俺の屍をこえていけ。

http://d.hatena.ne.jp/mojocco/20080620/1213940298
>10年ぶりに同人を始めてみて実感したのは、「10年前よりも閉塞感が強くなっている」ということだった。



10年ぶりに現役復帰を果たした人が、閉塞感を感じずに活動に現役であり続けた人と同列に参加できていたとしたら・・・
それは、その「現役であり続けた人は何をやっていたのだ?」という疑問につながると思います。同人に限らず。
先人の構築した歴史*1を受け継ぎつつ、そこから進化*2するのが、世代を受け継いだ者の宿命であり、責任なのではないかと。



無論、筆者はその点を捨象して「閉塞感が強くなっている」という心象を構築しえたのかも知れませんが。
>そのとき、閉塞感漂う生簀の中で養殖された元気のないオタクたちが、はたしてどこまで自分たちの文化を守るため動くのか。そこに大きな不安を感じるのである。
それこそ、現役世代に依存する事項であって、自分のような年寄りに出来る事と言えばせいぜい金銭的援助ぐらいなのではないかなぁと。。
といっても、妻子ある身でもある私がいまさら同人誌を買って自宅に保管するのは少々危険(笑)なんだよな・・

*1:良いものも悪いものも

*2:良い方向にも悪い方向にも

 お前を殺して俺も死ぬ。

数日前の秋葉原でおきた事件に言及している「はてなダイアリー」を何通か読みました。
自分の意見を主張する者。その意見を真っ向から否定する者。
そのいずれのスタンスにもそれなりの同意をする自分は、芯がぶれているのかも知れません。



今日も、息子はいざ就寝の時になると、ぐずって「TV観る」と泣きながら駄々を捏ねました。
その「TV観る」という欲求も、寝たくないことへの「時間稼ぎ」であり、その底辺に何らかのストレスが横たわっていることは理解できています。
しかし、その内容にたどり着けないのが、親として悔しい。
また、就学年齢に至った時点で、この衝動性活動を抑えられないとしたら、彼の悩みを想像できない大衆から余計な攻撃が加わる事明白である事への焦りもあります。
何が彼の幸福なのか。本当に分からないです。

 僕の生きる道。

*1「あのね、Sちゃん、車に轢かれたらぺちゃんこになっちゃうの」
S「そしたら、Sちゃん、いなくなっちゃうの」
S「いなくなったらね、Sちゃん、おっきな樹を昇っていくの」
S「樹にはね、林檎がいっぱい生ってるの」
S「でもね、誰もいないの」
S「Sちゃんが、いなくなったら、探しに来てね」
妻「・・・・・・うん、必ず探しに行くよ」
私「Sちゃん、樹に昇るのは急がなくて良いから、先にパパが昇ってみてくるからね」
S「うん、わかった」



家族四人が自動車*2で移動中に、交わした会話。
保育園児でありながら、既に死生観を構築していることに驚かされたのですが、それ以上に「目に見えない想像上のもの」を、淡々と表現しているのがいじらしく思えました。
生を中断された者が、ひたすら無人の頂点を目指すその風景は、神々しいのかもしれません。
しかし、僕達の役割は、その風景を破壊してでも、彼がその頂点を目指すその瞬間の到来を先延ばしすることであるはずです。
「まだ、死ねない」
そう感じました。



蛇足ですが。
この会話をしている時、大人二人は涙目でしたし、台詞も涙声でした。
その大人たちに、長男は後部座席より「パパとママ、泣かないで」と声をかけてくれました。
なぜ、天は我が子に、この「才能」を与えたのか。
なぜ、天は我が子に、この「呪い」を与えたのか。
そしてなにより。
なぜ、多数に属し得ない者は「障害」と呼ばれるのか。
本心から、悔しいです。

*1:長男。3歳8ヶ月。アスペルガー症候群

*2:運転席:私、助手席:妻、後部座席運転手側:ゼロ歳児長女、後部座席助手席側:長男

 天国と地獄。

LECの択一成績リサーチ結果が届きました。
自己採点を行っていない自分にとって、初めての「出来」の確認機会です。
「47点」
・・・ボーダーじゃないか。。。
家内と一緒に、非常に浮かれた気分と不安とが交じり合った、不思議な感覚を楽しみました。
それから一時間後・・・「お詫び・訂正」が来ました。



・・・残り二回の機会を大切にします。

各論


憲法

「解答順序2番目 60分 1問残し」
個数問題に正面から取り組んだ憲法
見た瞬間に「いける!」と思えたからです。文字通り正面からぶつかったのが凶と出るか吉と出るか。
それはさておき、判例よりも学説が目立ったのが印象でした。

民法

「解答順序3番目 70分」
難解化傾向であったと思われる民法
やたらと、時間を消費した事以外、あまり記憶に残っていません。

刑法

「解答順序1番目 70分 1問残し」
前半に基本論点からの出題が多かった刑法。ココ数年続いた「難解刑法」から修正されたと思いました。
これも憲法と同じく正面からぶつかっていました。