途中解約返金なし

 予報通りで朝から雨となりです。庭仕事はお休みで、午前にトレーニング、

午後は食材の買い出しへと行くことになりました。

 本日に届いた郵便に「ちくま」ご継続のご案内というのがありまして、それを

しばしみつめて思案することにです。そこには、次のようにありです。

「ご希望購読年数✕1100円をお支払いください。最長5年分

 ただし、お客様のご都合により途中解約となりましても残存期間の

ご返金はいたしかねます。ご了承ください。」

 その昔でありましたら、考えるまでもなく最長5年分の払込みでありますが、

さすがに、すこし考えることにです。今年に受けた健康診断の結果でいきますと

まだまだ5年は大丈夫でありそうですので、今回も最長を選択です。

 なんといっても「ちくま」は創刊から付き合っているただ一つのPR誌であり

ますので、当方から先に関係を断つことはしないのでありますよ。

 本日は朝起きてから手にしていた本は、ちくまの本ばかりとなりました。

 まずは朝にふとんの中で読んでいたのはちくま文庫洲之内徹ベスト・

エッセイでありました。これが面白くてすいすいと読むことができました。

本日は調子がいいぞと思うことであります。しかし、これはゆっくりと時間を

かけて読むべきでありまして、面白いからといって早く読むことはないので

すね。それにしてお、これを読むと、宮城県立美術館へといって展示を見たく

なりますね。(いまだ改修工事期間でありまして、オープンは来年度になって

からとのこと。)

 ちくま本のもう一冊は、昨日から読んでおります「岩波書店の時代から」であり

ます。こちらのほうはすいすいとはいかずであり。これは読みにくいところを端折って

でも先に進むことにするかな。

 

