朝三時起床で準備を

 本日は検査の当日でありまして、まだ夜があけない午前3時に起き出して、

検査の準備にはいることです。起きてまず最初にやることといえば、コップに

一杯の水を飲むことでありましたが、それからの数時間は、とにかく水分補給

でありまして、これはすこし苦行のごとくです。

 小生の亡くなった友人は、とにかくこの検査が苦手でありまして、あんな辛い

検査(検査そのものではなくて、事前の準備)はなかったと、生前に語ってくれ

ました。そんなこともあって、そんな辛い検査であれば、若い(?)うちに経験して

みなくと思ったことです。

 体験して思えば、検査当日に早起きして淡々と水分を取り続けたら、そんなに

大変でもなかったなでありまして、彼よりも当方のほうが緊張しない人であり

ましたか。(結果はまったく問題なしでありました。)

 それはさて、こうした検査の待ち時間に読む本は何がよろしいかというのが、

本日の話題であります。

 ちょっとどきどきで、小説という気分ではないなでありまして、文庫で文字が

大きくて、どこから読み始めても、どこで終えてもいいというようなものはないか

と思って、近くにおかれている本の中から探してみることにです。

 ということで、本日に携行することになった文庫本です。

 なかなか普段は読む機会がなかったのですが、病院の検査の待ち時間に読む

ものとしては、気持ちが落ち着いてとてもよかったな。

 元版は昭和3年3月に刊行されたものでありまして、朝鮮の美に魅せられた著者

は、学校を終えてから日本で営林署に勤務するのですが、それを辞めて朝鮮総督府

林業技師に転職し、朝鮮古民具などの収集と研究に没頭することになりです。

 考えようによっては総督府の役人でありますから、相当に微妙な立ち位置となり

ますが、愛する朝鮮の文化を後世に伝えるということで、そのバランスをとったよう

であります。

 本日は最初のところだけに目を通したことでありますが、昭和3年の浅川さんの

認識は次のようでありました。

「山奥へ行くと現在の金に見積もって殆ど無価値に近い山林がある。価格に見積も

ると現在の資本家などからは顧みられないほどのものであるが、その存在が多数

の地元住民に足を与え生活を保証している価値は莫大なものである。現在の資本

主義が長く続けばこの安全地帯も冒され工芸もその源を荒らされてしまうであろう。」

 国内においても、林業というのはほとんど斜陽産業となってしまっているのですが、

林業が駄目になったら、山近くに人は住むことができず、ぽつんと一軒家になって

しまうのですね。

 昭和3年の朝鮮総督府林業技師は、豊かな山の恵みを説いているのですが、

現実は思った方向には行かなかったようであります。

 

4月は「海鳴り」

 本日はお天気がよろしで気温もあがりました。これは庭仕事をしなくては

と支度をして、バラの剪定とか風避けを外すことといたしました。本日は風も

なくて、作業をしていたら、すこし汗ばみました。

 作業をしていましたら、郵便屋さんが編集工房ノアからの「海鳴り」36号を

届けてくれました。いつもながら編集工房ノアさんに感謝であります。作業の

手を休めて開封し、今回の目次だけを確認することにです。

 今回も山田稔さん、荒井とみよさん、涸沢純平さんの名前がありまして、

これは楽しみなことであります。ちなみに今回の表紙は、次のものとなりです。

編集工房ノア 海鳴り36号

 山田稔さんは「こないだの色」ということで、2018年に刊行となった

「こないだ」という本の装丁に言及しています。もちろん、それだけでは

ないのですが、この「こないだ」については、過去に書影を掲載していたこと

がありますので、それをかかげておくことにいたしましょう。

ちょうどお誂えむきの写真となっていました。

vzf12576.hatenablog.com 山田稔さんは、一年に何度か書かれたものを目にすることができるのです

が、ここでしか読むことができないのが、涸沢純平さんのものでありまして、

これも楽しみにしているのですね。

 今回は「102歳の年賀状 香月婦美子さん、野見山暁治さんとのこと」と

いうことで、編集工房ノアの本に使わせてもらった香月泰男さん、野見山さん

の絵画のことと、それの使用許可をいただくことでの香月、野見山さんとの

交流が話題です。

 野見山さんの絵画は山田稔さんの本ですから、目にしておりましたが、

ノアの本に香月作品というのは、ほとんど知りませんでしたので、ちょっと

気になる1冊となったことです。

 編集工房ノアからは、山田稔さん新刊がでると案内されていました。これは

楽しみなことで、いつに刊行となるのかはわかりませんが、これは注文するこ

とにいたしましょう。

 

