花見から戻ったら「ちくま」が

 本日は日帰りバスレクで函館まで花見に行くことになりです。自宅を朝7時

前にでてバスに乗り込むことに。函館まではそこそこ距離がありますので、

なかなか気軽には行くことができないのですが、花見バスはありがたしで、申し

こんで参加することができました。

 一度行ってみたいといっていた函館五稜郭の花見でありますが、函館周辺は

北海道では珍しくソメイヨシノの花が見られますので、ちょっと北海道の奥地の

花とは雰囲気が違います。

五稜郭のお掘と桜 

 本州の城下町でありましたら、見慣れた風景になるのかもしれませんが、なにせ

北海道では、ここまでこなくてはお掘りもありませんのでね。

ちなみに北海道で一般的なのはもっと色の濃い桜です。

おおやまざくら エゾヤマザクラ

 函館周辺というのは、早くから和人が居住していたこともあって、奥地で

ある札幌などは、あとから開けたところという認識で、まして先住のアイヌ

人への理解が薄いと言われています。

 同じ北海道であっても、アイヌ民族の人たちが多く住んでいる地域の人と

くらべると、まるで不都合な真実のことがわかっていないようです。

 先日に先住権をめぐる裁判があったのですが、これは一審であることも

あって、全国的にはほとんど話題になっていないようです。それは先住者の

権利としての河川における漁業のことですが、先進諸外国では回復した

先住者の権利ですが、この国では、回復にはまだすこし時間がかかるよう

であります。

 そこに先住してした人たちが行っていた漁業を、あとから来た者たちが

ルールを作って、あとだしジャンケンのようにこれからはルールに従うように

というのが、明治以降の北海道ということになります。

 花見から戻ったら、「ちくま」5月号が届いていて、斎藤美奈子さんが

「世の中ラボ」で「アイヌ民族差別の背景には何がある?」をとりあげてい

て、最近目立つ「アイヌ差別」について記しています。

 わかりやすく書かれているので、ぜひとも読んでほしいものです。(たしか

月遅れくらいでWEBで見られるはずです。)

 当方はアイヌ系の人が多く住む集落で暮らしていましたし、現在の住まい

の近くにもアイヌ系の人々が住んでいるのですが、そうした人たちと出自の

話などしたことはありませんし、できる雰囲気でもありません。

 見えない差別ではなく、現実に今でもアイヌ民族への厳然たる差別が

あって、杉田某女の前で、私はアイヌだと言うことができない立場におかれ

ているのが不都合な真実であります。

 その差別を埋めるために、国ができることはせいぜいが啓発と補助金

出すことくらいですが、公の立場にある人が公金チューチューというのは、

彼女への公金支出をなんと表現すればいいのかと思うことです。

 

