蕎麦屋にて

近所の蕎麦屋で天ざるを食べていたところ、酔っぱらったマネージャーがやってきて、韓国国籍らしい店員に怒鳴り散らしていた。実際、怒られている人は普段から適当に仕事をしているふうであり、ぼく自身も管理者のはしくれなので、そのマネージャーは本当に本当にイライラして、腹に据えかねていたのだろうと想像できる。彼が怒鳴っているその内容も、もっともだと思えるものだった。


でも、ぼくは客として蕎麦を食べに来たのであって、何も中年のオッサンの苛立ちまぎれの声を延々と聞かされるために店に入ったのではないのだ。だいいち、一人の男が、衆目の前で、いつまでもいつまでもネチネチと罵られつづける光景は見るに堪えないものである。


ところで店員は日本語もろくに喋れず明日をも知れない身であって、表情には終始、孤独と不安とがはりついているのだが、マネージャーは気づいてはいない。いや、もちろん仕事のうえでそんなことに気づく必要はないし、気づいたところでむしろ仕事の妨げになりそうだし、実際問題として、適当な仕事をされるくらいだったら、スタッフの一人や二人、孤独や不安なままでも一向に構わないのはわかる。


でも、そう割りきってしまうのはやっぱり一人の人間として至らない点があると思うし、その至らなさ、人間的限界ゆえに、客であるぼくを苛々させるというのは、結局、管理者としての資質の問題ではないのか。いや、むろん怒鳴らなければならない立場にいるのはわかるし、怒鳴っているその人自身、家に帰れば、いっそうの苛立ちや自己嫌悪があるのもわかっている。きっと退屈な人生だろう。わかるよ。


わかっている。たぶんこれは、しょうがないことだ。
だけど、ぼくはどうしても腹に据えかね、許せず、自分自身ムカついていたのだ。


「すいません」


「その、……あなたの仰ることは、もっともだと思うんです」
「でも、わたしはもう少し気分よく蕎麦を食べたいんです」


申し訳ございません、と謝るマネージャーの対応は心ないものだったのだが、現場のボスらしい麻生太郎に似た初老の店員が「すいません」と本当に申し訳なさそうに言うので、こちらも一気に自己嫌悪に陥ったのだった。ああ、ぼくは何をやっているのだ。馬鹿じゃないのか。


そうならないよう言い回しを選んだつもりではあったけど、それでもやっぱりマネージャーとしては面子をつぶされたわけで、だから、ぼくが退店するなり一層腹立ち紛れに店員を責めるのかもしれないし、店員にしてみたって、客という強い立場の人間が、突然正義感だかなんだか知らないが、いっさいのリスクを背負わず余計なことを言い出したわけで、そういうのはやっぱりどうかと思う。そして、ミスを繰り返す癖は治らず、マネージャーの髪の毛はますます抜けていくのである。


世界は一ミリだって良くならない。物事を悪化させるということにかけては、ぼくたち人間はいつだって天才だ。そんなこと、わかっていたじゃないか。
ああ、この理想主義の馬鹿野郎。死ねばいいのに。


だもんだから、ぼくは家に帰ってから二、三時間、「ああ」だの「うう」だのと悶えていたのだけど、その後改めて来店したところ、頼みもしないトッピングがいっぱい蕎麦についてきた。これには驚かされ、考えさせられ、そしてちょっとトクしたと思ったのだった。


それは「味方をしてくれたからサービスしました」という安直なものではなくて、こちらの人間的葛藤を見越した上で、「気にすることないよ」とメッセージを送ってくれたのだと思う。


「なんでそんなことわかるんだよ」「おまえはエスパーかよ」と言いたい気持ちはわかる。そうだよね。でもぼくは確かにそのように直感したし、いまもそうと信じているのである。