学術文化同友会「アルスの会」ニュースと会友意見の投稿欄

学術文化同友会「アルスの会」ニュース [2011年12月31日]

文化としての学術を護る「学術文化同友会・アルス(ARS)の会」ホームページのURLは、http://www.viva-ars.com/ です。 ホームページを補って、スムースな情報・意見の交換を図るため、このブログ「アルスの広場」を設けています。 こちらのURLは http://d.hatena.ne.jp/viva_ars/ です。アルスの会のホームページからアルスの広場をクリックすればリンクされています。


このブログ「アルスの広場」によって、「アルスの会」のニュース、新しくアップロードした記事や,折々の情報などを、その都度にお報らせしています。過去の記事のリストを「ブログトップ」(その月の末日のページ:即ちこのページ)に載せ、そこからリンクして見られるようにしましたのでご覧下さい。次に過去のページを紹介します。
    10月30日 2011-10-30 アルス・タウンミ−ティングシリーズ 2 [第1部]のまとめ
            『原子力開発半世紀の反省』報告とNHK番組『原発事故への道程』から学ぶ
             文責:中井浩二

    8月14日 2011-08-14 速報 : アルス・タウンミ−ティングシリーズ 2 [第1部] 文責:中井浩二
    5月03日 2010-05-03 アルス文庫に新しいエッセイを収録
              板橋隆久:ヴィエトナム便り- (その1)〜(その4)   
    4月25日 2010-04-25 報告: 2つの「アルスの会」タウンミ−ティング@岡山と@奈良の印象
    4月06日 2010-04-06  2つの「アルスの会」タウンミ−ティング@岡山と@奈良
    2月05日 2010-02-05 「アルスの会」論説委員公募
    1月01日 2010-01-01 「アルスの会」の原点に戻り、飛躍を目指した新しい行動計画を
    12月29日 2009-12-29 アルス文庫に新しいエッセイを収録
              山下正広:「漂流する分子研」は何処へ向かっているのか?
    12月12日 2009-12-12 「アルスの会」第4期 幹事会 議事メモ
     9月26日 2009-09-26 学術文化の薫りをもとめて:
               『アルスの会』タウンミーティング@京都@仙台のまとめ
     7月22日 2009-07-22 『アルスの会』タウンミーティング@京都 :開催
     7月17日 2009-07-17 『アルスの会』タウンミーティング@京都 :プログラムについて
     6月25日 2009-06-25 『アルスの会』タウンミーティング@京都 :ご案内
    5月20日 2009-05-20 アルス文庫に新しいエッセイを収録
              板橋隆久:ヴェトナム便り   
    5月18日 2009-05-18 『アルスの会』タウンミーティング@京都 :開催延期について 
     5月14日 2009-05-14 『アルスの会』タウンミーティング@京都 :ご案内 (II)
     4月24日 2009-04-24 『アルスの会』タウンミーティング@京都 :ご案内
    4月18日 2009-04-18 「J. J. ルソーの第1論文「学問芸術論」とアルスの会の精神について
     1月15日 2009-01-15 「早稲田大学大師堂研究室「物理学実験ポスター発表会」の開催について
    1月01日 2009-01-01 「小林・益川ノーベル賞受賞」ー 20世紀学術研究体制の勝利
    12月28日 2008-12-28 アルス文庫に新しいエッセイを収録
              山下正広:「頑張れ!」と「Enjoy!」、「教育」と「Education」 
    10月24日 2007-10-24「アルスの会」第3期幹事会・事務局
    10月01日 2008-10-01 アルス文庫に新しいエッセイを収録
              井上 信:破壊されたサイクロトロンこぼれ書き
    8月10日 2008-08-10「アルスの会」第3期幹事の選出:幹事候補者推薦の依頼
    8月04日 2008-08-04 アルス文庫にYY版徒然草を収録
    7月20日 2008-07-20 アルス文庫に新しいエッセイを収録
              福井崇時:サイクロトロンを米軍が接収海中投棄した経緯と、
                    阪大には2台と記録された根拠
    7月12日 2008-07-12 「アルスの会」 伏見記念ページの開設
    5月10日 2008-05-10 哀悼:「アルスの会」名誉会長 伏見康治先生ご逝去
    4月06日 2008-04-06 報告:「アルスの会」タウンミ−ティング@奈良 (3月26日)の印象
    2月20日 2008-02-20 「アルスの会」タウンミ−ティング@奈良 (3月26日) 開催要領
    1月30日 2007-10-10 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               伏見 康治:新刊蔵書紹介「光る原子、波うつ電子」(丸善2008.1.25)
               小沼 通二:伏見康治著「波うつ電子-原子物理学十話」について
    1月01日 2008-01-01 餃子店「京都珉珉」の創業者古田安氏の高貴な精神
    12月31日 2007-12-31 アルス文庫のアクセス統計について;しばらくご迷惑をかけます 
    11月08日 2007-11-08 アルス文庫の紹介 (9月8日-11月7日のベストアクセス)
    10月10日 2007-10-10 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               小川 泰:伏見康治先生の白寿を記念して
               小川 泰:かたちの知・知のかたち 
    10月06日 2007-10-06「アルスの会」第2期幹事会・事務局 
    10月03日 2007-10-03 アルス文庫の紹介 (8月2日-10月1日のベストアクセス) 
    9月02日 2007-09-02 アルス文庫の紹介 (7月3日-9月1日のベストアクセス)
    8月10日 2007-08-10「アルスの会」第2期幹事の選出: (1)幹事候補者推薦の依頼
    7月31日 2007-07-31 アルス文庫に新しいエッセイを収録
              福井崇時:原爆爆発時、長崎、広島上空での米国物理学者の行動と
                   地上で被曝した人の行動
    7月21日 2007-07-21 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               小川 泰: 形の物理学 -「科学研究のあり方を考える」(1), (2) 
    7月20日 2007-07-20 新会友紹介:小川泰さん
             ・今後、新規に加入していただいた会友を「アルスの広場」で紹介します。
             ・また個人のホームページをお持ちの方には「アルス文庫」のプロフィール欄
              からリンクをはらせていただくようお願いすることにしました。
              URLをお知らせ下さい
    7月12日 2007-07-12 アルス・フォーラム4「新時代の学術振興にかかわる5つの提言」
    7月06日 2007-07-06 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               山下正廣:「亀田兄弟」と「科学」 
     7月02日 2007-07-02 アルス文庫の紹介 (5月2日-7月1日のベストアクセス)
     5月18日 2007-05-18 横山広美会員(本会幹事) 科学ジャーナリスト賞を受賞
     5月02日 2007-05-02 アルス文庫の紹介 (3月2日-5月1日のベストアクセス)
    4月04日 2007-04-04  アルス文庫に新しいエッセイを収録
               尾立 晋祥:「明治の科学技術輸入と日本語」(PDF)
     4月02日 2007-04-02 アルス文庫の紹介 (1月31日-4月1日のベストアクセス)
     3月25日 2007-03-25タウンミーティング首都大学について
     3月22日 2007-03-22「アルス文庫」について
     3月21日 2007-03-21 タウンミーティング首都大学の案内
    3月20日 2007-03-20  アルス文庫に新しいエッセイを収録
               江橋節郎:・「江橋節郎、言の葉集」:遺稿集(江橋文子夫人編)より抜粋
     3月02日 2007-03-02 アルス文庫の紹介 (12月31日-3月1日のベストアクセス)
    2月03日 2007-02-03 アルス文庫の紹介 (12月02日-1月31日のベストアクセス)
    1月05日 2007-01-05  アルス文庫に新しいエッセイを収録
               中井浩二:「師を語る:杉本健三先生の教育」(PDF)
     1月03日 2007-01-03 アルス文庫の紹介 (11月01日-12月31日のベストアクセス)         
    1月01日 2007-01-01 今年の企画「論争がある、本当が見える」
              アルス文庫に新しいエッセイを収録
               伊達宗行:「科学者が語る自伝」(1)伊達家の歴史から仙台時代(PDF)
               伊達宗行:「科学者が語る自伝」(2)阪大時代から原研先端研(PDF)
    12月28日 2006-12-28 アルス文庫に新しい論文を収録(総研大研究会報告書から転載)
            「共同利用機関の歴史とアーカイブス2004」
               小沼 通二:日本学術会議,特に原子核特別委員会から見た
                     原子核将来計画とKEK発足
               西村 純 :素粒子研設立をめぐる問題
               中井 浩二:学術会議の果たした役割とその退潮
    12月03日 2006-12-03 アルス文庫エッセイの改訂版を収録
               西村 純:原子核研究所の日々= 宇宙線Bの窓から
     12月02日 2006-12-02 アルス文庫の紹介 (10月1日-11月30日のベストアクセス)
     12月01日 2006-12-01 「アルスの会」名誉会長に伏見康治先生
     11月01日 2006-11-01 アルス文庫の紹介 (9月01日-10月31日のベストアクセス)
     10月16日 2006-10-16 「アルスの会」会則
     10月04日 2006-10-04 大師堂研究室の物理実験
     10月01日 2006-10-01 アルス文庫の紹介 (8月01日-9月30日のベストアクセス)
     9月 27日 2006-09-27 「アルスの会」幹事会・事務局
     9月 11日 2006-09-11 アルス文庫の紹介 (7月11日-9月10日のベストアクセス)
     9月 02日 2006-09-02 「アルスの会」タウンミーティング@奈良の案内
     8月 13日 2006-08-13 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               中井浩二:「競争的環境の中で個性が輝く大学」を求めて(平成11年版)
    8月 11日 2006-08-11 アルス文庫の紹介 (6月11日-8月10日のベストアクセス)
    8月 08日 2006-08-08 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               福井崇時:研究者モラルハザードへの感想  
    7月12日 2006-07-12 アルス文庫の紹介 (5月11日-7月10日のベストアクセス)
    7月 09日 2006-07-09 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               福井崇時:非電離放射線の生体影響
               飯田益雄:科学研究費補助金の学術貢献に関するアンケート調査報告
    7月 07日 2006-07-07 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               伏見・中曽根対談:黎明期、そして今後の原子力開発は
    6月 26日 2006-06-26 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               福井崇時:浅田先生と長岡先生とハーバー先生 など 10編
               西村 純:原子核研究所の日々= 宇宙線Bの窓から
    6月25日 2006-06-25 科学者のこころに訴える
    6月23日 2006-06-23 「アルス論壇」に世界平和アピール七人委員会の要望書を転載
    5月30日 2006-06-06 「アルスの会」タウンミーティング/理研「仁科センター」懇親会の報告
    5月30日 2006-05-30 アルス文庫に新しいエッセイを収録
               横山広美:光と人の物語 (順次アップデート中) 
               横山広美:つくばにスゴイ施設があるのをご存知ですか?
               山下正廣:大学とは? 
    5月19日 2006-05-19 KEK-PS 運転終了記念シンポジウム:パネルディスカッションの印象

