謝罪文

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謝罪文。

stap細胞事件」、及び「hpvワクチン問題」、「きのこ組」告訴問題など関連して、片瀬久美子氏に対して、誹謗中傷する記事を、ブログ、TwitterFacebook、メルマガに投稿しましたが、このような投稿は、法的に違法になるものであり、ここに、深く反省し、謝罪すると同時に、今後、片瀬氏を誹謗中傷するような記事は書かないことをお約束します。また、片瀬氏に関するこれまでの私の投稿は、違法となるものであるため、私の投稿を転載し、掲載し続けている方は削除していただきますよう、お願い申しあげます。以上、よろしくお願いします。(山崎行太郎)

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■杉田俊介の「ロスジェネ芸術論」を読む。

文芸評論家の富岡幸一郎が、産経新聞のコラムで、「沖縄集団自決裁判」について、「何故、文芸誌は沈黙するのか」と、「文芸誌の沈黙」を糾弾していたが、たしかにその通りで、「沖縄集団自決裁判」はその主役が大江健三郎であり曽野綾子であるということからも想像できるように、賛否の立場はいろいろあるだろうが、文芸誌こそが真っ先に取り組むべき課題だと思うが、文芸誌には、いっさいそういう動きはなく、ただひたすら沈黙し、黙殺しているというのが実情である。おそらく、文壇や文芸誌に、それと正面から向き合うだけの活力がないということだろうと思う。むろん、文壇や文芸誌は、政治や思想から遠く離れて、孤独な密室の中で、ひたすら文学や小説に励んでいればそれでいいというものではない。文学が「学問研究」や「趣味娯楽」と違うのはその点である。したがって文壇の沈黙、文芸誌の沈黙は、きわめて不自然なことである、と思っていたら、「沖縄集団自決裁判」とは異なるが、文芸誌に新しい動きが胎動しつつあるようだ。
「ロスジェネ」、つまり「ロストジェネレーション」という言葉が、最近、しばしば使われるようになったことは、雨宮処凛等の書くものから若干のことは知っていたが、その現代的意味や思想については、私もあまりよく知らなかったのだが、今回、「すばる」八月号で、杉田俊介が、そのものズバリの「ロスジェネ芸術論」なるものを連載開始したので、かなり詳しく知る羽目になった。ロスジェネ、つまり就職も定職もなく、派遣社員やフリーター、あるいはニートのままに、将来の生活設計にも展望の開けない「失われた世代」の問題である。ところで、ロスジェネとは別に、もう一方には、昭和初期のプロレタリア文学の名作、小林多喜二の『蟹工船』が、その最初の火付け役は誰であれ、ともかくも爆発的に売れているらしいという情報もあり、しかも新聞や雑誌にも『蟹工船』の解説や分析が、吉本隆明まで登場して(「蟹工船と貧困社会」文芸春秋八月号)、一種の流行のように氾濫している。あるいはまた、他方には、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の新訳が驚異的なペースで売れ続けているというドストエフスキー・ブームもある。これらの現象が、それぞれ密接につながっていることは言うまでもないだろうが、そこには何があるのだろうか。新聞用語を使わせてもらうならば、おそらく格差社会ワーキングプア派遣社員、アキバ事件……ということになるのだろうが、やはり根本には、小泉改革新自由主義、あるいはグローバリゼーションなどという言葉が象徴するように、現代的な経済的な不況がもたらした新しい貧困問題と言うべき社会問題であるのだろうが、しかし、「ロスジェネ芸術論」というタイトルが示すように、これら一連の問題が、今や、単なる社会問題、経済問題、あるいは政治問題としてだけではなく、文学や芸術、あるいは思想の領域にまで入り込んで来たということが、大きいのではないか。それは、小泉改革、グローバリゼーション云々……の問題を越えて、この世代の思想問題に、そして芸術的、文学的想像力の問題にまで進化・深化しつつあるということだろう。言い換えれば、これは、小泉改革というような新自由主義経済改革に対置すべきもう一つの経済政策の模索や変更などでは、もはやこの時代の病巣や危機を克服することは出来ないというところまで事態は深刻化しているということだ。そこで、経済や政治に代わって、文学や芸術が登場するというわけだろう。
杉田は、「ロスジェネ芸術論」を、赤木智弘の「丸山真男をひっばたきたい。31歳、フリーター。希望は戦争。……」(「論座論座 2007年1月号)というエッセイの紹介と分析から始めているが、このロスジェネ問題の本質が、単なる経済問題ではなく、思想問題や芸術問題だとすれば、その原点に、赤木智弘のこのエッセイがあるということは間違いない。ところで、赤木智弘雨宮処凛杉田俊介の三人は、偶然にも、同年生まれらしく、それだからというわけでもないだろうが、先日、トークライブを開いたらしい。そこで、杉田俊介の論や赤木智弘のエッセイに触れながら、ロスジェネ問題とは何かを簡単に見てみよう。
■ 「赤木智弘という現象」とは何か?
杉田俊介は、こう書いている。
戦後民主主義は国民を総中流化させたと言われる。しかし高度成長期の恩恵を受けてきた既得権世代と、就職氷河期世代(ロストジェネレーション、 七0年代から八0年代初頭生まれ)の若者の間には、大きな経済格差が生じている。赤木はそう言う。しかも経済弱者の存在は、の国では今もまともに認識されず、なかつたことにされている。従来の左の人も信用できない。口では「若者を救え」「貧困問題は深刻」などときれいごとをいうが、自分達の既得権を手放さないからだ。≫
杉田俊介が解説するこの赤木智弘の主張に、私は、全面的には賛成できかねるが、たとえば、経済格差の原因としての「既得権」という言葉、とりわけ「高度成長期の恩恵を受けてきた既得権世代」という言葉の使い方に、すでに小泉改革のメディア戦略に騙され、小泉改革を熱狂的に歓迎し、問題を世代間対立と勘違いした若者達の存在が投影していると言っていいが、彼等が直面することになった就職難と貧困問題の根本原因が、まさしく小泉改革、ないしはグローバリゼーションの名の下に推し進められてきた新自由主義経済政策だということが、赤木智弘にはわかっていないからだが、しかしおそらくそんなことは、今ではたいして重要なことではない。やはり重要なことは、次のような主張だろう。
≪自分は長い間、まじめに働いてきた。いろいろなものを諦めてきた。にもかかわらず、現在のフリーター生活の無限ループから抜け出せないままだ。これは自己責任なのか。国民全体が幸福になる平等をもう望めないというならば、自分は「国民全員が苦しむ平等を」望むしかない。――結論からいえば、今の自分の希望は、平和にも革命にもなく、戦争にしかない。戦争でも起こらない限り、戦後世代の磐石の既得権が破壊されることはありえないからだ。破壊のあとに訪れる社会の「過剰流動性」は、望ましいものである。≫
赤木は、国民全員が平等に苦しむ「平等社会」として、戦争を望むというわけだが、私は、「論座」誌上で展開されたらしい、この赤木の主張に理論的には反対しない。理論的には充分にありうる理論であり、主張だからである。しかし、赤木の主張は「賛否両論を招き、大きな議論の渦に人々を巻き込んだ」ということだが、私は、「賛否両論を招き、大きな議論の渦に人々を巻き込んだ」ということそのことを高く評価したい。この極端に過激な主張は、一種の思考実験であり、言うならば、ドストエフスキーの『罪と罰』や『悪霊』の世界にも通じる思考上のラディカリズムだからである。そこに文学や芸術につながる何かがあることは間違いないが、はたしてそれが、具体的な文学作品に結実するかどうかは疑問である。しかし、綿矢りさ金原ひとみも、この世代に含めれば、情況は一変するだろう。
雨宮処凛プレカリアート運動。
さて次に、雨宮処凛森達也の対談「KYでも生きられる社会に」(「群像」)を見てみよう。ここにも現代的な貧困の問題が登場する。最近、しばしば新聞雑誌などでお目にかかる言葉に「プレカリアート」という言葉あるが、この言葉もロスジェネ問題とも無縁ではなく、またこの言葉を使って社会運動的なものを目指して活動しているのが、ロスジェネ問題と同じく作家の雨宮処凛であることからもわかるように、現代社会の貧困問題の重要概念である「負け組」の雇用の「不安定」という問題を積極的に取り上げているが、ここでも問題は、単なる経済問題、政治問題としてではなく、思想問題、文学・芸術問題として取り上げられているが故に、注目される価値があると言わなければならない。では、プレカリアートとは何か。まずプレカリアートという言葉の意味だが、イタリア語が起源らしく、「不安定」を意味するprecarioに由来し、したがってプレカリアート(precariato)とは、世界的に吹き荒れる新自由主義経済下の雇用の不安定を強いられている人々、つまり非正規雇用者、要するにパートタイマー、アルバイト、フリーター、派遣労働者契約社員、委託労働者、失業者、ニート等を包括する言葉ある。つまり、不安定を意味するprecario(プレカリオ)と従来の Proletariato(プロレタリアート)を組み合わせた言葉で、最初はイタリアでの落書きから始まり、現代的な貧困を表す言葉として世界的に普及しつつある言葉らしい。
したがって、具体的にプレカリアートとは何かと言うと、ここでも、非正規社員としての派遣社員の犯罪として注目されたアキバ事件が連想されるが、雨宮処凛は、この対談で、犯人の加藤某の生活について、こう言っている。
≪文学なんですよ。ものすごくリアルな。今の若者の孤独と絶望と、それでも他者を求める狂いそうな切実感がリアルに描かれすぎて怖いぐらいです。それで彼は、借り上げアパートの部屋が広すぎると書いている。たぶん派遣社員の借り上げアパートって六畳にキッチンぐらいだと思うんですけど、部屋の三分の二は使ってない、一人だったら三畳で充分とか書く。六畳という部屋の「広さ」に淋しさが際立つんでしょうね。とにかく胸を打つんです。彼の孤独の質量には圧倒されました。≫
犯人加藤某については、「甘ったれるな」「非正規社員であろうと働く場所があるだけでマシじゃないか」というような意見もあり、この事件の解釈や評価は、それほど単純にはいかないだろうが、しかし、やはり多くの若者が密かに犯人に共感しているところを見ると、何かが、そこにあることは確かなように見える。犯罪は時代を映す鏡である。文学者たちが、しばしば犯罪者の深層心理に共感し、それを小説化することはよくあることで、別に目新しいことではないが、言い換えれば、犯人の孤独は、遠くさかのぼれば、小泉改革やグローバリゼーションの問題に行き着くだろうが、もはや、そういう問題を語っている時代は過ぎたように見える。その意味で、雨宮処凛のアキバ事件の分析は、やはり問題の本質の一端に鋭く迫っているのではないか。
とこめろで、「ドストエフスキーの『白痴』について」(「群像」)という長編のドストエフスキー論の続編とも言うべき評論を、山城むつみが書いているが、これも多分、ロスジェネやプレカリアートという問題とも密接に関係していると思われるが、しかし、赤木智弘雨宮処凛の軽快だが、過激な自己主張を展開する評論に較べると、やや教養主義的で、切迫感に欠けているように見える。やはり世代の差は歴然としていると言うべきか。

