ドルトン・トランボ

 最近読んだ本に『ジョニーは戦場へ行った』がある。
反戦文学としてかなり有名。有名すぎて読む気になれず、せいぜい「ああ、ブルーハーツマーシーが歌ってたなあ」くらいの位置づけで今まで来たのだが、古本屋の100円コーナーで発見して購入。そして読んでみたわけだが、、。
 一度は読んでみた方が良いです。
 作品については基本的に触れないので、ここではドルトン・トランボについて。
 この人は、いわゆるハリウッド・テンというやつで、悪名高い「赤狩り(レッド・パージ)」で映画界を事実上追放されてしまう。
 多くの同僚達がヨーロッパに逃げるところ、かれはアメリカ・メキシコにとどまり、肉体労働しながら偽名で原作を書く。そしてそのロバート・リッチの名で書いた原作がなんとアカデミー賞に輝いてしまう。その作品が実はドルトン・トランボによるものだと知ったハリウッドは激怒。その後今に至るまで「原案賞」を廃止してしまう。
 実は「ローマの休日」もイアン・マクレラン・ハンターの名で書かれた彼の作品だったことも後に判明。

 そしてこの「ジョニーは戦場へ行った(Johnny Got His Gun)」だが
 第二次世界大戦勃発の1939年に発表。第一次世界大戦の志願兵募集キャッチフレーズ「ジョニーよ銃を取れ(
Johnny Get Your Gun)」を意識した皮肉。大戦中のアメリカでは反政府文学とみなされ、発禁処分。戦後復刊されたが、朝鮮戦争時に再度絶版となり休戦後復刊された。トランボはベトナム戦争最中の1971年、65歳にして自身唯一の監督作品として、原作・脚本を兼ね『ジョニーは戦場へ行った』のタイトルで制作した。

思い出したので書く

 タイトルを変えてみた。
 『コンプレッサー』

 これは音楽関係のエフェクターの一種で、(エフェクターというのは、元の音に後から手を加えて音を変えるもので、リバーブ(カラオケなどでいうエコー)なんかはその一種)
 音を圧縮して、音量差を揃えるものなのだけど、それにともない音が軽く歪んだり、迫力を増したりする効果がある。

 で、なんでこれにタイトルをかえたかと言うと、意味はない。好きなエフェクターはなにか?と聴かれたらコンプと応えることが多いからでもあるけれど、なんとなくタイトルをこれにしてみた。

 書いていない間、本はいろいろ読んでたけど、CDはあんまり聴いてない。

 いろいろ読んだものなどへの感想は後日まとめて書くつもり。

気付いたら一ヶ月以上、何にも書いていなかった。

リンク元を見ると、あいかわらず運転免許関係が多いんで、そのあたりのことでも書こうかと思うんだけど、
免許とっちゃったあとじゃ新しい話題もないんで、興味ある人はカテゴリから入ってください。

小説以外だと、以前も書いた気がするけど、山田芳裕の「しわあせ」を再読。80’sに若かりし頃を過ごしたジュンじいさんの2030年代の未来の話という設定だけど、そこでは未来社会がクリーンで、暴力も犯罪もなく、ナチュラル指向で、農業が一番かっこいい職業というふうに設定されていて、そこで真逆の価値観で育ったジュンじいさんが苦闘するという、視点が面白い。そしてなんだか今の流れを予見していたようでもあり面白かった。

カズオ・イシグロ「私を離さないで」は、個人的には途中まで完璧。最後はちょっと、、という感じもするけど、この辺は受け取りかたにもよるかな。この作品はネタバレしちゃうとまずい気もするので、内容には触れません。

リチャード・パワーズ

 読書メーターつけてるんで、最近何を読んだかはそっちに上げてあるんだけど、
とにかくリチャード・パワーズ『われらが歌うとき』は良かった。どんな話か、とかそういうのは、ちょいと検索でもすればすぐ分かるだろうから省略。

医師不足と医学部の学費〜なぜ医学部の学費の高さが話題にならない?

 ここ数年、特定の分野の医師不足が話題になったりする。
 いつも思うのだけど、過酷な労働環境が話題になることは多いが、医学部の学費の高さが問題になることがほとんどない。
 某私立大学医学部の初年度の学費は1000万円を超える。が、これは私大の医学部で珍しいことではない。

 これを、普通の家庭の子供はどうすれば良いというのか?

 結果的に、金持ちの子供だらけになってしまうだろう。
 以前、新聞で読んだ記事で、正確なところは忘れてしまったのだが、ある看護士の話で
「病院の先生の多くは、小さい頃から教育にお金をかけてきた裕福な家庭の出身が多く、総じて母親が教育熱心な専業主婦であることが多く、勉強以外は甘やかされて(本人にその意識はない)育てられ、アルバイトもせずやってきて、すぐに先生と呼ばれるから、感覚が狂っている。そしてすべての女性を自分の親を基準に考えてしまうから、女は尽くすもんだとどこかで思ってるような医師が多い。それは看護士への態度にも自然と反映する」
 という趣旨のものを読んだことがある。
 まあ、これはすべての人にあてはまる話ではないことは当然だが、
 もっとも問題なのは「志があっても莫大な金がなきゃ医者にはなれない」ということだ。
 医者の数は減っていない、だから制度の問題だと言うけれど、医療のシステムの問題の前に、
 教育の機会均等の原則が、このジャンルにはないのではないか?
 志しをは教育されず、あるいは、特権階級的な独善の志しのみで、そして金持ちのみが選べる選択。
 そうなってしまえば、どんなふうに劣化していくのかは、二世政治家たちの体たらくをみればわかるだろう。

 こうした「教育に金はかけない」という国の姿勢が、この医療崩壊を作っているのではないか?

 たとえば、幼稚園や保育園で働く人の低賃金は(一部のお受験系は別として)、多くの人が知るところだが、そこも改善される気配はない。結局はなにをやるにも教育が根底にあってこそだが、そこはボランティア精神を発揮せよ、あるいは根性でなんとかしろ、というのがこの国の一貫した姿勢だ。
 多分、政策を考える人たちが、教育にかかる費用と、その不公平さを実感したことがないことも、
「金がないって言ったって、本気ならなんとかするでしょ」
的な態度に結びついてるんだろう。

 と、少し極論だけど、そう思った今日この頃。

受賞辞退を迫ったNGOはその後何か言ったのか?

 古い話題かもしれないけど、エルサレム賞での村上春樹について。僕は彼の作品が特別に好きなわけではないが、こないだのエルサレム賞での彼の態度は面白いし、率直にたいしたものだと思った。

 で、思ったのだけど、受賞辞退を要求した人は、同じ主張をアメリカの関わる賞、たとえばアカデミー賞などでの日本人受賞者にも主張したのだろうか?受賞辞退を「おくりびと」の滝田監督や「つみきのいえ」の加藤監督にも要求したのだろうか?

 僕はイスラエルを非難するNGOの活動自体に異議をとなえるつもりもないし、受賞を辞退するように言いたくなる気持ちもまったくわからないわけでもない。今回の村上春樹の行動に賛否があるのも当然なんことだと思う。ただ、何かを他人に要求する主張をして、相手がそれを踏まえて行動をした。それに対しては、ちゃんと発言すべきだと思う。
 しかし僕がWEBでみた範囲では、このNGO村上春樹のこうした行動後、なんら声明をだしていない。ホームページで受賞辞退を迫る声明をいまだにアップしているけれど、その後の彼らの声はなにもない。これはちょっと、無責任なのではないか。
 何か発言しているということもありえるので、そこのところが知りたい。