本日から検査モードに

 次の火曜日に検査を受けることになりまして、本日から食事制限となります。

消化の悪いものは食べずにという指示がありまして、夕食は軽くすませること

になりました。明日からは検査食ということで、終わるまでの辛抱であります。

 本日の午後には京都の子どもたちのピアノ発表会があるということで、それ

にあわせて時間割をつくることです。ありがたいことにライブ配信がありまして、

我が家の画面に映し出して視聴することができました。会場に足を運んでそこで

音楽をきくことができれば一番でありますが、離れていても動画というのは雰囲

気を味わうことができて、こういうのがどんどん増えていて、高齢者もそれに慣れ

ていかなくてはです。

 この動画は、ダウンロードすることができまして、このあと余分なところを編集

でカットするのですが、たぶん、これも無料の編集ソフトをつかってできるはずで

すが、これは明日の仕事かな。

 本日は気分を変えて、内田洋子さんの「モンテレッジオ 小さな村の旅する

本屋の物語」を手にしておりました。読んでおりましたら、このようなくだりがあり

ました。

「『2011年の豪雨で、この辺りは道も橋もすべて流されました。過疎の村は、復興

工事も後回しにされる。このままでは故郷が消えてしまう、と、各地に暮らす

モンテレッジオ村民の子孫たちが力を合わせて分断された道を繋ぎ、橋を架け

直したのです。』

 さきほど見た村の道路標識が真新しかったのは、そういう事情があったから

なのか。」

 洋の東西を問わずで、過疎の村は復興工事も後回しになるのでありますね。

今回の能登半島の話ではなく、北海道の鉄道のことでありますよ。北海道で近年に

廃線となったのは、すべて台風などで線路がやられたところですが、どうせ利用者

が少ないので、そのままほっておいて廃線までもっていこうというのがミエミエで

ありましたが、残念ながら沿線住民とその子孫たちが拠出したくらいでは、鉄道

の復旧が出来ないところに、ほとんど過疎地ばかりの北海道の辛さがあります

ですね。

 