■情報から思想へー「日本保守主義研究会」の「澪標」の試み。

昨今の文学や政治は金儲けや出世、権力欲、名欲に直結して語られることが少なくない。しかし、文学も政治もそんなに卑俗な現象にのみに関わるものではない。むしろ、文学も政治も人間存在の根源に関わっているのであり、それはきわめて観念的で、非合理、且つ複雑怪奇なものである。文学が政治に、あるいは政治が文学に深く関わるのはそういう場所においてである。政治を語らない文学が高踏遊民的な文学趣味に堕落し、文学を語らない政治が政治の瑣末な技術主義に堕落するのは必然である。たとえば、ドストエフスキー小林秀雄も、政治や革命を批判しながら政治や革命の中に人間存在の最も底深い神秘と謎を探ったのである。要するに政治や革命はきわめて文学的なのであり、そして同時に文学や思想は、常に政治的なのである。
さて、前回、「早稲田文学」の復刊最新号の試みについて書いたので、今回もまず、文学とは直接的関係はないかもしれないが、思想的に見れば必ずしも無縁とは言い切れないかもしれないというわけで、これからの政治思想運動に新しい伊吹を吹き込むことになるだろうと思われる保守系の思想運動グループの雑誌「澪標」(れいひょう)を取り上げたい。小冊子だが中身は濃く、刺激的である。「澪標」は、「日本保守主義研究会」という、まだ20代の若者たちが中心の保守系の思想集団の小さな機関紙ではあるが、そこで議論されている問題は、商業主義とイデオロギー主義に流された既存のオピニオン雑誌には決して載ることのないもので、つまりわれわれが、いつの間にか忘れてしまっている基礎的な問題であって、かなり本質的、原理的な問題である。たまたま今回、「澪標」の編集長が、早瀬善彦(京都大学大学院博士課程)に交替したのを機縁に、誌面が大幅にリニューアルされ、念願の本格的な思想雑誌、オピニオン雑誌として再出発することになったのを記念して、そこに思想史的に画期的な意義を持つと思われる対談「情報から思想へ」が掲載されている。実は、私も、思想的に共感し、同誌に「丸山真男小林秀雄(一)」を連載を開始しているのだが、私の連載評論はともかくとして、この小さな雑誌の編集主幹の岩田温と新編集長・早瀬善彦の長編対談は、昨今、各種の論壇オピニオン雑誌が、「中国問題」「慰安婦問題」「南京事件問題」「拉致問題」「チベット問題」……等、次々に発生する時局的なテーマを追いかけることに汲々として、思想や哲学のような原理的問題をおろそかにしている現在、きわめて重要である。むろん彼らとしても、「中国問題」や「チベット問題」等など、目前の国際問題や国内問題をおろそかにしているわけではないが、ただそれだけで終わってしまう保守系の論壇オピニオン雑誌の思想的貧困に、あるいは売れっ子の保守思想家たちの思想的貧困に警鐘を鳴らしつつ、敢えて哲学や思想の問題に立ち返り、そこから「保守思想とは何か」、あるいは「思想とは何か」を原理的に考えようとしているわけだが、それは大いに評価できる、と言っておくべきだろう。
■歴史家と哲学者、あるいはイデオロギーと哲学。
たとえば、岩田温は、こんなことを言っている。
≪彼が(註―「オークショット」)、「政治哲学」という論文を書いているんですけども、その中で面白いことを言っています。哲学についてなのですが、彼は哲学とは何かと言うとき、゛radical subversive enterprise゛「根源的に破壊的な企て」であると言っているんです。/ これはどういうことかというと、オークショットによれば、歴史家を否定するわけではないんですが、歴史家というのは哲学的にみたら限界があるんですね。つまり、歴史家という人たちはどんなに自分で考えても、最終的には頼るべき根拠がある、つまり゛evidence゛ですね。日本語にすると、「証拠」。歴史家にはエビデンスがあって、そのエビデンスに基づいて物を作る。だから、エビデンスに対しては破壊的ではないわけですよ。エビデンスに基づいて物を作っているのが歴史家の歴史と言うものです。/ ところが思想家には、歴史家にとつてのエビデンスにあたるものがないんです。そこが哲学者と歴史家の一番の違いです。もちろん、マルクス自身は哲学者であったというべきでしょうが、マルクス主義哲学などというものは、イデオロギーであって、哲学ではない。≫
岩田が、ここで歴史家と哲学者、あるいはイデオロギーと哲学を対比した上で言おうとしている事は、昨今の論壇や思想界で、ほとんど問題にされなくなったもので、要するに、われわれが時局的、情勢論的問題にかまけている間に、忘却し、隠蔽し、抑圧している問題であろう。歴史家は、証拠(エビデンス)で満足し、そこに真偽の基準を置いているが、哲学者や思想家は、まさしくその証拠について、「証拠とは何か」と問うのである。それが、オークショットの言う「根源的に破壊的な企て」ということであろう。「南京問題」も「沖縄集団自決」も、そして他の様々な問題において、どんなに多くの証拠をかき集めたところで、真偽の最終決着はつかない。せいぜい、発言や証言や告白の自己矛盾を指摘することができるだけだ。言い換えれば、その「根拠の不在」、つまり虚無に直面した時、人は始めて何かを了解するのだ、と言っていい。たとえば、マルクスマルクス主義者ではなくて、マルクス主義という哲学体系は、誰にでも理解できるように、マルクスの思考を、エンゲルスが総括し、体系化したものであるが、われわれは、そのマルクス主義という哲学体系をマルクスの思想とを混同し、勘違いするのである。これが岩田が言わんとすることだろうが、このような分析と探求が実践されるならば、かなり哲学的に深いと言わなければならない。
■我々は哲学的、思想的保守だ。
早瀬は、より具体的にこう言っている。
≪口を開けば「天皇」しか言わない団体が保守派にいますね。皇居や靖国神社に祈っていれば日本は救われる。天皇陛下のつくられた和歌を胸ポケットに入れていれば日本は平和になる。こういうことを未だに本気で言っている人たちがいるのは、ちょっと驚きますからね。(中略)祈って救われるなら、人類社会にもはや問題はありませんね。(中略)桃源郷ですね。左翼の九条狂いとなにがちがうのか分かりません。/ 偉そうな言い方になってしまいますが、我々はこうした保守派とは一線を画しながら左翼と戦っていきたいですね。(中略)何度も言ってますとおり、我々の雑誌の存在意義、コンセプトは何をもっても思想するところにあるわけです。≫
早瀬が言っていることも、イデオロギーとしての保守思想、つまりドグマを信じるのみで、自らの頭で思考し、自らの足で立つことを断念し、思考停止状態に陥った昨今流行の保守思想とは一線を画すということだろう。確かに、今日、猫も杓子も「保守」や「保守思想」を語り、論じるのが現代のモードとなっているわけで、これは、私が学生時代を過ごした左翼全盛の時代、つまり全共闘時代にイナゴの大群の如く出現した「左翼かぶれ」とほとんど変わらないところの、一種の「保守かぶれ」と言っていい。そういう「保守かぶれ」と一線を画すためには、それなりの思想的、哲学的な修練と鍛錬を必要とするだろう。いずれにしろ、危険な橋を渡る必要があるのだ。そこで、早瀬は、こう言っている。
ハイデッガーは次のように述べています。「『なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのではないのか?』という問いはわれわれにとっては、まず最も広い問いとして、次には最も深い問いとして、最後に最も根源的な問いとして、等級から言って第一の問いである。」/ ハイデガーは回りくどく語っていますか、考えてみれば当然の問いであるともいえます。確かに、誰であろうと、なぜ自分は存在しているのか、存在とは何か、ということを考え始めてみれば、永遠に止まらないわけです。≫
言うまでもなく、こういう問題意識は、もう文学や芸術の世界の問題意識と言っていいだろう。政治や政治思想を語る人間は、その語りが根源的である限り、つまり存在的ではなく存在論的であるかぎり、文学や芸術と無縁ではありえないだろう。だが、なんと文学や芸術と無縁な保守や保守思想家が多いことだろうか。言い換えれば、これは、「作品」を必要としない保守と保守思想家が存在する、ということでもある。岩田は、そこで、保守思想家に文藝評論家が多い理由を、次のように説明する。
≪だから文芸評論家が日本の保守に多かった理由は、やっぱり文芸評論家というのは作品を作りますからね。ところが、時局評論家は作品をつくりません。いつまで経っても。むしろ政治家が作品を作っていますからね。政治というのはやはり一つの製作でしようね。だから時局評論家というのはむしろその作品を見てるだけなんですよ。≫
まことに鋭い指摘である。問題は、それを具体的な「作品」の形で実践し、「作品」を製作することだろう。「作品」のない保守や保守思想家が、どれだけ饒舌に「保守とは何か」を語ったとしても、それは、所詮、外野席からの野次にすぎないのであって、それでは保守思想家の名に値しないということだろう。
■「文学界」新人賞の「選評」を読む。
私は、文芸誌の新人賞の「選評」を読むことに、新人賞の受賞作を読むことよりも、はるかに深い関心を持っているが、それはひとえに、そこが、新しく選者となった作家や批評家のもう一つの戦場と言っていいからだ。というわけで、「文学界」6月号で新人賞が発表になっているので、その選評を読んでみたわけだが、というのも、実は選考委員が新しいメンバーなので、とりわけ興味を持って読んでみたのだが、やはりおもしろかった。中でも飛びぬけて面白かったのは松浦理恵子の選評「逃げ道の先」であった。松浦は、確か20歳そこそこの時、「葬儀の日」という作品で「文学界」新人賞を受賞した作家のはずだが、その後、「親指Pの修行時代」等、余り派手ではないが、かなり個性的な作品で、中堅作家の一人にのし上がった、きわめて批評的な作家である。その松浦が、さっそく文芸評論家の斉藤美奈子の「情報批評」のいい加減さに噛み付いる。10年前の「文藝」新人賞の選考委員をしていた頃の話らしいが、それを最近、斉藤が高橋源一郎との対談で持ち出し、松浦を含む三人の女性選考委員が鹿島田真希『二匹』を熱烈に推したらしいが、その理由が選評に書いてないと批判したらしく、これが松浦を刺激したらしい。
斉藤美奈子さん、いい加減なことは言ってはいけません。『文藝』98年冬号掲載の私の選評に、鹿島田真希『二匹』を選んだ「理由」ちゃんと書いてある。≫
と書いた上で、斉藤の批評と批評の方法に鋭い突込みを入れている。「何ゆえに斉藤美奈子は近頃かくも弛緩しているのか」「責任を持って批評に当たっていただきたい」と。やはり、文学の生命線は、批評精神がの有無であることを、思い知らされた一幕であった。

■ニッポンの小説はどこへ行くのか

■ニッポンの小説はどこへ行くのか
「文学界」四月号に、古井由吉筒井康隆等のベテランから島田雅彦車谷長吉の中堅、そして本年度前半期の芥川賞を受賞したばかりの新人・川上未映子まで、総計11人の現役作家たちが集合し、大座談会を行っている。題は「ニッポンの小説はどこへ行くのか」。この座談会のメンバーを見て、そして彼らの発言を追っていくと、まだまだ文学や文壇というものは捨てたものではない、と思う。この座談会は、50年前、13人の作家や批評家が集まって「日本の小説はどう変わるか」という題で議論した座談会の再現を目指したものらしい。50年前のその座談会とは、江藤淳石原慎太郎大江健三郎等の大物新人が次々にデビューした頃で、一方には深沢七郎の「楢山節考」や原田康子の「挽歌」が脚光を浴びたり、また中間小説という新しい小説のジャンルが台頭してきたりで、文学華やかなりし頃とはいえ、まさしく文学や文壇が転換期を迎えていた頃に行われたものらしい。その座談会で大岡昇平が、「中間小説は近い将来テレビに食われちゃうと思うな。われわれは骨のある仕事をしていればよいのだ。」と問題の本質を見抜いていたかのように断言したらしい。実際にその通りになったわけで、今、中間小説なんて言っても若い人は首を傾げるだけだろう。さて、50年前は中間小説の台頭が純文学を脅かしていたわけだが、50年後の今もまた、新しい中間小説とでも呼ぶべき「ライトノベル」や「ケータイ小説」なるものが台頭し、純文学や文壇の側はそれに対して戦々恐々で、どう対処すべきかを悩んでいるところである。ところが、この座談会の出席者の中ではもっとも若い世代に属すると思われる田中弥生山崎ナオコーラが、「ライトノベル」や「ケータイ小説」ではなく、古典的な純文学擁護論を展開しているのが面白い。まず田中弥生から。

