リンク表示

ウェブのアドレスがそのまま表示されるのは、やっぱりわずらわしい。本文は、基本的にはHTML文書のはずなので、フレーズをアンカーに使えないはずがない。そこで、通勤電車の中でヘルプ文書の記述をチェックしてみると、「qタグ」+「cite=」+「title=」で表示できると書いてある。しかし「qタグ」が使えるなら、アンカータグも使えるだろうと考えて、やってみた。

Blog以前の日記は、矢原のウェブサイトで読むことができる。

使えるやんか。ヘルプのいじわる!

・・・「はてなダイアリーガイド・活用編」に書いてあった。「ヘルプ」は役立たずだけど、「ガイド」は使えます。

「忘れた」!

竹中くんが、パワーポイントの画像をウェブ化するために試行錯誤を重ねている私を見るに見かねて、「ウェブにのせる図の作り方(Windows 版)」という解説サイトを作ってくれた。竹中くん、ありがとう! 出張先ではゆっくり見る余裕がなかったので、つい今しがた、上記のサイトに行くべく、TAKENAKA日記をのぞいてみた。そこで、「忘れた」!事件を知った。「これ論」で有名な某後輩が、ウェブから学会の要旨を登録するときに、演題に「忘れた」と入力したら、そのまま「忘れた」という演題で登録されてしまったそうだ。今年の初笑いでした。TAKENAKA日記からリンクをたどって、うわさのサイト、「これから論文を書く若者のために」出版後の進行状況 を始めて見た。あいかわらず、>頑固<&元気そうで何よりだ。「矢原のアンテナ」に登録しておこう。さて、大学院生の原稿との格闘に、とりかかろう。その前に、昼飯。・・・アンテナに登録しようとしたら、アクセスできない。東北大のサーバーが不調らしい。

アンテナが語るもの

「yaharaのアンテナ」に、私のリンク集から、日常的に更新状況が知りたいサイトを抜き出してみた。こうしておけば、サイトが更新された順にいつも並べてくれるらしい。サイトを訪問する前に更新されているかどうかがわかる。便利だ。あらためて、いろいろな仕事に関わっていることを痛感させられる。私にとっては便利なリンク集だが、私という接点がなければ同じ頁には並ばないサイトが多いので、他の人にどれだけ役立つかはわからない。私の活動・交友・趣味・関心をよくあらわしているとは思う。

Blogに期待するもの

思いがけず、ウェブサイトに書いていた日記を「はてなダイアリー」に移す結果となった。今までよりも、広い「読者層」に読んでもらえるだろうと期待している。「大学教授」といえば、世間しらずで、わがままで、傲慢で、専門バカで、説明能力に乏しいと思っている人が多い。実際、そういう傾向が無いとはいえない。前理学研究院長の下で、企画委員をしていたとき、理学部の卒業生へのアンケート調査に関わったことがある。理学研究院長が、外部のコンサルに調委託されたアンケートの、調査項目設定や、集計・分析についての議論に加わった。そのアンケートの回答中に、在学中に教わった教授への恨みごとが書かれているものがあった。一部ではあったが、しかし一割近い比率だったと記憶している。「一割」の卒業生が、大学に強い不満を持っている状況は、なかなか厳しい。国立大学の法人化が計画されたとき、国立大学以外からの反対の声がほとんどあがらなかった。もし国立大学が、多くの卒業生を味方につけていれば、公務員と経費の節減をねらった「法人化」の愚策が実行に移されることはなかったろう。今や、私が「科学」に書いたとおりの現実が進行しており、ポストも校費も、目にみえて減りつつある。国立大学は、縮小再生産の時代に突入した。この状況が続けば、いくら重点研究費を増やしても、日本の科学力は、じりじりと低下するのではないか。もはや、岩波の「科学」のような、科学者相手の雑誌に意見を書くだけでは、ダメだ。もっと幅広い層の国民と、対話につとめ、大学や科学への支持を広げたいものだ。この願いをこめて、ウェブ日記を書き続けてみようと思う。

理科教育の行方

昨日、東大駒場キャンパスで開かれた理科教育シンポに参加した、編集者の友人から、「大学の先生の関心は、研究者になるようなエリートの教育に集中していて、国民全体に目が向いていないように思った。また、せっかく参加された高校の先生方の発言のチャンスがなかった」という感想を聞いた。私が参加した前回の理科教育シンポでは、高校の先生の講演があって、とても良かった。今回の企画が、欧米や中国との比較に焦点をあてたものだったので、議論が「エリート教育」に集中したのかもしれない。私は、東大や京大に入学するような学生のレベルは、新課程になってもさほど心配いらないと思う。もちろん、新課程移行にともなういろいろな問題はあるが、大学側が少し対応すれば、解決可能だろう。「ゆとりの教育」に代表される、現在の教育政策は、むしろエリート教育を重視しすぎている点が問題なのだ。その結果、国民全体の平均的なレベルが低下しつつあると指摘されている。しかし、ではどうすれば良いかというと、特効薬はない。現場の教師と、大学教官が連絡を密にして、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら、少しづつ改善をはかっていく以外ない。今は、文部科学省のコントロールがきつすぎる。さまざまな「実験」を行う自由度を保障し、その結果を適切に評価し、うまくいった経験を広げていくという方法が、「最適解」にいたる唯一の方法ではないかと思う。