今更ですがブログ再度はじめました。

久しぶりにブログ更新します。

 

学生の頃、こんなわけのわからん記事をネットの片隅に(たれ)流してたんだな、と。

なんと、他大学とのゼミ交流で、もっと勉強の話したかったとか書いてた。

リンクは貼りませんがね。恥ずかしいから。

 

 

さて、更新を再開したのには、

3月に教える仕事をいったんやめ、

 

ずーっと会ってなかった人と話したりしたこと(zoom)、

子供のアルバムを作り始めたこと、

趣味に没頭してみたこと、本を読むこと。

そして、子供のシンガポールでの学校選びを始めたこと。

 

等々が影響しています。

あそんどるだけやがな。ですが。

 

 

 ぜいぜい走り続けてきたわけじゃないけど、

ダラダラ歩いていたわけでもなかったので、

いったん立ち止まって棚卸というか、

やりたいことなんだっけ?家族としたいことなんだっけ?

の時間を、妊娠・出産時期以外に、また取れたのはすごく良かったと思います。

 

 

で、その遊びのひとつ。

 

2020年8月からの夫の海外赴任に

家族でついていくことにしたので、

2人の子供達の シンガポールの学校 を色々見てます。

まだ現地に入れないのでホームページの情報だけ。

施設やカリキュラムはある程度知ることができますが、

なかの人が分からない

 

伺いしれない雰囲気を、少しでも知りたくて個人のブログを参考にしていて、

ふと、

私なんかHatenaで書いてたことある。 と思い出しました。

 

別のアカウントで書き直してもいいのですが、

ながーいフィールドワークと、この棚卸期間に、

とっちらかりがマシになり。

昔の自分を思い出したくない気持ちがなくなりました。

 

このブログ自体を今まで開きませんでしたが、

少しさかのぼって読んでみたら意外とちゃんと勉強していて

(ブログでは言い訳が多い…)。

院でまた勉強したいなと考えているので、

こんな状態に戻れるかなと不安にはなりましたが。。

 

映画のログなどはまた書きたいし、このアカウントで再開することにしました。

 

 

シンガポールへの家族分のビザは取得できたようですが。

さてさてどうなることやら。

吹いた。

件名:vmsの膝当てが道に
本文:落ちていた。


月曜夕方に
「おかぁがジムに行く途中の道に、空手用のすね当てが落ちてた。
それには、マッキーでデカデカと『○木(名字)』と書かれてた。」

といった内容のメールを受けとったのですが、



それを持って移動した、空手の稽古は
日曜昼。


・・・




白いギブスっぽいものを道路上に一日半、放置。してたのですね〜。


稽古に行ったときは片方忘れたと思っていたんよ。
で、すね当てないとけがするから
組み手も傍観して、うずうずして。

稽古からの帰り道、
行きに落としたかも、と考えて
かなり目を配りながら歩いていたのですが…。
行きルートを勘違いしていたとかでしょか。



なんにせよ
すね当てが道に落ちてる違和
それが家族のものであると認識したときのままんの気持ち
とか想像して吹きました。


そして
周囲を伺って誰もいないことを確かめた上で拾ったらしい。
とか聞いて、
また吹きました(おかあのキャラ込み)。

イサムノグチ展

天気の良い日曜日、motにゆきました。

学習しません。
最終日でした。



こないだのピカソ展といい、コみそうなとこに、中でもコむ日に行ってるよな〜。
券買うのに並ぶのとかね。げんなりしちゃうわね。

ま、でも久々に奥の方に触れる作品に出会えたから。
良かった。



混みすぎてて自分のペースで回れない浸れないストレスも忘れて
私が作品の前で苦しくなったのは、

入ってすぐの「あかり」
とか
でっかい「エナジーヴォイド」(広い吹き抜けに置いてあったやつ)
とか
ではなく、
エナジーヴォイド」の前の二つ。



心がざわざわして落ち着かなかった。
芸術作品を見て苦しいってのも変な表現ですが、ちょっと呼吸をするのを忘れてたのかな。
「山」と(たぶん)「無言の歩み」ていう作品だったのですが、
山でまず目が吸い付いて、あ、なんか、やばそうだな〜て思って
次の「無言の歩み」で
足が止まりました。