今は、広告的な文章が氾濫していて、テレビはもちろんですが、ポスターや中吊り広告に囲まれて生活している。そういうところで主流となっている言葉に違和感を覚えた時に、昔の本を通してしかそれを確認できないのは、いびつだと思いますし、それを現在形で考える場として、文芸誌的なものがあるんじゃないかと思うんです。たとえば自動車市場の中心に、公道でのマナーに一見反する、F?があるように。(中略) 普段はやってはいけないようなスピードでカーブを曲がったり、普通に生きている分には役に立たないし、短期的にはペイしないかもしれませんが、そういう場所やドライバーは、何かしらの形で保護されるべきだと思うんですよ。

これは田中弥生の言葉だが、「保護されるべきだ」という部分を除けば、私には彼女が言いたいことがよく分かるし、「F?」の比喩も、充分に納得できる。私は、こういう、ある意味では単純素朴な純文学論に久しぶりに接した気がするが、実はこういう風に、流行や世論に迎合せず、明確に純文学擁護論を展開するにはそれなりの文学的才能と文学論的思考の訓練と蓄積が必要だろうと思う。誰でもが簡単に言える言葉ではない。
■ わかりやすい言葉の「わかりやすさ」を疑え。
次は山崎ナオーコーラの発言から。

ラノベとかケータイ小説のことをなぜ「文学界」の人たちが聞きたがるか最初謎だったんですけど、筒井さんがおっしゃるように、要は羨ましいんだと思います。売れてるから。でもラノベとかケータイ小説が新しいものだという感じはあまりないです。昔からキャラ萌えとか、ストーリーで読ませることで読者をひきつけてきた小説はいっぱいあったはずです。だから、今さらそれについて特別に何かを考えなくてはならないという必要は感じないです。/私としては、小説を書くことで言語芸術を作りたいと思っているので、純文学という概念はこれからも打ち出していきたい。自分がこれから時代を作っていきたいと思っています。(司会・高橋源一郎……「純文学という看板を出すということ?」)出します。純文学シーンを盛り上げたい。その中で自分のできる仕事をしたいと思っています。(中略)使命感という話で言えば、私はテレビとか映画にできない、小説しかできないことをやりたいんです。言いたいことはないけど、やりたいことはある。言葉だからこそハッとする、というような体験を作り出したい。それが今の文学の中で私のやりたい仕事です。そのときに私一人だけが目立つ必要はなくて、文学シーン全体が盛り上がることが重要なんじゃないかなと思います。その一部分を私がやっていけたらいいです。(中略)私個人の小説観としては、小説を書く理由は仕事だからでも、自分のためでも読者のためでもないのです。要は芸術だから頑張っているという気持ちです。

ここで、山崎ナオコーラが、時流に迎合せず、孤立無援を覚悟の上で、純文学や芸術に託して言おうとしていることは決して新しいことでも難解なことでもない。おそらく日常的な世俗的世界から文学的、芸術的な非合理の世界への飛躍ということだろう。
ところで、50年前の座談会は、江藤淳高見順が、私小説をめぐって大激論を戦わせたことでも有名だが、今回の座談会でもまた、最終的には、私小説の「私」とは何かという議論になり、「ヘソなし小説」という同じ話題が中心になっている。言い換えれば、これは、私小説の「私」と言う問題が文学にとって普遍的なテーマだと言うことだろう。古井由吉は、50年前と比べて私小説の「私」が希薄になっていると言い、また「私小説というのは三重ですよ。著者の私でしょう。それから主人公の私、その間にナレーターがいる」と、私小説の「私」の三重性を指摘するが、それに対し車谷長吉は、「私小説にはウソを入れなければならない」となかなか鋭いことを言っている。それぞれ面白い発言なのだが、ここでも、田中弥生が、小説の中の「私」について、わかり易く語っているのが目を引く。

「まず小説に『私』と書いてあったら、この『私』は何を指すかというところから始めるのが、読む時のリテラシーであって、『私』といったら何となく無条件に『私』と思う時点で、もう、その本を読んでいることにならないんじゃないでしょうか。(中略)結局、個々の作家が使う『私』というのが、現実と虚構のあいだのどこの部分を指しているかを読むのが、最終的にはその本を読むということだと思います。そういう意味では、ヘソなしというのはあり得ない。作品全体が『私』と言っているところの『私』が、どういうものであるかを読むことが必要だと思います。

むろん、田中が指摘している「私」の問題は、私小説や小説だけの問題にとどまるものではない。それは、あらゆる自己表現につきまとう本質的な問題なのだが、ただ、この「私」という問題に固執するのが小説の書き手や読み手だけだということから、文学にとって普遍的、本質的なテーマになっていると言うことだろう。言い換えれば世間に流通している言葉はわかりやすいが、しかしわかかりやすいということは、こういう「私」にまつわる言語表現の厄介な問題を排除しているということでもある。座談会における「私」へのこだわりを見ていくと、現代の作家たちにも、まだ、表層的なわかりやすい言葉の世界に留まるのではなく、文学的、芸術的な「あいまいさ」への関心を保持していることがわかる。「わかりやすさ」に安住していている限り文学や芸術の深淵に触れることもその世界に参加することも出来ない。謂わば「わかりやすさ」こそは文学や芸術の敵なのである。「わかりやすさ」の世界に安住している限り、安定や秩序に支えられた平凡な市民生活は得られるだろうが、覚醒や発見、あるいは驚きや浄化や快楽とは無縁であろう。筒井康隆も、こう言っている。

僕は小説における「私」とは、もう作家個人の文体にしかない、と思っています。文体は作家の思考の過程だから、文体をじっと見ていたら作家も分かるはずなんですよ。田中さんが言ったように、「ヘソなし小説」というものはあり得ないということですよ。

「私」の問題は文体の問題である、と言うわけだが、これは、われわれが、日常的な、合理主義的な意味の世界から決別し、非合理主義とか神秘主義、あるいは曖昧模糊とした芸術至上主義とでも称すべき非日常的な世界へと移動しなければならない、ということだろう。そこでは言葉は意味の次元においではなく、主に文体の次元で読み取られるのである。
■まず証言や告白を疑うことから始めよ。
ところで、大江健三郎が出廷して、被告席で、「罪の巨塊」だか「罪の巨魁」だかという言葉をめぐって、延々と思弁的な思考を展開した、先程の「沖縄集団自決裁判」だが、そこで私がいちばん驚いたのは、大江健三郎の証言に対して、かなり多くの人が、「難解で理解できない」と評するならまだしも、それとは逆に「わけわからん」「支離滅裂」「妄想」というような種類の批判的な感想を次々に述べたことであった。もともと現代文学や純文学などには何の関心もなかったかもしれない原告の老人・梅澤裕・元座間味島守備隊長が、大江発言を、「わけわからんことをくだくだ述べて……」とか言うのならまだわからなくはない。だが、賛否両論はあるにしても、いやしくもノーベル賞までも受賞し、まだ現役作家として現代文学の最前線に立つ大江健三郎の言葉を、こちらもまた現役パリパリであるはずの秦郁彦のような、論壇やジャーナリズムで活躍する人たちまでもが、そう言ったのには驚きを通り越して、現代日本人の思考力と読解力、そして想像力の低下と欠如、あるいは文学的なものや芸術的なものへの関心の欠如に呆然とせざるをえなかった。いずれにせよ、わかりやすい言葉の「わかりやすさ」を疑わないかぎり、文学も芸術も、そして宗教や哲学も理解できない。従って、わかりやすい言葉の意味の世界に留まっているかぎり、告白や証言につきまとう嘘や欺瞞を見破る事は出来ないだろう。
さて、最後になったが、平井金三という日本人の名前をどれだけの人が知っているだろうか。私は、今日まで、まったく知らなかった。平井金三……初めて聞いた名前であるが、この人こそ、大乗仏教アメリカを初めて出会わせた男であり、鈴木大拙西田幾多郎柳田國男というような近代日本が産み出した真に独創的な思想家・学者たちの起源と源泉に位置している人物らしい。私は、安藤礼二の「近代日本思想史、第八回」(「群像」四月号)を読んで初めて知った。安藤は、こう言っている。

後年になって、平井が関わったどの分野においても、それを大成する者が現れた。そして起源に位置する平井の名前は、単に一過性の「通行者」としてのみ記録され、大部分は忘れられていった。だが今こそ、平井金三の知的放浪の全過程(オンザロード)を明らかにしなければならないのだ