    5月11日 2006-05-11 アルス文庫の紹介 (3月9日-5月10日のベストアクセス)

    5月 02日 2006-05-02 アルス文庫に新しいエッセイを収録

               伏見康治:時代の証言ー原子科学者の昭和史 (抜粋) 

    4月23日 2006-04-23 新装「アルスの会」

    4月15日 2006-04-15 アルス文庫に新しいエッセイを収録

               板橋隆久:巨大科学は社会的共通資本となりうるか

   4月 2日 2006-04-02 アルス文庫の紹介(新しいエッセイ)

   3月11日 2006-03-11  阪大原子核実験施設50周年記念講演会

   3月10日 2006-03-10 「”智”の教育」探訪シリーズ ご推薦の御願い

   3月 8日 2006-03-08  アルス文庫の紹介 (1月7日-3月8日のベストアクセス)

   2月10日 2006-02-10 意見交換会 (大阪RCNP)

   1月14日 2006-01-14 viva_ars の立ち上げ


学術文化同友会「アルスの会」会友意見の投稿欄

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報告 : アルス・タウンミ−ティングシリーズ[第1部]の印象

 
アルス・タウンミ−ティングシリーズ 2 [第1部]の記録とその後の情報を学んで

原子力開発半世紀の反省』報告とNHK番組『原発事故への道程』から学ぶ
                             文責:中井浩二|*||


福島原発事故の被害者には心からお見舞い申しあげます。特に,アルスの会の会員・会友は原子科学者が多く、核科学・放射線科学に従事している人達なのでこの事故に対しては,陰に陽に責任を感じそれぞれに行動をとり,それぞれに科学の在り方を考えて居られると信じます。事故の原因解明と事後処理に向けての努力は何よりも大切でありますが,同時にこの事故から学ぶことも数多くあります。
アルスの会では、第2回目のタウンミーティングシリーズとして「科学と社会の接点」をテーマとして採り上げ,およそ1年をかけて討論を重ねることと致しました。2年前に行った第1回目のシリーズでは J.J.ルソーの文明批判を採り上げ,産業革命以前に提示されたルソーの文明批判がまさに産業革命を経て形成された現代の社会の姿を予言していたと論じてきましたが,残念なことに,福島原発事故はその実証となりました。
ミーティングシリーズ2は1、2、3の3部で構成し、その第一部「原子力開発半世紀の反省」の第1回を月23日(土)、第2回は7月31日(日)、そして第3回は8月1日(月) に開きました。
今回は新しい試みとして,7月23日と31日の会議を東大理学部、阪大RCNP、東北大理学部の3つの会場を結んだTV会議形式で行いました。試みは成功したようで何人かの副会場参加者に喜んでもらえました。今後も続けたいと考えています。詳しくはここをご覧下さい。