筑摩から岩波本

 図書館から新刊を借りてくることにです。奥付をみますと今年の4月15日刊と

ありますので、これはずいぶんと早く図書館にはいったことです。

今回借りてきたのは、「岩波書店の時代から」であります。そんな時代があったの

かと思いますが、この本で対談をしているお二人がともに、岩波書店に編集者と

していらした方ですので、その意味での岩波書店の時代ということなのでしょう。

聞き手というかお若い方のお一人は堀切和雅さんで、年長の方は岩波の社長

にもなられた大塚信一さんであります。

 その昔に岩波で山口昌男さんの本を作っていた大塚さんは1939年生まれで

ありますので、もう80代も半ばなのですね。そろそろこうしたものを残さなくては

という年齢でありますか。

 大塚信一さんの本は、何冊か手にしているのですが、この対話で初めて知る

親族についてのくだりを見て、それは知らなんだで驚くことにです。

 最初にでてくるのは、次のところです。

「母親は洋裁を本格的に始めた。函南の集団農場をやっていた伯父の奥さん、

つまり父の姉が目白でクララ洋裁学院というのを経営していて、若い娘だった

ころ母はそこで習っていたんですね。」

 クララ洋裁学院とは、どっかで聞いたことがあるようなです。さて、これはどこ

でだろう。

 それに続いては、自分の「係累の話」を語るところにありました。

「父親の姉のひとりの連れ合い、つまり義理の伯父に矢川徳光という人がいた。

詩人の矢川澄子の父に当たる人だね。戦後、矢川徳光はソヴィエト教育学の

大家になったのだけど、戦時中に何をしていたかというと、教育者として戦争

協力を煽る行動を行っていたらしい。・・・」

 とここまでみて、そうだクララ洋裁学院は小池一子さんの養父母のところで

あったとわかったのであります。

 そうか矢川澄子さんと大塚さんはいとこになるのかということで、手元にある

矢川澄子さんの年譜では一番詳細な「ユリイカ」総特集号を取り出してきて、

矢川さんの母についてのところを見てみることにです。

「母。民子は1903年10月14日、雑司が谷土浦藩士出身でもと日赤医局員、

大隈重信侍医、内閣抄紙部嘱託医だった開業医・大塚信民(1870年生)と、

伊勢山田出身で日本赤十字社の最初期の篤志看護師だった妻・光(旧姓・

植山 1876年生)の二女として生まれる。府立第一高等女学校卒業後、

羽仁もと子が創設した自由学園高等部に学ぶ(第二期生、羽仁説子と同学)。

1927年1月4日、矢川徳光と結婚した。」

 なるほどであります。ここにでてくる大塚信民という方が、大塚信一さんの

おじいさんとなるのでありますね。

 矢川澄子さんの年譜で、母の家系についてのところを、初めてちゃんと読む

ことになりです。クララ洋裁学院は、母民子の姉元子が始めたとありました。

なるほど、大塚信一さんの話とつながることであります。

 大塚さんのここを読んだだけでも得した気分になることです。

モランディではないな

 昨日にスマホでネットを見ていましたら、文庫本の表紙が目に入りました。

装画は静物を描いたものでありますが、須賀敦子さんの本でありましたら、

モランディが使われたりしているのですが、ちょっとその表紙絵はモランディと

は雰囲気が違うことです。

 ひょっとしてこれはと思いながら、その文庫本の装画で検索をしていました

ら、やはりでありました。この画家の絵が使われているのなら、この文庫を購入

してもよろしいかと思ったのであります。

 その本は柴崎友香さんの「百年と一日」であります。元版は2020年にでた

ものだそうですが、そのときには、まったくアンテナにかかりませんでした。

3月に文庫になって、それで旧ツイッターなどでも話題になるのを見まして、あれ

これはひょっとしてと思ったのです。

 この表紙の絵は、モランディとはタッチが違いますよね。

元版がでた時に筑摩書房さんの旧ツイッターで、次のように発信されていました。

「 【見本出来】柴崎友香『百年と一日』の発売がいよいよ来週15日に迫って

参りました。編集部にはピカピカの見本が出来上がってきました。

装画は、長谷川潾二郎「紙袋」。装丁は、名久井直子さんです。この本によく合っ

いる装丁になったと思います! 来週、ぜひ書店さんの店頭で確かめてみてくだ

さい。」 2020年7月7日のツイートです。

 ということで、「百年と一日」の装画は長谷川潾二郎さんの「紙袋」でありました。

長谷川潾二郎さんの画文集である「静かな奇譚」を開いてみますと、それでこの絵

を確認することができました。

 「 紙袋 1970 38.0✕45.5  」

 長谷川潾二郎さんは、もちろん長谷川四郎さんのお兄さんでありまして、彼の

代表作は洲之内コレクションになっている「猫」でありますね。

 猫と静物に関しては、この「静かな奇譚」に次のようにありました。

潾二郎本人の回想によると、静物のモチーフを並べた机上に飛び乗ってメチャ

メチャにしたたね、アトリエには入れなかった愛猫タローが、偶然アトリエに入って

長々と身を横たえ、良いポーズをとったことがきっかけとなってできたという。ほぼ