ここに先駆者の栄光と悲惨がある。続きが読みたいと思う評論である。

■新人賞が現代日本文学を救う。● 深津望「煙幕」(「群像」小説優

■新人賞が現代日本文学を救う。

 現代日本文学が停滞、沈滞、地盤沈下の渦中にあることは否定できない。それは、小説などの本が売れないということもあるが、おそらくそれだけではない。停滞、沈滞、地盤沈下の本当の原因は、本の売れ具合とか、若者達の活字離れ等ではない。本は売れなくても、活性化することはできる。要するに文壇や文藝ジャーナリズムに「議論や論争がない」「議論や論争を仕掛ける人がいない」ということが決定的だ、と私は思う。つまり、以下に述べるような「西尾幹二」的存在がいないのである。出版社や編集者の力が強くなりすぎたからだろうか。つまり、作家や評論家達が、出版社や編集者の「パシリ」や「イヌ」に成り下がってしまったからだろうか。おそらくそういうこともあるかもしれない。あるいは、すでに「近代文学は終わり」(柄谷行人)を具現しているだけかもしれない。おそらくいろいろな理由や原因が考えられるだろう。しかし、いずれにしろ、私が、根本的な原因として考えるのは、文壇や文藝ジャーナリズムの世界に、命懸けの文学的議論や文学論争がなくなったことだと思う。

 さて、そこで、その停滞、沈滞、地盤沈下の暗いムードを打ち破る役割を担うのは誰かという問題だが、もうそういう野蛮な役割を既成作家や既成評論家に期待するのは無理であろう。「新しい酒は新しい皮袋に…」である。

 今月は文芸誌の新人賞の季節らしい。というわけで、「文学界」と「群像」に新人賞受賞作が掲載されている。私は、こういう新人作家の受賞作をむ読むのが好きだ。そこには、既成作家や既成評論家にない本質的なものがしばしば発見できるからだ。むろん、あたりはずれは避けられないことだが、既成作家の作品と比べたら「はずれ」の確率はきわめて低い。選考委員の作家先生たちの作品よりも、新人賞受賞作の方がはるかに面白く挑発的なのだ。それは別に皮肉でも逆説でもない。たとえば、どんな作家も、「処女作(デビュー作)を超えられない」と言われるのはそういうことだ。新人賞受賞作や処女作が文学史を形成しているというのが現実である。村上龍は「限りなく透明に近いブルー」を超えられないし、石原慎太郎は「太陽の季節」を超えられない。大江健三郎も「死者の奢り」や「飼育」というような初期作品を超えられないのである。

 さて、「群像」と「文学界」には次のような作品が受賞作として掲載されている。

 まず「群像」から。

●木下古栗「無限のしもべ」(小説当選作)

● 朝比奈あすか「憂鬱なハスビーン」(小説当選作)

● 深津望「煙幕」(小説優秀作)

田中弥生「乗離する私ー中村文則ー」(評論優秀作)。

次に「文学界」から。

● 木村紅美「風化する女」(受賞作)

●渋谷ヨシユキ「バードメン」(島田雅彦奨励賞)。

 以上の新人賞受賞作品の中で、深津望「煙幕」(小説優秀作)と渋谷ヨシユキ「バードメン」(島田雅彦奨励賞)は、いわゆる受賞作というより、「次席」と言うべき位置の作品である。奇妙なことに、前者は、評論家の加藤典洋が、後者は作家の島田雅彦が強引に推薦し、「優秀作」や「奨励賞」という形で掲載にこぎつけたスレスレの受賞作ということらしい。つまり多数決では絶対に救い上げられない作品であるが、たまたま加藤典洋島田雅彦というちょっと強引な評論家や作家の力で、やっと世に出られた作品ということだ。「文学は多数決ではない」という例のいい見本であろう。しかし不思議なものである。私が、これらの新人賞受賞作品を読み比べてみて、もっとも印象深く感じたのは実はこの二作だった。中でも、加藤が、「批評家生命を賭ける」と豪語して推したという深津望の「煙幕」が、抜群に面白く、衝撃的だった。ちなみに日本の近代文学史上で、「文藝評論家」という職業を定着させるという、一種の「文学革命」的役割を果たした小林秀雄のデビュー作「様々なる意匠」(「改造」新人賞優秀作)も、宮本顕治の「敗北の文学」(芥川龍之介論)に次ぐ「次席」だった、ことが思い出される。

 むろん、他の作品も受賞作だからそれなりのレベルを超えていることは間違いない。しかし文学作品としての存在意義というレベルで考えると、いずれも平凡な、それ故に無難な作品と言うことになる。木下古栗「無限のしもべ」(小説当選作)と朝比奈あすか「憂鬱なハスビーン」(小説当選作)は、いずれも、やがて入院することになるような、かなんり深刻な「病的な妄想」の世界を描いているが、これは最近、一種の流行として流布している小説のパターンで、一見新しそうに見えるが、私には二番煎じ参番煎じの印象しか残らない。妄想というけれども、ちっとも怖くないというのが正直な感想で、それは作品の持つ文学作品としての弱さと凡庸さとを意味している。もっとストレートに言えば、作者が凡庸な才能の持ち主なのではないかと想像される、ということだ。そこを見分けるのは、多数決の論理では無理なのだ。

■この小説の「語り手」は誰なのか?

 というわけで、加藤典洋の強引な推薦でようやく掲載されるに至った深津望の「煙幕」という小説について語ろう。この小説が新鮮なのは、小説の中の言葉が生きていることだ。

つまり、話の中身自体は複雑に入りこんでいて曖昧模糊としているにもかかわらず、その言葉だけは、ストーリーなどどうでもいいかのように、こちらにビンビンと伝わってくることである。これは不思議な才能と言うべきだろう。加藤が、

 ≪選考委員の席ではつい、批評家生命をかけて、推す、などと大見得を切ったが、大見得でもなんでもない、誰が見ても、こみれは当然でしょう、が本心である。≫

 と、「大見得を切る」のもうなずけるというものだ。

 私は、何回も読み直したが、その度にますますこの小説の不思議な魅力に取り憑かれる強度が増していくのを感じないわけにはいかなかった。願わくは、小説作品だけではなく、作者自身も、そういう不思議な魅力を持つ、独特の奇怪な才能の持ち主であってほしい、と思う。

 さて、この「煙幕」という小説は、14歳の中学生の「わたし」が、「十五歳になろうとしている少年の、魂の漂流の記録、すなわち『十五少年漂流記』」を書くことを宣言するところから始まる。

 ≪そこで、わたしはじぶんの十四年戦争の様子を穏やかに振り返ることにしよう。十五歳になろうとしている少年の、魂の漂流の記録、すなわち『十五少年漂流記』が、いま書かれようとしている。(中略)わたしはこの物語をわたし自身に捧げる。じぶん以外の、外側の世界にある事物など信じない。わたしは単に、わたしのためだけに、じぶんへの労いのことばをここに書き残すのである。≫

 そして、この小説は、「川端」という学校一の人気者の理科教師と生徒会副会長の美少女「衣川」が、理科教室の奥で密会し、逢引している様子を、「わたし」が偶然に盗み見するという「劇(場面)」から始まる。「わたし」は、この事実(スキャンダル)をネタに、「衣川」をも仲間に巻きこんで、「少女趣味」を隠しつつ熱血教師の仮面をかぶりながら、美少女に色目を使い、彼女を誑かし続け、しかもそれをビデオ撮影していた「正真正銘の天才的な犯罪者」としての「川端」を脅迫し、追い詰め、退職と失踪まで追い詰めていく。

 というと、小説のテーマは、今ごろ流行りの児童買春や児童ポルノ犯罪と言うことになりそうだがそうはならないところに、この小説の不思議な魅力がある。この小説は、書くことや、記録を残す作業についての思索と分析の気録がメインテーマである。

