(近況、2022-02-11)
久しぶりになにか書いてみようと思いました。
コロナ禍で生活が大きく変化してから2年近く経ちました。仕事は基本在宅になり、通勤もしませんし、リモート会議以外では同僚と話したり、彼らが話していることを耳にすることもなくなりました。
通勤がなくなって歩かなくなり、大きく体重が増えました。これはちょっとやばいというくらいの増量です。
いろんなことに対して、根気がなくなりました。すぐにあきらめてしまいがちですし、なにかするのにやる気を意図的に奮い立てないといけない。文章を書く。コードを書く。特に手を動かすことに対する「当たり前にできる感の喪失」は、自分でも困惑するくらいのものがあります。
これは生活の変化のせいなのか、加齢のせいなのか、精神的ななにかなのか、それとももっと別のなにかのせいなのか。わからないです。
心が弱っていることは明らかに感じます。自分がなにものでもない、だとか、特になにも達成できていない、ということを、もともと感じやすい、そう考えてしまいがちな自分でしたが、それが最近はまた強くなってきました。
以前は、自分がなにものでもないことに対する抗いが自分の日々の動力になっていたのかもしれません。そしてそれが弱ってしまった。奮い立たせることも難しいです。
幸いなことには、ずいぶん早寝になったので、睡眠時間は足りているということです。寝不足やそれに伴う頭が回らない感はなくなりました。
このままなだらかに年老い衰えていくのかな、なんて思ったりしています。
(雑感、2021-10-02)
茶番
「日向坂」とか「ひらがなけやき」とか「W-KEYAKIZAKAの詩」とか好きでよく聴いています。ぐっとくるなと思うと同時に、彼女らを翻弄してそれを売り物にしている張本人が書いた歌詞でげんなりとも思う。それでもなお彼女たちには魅力があり、それがどうにも馬鹿げている。この相反する二つの気持ちの間に生きています。
コロナワクチン
やっと二回目の接種を済ませました。だからといってマスクを免除されるわけでもなく、人流の抑制は変わらず要請されています。まあね。しかたないですけどね。会社の同僚が異動するんだけど歓送会ができないのが残念だなあ。
あるがままを受け入れることとなんにもしないことは同一ではない
ですよね。
ビバ在宅勤務
非常に性に合っており、快適です。仕事用の椅子だけ早くなんとかしたいな。
リフォーム検討中
いろいろ提案頂いて検討しておりますが、なかなか大変です。ふー。
自分とは
人の心や頭は、体調とか疲労とか服薬で、こんなにもと思うほど揺らぐものですね。何が本当の自分なのか、厳密には分からない。
ずっと心療内科の薬を飲んでいまして、最近その内容を一部変えたところ、ものすごく早い時間に眠くなるし、長く寝るので睡眠は足りていてよいのですが、その割に脳の活力があまりなく、複雑なことへ取り組む意欲があまりでてきません。医者と相談しながら対応中ですが、びっくりしましたし、なんというか、という気持ちです。
プログラミングにしろ物書きにしろ、意欲よりも面倒という気持ちが先に出てくるのです。困りました。でも、ちょっとダウナーなくらいが(今の自分には)いいらしいのです。そういうものですか。。。
(コロナ関連雑感、2021年8月)
国の大臣や分科会の会員、知事などが、このお盆の帰省を避けるように呼びかけている。
だが、為政者たちが求めているのは、帰省するとつい宴会とかやっちゃうだろうけどそれはめっちゃ感染するのでやめて、であろう。彼らは、国民は頭がそれほど良くないと考えていて、帰省はいいけど宴会はだめというような言い方ではだめ、宴会がそもそもできないかたちを要請しなきゃと思っているようだ。(理屈はわかるが賛同はできないし不愉快である)
一方で、国内の高速道路の交通量であるとか、公共交通機関の利用者数は一定数を保っており、人流を抑えるなんてされていない。そのなかで帰省だけしないようにせよ、は、
人によっては、二枚舌、非科学的、非論理的、なんだよいちゃもんばっかりつけやがって、という印象を持つだろう。
この不毛な対立。今のやり方であればすべて致し方ない。つまり、対立、反発、非難はやむなしということである。
なんともひどいよのなかだ。
映画「竜とそばかすの姫」
観る前に、アナ雪のキャラデザした人が参加している(正しくはアナ雪ではビジュアルデベロップメントを担当したキム・ジンのこと)、美女と野獣らしい(?)、サマーウォーズのOZと同じようなデジタル世界が描かれるらしい(セルフコピー?)、といった噂を聞いており、大丈夫なのかな……と心配な気持ちもありましたが、
素晴らしい作品でした。感動した。今まで観た細田作品で一番よかったです。
借用したモチーフからしっかりとしたストーリーを紡ぎ出す(今作品名やシーンが思い出せないですが、細田作品で以前もそう思いましたよ……)、娯楽アニメーションの王道らしいわくどきのストーリー展開、ディズニーなモチーフが連発される理由はわかんないですがそこに手塚治へのオマージュあふれるビジュアルをぶつける遊び心、デジタル世界と現実世界の対比を現代的なテーマとして描ききっていること。
ディズニー・ピクサー的作品開発手法の、組織や事業のマネジメントにも通じる正しさ。それに対比しうる、日本的な暗黙の合意形成に基づく監督の主観と創造力を軸にした製作スタイルが背後にあるように感じて(想像、妄想ですが)、妙に感動してもいました。
「弾き直し」
「弾き直し」という手法
そんな言葉があったんだ。知らんかったな。
上記記事だと90年台渋谷系発祥の言葉とのことだけど、80年台の元春なんかもそうだったし、たぶんそんなの遡ればいくらでもあったろう。なんという言葉で呼ばれていたかは知らないしどうでもいいが。
そも、洋楽を「弾き直し」たい熱き思いが日本のポピュラー音楽を牽引してきたのも事実*1で、別にだからなにかが許されるわけでもないんだけど、まあ、あれだよね。
*1:洋楽においてすら、例えばブルースやロックンロールやブルービートなど自文化以外の文化への憧れはあらたな表現への原動力だし、それに基づく試行錯誤とパクリは明確に区分けすることはできない、しても意味ないし。