伝説的に語られる、長い時間をかけて描かれた経緯や、作品に関する洲之内との

やりとりにも興味ふかいものがあるが、単純化した色彩と形態、そして対象への

愛情が見事に同居した、『静物』シリーズの傑作といえるのではないだろうか。」

 「静かな奇譚」の表紙には「猫」となっています。

さすが斎藤真理子さん

 本日に郵便で「ちくま」6月号が届いておりました。あぶないところでありま

した。明日からは配達がありませんので、一日遅れたら週明けに配達となるとこ

ろでした。よかったこと。

 「ちくま」はこのところ斎藤姉妹が連載をもっていて楽しみなことです。妹の

真理子さんは「読んで出会ったすごい人」というタイトルで、6月号で取り上げた

すごい人は、東峰夫さんであります。おお、まじであるか。

東峰夫さんの中編小説『ちゅらかあぎ』(文藝春秋、1976年)は私にとって、

そういう経験(過度の緊張?)を慰撫してくれる本だったようだ。そうらしいと気づ

いたのはわりと最近で、ニ十代のころから何度も繰り返す読んできたが、どうし

てこの本がこんなに好きなのか不思議だった。」

 斎藤さんが大学をでてフリーランスで働き始めた時に「顔が上がっちゃって

下りてこない」と感じるようになったのだそうですが、その頃に読んで共感した

のが東峰夫さんの「ちゅらかあぎ」であったとのことです。

 斎藤真理子さんは、これに続いて「ちゅらかあぎ」のどこに慰撫されたかに

ついて書いてくれているのですが、東峰夫さんと斎藤真理子さんの置かれた

環境はまったく違うでしょうよと思うのですが、読んでみると、そのようにつなが

るかと思うのでありました。

 当方が東峰夫さんの「ちゅらかあぎ」を知ったのは、安原顕がコラムで書いて

いたからであります。掲載は「レコード芸術」で、このコラムは「まだ死ねぬ文学

のために」に収録されています。

 その昔、この小説を読んでみて、東峰夫さんが荻窪井伏鱒二宅の、阿佐ヶ谷

上林暁の家の前をうろついたというエピソードが気に入りまして、この小説家は

肌があいそうと思ったのですね。

 最近めったに話題になることのない東峰夫さんの小説でありますが、これを

機に「ちゅらかあぎ」を読んでみることにいたしましょう。

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図書館本に感謝で

 明日は図書館本の入れ替え日でありまして、あしたに返却期限を迎える本と

とりあえず最後のページまでたどりついた本などを持参して手続きをとることに

なります。

 「マルクスに凭れて六十年」は返却であります。とっても楽しく読んだのであり

ますよ。この手の本を面白く読む人というのは限られているだろうなと思いなが

ら、当方の同年の友人に、興味深く読むことができたし、彼の敬愛するマルキスト

の名前などもでてくることから、図書館で借りてのぞいてみてとメールをすること

にです。

 メールを送ってから彼が利用している図書館に、この本が架蔵されているか

どうか確認してみることにです。最近はありがたいことで、北海道内の図書館ネッ

トワークを利用して他館の横断検索もできるのであります。

 それで「マルクスに凭れて六十年」を検索してみましたら、ななんとこの本を架

蔵しているのは、北海道立図書館と当方が借り出した図書館の二館のみであり

ました。当方は、地元の図書館で検索をしてあっさりと見つかったので、あちこち

の館にも、当然のようにあるのだと思っておりました。

 こうなってみると、当方が利用している図書館というのは、なかなか大したもんで

あるのかもしれませんです。(その昔に選書したスタッフたちの力量であるのかも)

 ということで、あらためて地元の図書館に感謝することです。

(下のリンクは増補改訂新版でありますが、当方が借りたのは1983年の青土社

の元版です。)

 あした返却するもう一冊は、「杉浦康平と写植の時代」であります。

学術書でありますので、そこそこ面倒な書き方となっていますが、わからないなり

に最後にたどりつくと「杉浦康平と写植の時代」というタイトルの意味が、うっすら

と理解できるようになります。

 杉浦康平という傑出したデザイナーとそのスタッフ、それに写植のオペレーター

たちが作り上げた日本語を活用してのアートワークは、2000年頃にコンピュータ

ソフトが進化することによって、大きな影響を受けます。

 写植利用からコンピュータへと作業ツールが変わって行き、杉浦さんのこだわり

にこだわったスタイルは、コスト面から敬遠されるようになって、それにあわせて

本の装丁から離れていくことになるのですね。 

 杉浦さんはともかくとして、写植機のトップメーカーであった写研という会社の

盛衰をこの本で知りまして、さてこの会社はどうすればよかったのであろうかと

強く思いましたです。

 この本の最終章は、今も入手可能な杉浦康平の写植を活用した本の紹介で

終わっています。杉浦康平デザインとスタッフの名人技は、この本でも知ることが

できるのだそうです。

 

