じる。本日のお勧め、Fried vegetable nudle を頼むと、見慣れた料理が。やきそばだった。18元。チベットで考えると少しお高いけれど、ボリュームもあるし、まあいいか。折角なので、ここ数日の栄養不足も補おうと、もう一品ミネストローネスープを頼んだ。こっちは15元。トマトを直に潰して作ったといった感じで、大分酸味が強かったけれど、野菜が沢山入っていた。ビタミン補給できたかな。



レストランを出ると、少し晴れてきていたので、ジョカン寺付近を散策することに。
ラサの中心部は、このジョカンというお寺を真ん中にして、それをバルコルと呼ばれる巡礼路がぐるりと取り巻いている。巡礼路、といっても歩行者天国になっていること以外には、造り自体は街中の他の道と大差ないのだけれど。赤い法衣を着た僧侶から一般人まで、多くのチベタンが神聖なジョカンを右手に見ながら、延々とぐるぐる巡礼*2していて。香が焚かれているし、巡礼が低い声で呟いているお経が聞こえてきて、中には五体倒地している人までいて。厳かで神聖な雰囲気。しかし、その一方で、人通りが多いので露天がひしめき合っていて。宗教グッズから観光客目当ての土産物、各種日用品まで沢山の露天がひしめき合っている。
何だか、ここまでの旅は、随分と気を張っていたように思う。色々と事務的な作業も多かったし、そもそも辿り着けるかも分からなかったから。バルコルをコルラしながら、深呼吸してみる。お香の匂いがする。ふと、夕暮れのバルコルが、とても綺麗なことにも気付く。足元や、前ばかり見ていて気付かなかったんだ。明日からは、度々空を見上げることにしようと思った。

*1:中国では、薬品がついてることもあるってきいたから、結構念入りに

*2:こうやってぐるぐる廻ることを「コルラ」という

2008.2.18

朝、目を覚ますと、窓の外はまだ暗かった。

電光掲示板を見ると、次の停車駅の表示は「那曲」となっている。地図で確認すると、検問があるという噂を聞いていた「格爾」という町は、とっくに通り過ぎていた。すでに、チベット高原に入っている。あとは、(あるのかどうか定かじゃないけれど)ラサ駅でのチェックさえ素通りできれば、ついに目的地だ。時計を確認すると、今の時刻は8:00。にしては、暗いよなあ。山があるから、日の出が遅いのか、この列車が時刻の補正をしていないか。或いは、中国国内では共通の時刻を採用しているのかもしれない。*1
もう、ここまで来ると、乗客は大分少なくなっていて。窓際の通路の補助席に座っている人も、まばらだった。時々通路を通りかかる人の中には、漢民族とは明らかに顔つきの異なる、チベタンらしき人も見かけるようになった。
補助席を出して、まだ薄暗い外の景色を眺めながら朝ごはんを済ませる。といってもカップラーメンだけれど。(いい加減飽きてきた)(ついでに言えば、列車にもウンザリしてきた) 外の景色はもう、まさにチベット高原って感じで。荒涼とした山や谷ばかり。途中で見た湖は、半分凍っていた。再び電光掲示板をチェックすると、高度は4700m。最高点の5000mに近いけれど、未だ高山病の症状は出てなかった。幸運にも高山病にかからない体質らしい。
外が少しづつ明るくなってきた。補助席に座る人も、少しづつ増えてくる。ここまできて、公安に目を付けられるのは流石に御免なので、到着まで寝台で大人しくしていることにした。







ラサ駅に到着したのは、もう夜遅くだった。結局、何のチェックもないまま、駅を出ることができた。ついに来たぞ、チベット! しかし、楽々と目当てのチケットが買えたことといい、チェックに一つも引っかからなかったことといい、高山病に罹らなかったことといい。滅茶苦茶ラッキー。
旅行人*2からコピーしてきたページによれば、市内に出たかったら91号のバスに乗ればいいらしい……んだけれど、この時間では流石にもうバスは運行していないらしくって。駅のロータリーにタクシーが何台も停まっていて、運転手が客引きをしていた。チベタンの運転手を見つけたので、彼の客引きに捉まったフリをして交渉開始。あらかじめネットで聞いていた価格よりも、大分安い。結局、ヤクホテル*3まで、20元で落ち着いた。乗り合いタクシーなので、他の客を捉まえてくると、運転手のおじさんは走って行った。
とりあえず60時間ぶりに一服でもするか、と煙草を咥え、ライターで火を点け…ん? あれ、点かない。壊れたかな、とマッチを取り出して擦ると…あれ? これも点かない…。火が点く時の音はして、リンの部分も確かに酸化しているのに、肝心の炎は上がらない。…あ、そうか。ここの標高は、3700mなんだった。富士山より高い。酸素も当然、大分薄い。多分、このライターもマッチも、この酸素濃度を想定して作られてないんだろうね。こんなところで、とんでもない高地にいることを実感した。
そうこうしているうちに、運転手のおじさんが客を3人連れて戻ってきて、出発。30分くらいで、ヤクホテルのまん前まで送ってくれた。



無事チェックインして、2日ぶりのシャワーを浴びた。サッパリ。今日はもう遅いから、寝ることにした。

*1:後に聞いた話によると、どうやら統一時刻が正解らしい

*2:バックパッカー向けのガイドブック

*3:ラサ市内にある、パッカー向けの安宿の一つ…かと思いきや、実際泊まってみると結構良さげな、ちゃんとしたホテルだった

2008.2.17

もっと水を買っておくんだったな。朝から喉が渇いて仕方ない。水と食べ物を買おうと思っていた食堂車には、公安が常駐していて近寄れなかった。仕方なく我慢して、昼頃に停車した駅で600mlの水を6本と、カップラーメン6食分を購入。*1
この時間は、通路に人が多い。沢山の人たちが、窓に面した通路に備え付けられた補助椅子みたいなのに腰掛けて、景色を眺めていた。ベッドの三段目からは景色は見えなくて。仕方なく、本を読みながら、ごろごろすることに。




いつの間にか、寝ていたみたいだ。起きると、もう深夜だった。1時を回っている。すでに消灯している窓沿いの通路には、流石にもう誰もいない。少しぬるいお湯でカップラーメンを作って、補助椅子に座る。窓の外の風景は、広州を出た直後とはもう大分変わっていた。列車は、遠くまで見渡せる荒野の中を、延々と走り続けている。ぼんやりとそれを眺めながら、ゆっくりと食事を済ませた。
何だろう。あの強い衝動がなくなった今でも、こうやって遠くに来たことを実感すると、気持ちがふっと軽くなっていくことが分かる。自分が自分の外側にいるような、そんな気持ちになる。


しばらくしてまた、ゴトン、ゴトン、という規則的な電車の駆動音を聞きながら、寝台に戻って眠った。

*1:各車両に、熱いお湯が出る水道があった