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 <アルスコンベンション>
  アルスの会では申し合わせにより会合参加者の敬称をすべて"○○さん"と呼ぶことに決めました。
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 3つのミーティングについての報告は,取り急ぎ8月14日にアルスの会のブログ「アルスの広場」に速報を掲載しましたが、その後、ミーティングの「記録」をまとめ、その感想を本稿に記すまで2か月をかけました。これは筆者の加齢現象(?)による遅れが大きな原因ですが、執筆中にいくつもの重要な情報がテレビ・新聞などで得られたからであります。とりわけ,NHKによる番組「原発事故への道程」(1)、(2)は,私達の議論のなかで考えられなかった内容に関して、決定的な要素を含んでいました。それは、それまでに何となく感じていたアメリカの関与でした。

 最初に第1回のミーティングで小沼さんが原子力平和利用研究を提唱した学術会議における先輩達のご努力についてご自身が集められた豊富な史料を基に詳しく解説して下さいました。当時、学術会議では坂田•武谷・伏見先生らが原子力平和利用推進の力となり、会員の間で激しい議論を重ねられました。これは、いわば原子力推進事業の「事前評価」でありました。そして今回のミーティングは「事後評価」になります。

 このミーティングに山口(YY)さんが参加して下さり,原子力研究創設期に早川-山口らの先生方が強い危機感を持たれ、それが有名な学術会議における三村演説に結びついて原子力推進を図った茅-伏見提案を葬る結果になった経緯をお話くださいました。これが原子核研究者と原子力研究推進者の別れの因となったと言う指摘をなさいました。「やりすぎたかなと思っている」とご本人が述べられた感想は山口さんらしいなとその人柄を感じさせるご発言でしたが,その基となった早川-山口の危機感とは「原子核を知らずに原子力をやると言う人が蔓延って原子力をやること」への不安でした。福島の事故の原点として、その根底にあることを既に指摘して居られたと強く感じました。山口さんは更にわが国の科学技術における明治以来の海外依存の体質を繰り返し強調し批判されました。

 その後、原子力推進の機運は中曽根提案によって急展開し、正力・中曽根を軸に極めて政治的な力で進められました。学界の熱心な議論は政界•財界のの力に押しまくられて、伏見、武谷による「原子力三原則」を謳う原子力基本法の成立と言う成果を残しましたが,次第に影響力を失って行きました。原子力委員会に湯川先生が加わられましたが、1年余りで辞任されました。坂田先生も原子炉安全審査専門委員を任期を待たずに辞任されました。お名前だけが目的で委員を任命する行政のやり方に失望し愛想が尽きたということでしょうか?いずれにせよ、ここまでの話で気づくことは、学界側で活躍された大先生方は全て理論物理学者であって,原子核実験研究者の参画が無かったことです。純粋で潔癖な思考を尊重される理論物理学の先生方にとおて行政のやり方は我慢できなかったであろうとと想像されます。その点、実験屋は粘り強く対応できます。しかし、当時の原子核物理学では,戦後占領軍によって破壊されたサイウロトロンなど研究施設の復旧が急務であり、その後も長く学術会議を軸に共同研究体制を築く努力が優先していました。それでも、嵯峨根先生はアメリカで活躍してわが国の科学技術の復興に寄与されたし、菊池先生は、阪大および東大核研の研究施設を建設した後原子力研究所の第3代理事長を務められた。
 菊池先生が、原子炉の本当の危険性について世界で始めて「それは原子炉内に大量の放射性物質が蓄積さることにある」と警告されたことはアルスフォーラムで紹介しました。しかし、先生が病床で書き遺された「遺題」に応えようとする努力がなかったまま、日本の福島で原発事故に至ったことは残念であり、何よりも悔やまれます。

 7月1日の第2回ミーティングでは住田さんに産業界の対応について話して頂きました。学界、政財界の熱気のある対応に対し産業界の対応は必ずしも積極的でなかったというお話はショッキングでした。「本当はやりたくなかったのに政治の力で巻き込まれたのだ」と東電幹部が話しているのは補償責任の一部を政府に押し付けようとするものだと言う人もいますが、創始期に原子力の推進に努力された住田さんの実感として話されたことは大きいと感じました。

 国産1号炉JRR-3建設の努力についても話題になりました。最初は輸入から始まった原子炉の建設を独自の力でやろうというので、日立・東芝・三菱・富士・住友のが五者協力体制で国産技術を育てようという第一歩でした。しかし、その目標とは裏腹に原研側の担当者は各社がそれぞれ担当する部分の接点における作業の調整に追われているようでした。各社の取り組みの姿勢にも温度差があったようです。例えば、計測制御の部を担当された私たちの研究室の上司が、各社から集る人材の質を案じて「例えば、東芝で新人を募集して各部に配置する時,先ず家庭電気、強電,弱電 - - の順で良い人を採り計測事業部は一番最後の順になっている。」と嘆いて居られたことを思い出しました。国産一号炉は五社が結束して日本に原子力技術を根付かせようというものであったか疑問であって、どちらか一社の主導で作業を進める方がよいということを学ぶ結果となったようです。実際、その後の原子炉建設や動力炉の輸入は各社に別れて進められたようです。
 人材の養成ということが大切な目的であったと考えますと、建設に従事し経験を積んだ人の中には,その後大学に移って後継者を育てる機会を得た方も居られましたが、その大学において原子力(核)工学科が消えてしまいました。結局、政治家、正力・中曽根、の努力で軌道に載ったかに見えた原子力政策は、原子力技術を本当に日本の技術として育成し、熟成させたとは言えないでありましょう。人材の育成を軽視し経済効果のみに重点をおいた政策の過ちを反省しなければなりません。政治・経済主導によるトップダウンの進め方に問題がありました。
 住田さんのお話を聞いていると、産業界,特に東京電力を中心とした電力業界が積極的でないのに政治力によって原子力発電炉が次々と輸入され日本の電力供給の3割を受け持つくらいにまで及んだことが奇異に感じられました。何か「巨大な力」が働いている、それはアメリカのライフル協会と大統領の関係のようなものではないのか? 電力業界と日本の政治家の結びつきなのかと怖ろしくなっていました。
 そのようなことを考えていた時、NHKによる特別番組[原発事故への道程]を見ていて明快な答えが見えました。「巨大な力」はやはりアメリカでした。

