DJ SET LIST@CAFE ANTENNA


昨晩は渋谷のCAFE ANTENNAでDJ。

セットリストは以下。


1. dB’s / A Spy in the House of Love
2. Scritti Politti / Asylums In Jerusalem
3. The Cars / You Might Think
4. Pretenders / Stop Your Sobbing
5. XTC / This Is Pop?
6. Talking Heads / Psycho Killer
7. The Jam / Move On Up
8. Cheap Trick / Surrender
9. David Bowie / Growin' Up
10. Stevie Wonder / Isn't she lovely
11. Buddy Holly / Peggy Sue
12. Billy Joel / Piano Man





Pretendersの「Stop Your Sobbing」は

何時聴いても、胸がキューンとなる。




こちらもはThe Kinksのオリジナルバージョン。

当然ながら最高。


トニー・ウィルソン 1950-2007


ファクトリー・レコードの創設者トニー・ウィルソンのお墓。


この墓石を中心となってデザインしたのはピーター・サヴィル



ピーターは、ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーら、
所属アーティストのジャケットデザインを手掛け、
ファクトリーのイメージをビジュアル面から決定づけた。


失望の底に澱む鬱屈を青白い炎で散しながら、
刹那にまみれた狂騒をくぐり抜けたマンチェスター一派。


トニーの心は死してなお、レーベルと共にある。


Joy Division 「Love Will Tear Us Apart」

結婚指環だった血染めのグローヴ


あしたのジョー』。子供の頃からなにかにつけ読み返し、観返してきた。
特に好きなのはテレビアニメ版の「2」のほう。
ただ、なんでジョーは紀ちゃんを 振って西を結婚相手に薦めたのか、
なんでジョーは最後の血染めのグローヴを段平のおっちゃんではなく葉子に渡したのか、
腑に落ちてなかった。


そのもやもやは20代半ばを過ぎた頃、すっと理解できた。
紀ちゃんはいいお嫁さんにも、お母さんにもなれる。
でも、「真っ白は灰になるまで闘う」生き方は理解できないタイプの女の子。
そして憎たらしい葉子はそんな生き方を支える女性。
可憐な乙女心を押し殺して。



キング・オブ・キングスホセ・メンドーサが待つ世界戦直前の控え室。
室内は二人のみ。葉子は告げる。
「あなたは重度のパンチドランカー症状に冒されている」と。
「だからなんだってんだい」。


ドアを両手でふさぎ、ジョーをリングに行かせまいとする葉子。
あんなにも気丈だった葉子が叫ぶ。
「私のために行かないで!」。


反発し合ってきたジョーと葉子。
二人は一瞬だけ互いの愛を確認する。
葉子の肩に手をかけ、やさしくドアの横に彼女をどかせるジョー。
「どけよ、チャンピオンが待ってる」。


二人は互いの愛を交わしながら、
この闘いの後に幸せな二人の暮らしがないことも理解している。


15ラウンドの死闘が終わって、ジョーが葉子に渡した血染めのグローヴ。
それは二人の結婚指環だった。





段平のおっちゃんは、みてくれは悪いが野暮ではない。
ドヤ街の泪橋からジョーと共にやっと辿り着いた大舞台、
辛苦の果てに掴んだ大舞台でも
「そのグローヴはワシとジョーのものだ」、
そんなことは言う男ではない。


子供の頃は、二人の愛がまったく理解できなかった。
段平のおっちゃんに血染めのグローヴをあげるべきだと怒っていた。
紀ちゃんはいい女の子で、葉子は嫌なヤツだと思っていた。
でも、そういうことではなかった。


ジョーは家庭の温かさに憧れても、それを叶えることは出来ない。
それは「白い灰」とは真逆のことだから。
ジョーは紀ちゃんの愛には応えられない。
葉子の愛にも応えられない。
そのことを理解してジョーと共に闘おうとしたのが葉子だったのだ。


梶原一騎の原作にあったという最後の1ページ。
白木邸の中庭。木漏れ日。洗濯物を干す葉子。笑顔。振り返る葉子。
その視線の先には、椅子に腰掛ける廃人となったジョー。


