土はなぜ茶色か?

京都で開かれた日本生態学会全国常任委員会に出て、福岡に戻る新幹線車中である。会議後の夕食の席で、これからは土壌生態系が面白いという話をしたら、賛同者が多くて、議論がはずんだ。そこで、今夜は土の話題を書いておこう。
土壌中には、膨大な量の炭素のストックがある。陸上生態系に蓄積されている炭素のうち、植物体に含まれるのは約4分の1であり、残る4分の3は土壌中にあると推定されている。この数字を知ったとき、なぜ炭素源が菌類やバクテリアの活動によってすみやかに分解されないのか、不思議に思った。大部分の炭素源は寒い地域の土壌にあり、湿潤熱帯では少ないのだろうと、最初は考えた。しかし、熱帯雨林の土壌には、全地球の土壌中炭素の約2割が蓄えられているそうだ。温度や水が不足しているために分解が進まないという考えでは、説明がつかない現象である。
ふと、宮崎県で見たキリノミタケ感染木を思い出した。キリノミタケが感染した倒木は、黒く炭化して、硬くなるので、一見してわかる。おそらくキリノミタケが、資源としての倒木を防衛するために、何らかの方法で材を炭化させているのだろう。
このことがヒントになって、もしかすると土壌中の菌類が資源としての有機体炭素を防衛しているために、なかなか分解が進まないのではないかというアイデアを思いついた。そこで文献を検索してみたところ、すでに同様の着想が論文で提唱されていることを知った。今年の5月のことだ。次の論文を見つけたときは、かなりくやしい思いをした。
Allison SD (2006) Brown ground: a soil carbon analogue for the green world hypothesis. American Naturalist 167 (5): 619-127.
「green world hypothesis」というのは、植物が植物食者に対してさまざまな防衛をしているために、被食量が制限され、その結果として世界は緑色をしているという仮説である。植物−植物食者の共進化について関心がある人にはよく知られているアイデアである。そして、このアイデアを知っている人なら、上記の論文のタイトルを見れば、「なるほど」と膝をたたくだろう。私の場合、「なるほど」と思うと同時に、「やられた」という思いにかられた。
そう、そうなのだ。地上が茶色の腐食土に覆われているのは、決して当り前のことではないのだ。水中ならすみやかに分解されてしまう有機物が、なかなか分解されないから、土はいつまでも土色をしている。そして、有機物がなかなか分解されずに堆積している理由には、土壌中の生物どうしの敵対的関係がからんでいるに違いない。
上記の論文は、まさにこのアイデアを検討したものである。非常に洞察に富んだ論文で、土壌生態系独自の生物学的・物理学的特性を的確にとらえている。たとえば、土壌中の微生物は、酵素を体外に分泌することで有機物を利用するという指摘は、私には新鮮だった。このために、微生物による分解はつねにデトリタスの表面で生じるので、なかなか全体が分解されないのだ。また、土壌中では水中と違って、ミネラルなどが容易には拡散しない。このため、微生物の増殖に必要な資源が局所的に枯渇しやすいのだろう。このような状況下での、複雑な形状をしたデトリタス表面での種間競争は、資源利用度を互いに抑制する結果を生むだろう。さらに、腐食質の主成分であるフミン酸は高分子で、タンニン同様にタンパク質との親和性が高いので、分解されにくいそうだ。フミン酸が分解されにくいことは知っていたが、植物由来のモノマーが微生物の作用で重合してできるとは知らなかった。このような物質が多量に作られること自体に、何らかの進化的な背景がありそうだ。
このように考えてみると、土壌生態系は、進化生態学的なアイデアと生態系レベルの研究をつなぐうえで、またとない研究対象だ。考えれば考えるほど、面白い素材である。
しかも、土壌生態系中の生物多様性はすさまじく高い。
わずか1グラムの土壌中に、5000種から1万種の微生物がいると推定されている。日本産の維管束植物が約5000種、人間の遺伝子数が約2万であることを考えると、土壌中の種多様性・遺伝子多様性がいかに高いかがわかる。ごく身近な土壌の中に、熱帯雨林をはるかにしのぐ種多様性・遺伝子多様性が隠されているに違いない。
もっとも、そんなことは、昔から想像はついていた。ヒヨドリバナの葉に感染しているジェミニウイルスの多様性だけでも、すさまじく高いのである。土壌中で、植物の根の周囲や、落ち葉・朽木などに暮らしている微生物が、さらにすさまじく多様であり、しかも植物の成長・生存や、生態系における分解過程に深くかかわっていることは、間違いないことだった。しかし、10年ほど前までは、調べる方法が限られていた。また、生態学の大きなフロンティアとして、熱帯雨林が残されていた。熱帯雨林にタワーが建てられ、多くの研究者がこのフロンティアにチャレンジした。その結果、熱帯雨林についての私たちの理解は、かなり深まった。
もちろん、熱帯雨林についてもまだ多くの研究課題が残されている。本格的な研究はこれからと言って良いだろう。しかし、「フロンティア」という形容にふさわしいのは、いまや熱帯雨林よりも土壌生態系だろう。サイエンス誌が、2002年6月11日号で「Soils-The Final Frontier」という特集を組んだのは、実に先見の明があった。
土壌微生物に関しては、ライフワークである「性の進化」との関連で、昔から関心を持っていた。
「花の性」にも書いたように、アカソの2倍体有性型は秋田から福井にかけての日本海地域に限定して生育し、太平洋側の地域や、日本海側でも中国地方・北九州では3倍体有性型が生育している。この分布の違いには、雪腐れ病菌が関係しているのではないか。雪の多い日本海地域では、雪腐れ病の原因となる菌が、雪に守られて生育しているそうだ。このような菌が淘汰圧となって、組換えを行う有性型が有利になっているのではないか。「赤の女王説」を知ったときに、このようなアイデアを思いついたのだが、検証する術を見出せないまま、ヤブマオ属の研究をやめてしまった。
その後はヒヨドリバナジェミニウイルスの関係を調べた。PCRが使えるようになって、ヒヨドリバナのウイルス感染葉からウイルスDNAが増幅できたときには、感動した。当時の技術では、ゲノムサイズが小さいウイルスの研究は、バクテリアや菌の研究よりもはるかに取り組みやすかった。
しかし、時代は変わった。もちろんまだ多くの困難はあるが、土壌中のバクテリアや菌は、いまや攻略可能な研究対象である。
とはいえ、キスゲとハマカンゾウの仕事がようやく軌道に乗り始めたところであり、九大新キャンパスや屋久島での植物分布の研究も、まだまだこれからである。今すぐに土壌微生物の研究をはじめるわけにはいかないが、アイデアを暖めておけば、チャンスはきっと得られるだろう。
明日は、九大新キャンパスで、植物の分布調査。ひさしぶりのフィールドワークである。