 第二次大戦の敗戦国であり,原子力に関しては後進国である日本では,この新しい技術を学んで理解できる人は限られているし、学習に時間はかかる。ここにおいてもアメリカに依存する近道が最も賢明な政策でありました。日本にとっては、それが明治以来のやりかたであったわけです。一方アメリカの立場に立って考えると明白です。有名なアイゼンハワーの国連演説により、原子力平和利用を世界に進め、ウラニウムによって主導権を握ろうとする戦略を建てていたところ、同盟国日本の未熟な技術で進めようとしている原子力開発を助けることが政治的にも経済的にも賢明な政策であることは明白であったことでしょう。皮肉なことに国産一号炉建設を通じて、自立の努力が容易でないことを学んだ日本は,その後の動力炉については全面的にアメリカに依存して来たとしか思えません。結局,この過程の中でアメリカは50基を超える動力炉を日本に売り込むことに成功したわけです。日本の政財界は,学術会議に群がる学者より,世界から物理学の俊秀を集めてマンハッタン計画を成功させたアメリカの技術に頼ることになったのでしょう。ここに、原子核科学の半世紀と原子力開発の半世紀の著しい違いを感じます。

 自主・民主・公開を謳った原子力三原則の原則は、原子核科学の分野では完全に護られ,それが成功の原動力でありました。ところが、原子力の世界ではどうでしょうか?
 NHKの番組を見るまで全く知らなかったことですが、動力炉の輸入に際して、アメリカとは、ターンキー(Turn-KEY)契約という方式で契約を結んでアメリカの会社から購入したそうです。ユーザーとしての日本側は起動の為のキーを回せば良いという契約です。人材の養成が数的にも質的にも未熟な日本の業者にとっては、効率的で経済的な方法です。これは,人材の不足を補ってくれると考えられますが、これでは人材が育ちません。このようなことで50基を超える動力炉が我が国土に建設されたかと思うと恐ろしくなります。そして,実際、福島で大事故をおこしたわけです。
 ここまで論じてくると前述の早川-山口の危機感が強烈に頭に浮かんできます。「原子核も知らずに原子力をやるという人が蔓延って原子力をやること」の不安、つまり原子力の基本も勉強しないで,原子炉の怖さも知らないで原子力の経済効果のみに注目して原子力を推進する政治家と電力業者、輸入を担当しておおいに儲けた商事会社の罪は万死に値します。
 このことでアメリカを非難することはできないと考えます.商契約のことであり買ったほうの責任だからです。敢えて言うならばそのような資本主義的形態に基づく社会の問題だと思います。

 ところで、このターンキー契約で動力炉を購入したことは、「原子力三原則」違反の最たることであります。原子力三原則と言えば、マスコミを含む多くの人は自主•民主•公開のうち「公開」のことを問題にしています。しかし、3つが全て大切である中で,特に「自主•民主」の原則が大切だと考えますが、ターンキー契約はその大切なところに違反し最も非難されるべきことであります。三原則の存在に注目するマスコミの理解は表面的で本質を見誤っています。
 三原則が形骸化しています。今回のミーティングでも三原則が話題にあがりましたが、この本質に迫る意見はなく、三原則厳守を謳う教条主義的議論に左右されたと思います。
 教条主義とは何か?教条主義が何故悪いのか?と考えると,最も本質的で重要なことは、批判力の欠如を招くことです。日本には教条主義が蔓延りやすい体質があります。「原子力安全神話」を生んだ体質です。かつて,第2次世界大戦を引き起こしたドイツ・イタリーにもその体質があり国を不幸に導きました。不幸な福島原発事故の後の放射能汚染についても「基準値」なるものが定められると、その値の設定がどれだけの不確定性を持っているか,誤差はどのくらいかということを考えずに定めた値が一人歩きをして社会を不安に陥れています。これを教条主義と言うことが適当かどうかと思いますが、要するに批判力の不足です。科学にとって最も大切な要素が欠如しています。

 奈良で開いた第3回のミーティングでお話をうかがった能澤さんは,学生であった私を指導して下さった先輩のお一人でした.直接の指導教官ではなく研究グループも異なっていましたが、阪大の菊池研究室のどなたもがそうであったように、一緒に食事をする時、共同利用実験を手伝う時、ふとした会話で啓発されたものです。教室や講義室で教科書に沿って並んだ教育とは全く違ったことを学びました。それは先輩達の研究に取り組む姿勢であり、未知のものを求める物理の研究への憧れだったと思います。
 能澤さんは原研に移ってその精神を活かし高速炉開発に取り組み若い仲間を誘って研究グループを育てられました。その努力は最初の高速炉「常陽」を作る力となりました。その後、残念なことに高速炉建設は動燃の事業になったのでそれまでの努力は活きること無く終わりましたが,能澤さんが始めた頃の若い友人達の強い熱意は忘れられません。
 今、原子力発電についてやめるか否かの議論が始まっています。その内容はエネルギー問題をやめてどうするかということにあるようですが、福島の事故の反省点として人材養成、人材配置の失敗と言う大きな問題を見落としています。「事業は人なり」と言うように人材が無いまま原子力発電を続けることは危険です。「脱原発」という政策を言えば、原子力に一生を捧げようと言う若者は現れないでしょう。現場で活躍している人達のモラール(士気)も低下するでしょう。「脱原発」をいうならば、「廃原発」のほうが安全で良いでしょう。
 人材確保の要点は,若い人を惹き付ける魅力を持った事業を建てるべきであります。その工夫について、今後議論をして行きたいと考えます。

 奈良で開いた会合で、坂東さんが提起した問題は深刻でした。原子力を始めた時、そこで蓄積することが解っている廃棄物についてどのように考えていたか?という疑問でした。東京池袋で物理学会が主催した会合で原子力発電を続けるか?代替エネルギーを考えるか?を討論した時、有馬さんが「原発をやめるにしても続けるにしてもこれまでに蓄積した核廃棄物を処理することは必要である.これは科学者の責任である」と話されました。この問題については12月初めにアルスの会で勉強会を計画しています。