大枠の形状とか色だとかは別に驚きはないのだけれど、
まとう雰囲気に動揺させられた。気がする。

「いやらしさ」じゃないな「魅力的」でもないな。
こうして言葉で書こうとすると大げさな気はするけど、
この作品を作ったときのこのひとに会ったら、この高揚を恋と勘違いするかも。
作ったモノの印象=作ったひとから受ける印象かはわからないし、
環境や私の状態が同じであるかもわからんが、
とりあえずそいう印象を持ったわけです。


後で名前を確かめた気がするので、
かつ、パンフレットの作品リストのなかで★を描いてるのがこの名前なので、
「無言の歩み」で良い気が致します。


常設展はさらっとしか見てないから特にござーません。
その後の展示スペースがイモを洗うようで集中が切れたことと、
前回とほとんど変わらないことがあり、きちんと見ようとしなかった。

あ、一つ。思い出せないけど名前に横がつく、ポップな絵(めがねの中のパッチリおめめ)が有名な画家さんが、意外に街の絵なぞを描くのねと思ったり。




また動揺させる作品に会ってみたいです

シャイぼう


なんか身近な人にうっすらブログがばれつつあるので、プライベートモード宣言!

してもよいかしらん?
更新してないしあんま見られてないとは思うのですがね。


あと、7日。
なんとなく。カウントダウン。

いまインターん

金曜に歓迎会で
初対面の方のテンプルに回し蹴りを食らわし,五反田の駅の植木に吐いて,社長をパシってかばんを取ってきてもらい,その鞄を先輩に持ってもらって帰宅した甲斐あって,今週は何か打ち解けた雰囲気を感じます.


緊張と疲れが込んだ状態で飲まないようにしよう.そうしよう.そして期待にこたえるのはもう止めよう.

  靴ずれになるとわくわくする

水ぶくれの水(リンパ液)を抜くときって,ぷちっとしてふにゃ〜っとなる様を見てほくそ笑む.
よね?






今日インターン先におかぁの靴を履いていって,見事 くつずれになりました.




この靴ずれが もし,帰宅した時 すでにふにゅあとなってしまっていると
無菌状態がこわれて表皮の下の真皮が汚れてしまっているかも→ばい菌で痛くなるかも
と思い,気持ちが悪くなります.
でもそんな衛生的な問題は些細なことです.
重要なのはぷちっとできないこと.
なにより その水抜きのひとときをおじゃんにした自分に腹が立ちます.


逆に,もし保存されたまま帰宅できると,
よしよし.よく生き延びたねとなでてみたり とか
いつぷちっとしようかなぁと明日でかける前の儀式のことをシミュレーションしてみたり とか 
します.










・・・よね?








それでですね,
靴ずれになったと察知してからは派手な動きは慎んで,大事に育てます.
たまにしか経験できないから ことさら慎重になります.



ん?今日?

今日も立派な(直径2cm)水ぶくれに育てあげ,帰還しましたよ.

で,いつものように確認しなでてみていたところで,ふと,なんでこんなに破れてないことに対してほっとするのだろうと考えてみたというわけです.
そして
日常のなかに根づきすぎてて考えたこともなかったけども
靴ずれができてからのわけのわからない使命感や,
潰れたのを見たときの言いようのない悲愴感は,
あの,靴ずれをぷちっ とする瞬間が好きだったからこそ生まれたものに相違ないと思い至ったのです.














でも自分にとってそれのどんな要素が魅力的なんだろ



なんでしょね.

たぶん,最初は
自分の体から透明な液体が出てくる不思議さに魅せられて,
いつのまにか潰れる前に観察したいと思ったのだと思う.

液体が何と呼ばれているか・
それが自分に対してどんな働きをするものであるかや,
どうやったらぷくっとなるかのメカニズムはアウトオブ眼中(うわわ)で,
ひたすらぷちっとする行為に魅力を感じたのはなんでだろう.




ん〜・・・  壊れやすい儚さを保ってそれを一気に壊すのが好きとかかな





下記たすかも
メモ 似た衝動を喚起するもの(壊さないけど)

  • シャンパンタワー
  • 風船・水風船
  • ぴかぴかきれいな砂団子
  • アクションゲームの長いステージの最後でボスと戦っている弟の目の前のゲーム機のコード
  • すっごい高いところにたったときの下へ吸い込まれる感
  • ひとりのときの180km/h

メモ いつのまにか壊れてしまうもの
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