 そして、この小説の大きな謎は、14歳の少年の魂の記録としての「わたしの手記」が、やがて「川端の手記」へと変容し転換していくところにある。おそらく、「川端」という熱血教師は、「わたし」にとっては、「父親」というものを暗示する存在なのである。「わたし」と「父親」の闘争の記録、それがこの小説なのだろう。そしてその闘いは、「わたし」の内部で展開されているのだろう。

 読めば読むほど話の筋が複雑怪奇で、曖昧模糊としていき、ますます分からなっていくが、しかし読み手は、いつのまにかこの小説の世界に巻きこまれていく。そういう不思議な小説だ

西尾幹二内部告発は、きわめて文学的な行為だ。

 これは、直接的には文壇や文芸誌とは関係ないが、きわめて文学的だと思うので、ちょっと触れておきたい。いわゆる「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛騒動のことである。

 私自身は、思想的にも政治的にも共感するところは少なくないが、会員でもないし、関係者でもないので、その内紛騒動の実態については詳しくは知らない。新聞報道と西尾幹二のブログからの情報程度である。要するに外野席から、眺めて楽しんでいる無責任な野次馬でしかない。しかし、私は、一部の良識派文化人が言うような意味で、この内紛騒動が無意味だとか、不毛だとは思っていない。むしろ、逆である。当初は、この内紛騒動の主役は前会長で、更迭されたり復帰したり、そしてまた辞職したりを繰り返している八木秀次かと思っていた。だが、よく見ていると、次第にこの騒動の主役は西尾幹二であるということがわかってきた。むろん私は西尾幹二を内紛騒動の責任者として批判しているわけではない。むしろ、西尾幹二の存在の大きさを知って、そこでホッとしたというのが正直な感想である。

 西尾幹二は、もともとはニーチェの翻訳などで知られたドイツ文学者として出発し、そして早くから文壇や文藝ジャーナリズムで、それほど派手な存在ではないが、数少ない貴重な保守系の文藝評論家としても活躍していた人である。後に、歴史教科書問題等に打ちこみ、三島由紀夫江藤淳などが去った論壇で、新しい保守思想家として一家をなし、保守論壇やアカデミズムやジャーナリズムの世界で華々しく活躍し、今は保守論壇の重鎮として多角的な顔を持つ存在なわけだが、しかし私としては、やはり文藝評論家・西尾幹二というイメージが強い。

 言い換えれば、この「つくる会」の内紛・騒動の意味は、文藝評論家・西尾幹二という観点からしか解けない問題だろうと、私は推測する。おそらく、政治や思想という次元でのみ、この内紛・騒動を読み解こうとすると、厳しい内部告発に至る西尾幹二の焦燥感や暗い情熱の意味が理解できないだろう、と思う。その意味で、私は西尾幹二を突き動かしている焦燥感と暗い情熱に興味がある。それはきわめて文学的、芸術的な問題である。それは世界や人間に対する根源的な違和感である。話し合えば解決するというようなレベルの問題ではない。 

 その意味で西尾幹二の「蛮勇」を私は貴重なものとして高く評価する。つまり、これを言い換えれば、文壇や文芸ジャーナリズムにも「西尾幹二」が必要だということだろう。残念ながら、いないのである。世渡りの上手な似非紳士ばかりが跋扈している。

