東京都市圏

■現在(2000年)
Low Density :2000-4000人/㎢
Middle Density:4000-20000人/㎢
High Density :20000-人/㎢




■東京都市圏全てが20000人/㎢の超コンパクトになったら?




■東京都市圏全てが2000人/㎢の超スプロールになったら?




統計局2000年のメッシュデータを元に筆者作成

ちなみにアメリカの郊外都市における人口密度は約2000人/㎢。
現在の東京がいかにコンパクトかが分かる。

ラストシーン

好きなPVを1つだけ挙げろと言われたら迷ってしまうが、それでも1つだけ選ぶとすれば、SUPERCARの"LAST SCENE"と答える。

名作PVと言えばケミカルブラザーズの"Star Guitar"とかBjorkの"All is full of love"あたりが挙がりそうだけど、個人的に"LAST SCENE"のPVがとても印象深く心に残っているのである。


PVは真夜中の電車が川辺を走る場面から始まる。帰路に着く酔っぱらいのサラリーマンが夜の商店街を抜け、河原でダンスを始める。パトロールをしていた警察官に注意されてしまうが、それでもダンスを止めない。ダンスは徐々に盛り上がっていき、クライマックスを迎えた瞬間、背後でSUPERCARメンバーによって仕掛けられた花火が上がる。花火をバックに、水の中を優雅に泳ぐ魚のようなダンスが展開される。ダンスが終わりを迎え、片腕をゆっくりと挙げるサラリーマン。そして、短い花火が終わる。無許可で危険物を扱ったSUPARCARメンバーは警察に連行され、サラリーマンが夜明けの中を歩いていく。ラストは始発電車が川辺を抜けていくシーンで終わる。


実に何の変哲もない、単純な筋書きのPVだ。そして、他のPVと比べ低予算で作られたことも映像から伺える。しかし、何故だろうか。とても感傷的になってしまう。

PVの一番の見せ場は何と言ってもサビの花火とダンスのシーンであろう。楽曲がサビに入ると同時に花火が上がり、ダンスは最高潮に達する。市販の打ち上げ花火とサラリーマンのダンスだけで、これほど美しい映像が撮れるのかと驚いてしまう。

短いサビ(=花火)が終わり、楽曲はアウトロへと突入する。全てが終わったかのように、物語は収束へ向かう。警察に連行され、家へと帰る。夜が明け、始発電車が走る。また、新しい一日が始まる。一日のラストシーンはこんなにも平凡で、けれども美しくて、故にとても感傷的になってしまう。

楽曲のフェードアウトと共に始発電車が川辺を走っていくシーンが一番印象に残っている。高校二年生の冬、家族が寝静まった深夜のテレビの前で見たことを今でも覚えている。

場所なき場所に言葉は生まれるか

久々の更新。

今日は千葉大建築レクチュアシリーズの第三回目だった。五十嵐太郎さん自らが80年代-00年代までの建築論壇における状況を時系列順に解説してくれた。内容について言及したいこともあるが、ここでは割愛させて頂く。

ここで言及したいのは、レクチュアのあとに「千葉大建築には言葉がない」問題について学生同士で議論したことである。今日のようなレクチュアを聞けば聞くほど、いかに千葉大学建築学科がいわゆる建築論壇的な場所から遠く離れているかを強く痛感する。東大や東工大、早稲田、横国と違い、千葉大からはクリティカルな動きが出てきそうにない。過去においてもそうだった(少なくとも、自分が入学した2005年以後、何か動きがあったとは到底実感出来ない)。

むろん、そもそもクリティカルな動きや運動を起こすことが必要なのか、という意見もあるかもしれない。与えられた建築学科のカリキュラムをこなし、粛々と課題をこなす。それで十分ではないかと。

しかし、それだけでは寂しい(単純な実感として)。そして、同時にある種の危機感をも感じてしまう。ネットを介して多くの様々な学生が主体的に何かを発信している場面を実際に見ているからかもしれない。

建築学科としての伝統も無ければ、スターアーキテクトもいない。それでも、そのような場所なき場所で、同学の同じ世代同士で考え、感じたことを言葉にしたい。そんな渇望が少なからず今のぼくたちにはある。

「何かが変わってゆくような そんな気がした あと少しで」

自分はあと1年で大学を去ってしまう。ほんの少しでもいいから、やるべきことをして大学を去りたい。久しぶりに強くそんなことを思った。6月中に何かしらのアクションをとりたい。