そこそこ忙しいことで

 本日もすこし風はあるもののお天気よろしとなりました。

 朝一番で風除室で管理をしている鉢物を外に出して、おひさんにあてる

ことにです。ついでに鉢などに水やりをしました。本日の最高気温は15度

くらいでありますが、このくらいあれば、花が寒さを感じることはないでしょう。

 午前中はトレーニングで75分ほど汗を流しました。そこそこハードな内容

でありまして、これがあと何年こなすことができるでありましょうか。

 お昼からは、関西へと送る荷物をつくることにです。家族の住むところの

近くに古本屋さんが新規開店したことから、そこに持ち込んでもらう本や、

家族に引き取ってもらう本を玉ねぎ10キロ用の箱に詰めてから、ヤマトの

営業所に持ち込みました。

 ちょっと惜しいなと思う本もあるのですが、徐々に処分をしなくてはいけ

ないので、今回は家族にすこし引き取ってもらう本にあわせてのチョイスで

ありました。まあ買取価格には期待せずで、荷物の送料がでれば、それで

よろしかな。

 文庫本とかも合わせると、50年を超える購入でありますので、一年で百冊

としても(百冊で収まるようになったのは、ここ何年かでありますからして)、

それなりであります。今となっては二束三文でありますが。

 本を増やさないためには、買った分は減らすことが必要で、これから5月に

かけて、古本屋さんに相談をしなくてはいけませんです。

 ということで、このところは単行本に関しては図書館から借りることにです。

先日には、「KEIRIN」という書名の本が目に入って、これを借りてくることに

です。「KEIRIN」ですから、これは競輪について書かれたものとなります。

書いたのは1996年から日本に住んでいる英国の新聞記者さんであります。

 競輪は、日本発祥の自転車競技であるとのことで、いまではオリンピックに

も採用された競技でありますが、スポーツというよりも、ギャンブルのための

レースという感じでありましたね。

 それは一般的には、今でもそうなのでありましょうか。

 この本の冒頭にも、次のようにありました。

平塚競輪場のスタンドの観客の多くは男性で、それは競輪場の常連客の

七パーセント以外は男性であるという統計を裏付けるものだ。私の見立てで

は、平均年齢は六十五歳くらい。その多くが、競輪好き定番の制服を身に

まとっている。おそらくアイロンといちども出会ったことのないポロシャツ、

ジーンズ、スニーカー、多種多様なくたびれた野球帽。なかには明らかに

小汚い服を着た人もいるが、まわりを威嚇するような柄の悪い人はひとりも

いない。彼らが溜め込んだエネルギーはすべて、自分の賃金、あるいは年金

の一部を賭けた選手の調子が悪いときに、大声で応援したり、罵声を浴びせ

たりするために使われる。」

 当方はいまだ競輪場に足を踏み入れたことがありませんので、この指摘が

あたっているのかどうかはわかりませんが、この本の著者は、このような競輪

愛好家を、決して嫌っているわけではないのですよ。

 最近に競馬愛好家といえば、佐藤正午さんでありますが、正午さんはくた

びれた野球帽はかぶっていないはずです。

 

本屋の青空かな

 購読している新聞の読書欄の「著者に会いたい」というところに、「町の本屋

という物語」の奈良敏行さん(肩書は定有堂書店元店主)が紹介されていまし

た。ちょうど、この本を図書館から借りておりましたので、これはタイミングよろし

と目を通すことにです。

 そう思っていたら、本日の地元紙読書欄にもこの本の評が掲載されていまし

た。地元紙の評者は古本とビール・アダノンキ店主である石山府子さん。

同じ独立自営の先人へのリスペクトあふれる、良い評であります。

これの書き出しのところに「青空」があらわれます。

「なぜ人は本を読む必要があるのか。町の本屋の存在意義は。本が売れなくなっ

てから古書店を開いた私にとっては、当初からずっと通奏低音として鳴り続いて

いる課題である。

 そんなうつうつとした問いを晴らすような『本屋の青空』という言葉に出合った。

鳥取で1980年に開業し、昨年に惜しまれつつ閉店した『定有堂書店』の店主

が、町の本屋の気概を例えた言葉である。」

 先日にこの本を手にした時には、「本屋の青空」という言葉があるのも見逃し

でありまして、まったくもうです。

 そういえば、購読新聞の書き出しも、これでありました。

「表紙の裏に、鮮やかなブルーが広がっている。見返しの色は、著者が好んで

語る言葉を映している

 本屋の青空

 書棚を前に時を忘れ、遠くに思いをはせ、心が無限に広がる気分のこと。こう

いう生き方もあるのか・・・と重荷を下ろせるような。訪れる人にそんな見せ方を。」

 当方は定有堂書店のことはまったく知らなかったのですが、ここの店主は

「商店十年説」を唱えていたとのことで、変化しながら生き延びてきたとのことです。

 なるほどなこのようなお店は、店主の個性が直接に表出しますので、店主の

かわりを得ることはできないですね。当然のように一代かぎりでありまして、蔵書

だけでなく、セレクト本屋も一代かぎりとなるのは避けられないようです。

 そんなことを思いながら、「本屋の青空」を探してみるように本を読んでみるこ

とをしましょう。

 

 

 

 