■文学は政治である。■ 「中国問題」で村上春樹を読み直す

山崎行太郎の「月刊・文芸時評」      山崎行太郎

■文学は政治である。
芸術至上主義者は、自分の小説や批評は、たぶん政治と無縁であると言いたいかもしれないが、その言い方は間違っている。政治をどんなに嫌っても、どんなに頑強に政治に背を向けても、政治的なものから自由ではありえない。芸術や言語そのものがすでに政治性を帯びているからだ。したがって政治と無縁であると思うことは一種の自己欺瞞たらざるをえない。極言すれば、むしろ「反政治性」ということ自体がきわめて政治的なのである。たとえば小林秀雄の批評は「反政治的」ではあったが、政治と無縁だったわけではない。それは、小林秀雄という批評家が政治的関心や歴史的関心の強い人であったということだけを意味するのではない。「反政治」であるためにも、政治的な手続きが必要だったからである。小林秀雄マルクス主義という思想と対決していく過程で政治と真正面から向き合わざるをえなかった。マルクス主義という政治的な思想との対決なくして日本の近代批評は存在しない。したがって、小林秀雄の系譜に連なる吉本隆明江藤淳のような批評家達が、きわめて政治的な問題に深入りしていのも当然だった。それは小林秀雄的な批評が何を意味しているかを示している。つまり、小説や批評そのものが政治的なのである。「第三の新人」や「内向の世代」の作家や批評家達は、政治に背を向け、政治と無縁でありうると信じていた文学世代である。しかし、皮肉にも彼らこそが、文学や言語の政治性に無自覚なままに、言い換えれば「反政治な文学」という看板を掲げながら、現実の場面ではもっとも政治的で世俗的であった。壇の役職類を独占し、文学賞や勲章等を貪欲に獲得し続けているのは、実は彼等なのである。彼らの文学が面白味に、つまり批評性に欠けるのは、政治的なものに無自覚でありながら、具体的な場面では無自覚なままに過度に政治的だからである。
いずれにしろ、批評が政治と決別し、美的、芸術的な解釈ゴッコにとどまる時、文学や批評は終わる、と言っていい。そこでは、批評や小説は、芸術でも文学でもなく、解釈学という反批評的な精神の営みに堕落するだけだ。われわれが文学や批評に期待するのは、そういうものではない。批評とは政治的なものであり、政治的なものとの対決である。
 さて、文芸誌では、今年も新人賞の季節が到来したが、「群像」の新人賞の評論部分に、珍しく「中国問題」という今日的な政治的なテーマを扱ったアクチュアルな評論が「優秀作」として選ばれている。水牛健太郎の「過去 メタファー 中国 ――ある『アフターダーク』論――」がそれだ。
■ 「中国問題」で村上春樹を読み直す。
水牛健太郎は、村上春樹の最新作『アフターダーク』を論じながら、村上文学の底流を流れている「中国問題」なるものを取り出し、そこから村上文学を読み直し、同時に現代の日本人が直面している問題が何であるかを解明するという荒業を、実に平凡で、わかりやすい言葉と文体で追求している。
 『アフターダーク』には、中国人の娼婦が登場し、日本人に殴られ、すべてを奪い取られるのだが、たとえば村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』等の初期三部作にすら、すでに「中国問題」が存在していた、と水牛は言う。
村上春樹の一九七九年のデビュー作『風の歌を聴け』と、それに続く『1973年のピンボール』(一九八〇年)、『羊をめぐる冒険』(一九八二年)の三作品には、「ジェイズ・バー」のマスター「ジェイ」が登場する。ジェイは主人公の「僕」と友人の「鼠」の故郷の町でバーを経営する中国人だが、家族との縁が薄い「僕」と「鼠」を常に暖かく迎え、帰るべき場所を与える慈父のような存在だ。ジェイは積極的にストーリー展開にかかわることはないが、それだけに作品世界を根底で支える大きな役割を果たしている。『羊をめぐる冒険』のエピローグで「冒険」を終えてジェイズ・バーに帰ってきた「僕」は、ジェイに「僕と鼠に何か困ったことが起きたらその時はここに迎え入れてほしいんだ」と頼み、ジェイは「これまでだってずっとそうして来たじゃないか」と答える。/中国人ジェイとは果たして何者だったのだろうか。》
村上春樹の初期作品から、この「中国人ジェイ」を取り出し、そこに「中国」という問題(メタファー)を読み込んでいく手つきは鮮やかである。選考委員の加藤典洋が、「こういう書き手は、実はそういるものではない。」と絶賛しているが、私は加藤の言うことは正しいと思う。文字通り、「こういう書き手は、実はそういるものではない」のだ。明らかに政治的なセンスが、言い換えれば批評的センスが感じられる。
 さて、水牛の分析に戻ると、水牛はこの評論を『アフターダーク』の次の一節を引用することから始めている。それはこういうものだ。
《『逃げ切れない』と高橋は、その三日月を見上げながら声に出してみる。/その言葉の謎めいた響きは、一つの暗喩として彼の中に留まることになる。逃げ切れない。あんたは忘れるかもしれない、わたしたちは忘れない、と電話をかけてきた男は言う。(中略)わたしたちって、いったい誰のことなんだ?そして彼らはいったい何を忘れないんだろう。》(『アフターダーク』)
この村上春樹の『アフターダーク』という小説によると、中国人の娼婦が日本人に殴られ、持ち物を奪われ、その奪われた持ち物の中の携帯電話から聞こえてくる声が、「逃げ切れない」とか「わたしたちは忘れない」という引用文の言葉である。この言葉をきいワードに水牛は、村上春樹の文学と、村上文学が提起している問題を読み解いていく。むろん、きわめて政治的な問題としてである。私は、多くの点で水牛の解釈には反対だが、水内の分析と論理には感服せざるをえなかった。やや大げさに言えば、私としては村上春樹の小説が、はじめて理解できたように思った。
■中国に対する大きな期待と裏腹の不安と恐怖
さて、村上春樹の小説の中の、「わたしたちって、いったい誰のことなんだ?そして彼らはいったい何を忘れないんだろう」という疑問が起こるが、作者村上春樹は、この問題を、「つまり『わたしたち』とは中国人のことであり、『日本人』が過去に行った所業(暴力行為と財産の略奪)について、『忘れない』と言っている。」と説明している。
 換言すれば、村上春樹の『アフターダーク』の中の、中国人娼婦への暴力と略奪は、日本人の満州(中国東北部)への侵略と現地住民への加害行為の「メタファー」になっているということになる。
 わかりやすい解釈と説明だが、ここで、水牛はさらにこう分析する。
