久しぶりに

このブログは、もう更新するつもりがなかったのですが、最近ちょっと重要な発見があり、これはやはりこちらに書き残しておこうと思って、久しぶりに書くことにしました。


先日、青柳いづみこ著『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ』(平凡社)を読みました。昨年10月に出版された、阿佐ヶ谷文士たちの「阿佐ヶ谷会」にまつわるエッセイ集です。井伏鱒二荻窪風土記』など、様々な作品をめぐりながら、地元の情報も織り交ぜ、阿佐ヶ谷文士の面々が綴られていきます。


2007年には『阿佐ヶ谷会 文学アルバム』が出版され、読まれた方も多いと思います。こちらは再録も多いですが、かなり充実した内容です。


青柳いづみこさんは、太宰とも交友のあった仏文学者、青柳瑞穂の孫で、ご自身はピアニスト。音楽に関する著書も多く、ドビュッシーがご専門。太宰の家に文学青年たちが集まる様子が、マルタ・アルゲリッチと似ている…など、青柳さんならではの視点も面白く読みました。特に「私の阿佐ヶ谷物語」の章で語られた音楽にまつわる随筆は、興味深い内容でした。


青柳瑞穂邸は、主に戦後「阿佐ヶ谷会」の会場となり、太宰は戦後、この会に参加することはなかったのですが、戦前、太宰らが青柳邸を訪れています。この家は現存し、青柳いづみこさんが現在も住まわれていて、『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ』『阿佐ヶ谷会 文学アルバム』の両著に掲載されている阿佐ヶ谷周辺の概略の地図に、おおよその青柳邸の場所が記されています。

 

『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ』にて、太宰に関して記述された内容は、引用や既出の情報が多かったのですが、ひとつ私には初めて知った貴重な情報がありました。それをこちらに書きたいと思います。


『斜陽』に出てくる以下の部分についてです。

「阿佐ヶ谷ですよ、きっと。阿佐ヶ谷駅の北口をまっすぐにいらして、そうですね、一丁半かな? 金物屋さんがありますからね、そこから右へはいって、半丁かな? 柳やという小料理屋がありますからね、先生、このごろは柳やのおステさんと大あつあつで、いりびたりだ、かなわねえ」
 駅へ行き、切符を買い、東京行きの省線に乗り、阿佐ヶ谷で降りて、北口、約一丁半、金物屋さんのところから右へ曲って半丁、柳やは、ひっそりしていた。


ここに書かれている金物屋が現在も営業していて「カナモノワタナベ」といい、その店の方のお話が2017年にTV放送され、そのことが本に書かれていました(「サロン・ド・阿佐ヶ谷」の章)。ですので、これは既にご存じの方もおられると思います。


早速、この金物屋へ行ってみました。太宰が書いている通り、阿佐ヶ谷駅北口を出て、アーケードを通ってすぐの所に「カナモノワタナベ」があります。お店の場所は、昔から変わっていないそうです。小説の通り「そこから右へはいって、半丁かな? 柳やという小料理屋がありますからね」という道のりを私も辿ってみました。


という、少々レアで素敵な情報を発見したので、太宰ファンの方々へ届くといいなと思って書きました。

 

「カナモノワタナベ」では、記念に何かを買いたくて、鍋を買いました。この日の午後、杉並公会堂で素敵なコンサートがあり、この幸福な鍋には、太宰の記憶と共に美しい音楽が沁みこみ、つまり、私にとって最高の芸術が刻み込まれたわけで、この先一体、この鍋で何を茹で煮て作ろうか。この鍋と共に山海の幸を大いに満喫して生きていこう!などと思いながら、幸福な気持ちで帰路につきました。


では皆さま、最後は太宰風に。
"新史実"あらばまた他日。 元気で行こう。 絶望するな。 では、失敬。