晴れだが風強し

 本日は朝からお天気がよろしくなって、このおお天気であれば庭仕事だなと

思ったのであります。4月も下旬となりまして、草なども伸びてきており、庭での

作業はたっぷりとありです。まずは草取りからだよなでありまして、まったく庭

仕事は草取りにはじまり、草取りに終わるでありますね。

 ということで、朝食後に外にでてみたのですが、これが風が強くって、寒いの

なんのです。(9時の風速は8Mとありました。)そこそこ着込んでいたのですが、

まあ初日ということで、あまり無理はせずで1時間ほどで切り上げることにしま

した。

 この時期は、まだは花は少ないのですが、福寿草に続いてカタクリが咲いて

くれています。今年は花数が3つに増えていますが、ちょっと狭いところに窮屈な

感じとなっています。

カタクリ ちょっとピンぼけで

龍田草

 さて、今年の庭はどんなふうにしていこうかなと考えているときが一番楽しい

ことであります。10年を超えて、ちょっと元気がなくなって鉢上げしたバラが抜けた

あとには何をいれようか。これまで鉢で育てていたもので、地植えできるものはある

だろうかなとか、色の組み合わせで、すこし買い足したりしなくてはだめかなとか、

 ほとんどチーム編成するフロントのごとくでありますが、こちらは資金量が少ない

ですから、購入するにしてもけっこう考えることであります。

 今年も屋外での冬越しでうまく生き延びることができなかったバラが発生です。

弱っていたので、鉢で管理して、そこそこ大丈夫かなと思っていたのですが、先日に

風よけをとってみましたら、だめになっていました。これは室内で管理をするべきで

あったのか、それとも、そんなに弱くなっていたのであれば、しょうがないのか、さて

どちらであったのでしょう。(昨年にパチリしたL.D.ブレイスウェイトですが、ちょっと

元気なしでした。) 

 今月もそろそろバラ特集の「趣味の園芸」が売出しになる頃となりました。

 まだまだこちらはバラの花には遠いのですが、今年も「趣味の園芸」を買って

気分を盛り上げることにしましょう。(とりあえず、昨年の号にリンクをはることに)

本日は山猫忌

 作家の長谷川四郎さんは、1987年4月19日に亡くなりましたので、今年は

何回忌になるのでありましょう。長谷川四郎さんの命日を「山猫忌」といって、

四郎さんのことをするというのが、このブログのならいとなっております。

 本日に長谷川四郎さんを検索しましたら、菊池風磨さんと関連づけての項目

がでてきまして、これは珍しいなどういうことかなと思いました。なんのことはない

同姓同名の政治家長谷川四郎さんと菊池風麿さんとの関係をいうものでありま

して、当方の関心の外の話でありました。風磨さんのファンの間では長谷川四郎

という名前は、政治家であった人につながっていくのですね。

 本日はたまたま二階の部屋で本を探していましたら、そこにあったちくまの

文庫判の文学全集の一冊に手が伸びまして、それは長谷川四郎集でありま

した。あのちくまの一冊は重宝なものでありまして、安価で見つかったら購入す

るようにしておりまして、けっこうな冊数を確保しているようです。

 本日手にした本は、丸善のカヴァーがかかっていまして、あまり文庫を買った時、

カヴァーをかけてもらわないのに、これは珍しいなと思ったら、札幌の三越並びに

ありました丸善札幌南一条店が閉店した時に購入したものということがわかりま

した。「閉店にあたり永年のご愛顧に感謝申し上げます。2005.10.16」と印字

された絵葉書がはさみこまれていました。

 四郎さんが最初に脳梗塞となったのは69歳のときで、それからは口述筆記で

作品を発表していたのですが、入院された72歳の時とあります。それから5年間は

回復することなしで、入院が続いたとのことで、現在の当方の年齢の時には文章を

書くことはできなかったのだなと、あらためて思うことです。

 本日は四郎さんの本と、四郎さんについて書かれた福島紀幸さんの本を手にして

いましたが、福島さんの本のおしまいのところに、小沢信男さんが四郎さんを悼む

句が紹介されていました。

    長谷川四郎 ついに逝く  

    おおぞらのどこかくずれて黄沙ふる

 