タイトル自慢かな

 先日に届いた「本の雑誌」5月号の特集は「そのタイトルに決まるまで」という

ものでありました。もちろん、本のタイトルのことでありますね。

 この特集のなかに「わが社のタイトル自慢!」という欄がありまして、そこには

10社の編集者さんが、自慢のタイトルをあげていました。

当方が目にしたことのあるタイトルもあれば、そんな本もあるのかと思った本も

ありです。

 最初にあがっているのは扶桑社のもので、「インパクト最強」とコメントがつい

ていまして、なかなかこの書名を口にだすのは憚れるというもの。タイトルが

よかったのか、今では講談社文庫に入っていますが、最初は新聞に広告掲載を

しようとしてもタイトルそのものが原稿審査にかかってしまって、タイトルを出さず

に広告をしたとのことです。その広告を見てみたいものでありますね。

 ということで、この本はタイトルはスルーすることにして、この特集では唯一冊

当方も読んで、あとで購入もした本のことを話題にです。

 どういうわけか、この本はよく売れているのだそうです。編集者は、この本が

よく売れているのはタイトルのおかげでもあると思っているようで、このタイトルの

成り立ちを書いていました。

「この物語の主役である明石家の原形は、藤野さんが文芸誌『群像』に発表し

た短編『散骨と密葬』に登場します。新平・英子の夫妻と独身の三兄弟です。

その後、明石家がどうなったか気になってお書きになったのが、『文學界』に

掲載された短編です。こちらの短編、当初は『思い出の散歩道』などおとなしい

タイトルにする予定だったのを、藤野さんのご友人Iさんのひと言で『じい散歩』

に決まったそうです。」

 藤野千夜さんは、芥川賞を受けたのですが、コミカルな作風ですから、

これは純文学とかこちらはというかき分けをすることもなしで、文芸誌に初出の

ものを、ベースにして『小説推理』に連載してしまい、単行本にしたらベストセラー

になってしまうのでありました。

「じい散歩」というタイトルが、この作品を読むハードルを下げているのは間違い

なしですが、今の若い人たちは「じい散歩」の元となった「ちい散歩」などのこと

は知らないでしょうね。

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雨のち晴れ

 4月も中旬となりましたが、お天気がよろしくないと気温もあがらずで

あります。朝には雨が降っていまして気温は6度で、雨があがってお昼には

気温が10度を超えました。お天気が回復したら気分がよくなるということ

で、夕方にはトレーニングに行くことにしました。

 65分くらいみっちりと運動をしていましたら、そこそこ汗がでまして代謝

が良くなったことを実感です。身体もでありますが、頭のほうもすこしは

しゃきっとしたでありましょうか。

 ということで、夕食後に本を手にすることにです。まずは図書館から借りて

きた本であります。

 ちょっと前の新刊でありますが、先日に新着資料の棚にささっていて、あれ

と思って借りてきたものです。

 ほとんど夢ニには、関心もなかったのでありますが、「本の雑誌」の沢野

ひとしさんがずっと書いていたり、昨年の「なんでも鑑定団」で袖井孝子さん

が米国時代に夢ニが描いた油絵をだしていたりして、そんなこともあって、

のぞいてみようと思ったものです。

 著者は日本思想史が専門の大学教員とのことですが、かって岡山大学

教鞭をとっていたときに、岡山出身の夢ニに目がむいたようです。

ちょっとちがった夢ニを見せてくれるのかもしれません。

参考文献のリストをみましたら、ウイリアム・モリスのものもありまして、夢ニは

そういう人であったのかです。

「夢ニは堺利彦をはじめとする平民社の人々や島村抱月グループの影響で、

ウィリアム・モリスの民衆芸術論を学んだ。」

 なるほど、このようなことは全く知らなかったことで。

 2020年に亡くなった著者が、直前まで手を入れていた竹久夢ニについて

の文章を、没後に教えを受けた人たちが編集を行って、世に出したものであ

りまして、いろんな意味で労作といえるものですね。心して読まなくてはです。

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朝鮮半島の話

 このところ、朝鮮半島にかかわる小説などを読んでいるのですが、そんな折に

韓国で総選挙がありまして、結果は野党が優勢で、大統領の与党は少数派に

なるとのことです。

 大統領の支持率は30%台とのことですが、このくらいの支持率でありました

ら、あっという間にねじれてしまうというのが韓国なのでありますね。

日本の政権党の人たちは、支持率が10%台になっても、総選挙をしたとしても

ねじれが起こったりはしないので、ありがたいことであります。日本の人たちは

すっかり諦めてしまって、怒らなくなっているのかもしれません。

