ホロコーストと平和



こちらの日記は初めてですが・・・
いきなりこの日記は驚かれるかもしれませんね。
よろしくお願いいたします。

イスラエルのバッドエッシェム(ホロコースト博物館)は旧市街と新市街にあり
1つはヘツエルの丘(歴代首相のお墓)の裏手にあります。
(このページを見る場合は戻る時気をつけて下さいね!
とんでもない所に行く可能性があります。ウフ☆)

今は工事中ですが数年で新しくなると思います。
私は改装中で無料で入りました。

この場所は聖なる場所で犠牲になった方の冥福を祈る場所です。
室内にあります。
今までまだ未公開の写真がまだあるんですよね。

その他にも展示がありましたが・・・
以前書いたアンネフランク、ヴィクトル・エミール・フランクル心理学者の体験の本「夜と霧」

「戦場のピアニスト」これは検索すると私のHPが出るみたい!

でももう楽天では音楽も流せず・・・今、別HPを作成中です。

でもいずれにしても歴史的事実・・・
戦争を反対している私は数年間の間悩みそしてイスラエルへ行きました。
たまたま出会ったのが普段は明るいアメリカ・カリフォルニアの方。
でもユダヤ系のクリスチャンというかなり複雑な家庭の方と出会いました。

よく映画などで見るアウシュビッツ、ビルケナウとポーランド
世界遺産として残っていますが一番大きい施設はドイツのワイマール
からたったの15分の所。
ゲーテとシラーで知られるワイマール憲法でも有名ですね)
知っている人は少なくまた、アウシュビッツなどの方が取り上げられていました。

同じドイツだからでしょうね。
ワイマールの方はまず映写を見ます。
それから各施設を回りますが最低でも2時間、長く見ると1日
という場所です。
現地の方も知っていつつも元ソ連側だった旧東ドイツだった為
かなり口が重いです。
マルクト広場の市庁舎に面しているツーリストインフォメーションセンター
で行き方を聞き、バスで行けるのですがワイマールの歴史と
ホロコーストのギャップは大きかったです。

この2枚の写真はエルサレムで写したもの。
現実にここは旧市街ですが・・・

バッドジェッシェムはモチーフがありそこのイメージがアウシュビッツ
の入り口と同じでした。

この文字とレリーフを思い出しました。
このアウシュビッツには広大な場所の中にはご存知なガス室、償却所など・・・

そして、良く見るともいますが・・・
アウシュビッツでもビルケナウでも同様に終点の駅なし駅があります。

電車にのせられ、行く所もわからず・・・
現在犠牲になった方で一番多かったのがポーランドです。
ユダヤ人のみでもないです。

政治的なこともあり、差別があったこともあります。
アンネフランクは不運にも一番最後のアムステルダムからの電車に乗りました。
それを思うと感無量です。

エルサレムは提携をしているPCデーターがあり検索が出来ます。
行方がわからなくなった方がどこへ行ったのかを検索が出来るもの。
でもその莫大なデーターは驚きを隠せませんでした。
知り合ったユダヤ系のクリスチャンという複雑な方の親戚
の検索をそこでしました。
1時間あっという間、でも結局見つけられませんでした。
その人の名前と同じ方も多すぎて・・・

現にいかれた方はわかると思いますがアウシュビッツ、ビルケナウは
電車の線路を行きます。
まさに死への道そのものです。
それはぞっとするような想像が全く出来ないことです。
1車両の中での出来事、また、全く想像が付かないことが多くありでも
証言もあります。

一番最初に出した写真は入る時男性のみは帽子をかぶります。
敬意を表しています。
永遠のともし火・・・この火は消えることがないでしょう。
また、ここにはドイツ・コール元首相が訪れたのがドイツでは最初だそうです。

戦争は色々な被害をもたらします。

今まで書けなかったアウシュビッツ、ビルケナウのこともここで書いておきます。

涙よりショック状態になってしまったのです。
通訳も出来ない時がありました。
勿論現実を知ってショックだったからです。

イスラエルでは実際体験をして杉原千畝さんに
敬意を表している方もいました。

これには驚きました。
実際、赤軍のことで友人が数日間拘留されたことを思い出したら
何ともいえません。
日本人に対しての感情はイスラエルで多く聞きました。
現実の声を聞いた私にとっては残酷ながらも杉原千畝さん
のことで私は救われた気持ちになりました。
記憶に新しいと思いますがテル・アビヴ空港のことで
日本人に対してイスラエルの反応が怖かったこともあります。
でも杉原さんのことでシンドラのリスト以来有名になった
いえ、
逆に日本がそれを知ったのですが救われた気がします。
但し、
事実は空港で調べられたのは凄かったですが・・・

語るのが辛いですね。
事実、見るのと行って体験するのは違います。

全てのホロコースト(実は南京もあるんです。これは日本人)
を見て、現実に被害者にあったりまた、話を聞いたりして・・・
また違った感じになりました。

今日はこれを書きたいと思いました。