《そのように考えるとまた、上に引用した電話でのメッセージが、いまの日本人が中国に対して感じている、不安と恐怖を象徴的に表していることがわかる。/負い付かれる恐怖。そして「執念深い」中国人によって復習される恐怖。それは、一昨年、西安で日本人留学生の寸劇を誤解した中国人学生らが暴徒化した事件、昨年七、八月のサッカー・アジア杯での中国人観客の激しいブーイングなどの事件の度に噴出する、日本人の中国への不安を映してもいる。『アフターダーク』の携帯電話のメッセージは、こうした不安感の根底にあるのが、かつて日本人が中国に大きな被害を与えたために、中国が国力を付けたら復讐されるのではないか、という恐怖感なのだということを、これ以上ないほどに鮮やかに表現しているように思われる。》
これが水牛の結論と言っていい。むろん、私はこの「謝罪論的」中国認識という結論に賛成しないが、しかし村上春樹や水牛健太郎が、あるいは日本人の多くが感じているらしい「中国に対する大きな期待と裏腹の不安と恐怖」の感情には共感できる。村上春樹の文学は、欧米だけでなく、東南アジアや中国においてさえ爆発的に売れていると聞くが、これまでは私にはその根拠と背景が充分には理解できなかったが、水牛の村上春樹アフターダーク』論を読んではじめてわかったような気がする。世界中が村上春樹の小説を夢中になって読んでいるのは、そこに中国という問題がメタファーとして描かれているからではないか。まさかとは思うが、村上春樹がデビュー作以来、一貫して作品世界の背景に「中国と言う問題」を描きこんでいたとすれば、あながち、それも否定できないだろう。
ところで、巷には、中国の反日暴動に対する批判と侮蔑感が一般的な常識として蔓延しているが、作家としての村上春樹がデビュー作以来描き続けてきた中国問題は、またもう一つの隠された中国体験をわれわれに示しているようにも思われる。
 その意味で、水牛の村上春樹論は、総合雑誌や論壇ジャーナリズムが決して問題にしないような日本人の中国問題を、われわれに提起している。こんなことも水牛は書いている。
《中国はもはやノスタルジーの対象ではない。中国は過去の刻印を帯びたまま、生身の肉体を持って現代の日本に現れた。そして「わたしたちは忘れない」と迫ってくる。『アフターダーク』の中の中国。それは決して逃れられない過去、正面から向き合うことを要求してくる、現代に甦った過去そのものなのである。それはもはやメタファーですらない。》
■ 新人作家たちの「二作目のジンクス」
四十五歳以上の新人だけを対象にした文学賞を設けて話題になった「文藝思潮」という同人雑誌の創刊を記念して行った座談会で、批評家の井口時男が、「最近の小説にはいい意味での変化の胎動が感じられる」と言っていたが、新人賞受賞作のいくつかを読みながら、私も同じような感想を持った。
同じく「群像」の小説部門の新人賞受賞作「さよなら アメリカ」も、新鮮で溌剌としたいい小説である。作者の樋口直哉もまだ若い人のようだ。
 袋を被って生活している「袋族」の青年の物語だが、この「袋」が何を意味しているか、何の暗喩なのか、というようなことを考える必要がないほどにストーリイーも文体もともに軽やかに展開していく。最近の若い新人作家たちの作品から、作品を萎縮させ、窮屈な鋳型に嵌め込んでいたような何かが消滅したように感じられる。それは、同じく「群像」の「小説優秀作」を受賞した望月あんねの「グルメな女と優しい男」にも言えるだろう。「人間を食わずして、グルメを語るなかれ」という衝撃的な一句で始まっているが、かなり大胆な思考力を展開している。
 しかし、新人作家にはジンクスがあるようだ。二作目のジンクスとでも呼ぶべきジンクスが。たとえば、『漢方小説』という批評性の濃厚な秀作で昨年、デビューした中島たい子が、新しい作品「この人と結婚するかも」(「すばる」)を発表しているが、デビュー作に比べて格段に落ちると言わなければならない。メロドラマっぽい通俗的な新作を読んで、案外、こういう小説がこの新人の本質(体質)なのかもしれない、と感じた。樋口直哉や望月あんねにも、その危険性がないわけではない。

■「群像」編集長交代劇について 。■文学好きの精神科医に文学はわ

山崎行太郎の「月刊・文芸時評」     

■「群像」編集長交代劇について

 伝統的な「創作合評」欄や匿名コラム「侃侃諤諤」欄を廃止し、装丁も一新するなど、「群像」の大幅な改革と刷新を目指していた編集長が、志半ばで突然、解任され交代させられたらしい。わずか二年の編集長であったことになるが、異例の交代劇であることは間違いない。一部には「更迭」という噂もあるが、私は詳細については知らない。ちなみに一度は廃止した「創作合評」や「侃侃諤諤」を、無理矢理に復活させられた頃からその兆候はあったが、それが現実になってみるといろいろ考えさせられる。
 では、この編集長交代劇の背後には何があったのか。その編集方針や人間関係に問題があったとしても、編集長がわずか二年で交代させられるという現実は、現代の文芸や文芸誌の置かれている困難な状況を暗示している。伝え聞くところでは、「群像」の新編集長に就任した人は、またもエンターティメント関係からの移動らしい。とすれば 会社側が何を目指しているかは明らかだろう。やはりこの「前編集長更迭」と「新編集長の登場」の意味するものは、伝統的な純文学系文芸誌の復活ではなく、結局のところ、「売れない純文学」から「売れる文芸誌」路線への転換ということなのだろう。 すでに何回も失敗した「売り上げ文学」路線を性懲りもなく再び選択したと言うことだ。 
最近の文芸誌は、いずれも編集という場所と空間に大きな問題点を抱えている。文芸誌は新人賞取りの機能しかはたしていない。「文学とは何か」「文学は何をなすべきか」とかいうような根本的なテーマで議論・論争する場所としての機能を失い、新人賞目的の「公募ガイド雑誌」化しつつある。その証拠に、対談やインタビューもほとんどが、自社出版物の宣伝とプロパガンダに終始している。そこで排除されるのは批評家であり、逆に歓迎されるのは書評家やコラムニストである。「批評のコラム化」である。
 そうなった大きな原因は、編集者や編集長にじっくりと腰を落ち着けて編集という長期的な仕事に取り組む時間と余裕を与えようとしない出版社のシステムにあると言うべきだろう。作家や批評家を育てる前に、まず文学や批評にそれなりの見識を持った編集者を育てることが必要だろう。たとえば、私の知る限りで言えば、寺田博(「文藝」「海燕」)、坂本忠雄(「新潮」)らに代表されるような「生涯一文芸編集者」の育成である。