 最後に、ミーティングの中で湯川さんが言われたことに注目することが必要であると考えます。福島事故を分析して悪いところを改めて行けばよいという考えに対し湯川さんは真正面から疑問を提起されたと思います。
 「人は必ずミスをすると思うべきです。どんなに注意しても事故はおこるものです。それに想定外のことも必ず起こると考えるべきです。」と言われました。私も同意します。科学と社会の接点では、常にリスクとメリットのバランスを考えながら科学の果実を活かしているわけですが、原発事故のようにデメリットが大きい場合にはバランスは崩れています。もう一つの例は言うまでもなく戦争です。原爆です。このような例を挙げて考えることは、大変意義があると感じました、生命科学の周辺には沢山例が挙がることと思います。デメリットの大きさによっては、メリットの如何によらず切り捨て禁止すべきであります。
原発事故の大きさは、菊池先生の警告があったにもかかわらず福島原発事故にまで来てしまいました。その被害の大きさは戦争被害に匹敵すると考えます.
 小沼さんが幹事として活躍されている「世界平和アピール7人委員会」では早々と「原発に未来は無い:原発のない世界を考え、IAEAの役割強化を訴える」という声明を出されました。
 「科学と社会の在り方」について、なお考えていくべきテーマであります。」











中井 (nakai@post.kek.jp)

報告 : アルス・タウンミ−ティングシリーズ[第1部]の印象

速報 : アルス・タウンミ−ティングシリーズ 2 [第1部]  文責:中井浩二 


2011年 7月23日(土),31日(日)、8月1日(月) にアルスタウンミーティングシリーズ2011[第一部]を開きました。
今回は新しい試みとして,7月23日と31日の会議を東大理学部、阪大RCNP、東北大理学部の3つの会場を結んだTV会議形式で行いました。試みは成功したようで何人かの副会場参加者に喜んでもらえました。今後も続けたいと考えています。詳しくはここをご覧下さい。


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 <アルスコンベンション>
  アルスの会では申し合わせにより会合参加者の敬称をすべて"○○さん"と呼ぶことに決めました。
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さて、アルスタウンミーティングシリーズ2011は「科学と社会」の接点というタイトルのもとに「科学と社会」の在り方を考えることを目的として企画しました。きっかけは、不幸な福島の原発事故にありますが数多くの被害者を生んだ、或はなお生みつつある、この事故については、事故そのものばかりでなくこの事故に対する政治・報道の渦の中で、アルスの会は少し距離をおいて冷静に「科学と社会」の在り方を反省したいと考えています。福島の原発事故から、原子力発電の危険性を学んだ社会では反原発或は脱原発の世論が高まっています。当然の結果でありましょう。しかし原子核科学に携わってきた者には残念な思いであります。原発をやめるかどうするかという性急な議論の前に、事故の本質的原因は何か、風評被害も含めて事故の後始末をどうするか、今後どうするかという問題について深く考えることは大切で、討論の結果を集約してなんらかの訴えをしたいと考えますが、それらの問題を考える一連の討論の中から「科学と社会」の在り方を考えることになればと期待しています。

タウンミーティングシリーズは第1部から3部に分けて企画していますが,先ず第1部では
「わが国の原子力研究草始期の夢とその後」といういうタイトルで、わが国の原子力行政を振り返り反省しました。
福島の事故について若い研究者から「原子核研究者は何をしていたのか」と問われ、思い浮かべたのは,その昔原子力研究をはじめた頃の学先輩方のご努力でした。そこで7月23日のミーティングでは,先ず小沼さんに「わが国の原子力研究草創期の夢と期待:日本学術会議」というお話をお願いしました。さすがに、小沼さんのお話科学史の1断面を語るような完璧なお話でした。アルス文庫に収録してある伏見康治先生の自伝的著書「時代の証言(抜粋)」にも記された戦後の学術会議にを中心とした学界の諸先輩のご努力を正確に浮き彫りにされました。
戦後、占領軍によって禁止されていた原子核研究は、戦前の実績もありローレンスなど米国の友人の助けもあって比較的早く再興できたが、原子力研究は1951年のサンフランシスコ講和条約が発効する1952年まで待たされました。その間に日本学術会議が発足し、「学問・思想の自由保障委員会」ができて、羽仁五郎委員長が「占領下に於ける原子核物理の研究の自由」に関する調査を提唱し、坂田・武谷委員に委嘱されました。坂田•武谷先生は原子力の平和利用推進に早くから積極的でした。伏見先生も原子力研究を始めるべきだと考えて居られました。
講話条約の発効を待って原子力研究を始めるために伏見先生は学術会議第四部長の依頼を取り付け調査活動を始められ大論議が起りました。第一に反対を唱えてきたのは若手の早川先生であったと「時代の証言」に書いて居られます。当時、物理の分野で早川・山口・藤本による優れた業績が注目されていましたが,その山口さんがこのタウンミーティングに出席して居られたので小沼さんが直接お考えを訊かれたところ、当時の考えはいずれも勉強不足でで危険きわまりないと思ったという返事でした。さらに山口さんは,その後の茅・伏見提案について多くの抵抗や反対意見があったが,何よりも三村剛昂広島大学理論物理研究所長の演説であったと強調されました。三村先生は広島原爆の被爆者で後遺の火傷もある方で、その方の声涙ともに下る大演説で「米ソの対立が解けるまでは,決して原子力に手を出すな」と主張された結果、茅伏見提案が取り下げられました。

7月31日のミーティングでは、住田さんが原子力創設期の産業界の反応について話されました。益比古・森一久さん達のリーダーシップと、原子力研究に強い意欲をもって取り組まれた住田さん達若手(当時)の猛勉強の様子はよく伝わりました。しかし、原子力産業を興そうとするには、必ずしも業界に強い意欲があったと言えず、むしろ戸惑いがあったという住田さんのお話は驚きでした。関西電力は熱心であったが東京電力は慎重であったと話されました。原子力の魅力と,それが招くかもしれない危険について勉強が追いつかなかった、その結果、経済的効果についても確信が持てなかったことと思われます。そして、正力・中曽根の二人の政治的意欲に基づく強い指導力に引かれて原子力産業が興ったという印象が強く残りました。アイゼンハワーの国連演説などで世界中が原子力に注目する中で
敗戦国日本がそのハンディキャップを振り切って世界に肩を並べるには必要なことで、正しい政治判断であったかも知れません。しかし、正力・中曽根の強引な進め方の背景にはアメリカの影響がなにとなく感じられました。しかし、7月3日のミーティングで山口さんが指摘されたように原子力を或はその基礎となる原子核物理を理解していない人達が進める危険性はこの段階にあったと言えるでしょう。伏見先生は,原研ができた段階から、もっと原子核実験の実力を身につけた人が参加すべきだとお考えでした。