 韓国の保守と革新では、かっての日本統治下でのあれこれの解決策に対して、

認識がことなるのでありますね。保守系は日本に理解を示し、革新はいまも許す

ことができないであります。

 こちらはとっくに忘れてしまっているのに、いつまでもしつこいことでとも思いま

すが、日本でも、それに類した話はありますでしょうよ。会津は長州に親しみを感じ

ないというような。

 それはさて、先日にヤン・ヨンヒさんの「朝鮮大学校物語」を読んでいましたら、

そのあとにヤン・ヨンヒさんが出演するTVドキュメントの再放送がありまして、

それを録画することにです。

 「スープとイデオロギー」という映画に関連してのものでした。この映画はいまだ

に見ることができていないのですが、劇映画である「家族のくに」で描かれた

家族のその後の話であります。

 この「スープとイデオロギー」では、ヤン・ヨンヒさんの済州島生まれの母が、4・3

事件の遭遇したことが取り上げられるのですが、これは朝鮮戦争前夜のことにな

ります。

 金石範さんが「火山島」という大長編で描いて、当方は知るようになった朝鮮

半島の現実です。結局は、その後に朝鮮半島は休戦ラインで二分割されて、ほぼ

固定されているのですが、日本に居住する朝鮮半島出身者は、北か南か、いずれ

かの国を選ぶことになってしまったのですね。

 ヤン・ヨンヒさんの両親は熱心な朝鮮総連の活動家でありまして、両親は子ども

たちを立派な愛国者に育てようと民族教育を施すことになります。

 これまたちょっと前に再放送されたTVドキュメントで、大阪朝鮮第初級学校の

廃校までの過程を追った番組がありまして、二世、三世となるにしたがって意識の

変化や変わらないところが映し出されました。(御真影が外された壁がうつしださ

れていて、そこだけ壁の色が違っていました。)

 この初級学校はヤン・ヨンヒさんが通ったところではないでしょうか。

 ヨンヒさんの「朝鮮大学校物語」には修学旅行で北朝鮮へと行く話がでてく

るのですが、総連エリートであっても、北朝鮮へと帰っていった家族との面会には

制限が伴うことがわかりました。

 まして、北朝鮮の体制に批判的でありましたらです。

 その逆もありで、在日朝鮮人北朝鮮を支持していましたら大韓民国には、入

国することができかったのですね。

 金達寿さんに「対馬まで」という短編がありまして、この作品は生まれ故郷に

足を踏み入れることができない北朝鮮籍の仲間で、晴れた日には朝鮮が見られる

という対馬まで渡るという話です。

 金達寿さんは、晩年の1996年に韓国を訪問して故郷に立つのですが、その時

かっての仲間たちから大バッシングを受けることになりました。変わらない北朝鮮

と変わった大韓民国であります。

 総連エリートでありましたヤン・ヨンヒさんの母も晩年には、済州島に渡ってい

ます。変わった大韓民国は北に融和で、日本に厳しいということになっていますが、

内部にものすごい矛盾を抱えているのでしょうが、韓国にはものすごい熱量を

感じることです。

 かっての日本にも、このような時代があったのだよなと、思うことで。

 

もすこし読めているはずが

 先月23日くらいからガルシア・マルケス百年の孤独」を読み始めまして、何

週かありましたら、読めるのではないかと思っていましたが、2週間ほども経過した

というのに、いまだ100ページ(最初の版でありますので、二段組ですが)に到達

せずです。これはいけませんですね。

 面白くないかというと、そんなことはなくて、あちこちに爆笑ねたや、エロチックな

話題が仕込まれているのでありますね。

 その昔に読んだときにも最初のうちにモタモタしたことを思いだしましたです。

次から次へと同じような名前の登場人物がでてきて、頭が混乱してくると、面白さ

がますのでありましたが、さて、それはどのあたりからであったでしょう。

「家のなかは子供であふれていた。ウルスラがサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダを、

その長女や、アルカディオの銃殺後五ヶ月めに生まれたふたごといっしょに引き

取っていたからだ。故人の遺志を無視して、彼女は女の子にレメディオスという

名前をつけた。『アルカディオも、きっとそのつもりだったのよ』と彼女は主張した。

ウルスラという名前をつけるのはやめましょう。この名前を持った者は苦労ばか

りするわ』双生児にはそれぞれホセ・アルカディア・セグンド、アウレリャーノ・

セグンドという名前が与えられた。」

 ウルスラさんは、ホセ・アルカディオ・ブエンディーアの細君でありますが、夫が

銃殺されてからも紛らわしい名前が頻繁にでてくるのでありますね。

当方が今手にしている本には、人名一覧などはついておりませんので、頭は混乱

することですが、この作品は混乱するように作られているのですから、その流れに

身を委ねるしかないのでありますね。

 ということで、もうすこし読んでみることにいたしましょう。