ちばてつやの反対でこのページは描かれなかった。




あしたのジョー2 エンディングテーマ
「果てしなき闇の彼方に」

あるフォークミュージシャンの話から

(1)
数年前のこと。1970年代初頭から中頃にかけて活躍した
フォークミュージシャンに長い時間をいただいて取材をした。


1972年頃に時代の寵児となり、
1970年代半ばに大手レコード会社に移籍。


その年のいち押しアーティストとして
矢沢永吉遠藤賢司と共にプッシュされるも結果は出ず。
(売れたのは永ちゃんのみ、、)


やがて1970年代末にその人がいたデュオは解散。
相棒は親交の深かったロックバンドに加入することになった。


1980年代に入って以降は、
表舞台のスポットライトが
あたることはほとんどなかったが、
その人は今でも歌い続けている。


その人が世に出た1970年代初頭に何が起こっていたのか。
吉田拓郎井上陽水忌野清志郎泉谷しげるらが重鎮となっていく中、
何故、その人は流れからこぼれ落ちてしまったのか。
何故、今日まで歌っているのか。


自宅にお邪魔して、その波乱の顛末と
それでも「歌ってきた」ということの意味を
聞いているうちに、およそ10時間が経過していた。



(2)
たくさん聞かせてもらったエピソードからひとつ。


1970年代初頭。ロックバンドをやれる若者は
東京に自宅のある、裕福な家の子供が多かった、と。


どうしてかというと、まず演奏場所にドラムセットが
完備されているところが少なかったから。


必然、ドラムセットを持っていて、
それを運搬できる車を持っていることが、
ロックバンドを維持できる条件だった。


そんな状況で、無名の若者たちが
GSに代表されるような、
それまでの芸能音楽界的しきたりを無視して、
手前勝手に活動するには、
フォークギターがてっとり早かった。


多くの者はアコースティクギターを持っていたからといって
フォークソングをやろうと思っていたわけではない。
それしかなかったから、それを手にして歌ったのだ。


だから、パンクのようなフォークソングが多かったんだよ、と。


ついでに言うと、周りにいた若者たちも
手前勝手に演奏場所を作って、イベントを開くようになった。


その時のD.I.Y.は、フォークソングが大流行して
音楽ビジネスのひとつの形になった時に終わったけれども、
その時の熱気にあてられた人は、
今も何かを捨てられずに生活をしている。


そういう人たちとはずっと繋がっているよ、と。



(3)
自分はネットでの配信などに音楽の未来を見ているわけではない。
でも、嫌ったらしい業界の慣習は無視して、
何かをしでかしてやろうと思っている若いミュージシャンは、
ネットでも何でも使えるものを使って、
どんどん手前勝手にやればいいと思う。


そこから才覚のあるひと握りの人たちが現れて、
音楽の未来を作っていけばいい。


どっちにせよ、音に込めた思いはデータに還元されて
おわるわけではないのだから。


自分がレーベルを始めた頃に良かったことは、
簡単にCDが作れるようになったことだった。


だからCDを作って、売って歩いただけなのだ。


CDとか、ネットとか、ライヴとか、
やり方はどうでもいい。


音楽業界はビジネス的に崩壊寸前と言われているけど、
やりたいことをやりたいようにやれる自由は
以前よりずっとあるのだから、
やりたいことをやりたいようにやればいいのだ。


縮こまった人たちが思いもしなかったアイデア
ちょっとだけクレバーに、勇気をもって。


どんな音楽の未来が待っているのか
健闘を祈りつつ、楽しみにしている。


The Doors『Break on Through』



この歌のイントロを聴くと、
いつでも、どこででも新しいことが始まる予感がする。

『息もできない』

ほうぼうで半年くらい前から口コミになっているけど、
やっぱり書いておこう。

先月、下高井戸シネマで観た『息もできない』。
噂通りの心にズシンとくる作品だった。


どんづまりの人生で連鎖する不幸と暴力。
この渦から抜け出そうともがく人々が渇望する愛情。


「人間は結局のところ血の宿命からは逃れられない」
という、大きな絶望の中にある、
「しかし、未来への種は芽吹くかもしれない」
という、わずかな希望をストロングに描いた傑作。