8月1日のミーティングには、伏見先生のご努力もあって、創設途上の原研に途中から参加された能澤さんにご講演をお願いした。タイトルは「高速炉、高温ガス炉、軽水炉軽水炉、舶用炉」であった,いずれも原研が技術輸入の体制を脱却し,独自の力で取り組んだ大きな課題であった。能澤さんは、これらの難しい課題を適確に処理してこられた。











<未完>

中井 (nakai@post.kek.jp)

アルス文庫の紹介

アルス文庫に下記のエッセイを新しく収録しました。
文 庫 タイトル
板橋 隆久 ヴェトナム便り-(その1)〜 (その4)

板橋さんが、ヴィエトナム滞在中に書かれた便りです。(その1) は、ちょうど1年前の5月20日に掲載しましたが、その続きは今春に帰国されてから整理されたものを投稿して頂きました。ヴィエトナムに長期滞在された日常の生体験が綴られていて大変興味深いものです。今後、ヴィエトナムとの交流を深めるにあたって大切な資料になると考えます。板橋さんのヴェトナム便りは、(その6) まであるそうですが、今後の投稿を楽しみにしています。



 アルス文庫は、会友が政治的配慮・商業的効果などの障壁を意識しないで自由に意見等を公表できる機会を提供します。著作権については著者が責任をもって処理することとし、既に出版された物は著者の責任で確認してもらいます。

 アルス文庫に収納する論文・エッセイの投稿をおおいに歓迎します。その場合は、e-メイルで nakai@post.kek.jp にお送り下さい。採否は編集者が判断してご連絡致します。苦情に対しては3名以上の会友の判断を仰ぎます。

報告:2つのアルス・タウンミ−ティング@岡山, @奈良の印象

報告 : 2つのアルス・タウンミ−ティング@岡山,@奈良の印象 文責:中井浩二 


2010年3月23日(火)に岡山、4月3日(土)に奈良で2つの「アルスの会」タウンミーティングを開きました。
開催要領は、それぞれ アルスの会タウンミ−ティング@岡山、及び アルスの会タウンミ−ティング@奈良をご覧ください。今回は円卓討論形式で全員参加による討論をめざして企画しましたが、いずれも期待どおり10数名の論客が集まって活気に満ちた議論ができました。


討論の主題は、それぞれ、岡山「科学が尊敬され技術が信頼される社会の復興」、奈良「荒廃した教育からの脱却」でありました。先ず、現状の把握から議論を始めて,さて「われわれは何ができるか?」を考えるという構成で討論を進めました。いずれも、この大きなテーマに対して数時間の討論で答を出せるわけはないので、先ず皮切りのきっかけを作って今後各地で開くミーティングで詰めて行くことにしたいという考えでいます。

「アルスの会」タウンミ−ティング@岡山

科学技術の進歩は著しく、21世紀に入って国が科学に投資する体制が固められてきました。その成果が挙るとともに「科学と社会」の関わり方にも大きな変化が生じています。生活の向上を導く経済的効果についての社会の評価は高いと言えます。科学に対する国民の理解を深める努力も重ねられ国民の身辺に浸透していると思えます。しかし、それらの努力にも関わらず国民の科学技術に対する不信感が拭われたわけではありません。

例えば環境問題を考えましょう。地球温暖化の原因と言われている CO2放出の抑制を求める世界的世論に対しその最大の源となるエネルギー源として太陽光発電風力発電などの技術開発振興策が進められいます。それらと並んで重要な原子力発電も各国の注目するところとなってきました。ところが、わが国では原子力発電に対する抵抗は大きく、このままで国が強行することは危険です。
もう一つの例は資源問題に関連して、近未来に予想される海底開発の事業です。資源開発は、20世紀の宇宙開発より実りが大きいと考えられます。そのためには原子力潜水艇の開発が必須でありましょう。ところが、わが国で原子力船の建造はタブーのようになっています。このままでは、原子力潜水艦の技術を持つ米・中・ロの後塵を拝することになることは明白です。
原子炉産業の復興、原子力船建造などの可能性が産業界•財界•政界の主導による政策として動き始められることは充分に考えられることでしょう。その時、社会の理解と支持を得ることは容易でありません。20世紀後半の半世紀に進んだ原子力開発は、無から始まり海外の技術導入に努めた結果関係者の努力で世界のトップに並ぶ技術を育て上げ成果を納めました。しかし、その傍らで数々の負の遺産を残しました。とりわけ、最大の「負の遺産」は、科学技術に対する懐疑的な風潮を社会の中に生みつけてしまったことであります。
 今日の社会に見られる反科学的風潮をなくし「科学が尊敬され技術が信頼される社会」を復興し健全な議論ができる環境つくりが必要であると考えます。そのことをテーマに「アルスの会」タウンミ−ティング@岡山では円卓討論を行いました。

科学の平和利用と軍事利用

円卓討論は、先ず「原子力潜水艇の建造をアルスの会のトップページで唱えることには賛成できない」と言う意見によって口火がきられました。海底開発の意義は大きいし是非取り組むべきであると思うが、冷戦が終わったと言えど潜水艦建造の競争は激しく、軍事的争いに巻き込まれる可能性は大きいという意見でした。その後に続く議論は科学の「平和利用と軍事利用」について集中し意見が交わされました。特に核軍縮、核拡散防止などの問題については,世代による意見の違いが印象に残りました。1950年代に湯川•朝永•坂田•伏見•武田らの諸先生方が重ねられた努力とその成果、その国際的意義について紹介されました。誰もそれを批判的に論評することはできないことでした。しかし、米ソ2国間の冷戦時代と異なり、テロ組織が台頭してきた今日では、状況が変わっています。抑止力と位置づけられ、その拡散を抑えることのみを考えてきた核抑制策は既に破綻し、拡散することによりかえって巨大な核保有国が核兵器を使えないという皮肉な状況に陥っていることが指摘されました。更に「核軍縮」ばかりでなく拳銃等も含む一般兵器にも拡張して「軍縮」を考えることの必要性が議論されました。

核・放射線ばかりでなく、先端技術に関わるわれわれの研究は常に軍事利用に結びつく可能性があることが強調されました。この危険性は全ての科学者に常に伴っていることです。殊に多額の研究費獲得の際にリスクが大きくなります。レーガン政権時代のSDI構想がよい例です。科学者の良心に訴えることが大切であります。20世紀に日本の研究者コミュニティが誰一人として核開発に協力する科学者を生まなかったこと、そして日本が核武装をする可能性を完全に排除したことは偉大な成果でありました。1950年代の先達の努力の賜物であります。しかし、昨今の科学振興策には一抹の不安が伴っています。研究費の獲得が組織の維持に必須であり,ここの研究者の評価の要素となっている昨今の環境で科学者の良心は危険な状態にあります。

科学は所詮「両刃の剣」であります。軍事利用ばかりでなく科学者の良心に逆らう事案に巡り会うこともあり得ます。科学の公開性が求められる所以です。科学の危険性を公開し社会に訴えることが必須であります。しかしその時、充分に説明できないと、そのことが反科学的風潮を生みます。核兵器を許してはならぬというキャンペーンが、反原発運動に結びつき、誇大な放射線恐怖感を生む源になってきました。この科学者の悩みを一般人に伝えることはできるでしょうか? 科学コミュニケーションは、そこまで理解を深めることができるでしょうか?