あっという間に

時間は過ぎていくもので、もう11月。だんだん寒くなってきて冬の気配を感じ始める。


10月30日
東大でサステイナブルシティの勉強会。「革新的地域の調査」というのが正式名称らしい。藤村事務所での模型製作や読書会の準備もあったりで、きちんと準備が出来ずに臨む。内容はともかく、プレゼンの仕方が悪いと言われる。確かに。それに比べ覚さんの話し方は上手い。出来たことと出来なかったことをきちんと整理した上で、現状までで自分が得た知識を正直に報告する。とても潔いし、その方が聞いている方も全体像を把握しやすい。学内での相対的な評価に甘んじていた、井の中の蛙な自分に反省。

その後、18時から読書会。実際スタートしたのは19時から。課題図書はヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』。議論は大いに盛り上がったが、最後の方はかなり脱線。全員の理解も浅かったので、また次回もヴェンチューリをやることにする。今度は『ラスベガス』も一緒に。読書会の進め方は検討の余地有りだけど、今まであまりこういうガチ建築トークをする場がなかったので、とても面白かったし刺激になった。読書会が終わってからみんなで鳥丸へ。帰宅。爆睡。


10月31日
博士課程の人の論文のために、千葉駅周辺にて歩行量調査の手伝い。寝坊する。ごめんなさい。作業自体は果てしなく単調でつまらない。合間を見て、東浩紀の『存在論的、郵便的』を少しだけ読む。東浩紀の最近の本は大体読んだけど、純粋に哲学だけの東本は読んだことが無い。というか、2年前に挑戦したが挫折したので再挑戦。20歳のときは読めなかった本が結構読めることに気がつく。そして何となく、デリダの話がエロゲー2ちゃんねる等と繋がっている気がした。時間を見つけて続きを読まなくては。

20時から大谷さんとバンド。ギターの高音がきつくて耳が死にかけたが、結構まともにセッション出来ていた気がする。とりあえず機材が重い。ドラマーは身軽で良いなといつも思う。


11月2日
この日は朝から代々木上原村松研のWS(復習)に参加。WSの概要は、一言で言えば「小学生を対象にした都市リテラシー教育プログラム」みたいな感じ。小学生は朝から元気だった。村松研の方々と昼ご飯に行きたかったが、都市理論研究会の準備が全然だったために早々と去る。都立図書館へ行き、調べまくる。漫画喫茶で原稿書き。

都市理論研究会は渋谷の某ファミレスにて。個々のレジュメのレベルアップが著しい。近隣住区論、頑張らなくては。ただ、何よりも田園都市論から始まる都市理論の歴史を調べていくことが面白すぎてやばい。この辺りをきちんと体系化した人はいないように思えて(本当はいるかもしれないけど)、やりがいを感じてしまう。田園都市論-近隣住区論-ブキャナンレポート。まじでやったら修論レベルになりそう。

レタシャブ

21日は東大で俯瞰工学(前の日記に経営工学と書きましたが、俯瞰工学でした)の研究室で新しいプロジェクトについての説明を受ける。都市系ではない人たちがサステイナブルシティについて研究するというのは面白いし、何より刺激になる。

夕飯は友人と上野のレタシャブ屋へ。レタシャブとはレタスをしゃぶしゃぶ風に食べることで、始めは本当においしいのか疑心暗鬼だったけれど、食べてみるとこれが旨い!久々にまた行きたいと思える店に出会えた。

その後、ドトールで『建築の多様性と対立性』を少し読んでから帰路に着く。頭もお腹も満たされた一日でした。

サステイナブルシティ

11時起床。すぐ研究室へ。


研究室着。明日のサステイナブルシティ勉強会に向けて、サステイナブルシティ関連の資料を探す。勉強会、と言っても経営工学を専攻している友人と二人だけの会。サステイナブルシティのプロジェクトに関わっているとかで、色々と話を聞きたいそうだ。

いつも思っているのだけど、「サステイナブル」という言葉ほど曖昧なものは無い。何に対して「サステイナブル」なのか?誰に対して「サステイナブル」なのか?この答えはその人がどういった立場にいるかによって大きく異なってくる。環境なのか、経済なのか、それとも文化に対してなのか。とりあえず明日は環境の方向性で話すことにする。

しかし、難しいのはこの三要素のバランスで、例えば環境優勢のモデルを作ると、経済もしくは文化を犠牲にしなくてはならない可能性が出てくる。コペンハーゲンのような自転車によって環境負荷を軽減している都市がある一方で、文化的土壌が全く違うジャカルタに同じモデルは適用出来ない。文化的土壌を根こそぎ変えないかぎり。

では、ぼくたちは個別に都市のコンテクストを分析し、一つずつ地道に提案をしていくしか無いのだろうか。都市と都市の共通項を見つけ出し、より一般性もしくは普遍性をもったサステイナブルシティモデルを作ることは出来ないのだろうか。