本日の新聞に

 本日の新聞を見ておりましたら、「ゲームが入口 自分で編む一冊」という

見出しが目に入りました。

 続く文章には、次のようにあります。

「短編を集めた作品集を、アンソロジーといいます。誰もが自分だけで編みたい

のでは、と企画したのが『ポケットアンソロジー』でした。」

 このように語っているのは、田畑書店主です。上につづいては、このようになり

ます。

「短編小説を印刷した文庫本サイズの『作品リフィル』と、それらを綴じる『ブック

ジャケット』を販売。付属の軸棒で、その中から最大約200ページ、8作品ほどの

リフィルをまとめ、アンソロジーをつくります。」

 書店主がその作品リフィルを手にしている写真が添えられていまして、これだ

けでしたら、読書欄にあってもいいものでありますが、この記事はリレーオピニオン

の「集まれば」というものの7回目となります。

 どうしてここに登場したのかと思いましたら、「このポケットアンソロジーの購入

者のほとんどが20〜40代の女性。彼女たちは、ゲーム『文豪とアルケミスト』の

熱烈なファン層と重なっていたのです。」というところがポイントのようです。

 はてさて、こうなると当方にはちんぷんかんぷんなのですが、文豪とアルケミスト

というゲームがあるのですね。文学を破壊しようする勢力に対して、アルケミスト

文豪を転生させて戦う人気ゲームで、このゲームからそれに登場する作家や作品

へと関心が進み、このシリーズを手に取るようになったとのことですから、驚きで

あります。

 この記事のリードにありましたゲームが入口というのは、そういうことであるの

ですね。どのくらい売れているのかわかりませんが、このシリーズでは地味な

徳田秋声が売れ筋の一つというのですから、わからないことであります。

 当方は、これに収録の後藤明生さんのものを何冊か購入しておりますが、

それを購入したのは、紀伊國屋書店新宿本店でありました。いまでもあまり

他の書店では目にすることができないのかもしれませんが、ゲーム好きな

女性たちが小説に入るときの入口になっているのですね。

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山陰を旅する人

 ここのところ毎年楽しみに見ておりました「こころ旅」でありますが、今年の

春は出演の火野正平さんの体調不良(腰痛とのこと)のせいで、旅は急遽中止

となり、昨年の旅の様子が再放送されています。

 本日は、北海道にお住まいの方のこころの風景を求めて、鳥取と兵庫の県境

にある岩美町を訪れることなりです。

 岩美町というだけでピンとくる人もいるとのことですが、ここはアニメ「Free!」

の舞台となったところで、ファンにとっては聖地となっているのだそうです。本日

の番組で、火野さんはこのアニメの聖地のいくつかを巡るのでありますが、どこ

に行きましても、巡礼者と遭遇することになりです。アニメファンたちの、行動力の

すごいことであります。 

 そんなことで「山陰を旅する人」としてみたのですが、当方の場合はアニメでは

なく、編集工房ノアからでた上村武男さんの「山陰を旅する人たち」のという本の

ことが頭にあったものです。

編集工房ノア 山陰を旅する人たち 上村武男

 この本の帯にありますが、「山陰ゆかりの作家、芸術家の故里を旅し、風土を

さぐる評伝紀行」となります。旅するのは著者の上村さんでありますが、ゆかりの

文学者も旅人であったりします。

 岩美町にゆかりの人は取り上げられていないかと思って見ておりましたら、隣

町となる浜坂町の前田純孝さんがあがっていました。(最初、この方の名前を目に

した時に、これは富士正晴さんが小説で描かれた人であるなと思ったのですが、

そちらの方は、鹿児島生まれの前田純敬さんでありまして、まるで違いました。)

 上村さんは、次のように書いています。

「ただ、諸寄といっても、なんにもない海辺の寒村である。車を三時間も四時間も

飛ばしてわざわざ訪ねていくことはない村である。・・・

 兵庫と鳥取の県境に近い、漁業以外には何の産業とてないこの諸寄という

山陰の一村に、しかしわたしは遥かな関心を抱いて数年になる。前田純孝とい

う、ひとりの悲劇的な夭折詩人がそこで生まれ、そこで死んだ土地であるからだ。」

 この夭折詩人のことは、この上村さんの文章ではじめて知ることになりました。

没後に歌集が編まれ、その序文を与謝野鉄幹石川啄木とあわせて悼んでいる

ということから、期待されていたことがわかります。

 今は、前田純孝の生誕の地には、歌碑がたっているとのことで、この文章では、

この歌碑のことを詳しく紹介し、この歌碑を絶賛しています。

「その全身の立ち姿が背後の岬の遠景、青らむ海の水平線と交わる。繊細で

優しく、しかも鋭く知的である。誰の設計になるものか、この清潔な知性は純孝の

哀しい情念をくるんで充分なものだ。この歌碑はいい。」

 NHKのドラマ「新・夢千代日記」で純孝の歌が取り上げられて依頼、湯村温泉

からここを訪ねてくる観光客がぽつぽつあるそうですが、アニメの聖地にはほど

遠い人気でありましょう。

www.artm.pref.hyogo.jp