バルで朝食

目が覚めたら、旅の疲れはすっかりなくなっていた。これだけしっかりと寝れば時差ぼけの心配もないだろう。熱いシャワーを浴びた後、外へ出かけた。

マドリードの朝は静かだ。スペイン人の活動時間は、日本人と比べてとても遅い。遅い分、夜はうるさいのだが、朝の静寂とのギャップが面白い。朝の静けさが冬の寒さを一層際立たせていて、薄手のコートを羽織った私を震わせる。マドリードはメセタと呼ばれる台地の上に立っていて、標高650メートルは欧州の首都の中でも最も高い。そのため、冬の寒さは厳しい。

あまりにも寒いので、近くにあるバルに駆け込んだ。バルというのは直訳するとバーや酒場といった意味だが、夜にお酒を提供するだけではない。朝も昼も営業しており、スペイン人にとっては生活の一部ともなっている空間だ。暇さえあればバルに集まって談笑を楽しんでいる。それが昔からあるスペインの姿だ。

バルでは朝食を取ることができる。私はチョコラテ・コン・チュロスを頼んだ。これはスペインで親しまれている定番の朝食で、ホットチョコレートチュロスの組み合わせだ。日本でもチュロスを食べたことがある人は多いだろう。あのおいしいサクサクとしたおやつだ。私も東京ディズニーランドで初めてチュロスを食べた時はそのサクサク感と甘さに感動したものだ。長い棒状で、食べ歩くとおしゃれな感じだ。しかし、本場スペインのチュロスは日本のとは少し異なる。まず日本程長くはない。長いものもあるだろうが、短いのが主流だ。そして、日本程甘くはない。なぜなのか考えてみたが、その理由はチュロスホットチョコレートに浸して食べるからだ。チョコレートに浸すとちょうどよい甘みになる。サクサクと頬張って小腹を満たしながら、チョコレートで体を温める。何とも幸せな気分だ。

グラン・ビア

地下鉄の出口を抜けると、マクドナルドが見える。友人とよく語らった場所だ。当時は本当に金がなく、マクドナルドは空腹を満たしながら仲間と長居するには最適な場であった。今思えば、せっかく欧州の大都市にいるのに、流行りのカフェやバルを楽しまないとはもったいない過ごし方だが、気が置けない友とマクドナルドで語らった時間は今でも大切な思い出となっている。

道路を挟んだ真向かいには、ものものしい雰囲気でテレフォニカ本社ビルが建っている。テレフォニカはスペイン最大の通信会社で、インターネットや携帯電話事業を担っている。元々は国営企業で、民営化される1997年まではスペイン国内の通信事業を独占していた。未だに国内市場で優位性を維持しており、同社の業績が国内経済全体に与える影響は大きい。
傘下にはモビスターという携帯会社があるが、確かにモビスター携帯を持っている友人は多かった。日本で言えばNTTドコモのような企業であるが、モビスターはiPhoneを販売しているので、シェアがどんどん縮小ということにはならないだろう。会社経営において大切なことは、変化に対応できるかどうかである。市場の変化に対して、自らも変化できるかどうか。それがとても重要だ。経済界においても適者生存の法則は成り立つ。過去の優位性に縛られて変化できない大企業は最適者にはなれない。変われるものだけが生き残る。

グラン・ビア駅からカジャオ方面へスーツケースを引っ張っていくと、カサ・デル・リブロという本屋が左手に見えてくる。マドリードで最も大きな本屋で、昔は足繫く通った。といっても、お目当ての本は大体見つからないので、1階奥の注文カウンターでよく本を取り寄せていた。スペインの書物は他の欧州諸国同様に立派な装本で、分厚く重たい。電車の中で読んだら腕が疲れてしまう程だ。ボルシージョと呼ばれる新書サイズの本もあるにはあるが、日本のように薄い紙ではないので、やはり分厚い。大きさは立派なのに、デザインは概してシンプルだ。本棚に並べて楽しめる書物はなかなか見つからない。それがスペインらしさなのかもしれないが、実は本の担い手が少ないだけなのかもしれない。