ベタな解法になってしまうかもしれないが、空間性に着目することは出来ないか。都市の空間性を類型化し、類型ごとにモデル提案することは出来ないか。そこでふと考えたのが、以下のようなフレーム。空間性によってある種の関数を導きだし、パラメータ経済とパラメータ文化を入れていくと、環境という解が出てくる。
空間性(経済,文化)=環境
このとき、文化を何十年後も変わらないと仮定すれば、
空間性(経済)=環境
となる。時間変数を経済に含めてシュミレーションしていけば、空間構造が分かる。

研究室で関わっているメガシティプロジェクトでは、どうしても地道なデータ収集に終わってしまうことが多く、全てのメガシティに対してデータ収集→モデル提示が出来ない。いかに効率良く、全体を統括する方法を探せるか。データ収集も重要だけど、まずやらなくてはいけないことは方法論の確立な気がする。まだまだ突っ込みどころ満載な方法論なので、これをどう更新出来るかが今後の課題。


夜は渋谷でメタボリズム勉強会の打ち合わせ。院試用の知識としてしかメタボリズムを理解していないので、これを機会にきちんと勉強したい。学内の読書会もあるから、とにかく本を読まなきゃ。


24時過ぎて研究室に戻る。研究室で嵯峨山君らとアニメとまちづくりについて話す。らき☆すた的まちづくりとジブリ的まちづくりの違いについて。場所の交換可能性の有無、というのが一つの結論に。これはまたの機会にでも。

座談会@INAX:GINZA

15日は藤村龍至さん、山本理顕さん、東浩紀さんの座談会に参加。メンバーの豪華さにびびりながらの参加でしたが、非常に楽しい濃密な時間を過ごすことが出来ました。改めて感謝したいと思います。ありがとうございました。


さて、ここから本題。
まずは理顕さんの「地域社会圏」の話が始まる。ぼくたちが生きている都市は、1920年代にヨーロッパで生まれた「1住宅=1家族」というシステムが前提として存在している。住宅の大量供給が必要不可欠だった戦後において、吉武泰水鈴木成文が提唱した51C型はこの「1住宅=1家族」を採用した上で住宅を大量供給しようというものだった。
今の基本的な住宅形式であるnDKは51C型が前身なので、現在までシステムの更新がないまま住宅が設計されている。しかし、高齢化や少子化によって「1住宅=1家族」という前提が崩れてくる。こうした現状に対して、理顕さんは400人を一つの単位とした「地域社会圏」を提唱する。家族と国家の中間項を定義することで、直に接続されていた家族と国家の間にコモン的な何か(=地域社会圏)を作ることは出来ないか。大まかではあるが、理顕さんの主張としてはこうだ。

一方で、東さんはよりリベラルな考え方を提示する。ある地域共同体に所属していたとしても、ケータイで別の地域共同体とヴァーチャルに繋がることが出来る。地域共同体が必要なのは子供や老人であって、ネットリテラシーの高い成人にはあまり必要でなくなってきている、と。だから極端な話、物理的にものすごく内側に閉じている人がいたとしても、それはヴァーチャルによってある程度解消されてしまう。

座談会での理顕さんと東さんの議論は、『リアルのゆくえ』での大塚英志と東さんの議論を想起させる。二人の「公共性」についてのスタンスの違いが大きく表れているように思えて、いわゆる大文字の「公共性」を信じる大塚的立場と、よりリベラルな新しい形の「公共性」を模索する東的立場、どちらをスタンスとして取るかの違いになっているのでは。あまり世代的な問題へと回収したくは無いが、87年生まれのぼくにとって東的立場はある程度理解出来る。ローティーンの頃からケータイを使い始めていた世代にとっては、個人と国家が接続される前に、個人と世界がまず接続されてしまう(ように思える)からだ。


話が建築から逸れてしまったが、建築的な議論として印象に残っていたのが「コンビニ」の話。「広場」と「コンビニ」を対比すると分かりやすい。例えば、「広場」は作り手が「この場所に人が集まって欲しい」という明確な意図によって作られていくが、「コンビニ」は資本主義的なダイナミズムによって「人が集まる場所」へ自動的に作られていく。あまりに情報化された社会では、「広場」的な場所は徐々にその必要性が薄れていって、「コンビニ」的な場所、つまり人が必要なとき(コンビニエンス)に使える場所がより重要となっていく。

しかし、これではあまりに身も蓋も無いというか、こうした状況に対して建築家側はどうすればいいのか。そのヒントが、藤村さんの言う「学校」にあるかもしれない。

不動な場としての「学校」と変動な場としての「コンビニ」。もしくは、地形や伝統のようにどうしようもなくマゾヒスティックな空間と利用者の自由性を極端に高めた空間。


不動な場をどう設計するか。
レポを書いているうちに、自分の中で整理されてきた。あとはアウトプットの高速化が今後の課題かと。


追記
「山本氏編『建築のちから3』(INAX出版)に収録予定です。」
http://d.hatena.ne.jp/hazuma/20091018