学術会議の変容を憂う

平和目的の科学研究の成果が軍事目的に使われる可能性は常に存在します。核科学に限ったことではありません。科学者の責任であるとしても、自らの研究が軍事利用されそうになったとき個人ではそれを止める力はないと思うべきでしょう。研究者集団の力が大切です。学術会議は、1949年に創られたとき以来半世紀に亘ってその役割を果たしてきました。学術会議は、片方で核科学の不当な利用を抑える努力を重ねつつ、もう一方で研究環境の改善を政府に求めてきました。この二つの努力は表裏を為し半世紀に亘って健全な科学の発展を支えて来ました。科学者の良心と、科学者の研究環境を支えて来たこの体制は、21世紀に入ると科学技術会議を頂点とする体制の下に崩壊し、学術会議が変容してしまったことに注意すべきであります。
かつての学術会議の会員は研究者によって選ばれ、その選出組織としての研究者グループがそれぞれの研究分野の意志を代表していました。特に、基礎研究に関わる大型の研究計画はその場において討論され、長く激しい討論を経て提案にまとめられていました。いわば、厳しい事前評価を行っていたと言えます。そして中心となる研究所が推進する体制でありました。その間にも科学者の良心を問う姿勢が育っていました。一見すると専門分野の枠を超えるような問題に対しても発言し、科学技術の振興を批判的に対応してきました。そのことで政界・財界・産業界の不興を買うことも多かったと思います。この基礎研究の進め方は、原子力や宇宙開発のような国策が絡む目的研究の進め方とは対照的だったからです。学術会議の非協力的で非能率的しかも批判的な姿勢に対し、原子力開発の国策を推進する為、1959年に造られたのが科学技術会議でありました。

本会の討論は、研究資源の配分など現場の矛盾や不条理についての意見がしばらく続きました。新体制の中で学問外の要素に翻弄されている姿は淋しく悲しいものです。大学の教授達は大変な苦労を強いられ研究・教育に専念できないでいます。学術会議が研究環境の改善のために重ねてきた努力は、邪な科学者の出現を防ぎ健全な科学研究を推進するために必須でありました。そのことを忘れて、学術会議の努力が単に大型計画を始めとする研究計画の選定、研究資源の獲得だけに向けられるようになると、邪な科学者が現れ健全な科学研究の発展が阻害されることを恐れます。

新しい学術会議は、研究者の意見を代表していると言えるでしょうか? 21世紀に入って科学技術に対する投資が増し大型計画の実現が容易になったとしても、研究者の意思が活きて実現できるでしょうか? さらに、学術会議の提言が科学技術会議において如何に扱われるかという不安はつきまといます。研究グループのリーダーが如何にうまく立ち回るかというような要素で科学行政が左右される社会は恐ろしいものです。科学が、政財界•産業界によって支配されることになれば、軍事目的にも使われる危険性を高めるからであります。そうでなくても、学術会議が科学者集団のの良心を支えて来た機能は、もはや期待できないものになってしまいました。

学術会議の変容に対し、学術研究振興の健全な姿を取り戻そうと始めた「学術同友会:アルスの会」は、民の力で学術文化を護ろうという考えでした。その原点に立ち戻って粘り強く行動したいと考えます。

科学への尊敬は何故失われたか?

岡山における本会合の主題は「科学が尊敬され技術が信頼される社会の復興」であり、先ず「科学への尊敬が何故失われたか?」というテーマを論じたいと考えました。
20世紀の原子力開発で科学への尊敬を失墜させた原因には、2つの大きな要素があります。
  (その1):核兵器開発にに結びつく危険性への警戒
  (その2):国策的事業推進における原子力行政への不信
どちらも大きな問題でありますが、今回の議論は(その1)に集中し、科学の「平和利用と軍事利用」について専ら意見が交わされました。
(その2)については、後日改めて討論の機会を作りたいと考えています。
ところが、討論を進める中で思わぬ意見に出合いました。「科学への尊敬の失墜」は社会が成長し、科学を批判的に見る力をつけた結果であるという意見です。かつて科学が尊敬されたと思うのは社会が無垢であったことに他ならない。反科学的風潮には注意しなければならないが、科学技術に対する批判力の成長は大いに慶ぶべきことでありましょう。今回の円卓討論を通じて学んだことは沢山ありました。



「アルスの会」タウンミ−ティング@奈良

奈良のタウンミーティングは、興隆寺の子院であった旧「世尊院」(国際奈良奈良学セミナーハウス)で開きました。桜の季節で賑あう奈良公園の中にありながら、静かな環境で話ができました。テーマは教育の問題でした。
奈良でのタウンミーティングは3回目で、丁度2年前、やはり桜の時期に「各世代における科学コミュニケーション」という主題でミーティングを開きました。今回はその延長線上で特に初等中等教育が話題になりました。前回の講師、高橋克忠さん(けいはんな)、原俊雄さん(神戸大)、吉田信也さん(奈良女子大付属)に参加をお願いしました。参加者の殆ど全員は物理学研究の第一線で活躍する人達でしたが、それぞれの子供に対する豊富な経験を基に問題を提起し、活発な議論ができました。