図書館で立ち見

 週に一度の図書館行きとなります。借りている本を一度返却して、また借りる

ことになりですが、これにあわせて、あと一冊借りることにしました。

借りようかどうしようかと考えて結局は立ち見で済ませて、後日にまたとなったの

は北海道にちなんだものであります。

 服部さんのサバイバル旅には、北海道という風土がよくあっているようです。

今回立ち見した本は、50歳を迎えたのを期に、愛犬とともに、北海道を北から

南へと縦断するという旅の記録となります。

 昨年だかの冬に登山ガイドの野村さんが冬季間に北海道の背骨を縦走したと

話題になりましたが、服部さんは冬ではありませんが、犬と一緒に狩猟などで

食料を確保しながら旅するという服部流の山旅です。

 愛犬ナツは、狩猟の時に服部さんのサポートするように訓練されていて、ほぼほ

ぼ自由に動きまわります。獲物を追いかけて姿が見えなくなるのはしばしばですが、

役割が一段落すると、服部さんの元に戻ってくるようになるのだそうです。

 そのように育っているのですが、今年にはいって1月31日に、このナツが熊本で

戻ってこなくなって、服部さんがSNSで目撃された方は情報をお寄せくださいと

投稿したことで、行方不明が話題となりました。

 結局は9日後の2月8日にナツは、発見されて無事に服部さんの元に戻ったの

ですが、飼い主と同じくナツもサバイバル能力が高いことが証明されました。

 今年に入っての行方不明のことを知っているものですから、この本を手にしてみ

ようと思ったものです。

 その昔の文人で狩猟を趣味としていた河上徹太郎は、狩猟の楽しみは犬と一緒

に行うことだとか言ったというのを目にしたことがあります。服部さんも何年もかかっ

て相棒としたナツを失ったら、喪失感は半端ではなかったことでしょう。

 

一人出版社かな

 このところずっと出版とか本屋さんという商売は、右肩下がりでありまして、

これに新規で参入するといえば、それはおやめになったほうがいいよといいたく

なることです。

 思いっきり向かい風が吹いている業界ですが、奇特な若い人が、こだわりの

一人出版社を起こしたり、本屋さんを開業したりで、隙間を狙えばなんとかやっ

ていくことができのかもしれません。

 当方と同じくらいの店主がやっていたこだわりの書店は、姿を消しつつある

のですが、若い人たちが始める書店がうまくいってほしいなと切に願うことです。

 当方よりすこし年長の店主が始めた「定有堂書店」は、惜しまれつつ、昨年

閉店したのですが、この店主の影響を受けた人が、新たに書店を始めていると

いうことです。

 「定有堂書店の43年」という副題のついた「町の本屋という物語」を図書館

から借りて読んでおりましたが、これを読んでいましたら、一人出版社のことが

話題となっていました。

 この本に収録されている「『身の丈』の本屋」という章は、まるまる一人出版社

である編書房のウェブサイトに1999年から2000年にかけて連載されていた

ものをまとめたものでありました。

 この章から、編書房に言及しているところを引用です。

「バランス感覚といえば、編書房の國岡克知子さんには『そんなに気配りしてて、

大変ね』と気遣っていただいたことがある。

 國岡さんの仕事の立脚点は『独立自営』。私は身の丈をたつきとする町の本屋。

とても共感した想いを抱く。互いに仕事も自分の目利きを足場とすることが多い。 

 (中略) 

 私は出版人としての國岡さんのファンなので、どーっと売れるとは思わないけど、

でも國岡さんの仕事にとても魅かれるなと、深く考えるものがあった。『ユング心理

学から見た結婚・離婚』(秋山さと子・増本敏子)という本だ。

 國岡さんは、もと『週刊新刊全点案内』という図書館向け情報誌の編集長で、

とくにエッセイ・コーナーの編集がばつぐんで、目を見開かせるものがあった。・・・

 その國岡さんが独立して『編書房』をつくったのだから、『うわー、すごいですね。』

とファンレターを送った。國岡さんは、『一人出版社なんですよ』と返事をくださった。

何かこの一言ですべてがわかるような気がした。」

 ながながと引用しましたが、編書房について書かれたものは、そんなにないので、

思わずこれは紹介しなくてはと思ったものです。

 編書房 國岡さんは、当方の友人の高校同級生となりまして、友人は熱心な応援

者で、新刊がでるたびに、当方も案内をもらって購入をすすめられました。

編書房がどのくらいのタイトルの本を出されたのかは承知しておりませんが、そこそこ

当方のところ架蔵されているはずです。

 編書房からは「独立自営の女たち」という本もあって、それはなによりも國岡さんの

ことに重なるようです。

 残念なことに編書房は、ながい休業に入っているのですが、今風の一人出版社とし

ては、ちょっと早過ぎたのでしょうか。