■文学好きの精神科医に文学はわかるか。

 最近、私が疑問に思っていることの一つは、文芸誌にしばしば登場する文学好きの精神科医という存在である。別に精神科医一般に批判があるわけではないが、精神科医がそれぞれ作家や批評家としてではなく、精神科医という肩書きのままに文学について安易に語ることと、それを歓迎しているように見える編集者や出版社についてである。
 なぜ、精神科医は文学について不用意に語ってしまうのか。文学なんて精神科医という科学者にとっては「やさしい!」とでも考えているのだろうか。精神科医が、文学を語るとき、何か大きな勘違いを犯しているように見えるのは、なぜか。それは、「文学がわかる!」という錯覚に無自覚だからだ。作家や批評家は決してそんな不用意な語り方はしない。彼らはその道のプロであるにもかかわらず謙虚であり、文学への畏怖というものを持っている。たとえば、今回で芥川賞選考委員を辞退するという古井由吉の発言(「文学界」「この二十年の芥川賞」等)は、新しい文学や若い作家に対してもあくまでも謙虚である。しかし、精神科医たちの文学論にはその謙虚さ、つまり文学への畏怖がない。
 たとえば、今月は、春日武彦という精神科医が、「文学界」の「文学のなかの危機」という特集で、「人はなぜ文学を求めるのか」というタイトルのインタビューを受けている。そこで春日はこんな発言をしている。
 《藤枝静男がいちばん好きですね。身につまされる。どういうところかというと、あの人は私小説を書きたいというのが大前提にあった。ところが彼は私小説を書くにしては境遇が結構幸せなんですよね。だから書くことが基本的にはあまりない。貧乏話もいまいち迫力ないし、病気の話もいまひとつ。といって眼科医だから患者の悲惨な話もあまりなかったりする。書きたいけれど、身の回りにあまり書くことがないというところからはじめて、そこであきらめるかというと、どんどん変な方向というかある意味で奇形な方向に行った。『空気頭』とかね。あのへんのずぶずぶといく感じがすごくいい。今の世の中なんて、書くに値するような不幸なんてそんなにない。プチ不幸にはあふれていても。そういう意味で、ああいう変なかたちに行っちゃった藤枝静男はいまこそ評価されるべきです。》
 私がここで、春日武彦なる精神科医の文学論を長々と引用するのは、その発言が文学的に面白いからでも、何らかの文学的な問題をはらんでいるからでもない。むしろ、この程度の素人的な文学論を文学の専門家たちが書き、読むはずの文芸誌で、恥ずかしげもなく堂々と披露するその鈍感な心理構造が面白いからである。実は、この鈍感な心理は、春日武彦という精神科医を呼んできて、文壇の大御所を相手にするかのように、うやうやしくインタビューする文芸誌の編集者たちも共有する心理である。私は、おそらく現代文学、現代小説の衰弱の根本原因はここらあたりにあるのではないか、と思う。
 春日の、「今の世の中なんて、書くに値するような不幸なんてそんなにない。」というご意見も、いかにも現代文学に無知な素人的意見でまことに陳腐すぎる。そもそも貧乏や不幸がなければ文学は成立しないのか。そんなはずはない。科学者が、貧乏や不幸と何の関係もないように、天才的な作家も別に貧乏や不幸が原因で小説を書くわけではない。「貧乏や不幸のないところに文学はありえない。」という文学論こそ、素人が洗脳されやすい通俗的な観念論にすぎない。
 たとえば天才は、不幸や悲劇を発見し、創造する人である。それは文学者も科学者も同じである。たとえば、アインシュタインは、古典物理学の平和的秩序を破壊した人である。彼は、科学者として科学の世界に潜む悲劇と不幸を新たに発見したのである。小林秀雄は、近代文学の世界に批評を導入した人だが、それもまた近代文学的な平和的秩序を破壊したという歴史的意味を持っている。春日は勘違いしているが、不幸や悲劇は文学や小説の原因ではない。逆に文学が不幸や悲劇を新たに発見し創造するのだ。その発見された不幸や悲劇に接して読者は感動を味わうと同時に精神のカタルシスを実感するのだ。現代文学の不幸は、一見すると平和で幸福そうな現代生活の根底にあるはずのこの悲劇や不幸を、新たに発見し表現する才能を持つにいたっていないと言うところにあるのだ。
 春日は、物知りらしく、江戸川乱歩から保坂和志梅崎春生鮎川哲也泡坂妻夫都筑道夫、ジェイムス・エルロイ、スティーブン・キングティム・オブライエン佐野洋村上春樹浅田次郎小松左京…と、古今東西の作家の名前を次々と列挙して延々と解説と批評を加える。私も読んだことのない作家が少なくないが、しかしこういう浅薄な文学的雑学になんの意味があるのか。この程度の雑学的教養こそ、もっとも文学的創造と無縁な教養であり、知性ではないのか。文芸誌がこの手の文学好きの似非文化人に迎合するのは喜劇である。むしろ、こういう知ったかぶりのエセ文化人を軽蔑し、文芸誌から排除するようになった時こそ、文学や批評が活性化する時であろう。
 最後に、春日は自信たっぷりにこんなことまで発言している。
《重病人や引きこもりや自殺志願者やモテない奴や、フリーターやそういった連中の話はどんなに感動的に書かれていたとしても、もう沢山だなあ。》
 今更、言うまでもなく、春日のような文学音痴の厚顔無知なおしゃべりこそ、「もう沢山だなあ。」である。 

島尾敏雄について語るべきこと。

 「文学界」の特集には、島尾敏雄を論じた清水良典の「『「死の刺」日記』と『死の刺』」も掲載されているが、こちらの方はさすがに文芸評論家としての仕事を何年か積み重ねてきた人らしく、文学という本来の問題を的確に把握し、展開している。知ったかぶりの自慢話に堕落した春日武彦の発言とは雲泥の違いである。
 『死の刺』は、島尾敏雄本人と、精神病院に入院するほどまでに精神的に破綻したその妻ミホとの夫婦生活を詳細に描いた私小説である。清水は、最近刊行された『「死の刺」日記』という新しい資料を元に、島尾敏雄研究の定番として世評の高い奥野健男吉本隆明島尾敏雄論を、批判する。むろん、ここで問題なのは批判のレベルである。私が清水を評価するのは、ここで清水が文壇や論壇の権威に果敢に挑戦し立ち向かっているからである。
 島尾ミホには、ほとんどトレードマークのように染み付いたイメージがある、と清水は言う。その典型は奥野健男による次のような解釈である。
 《妻は古代人である。(中略)夫は故郷の島を守るために海の彼方ヤマトから渡って来た荒ぶる神であり、稀人である。それ故にユカリッチュの家に生まれ、老いた両親のもと珠のように可愛がられ、島人から唯ひとり「カナ」とまぶしく呼ばれ、ノロ信仰の島を治める巫女の血を引く、この誇り高い島の娘が、島人の心を代表して、ニライカナイの神、稀人の妻として仕えた。》
 清水は、奥野健男吉本隆明以来常識となっているこの種の「島尾ミホ・南島の古代人」説を、結婚前のミホが12歳から19歳まで10代のほとんどの期間を東京で教育を受け、島では女性教師として働く知的女性だったという事実を証拠に批判する。つまり「島尾敏雄・知性の人」と「ミホ・古代人」という二元論を否定し、ミホもまた都会的な知性の人であり、島尾文学の創作の協力者として、あるいは合作者としての役割を担っていたと解釈する。したがって、『死の刺』を、島尾敏雄の妻に対する懺悔と鎮魂の文学とする解釈は正確ではないと言う。そしてこう結論する。
 《20年以上も書き継がれた『死の刺』は、祈祷文と地続きの、祈りの文学なのである。》
無論、ここで重要なのは「夫婦が声を合わせて唱えつづけた…」という部分である。