カサ・デル・リブロの手前の小道に入ると、今夜泊まる宿の入口がある。何度か宿泊したことがあるが、中心街にありながら割と良心的な値段で泊まることができる。決して広くはないが、マドリード観光には便利だ。ポルテーロが部屋までスーツケースを運んでくれたので、チップを渡そうとしたが断られた。まだ22時だったのでバルで一杯飲もうかと思っていたが、ベッドに横になると長旅の疲れがどっと出てきて、気が付いた時には朝になっていた。

メトロに乗って

空港からマドリードの中心部へは地下鉄に乗って向かう。スペイン語ではメトロ・デ・マドリードだ。

今日の宿泊先はグラン・ビアと呼ばれるエリアの近くにある。グラン・ビアはマドリードの中心街を横切る大通りであるが、同名の地下鉄駅も存在する。地下鉄駅はグラン・ビアのまさにど真ん中に位置し、日本で言えば銀座中央通りにある銀座駅のようなものだ。そんな中心部のホテルに滞在する理由は、思い出を振り返るためである。当時遊び歩いたマドリードという町がどう変わったのかをじっくりと見たい。期待にわくわくしながら、私は地下鉄の古い車両に飛び乗った。

グラン・ビア駅は1時間程度で到着するが、3回乗り換えなければならない。今乗っている8号線からヌエボス・ミニステリオス駅で10号線に乗り換え、トリブナル駅で1号線に乗り換える。もっとも2回だけ乗り換える方法もあるにはあるが、停車駅が多く、余計時間がかかってしまう。初めてマドリードに来た時は後者のルートで中心部に向かったため時間がかなり長く感じた。

ヌエボス・ミニステリオス駅に近付くと、車内でアナウンスが流れる。

「次はヌエボス・ミニステリオス駅、6号線と8号線はお乗り換えです」

この懐かしい声を聞くと、10年前に初めてマドリードを訪れた時のことを思い出す。当時の私はバックパックを背中にスペイン国内を旅していた。スペインの地方の町をぐるりと回り、最後にマドリードに立ち寄った。スペイン語はお世辞にもうまいとは言えなかったが、地方によって異なる発音の違いくらいは分かった。田舎町ばかり回っていた私にとって、この地下鉄のアナウンスは衝撃的だった。何とも洗練されたきれいなスペイン語。「きれい」という形容詞がぴったり合う程、耳に心地の良い音が流れてくる。その時私は、いつかマドリードに住んでみたい、そして、このきれいな言葉を習得したいと思った。その願いは数年後に叶うのだが、それ程この地下鉄のきれいなアナウンスは、私に衝撃と感動を与えたのだ。

ヌエボス・ミニステリオス駅からグラン・ビア駅まではすぐだった。グラン・ビア駅で下車すると、私は重いスーツケースを抱えながら、地下鉄出口の階段を上った。

スペインの首都、マドリードへ到着

スペインの首都マドリードに到着した。
日本からスペインへの直行便はなく、旅人は欧州のハブ空港で乗り継がなければいけない。
今回はアムステルダムで乗り継いだ。せっかくアムステルダムに着いたのだから寄り道したかったが、旅を急いだ。

マドリードのバラハス空港に到着した時は、既に20時を過ぎていた。
レストランが閉まる前に夕食を取らねばと一瞬思ったが、ここはスペインである。スペインでは20時にレストランが閉まるどころか、開店するのがこのくらいの時間だ。日本と同じ感覚で18時過ぎにレストランに入店しても竈に火を入れてくれない。

当り前であるが、日本とは違う外国の文化がここにはある。日本では当り前のことも、ここでは非常識ということだってある。それは日本人にとって不都合であることもある。しかし慣れてしまえば、逆にそちらの方が居心地がよくなり、日本の常識がおかしいのだと気がつく。これは初めてスペインを訪れた時に感じたことだが、今回もそのような文化や習慣の差異に期待してしまう。