『息もできない』は主演も務めたヤン・イクチュンの初監督長編作。


屋内シーンを自宅で撮り終えてから自宅を売り払って製作資金を用立てるなど、
彼の心意気がこもった純インデペンデント映画。


低予算故にリハなし、撮り直しなしの
ワンテイクで臨んだ演技は異常な緊張感。



どうしようもなく絶望的に最低な物語を貫く
「人間という存在そのもの」への肯定、
「今よりもよくなりたい」というあがきへの信任、
泥の中でも生き抜こうとする生命力への信頼。


人生への諦観と生命力への信頼とをくたくたに煮込みながら
「人間のしぶとさ」を描く『息もできない』には、
フェデリコ・ガルシーア・ロルカの『血の婚礼』、
マクシム・ゴーリキーの『どん底』などに通じる
骨太で原始的な力がある。


その根幹にあるものは、どんなに残酷な状況下でも
「生命力だけはなかかなものも」というタフな楽観。
その楽観こそが、神話のような救いを与えてくれる。







70年代アメリカ映画伝説@下高井戸シネマ

我が家のある街、下高井戸。おいしい肉や魚を売る店が並び、
人通りも多い商店街が健在の愛する街。


僕が大学生の頃、初めてひとり暮らしをしたのもこの街だった。
実家はたまプラーザにあったので、大学にはそこから通えたのだけど、
まわりにいるひとり暮らしの友達の気ままな生活ぶりがうらやましくもあり、
ちょうどサンケイスポーツ編集部のぼーやのバイトに
もぐりこめて家賃の目処がついたこともあり、実家を出ることにしたのだ。


まったく記憶にないのだが、今でも母親が
「アパートの住所も教えずに出て行って、
最後までどこに住んでいるのか知らなかった」
と笑って語る20年くらい前の話。


今では、奇遇なことに愛する妻と所帯をかまえることになった下高井戸だが、
ここには「下高井戸シネマ」という素敵な映画館がある。


先日もこの映画館で『息もできない』を観て来たばかりだが、
11月には楽しみな企画が催される。


それは『70年代アメリカ映画伝説』と冠されたレイトショー。
ラインナップは11月15日から17日が
ロバート・アルトマンの『バード★シット』。
18日から20日がハル・アシュビーの『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』。


ハロルドとモード 少年は虹を渡る』


バード★シット


若い頃に想像で好きになった映画を
ロードショーしてくれる街、それが下高井戸であり、
ロードショーしてくれる映画館、それが下高井戸シネマ



23歳の頃、神保町の古本屋・矢口書店で茶色に変色した1972年刊の『映画評論』、
ハロルドとモード 少年は虹を渡る』の脚本が載っている号を購入して
スクリーンを想像しながら読んだ日が蘇る。


ジョナサン・リッチマン「ザット・サマー・フィーリング」


毎年、夏の終わりの空気が漂いだす頃には
ジョナサン・リッチマン
「ザット・サマー・フィーリング」を聴きたくなる。




ジョナサン・リッチマン
なんとも言いがたい拭えない悲しみを抱えている人。
それゆえにとても優しい人。
そして、ヒーローではないが、
たくさんの人の心の片隅に居座っている人。



学生時代からの友人K君はジョナサン・リッチマンのコレクター。
ジョナサン・リッチマンと元ヴェルヴェットの
モーリン・タッカーと演奏した音源を求め、
「もし、その音源が残っているなら聴かせてほしい」と
彼女にエアメールしたところ、
「その音源は残念ながら手元に残っていないのよ、ごめんね」
というメッセージを添えた手紙が
彼女からK君のところににやって来た。


ルー・リードの『ロックンロール・ハート』というドキュメンタリーがある。
周りの言うことを聴こうとしない
若き日のとんがったルーやジョン・ケイルたちのことを、
モーリン・タッカーは「彼らは駄目だって言われたら絶対やっちゃうから」と
微笑ましく語っていた。



その頃を振り返るモーリン・タッカーの柔和な表情を見て、
彼女がいたからわずかな期間とはいえ、
ヴェルヴェット・アンダーグランドが存続できたんだなぁと思った。


じゃないと、あんなアクが強くて
個性的な男の子たちがまとまることはできなかったはず。


YOU TUBEで「ザット・サマー・フィーリング」の映像を探していたところ
誰だか知らない外国の若者がこのサマーロックンロールを歌っていた。
なかなか微笑ましいカバー。


ロックンロールのジェントルサイド。音楽っていいね!