教育における構成主義の弊害

円卓討論の話題は、小学校の教育現場の惨状に対する危機感の表明から始まりました。学級崩壊まで行かないまでも、授業内容の希薄さ、教師の姿勢、教師の能力等々について、驚くような実例の紹介に気持ちが暗くなる想いでした。
しかしその中で、高橋さんはご自身が努力されている校外活動の経験から子供達が勉強したいという意欲は高く、教師も教育に対する責任感は高いと強調されました。兵庫県で校外活動を進めて居られる原さんも同じお考えであります。では、何が悪いのであろうか?その答えは2年前に奈良で開いたミーティングで、原さんが指摘された教育における構成主義の弊害であります。(2008年4月6日の記事 参照)
原さんは、構成主義の弊害を次のように話されました。小学校の現場では「教えてはいけない!」という指針がまかり通っていて、指導要領に明記されている。子供には,自ら考えて,自ら学び,自ら気づかせる、ことを指導の基本とされている。この年代の子供には強制的にでも教えることが必要なことが多い(例えばかけ算の九九のように)。」教育における構成主義の悪弊について前回のミーティングにおける原さんのお話 を繰り返すことは避けますが、その構成主義が蔓延る学校で教師に与えた影響は大きく、学科の教育ばかりでなく、良好な人間関係形成に大切なマナーや友愛の精神を育てる教育に対して教師の責任感が欠落している例が指摘されました。( 教室の掃除当番をさぼる子供に対し、先生は本人が気づくまで待つとして注意を与えないという事例が紹介されました )。
このような誤った指導要領をまとめて全国の学校教育を導く文科省教育委員会等の責任は大きいと思いますが、それに盲従する現場の教師はも困ったものであると思いました。彼らの教育に対する責任感は強い。それなのに業務内容があまりにも多いと弁護する意見もありました。しかし、教師が自信を失っている、或は自信を持てない人が教師になっている、という感想を全員が持ちました。

小学校教員の自信回復を図る

どこの世界でも共通することですが,自信を持てないものは、声が小さく、主張が弱い、そんな傾向は一般に誰もが感じるところです。小中学校の先生も例外ではないでしょう。
理科の授業に限って考えると、小中学校の先生は文系の出身者が多く半数以上或は7〜8割に及ぶそうです。その先生方が、充分に理解できないで自信の持てない理科の内容を子供達にに話そうとすると、声が小さくなり、質問が怖く感じられることでしょう。
今日の小学校教育を改善する為に第一に考えるべきことは「教師に自信を持ってもらうこと」であります。自信を持つ為には教科の内容を充分理解してもらうことであります。そう考えると理科を良く理解した教師の養成が何よりも大切なことです。最も直接的な努力として考えるべきことは教員養成課程のカリキュラムの見直しでありましょう。ここで理科を特別扱いするわけは、文系に比べて理科の教育は観察・実験が重要なのに現在の教員養成課程にはその考えが欠けている、或は弱いと思われるからです。

この問題について2度もミーティングで採り上げてきた結果、われわれも何かできることを考えるためワーキンググループを設けようということで意見が一致しました。
「教育を改善する努力は小学校から始め、先ず教師を支援し自信をつけてもらうことである」という命題を掲げて有志に働きかけ、「アルスの会」として大学における教員養成課程カリキュラムの改訂を提言し、同時に併行して小学校教師を対象とした研修活動をするなど、いろいろな可能性を考える。その為にワーキンググループは、先ずその行動の基礎となる考えを良く検討して行動の理念を固めることから始めようという結論に達しました。


この後休憩時間をとり、桜の咲き乱れる奈良公園の散策に出ました。さくらに劣らずひとの群れにも圧倒されました。

スーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)

休憩後の第2部では、奈良女子大学付属中等教育学校の吉田副校長から同校のスーパー・サイエンス・スクール(SSH)活動についてお話を伺いました。詳しくはここをクリックしてご覧いただきたいと思いますが、その活動は大成功で絶賛を得たものでありました。大臣賞を始め、中学生・高校生のコンクールや発表会の受賞まで数々の賞を受け、そして何よりも大切なことは生徒達の向学心・昂揚心を満たす成果が挙っています。中等教育の理想的で模範的なケースを学ぶ思いがしました。(同校のSSHプログラムは新たに5年間採択されました)
SSHプログラムには、100校を超える高等学校或は中高連携の学校が指定されています。玉石混淆であるに違いないが、いずれも新しい中等教育の展開を目指し、それぞれに工夫されたプログラムが進められています。
100校を超える例が揃ったところで、評価を行いベスト10とか20を選んでみると良いのではないかという考えが浮かんできました。ここで言う評価は監査と異なり、良いものを選ぶことであります。その作業の中で何が優れた結果を挙げた要因であるかを考える良い資料を得ることができます。例えば、成功した例では中高一貫教育が多いとか、大学や研究所との連携が良い結果を与えたとか、或は企業との連携が好ましい結果を生んだとか、興味深く中等教育の在り方を示唆する資料になると信じます。
また、われわれには新しい発見でありましたが、SSHのカリキュラムには指導要領による要請は考えなくて良いと言うことを知りました。そうすると、指導要領が及ぼす影響を調べる興味深い資料も得られるかも知れないと思います。是非、SSHのベスト20を選ぶワーキンググループもつくりたいと思います。

ワーキンググループの形成について

この奈良で開いた教育についてのタウンミーティングでは、次の2つのワーキンググループの形成が提案されました。
 (1)[初等教育] 小学教員を励まし自身をつけてもらう方策を考え、社会に提言する基礎を固める。
 (2)[中等教育] スーパーサイエンス・ハイスクール(SSH)のベスト20を選び、成功の要因を分析する。
アルスの会が社会に向けた行動を始めるには、適切なテーマであると考えます。ワーキンググループは、先ずコアメンバーを固めた上で近く公募したいと考えていますが、他薦自薦を問わず、ご推薦・ご意見を
中井 (nakai@post.kek.jp)までお寄せ下さい。

2つの「アルスの会」タウンミ−ティング@岡山と@奈良

2つの「アルスの会」タウンミ−ティング@岡山と@奈良


2010年3月23日(火)に岡山、4月3日(土)に奈良で2つの「アルスの会」タウンミーティングを開きました。
開催要領は、それぞれ アルスの会タウンミ−ティング@岡山、及び アルスの会タウンミ−ティング@奈良をご覧ください。今回は円卓討論形式で全員参加による討論をめざして企画しましたが、期待どうり10数名の論客が集まって活気に満ちた議論ができました。


討論の主題は、それぞれ、岡山「科学が尊敬され技術が信頼される社会の復興」、奈良「荒廃した教育からの脱却」でありました。先ず、現状の把握から議論を始めて,さて「われわれは何ができるか?」を考えるという構成で討論を進めました。いずれも、この大きなテーマに対して数時間の討論で答を出せるわけはないので、先ず皮切りのきっかけを作って今後各地で開くミーティングで詰めて行くことにしたいという考えでいます。


それにしても、活発な討論のまとめを報告するには時間を頂きたいと考えます。討論会の音声記録をもう一度おさらいする必要があるし、討論のまとめを作って、それから全参加者に視てもらってから公表することが必要であると考えました。今後にも言えることですが、討論を主にして企画するアルスの会のミーティングではこの形を作り自由な発言が保証される体制を固める必要があると考えます。数週間の猶予をお願いします。