実のところ、今回旅に出たのはそれが理由だ。閉塞した日本での環境に嫌気が差してきたのである。日本というより、日本社会といった方が正しい。私は日本のルールに縛られ過ぎた。それを打ち破る精神力がなかった。だから、こうして逃げるようにして日本を離れている。今、日本には私のように、日本を捨てて海外へ飛び立つ人が増えているという。日本を捨ててというより、「日本に捨てられて」と言った方が適切かもしれない。少子化の進行により、経済界では長期的な人出不足が懸念されている。にもかかわらず、日本人は今日も海外に飛び立っている。なぜなのだろう。

そんなことを考えながら、奇妙なデザインの空港内を移動していると、アムステルダムからの飛行機で隣に座っていたスペイン人が私に追い付きながら話しかけてきた。
「やぁ、今夜はマドリードに泊まるのかい?」
「えぇ、グラン・ビアの近くのホテルに泊まる予定です。」
「あの周辺は強盗が多いから気をつけて。では、よい休日を。」

いかにもスペイン人といった風貌の彼は、それだけ言って私を追い越していった。
スペインは先進国であるが、都市部では首絞め強盗が頻発している。特に日本人の被害が多いらしい。旅先はついつい楽園に見えてしまうものだが、彼の言葉で少し現実に引き戻された。犯罪も何も起こらない楽園など、この世には存在しないのだ。

入国審査はシェンゲン協定を結んでいるアムステルダムで済ませていたので、バラハス空港では簡易的にパスポートを提示するだけだった。旅行する度にいつも不安になってしまうスーツケースの受け取りも無事に終えた。

旅立ち

旅立ちというのは、いつも興奮を覚える。

旅の目的は人それぞれであるが、いずれにせよ、惰性的な毎日への別れを意味している。ようやく取れた休暇を利用してのバカンス、長年の夢であった海外駐在、将来への夢を胸に始める留学、あるいはどこかに帰る旅もあるかもしれない。どんな旅にも目的があり、出発の日までに過ごしてきた日々とは違った毎日を期待して旅立つのである。

"Today is the first day of the rest of your life."という言葉を聞いたことがあるが、それを常に意識しながらも行動に移せる人はほとんどいない。実際のところ、多くの人は無駄な時間を過ごして生きている。人生は惰性的であり、退屈だ。退屈な毎日に嫌気を感じながらも、だらだらと毎日を過ごしてしまう。

しかし、そのような日常を変えてくれるのが旅である。
今いる場所から遠く離れた地へ向かう。いわば、日常からの逃避行である。だから、飛行機が離陸する瞬間が一番興奮するのである。離陸してしまえば、誰も自分を捕まえることはできない。自分を捕まえて日常に戻すことは物理的に不可能なのだ。飛行機という閉鎖空間にいながら、途轍もない自由を感じることができるという不思議な感覚である。この逃避行の成功だけでも、旅の目的の半分は達成されたといっても過言ではない。旅立ちは、旅の中でも大きなウェイトを占めるのだ。

旅立つ前は、誰でも期待と不安が入り混じる。
それは惰性的な日々から脱却することへの期待であり、期待が裏切られるかもしれない不安だ。まだ見ぬ新たな日々について色々考えあぐねてしまうが、それもまた楽しい。期待が大きくなるか、不安が大きくなるかは、その人の性格によるところが多いが、必ず期待と不安の両方を皆抱えている。

また、旅の始まりには別れがある。
別れが悲しい場合もあれば、別れが嬉しい場合もある。しかし、それと同じ分、旅には嬉しい出会いと悲しい出会いが待っている。旅立ちとは、つまり、人生におけるプロットなのである。旅を起点として、物語は大きく変化していくのだ。

これから始まる旅も、これまでの私の人生を変えてくるきっかけになるだろう。
さまざまな出会いもあれば別れもある。そして、その先には、また新しい旅がある。
人生という長い道のりは、小さな旅の積み重ねだ。成功もあれば失敗もある。しかし、旅を続けている限り、前を向いて生きていけるのだ。

東京から西へ旅立つと、富士山が見える。
東京から見える富士山とは違ったように映るが、富士山はいつもと同じ場所に佇む。富士山は変わらない。変わるのは自分自身だ。いつも変わらぬ姿で日本を見守っている富士山を飛行機から眺めながら、新たな地での日々を想像してわくわくする。今回の旅立ちも興奮しているが、いつも以上に壮快な気分だ。