あの子はいつだって綺麗なの

 なんだかもうあの子のことなんかどうだっていいやって思いかけてた、そんなあの子の誕生日にこんな動画をやほおのトップページに見つけて、それでどこか近くの会社の5時終業を知らせる音楽なんだかどうだか無粋に響いてきたのがアベマリアだったのが、ただの偶然だったのなら偶然でも別に構わない。偶然がわたしを叱っているのかもしれないし、偶然がわたしを励ましてるのかもしれないし、いずれにしろ神様のすることなんて、わたしには偶然としかおもえないくらい理解不能なことなんだから。

 いつのまにかだめになってたのはわたし、あの子じゃない。あの子はいつだって綺麗なの。

身を焼くより

 ありていにいえば、わたしは母が嫌いなのだ。


それはハウルの動く城のソフィーばりに、よくできた呪いで、人には言えない類のもので、だけどわたしには心やさしい悪魔のカルシファーなんていないから、「その呪いは人には言えないよ」だなんて言ってももらえなくて、それだから仕方なく一人で呟いてそれで納得するしかないそういう類のものなので、まあ仕方ない。

ソフィーの美しく華やかな母は、生まれつき当然のものとして備わっている、その美しさと華やかさ、そうしてそこから生まれる無垢で無邪気な残酷さで、ソフィーを傷つけ損ない続け、ソフィーはその呪いから抜け出すための儀式として荒地の魔女の呪いを受けて老婆になり、それでもその老婆になったソフィーの本当の美しさに気づき認めてくれるカルシファーマルクルとかかしとハウルによって救われ再生するのだ。たぶんね。わたしが思うに。

わたしは母が嫌いなのだなんて、そんなつまらないことが問題なんじゃない。母親の呪縛に苦しんでる人なんか、掃いて捨てるほどこの世の中にはいるんだし。だからそんなことはどうだっていい。
ただ、気掛かりなのはあの子のこと。わたしのかけた呪縛にあの子が苦しんでるんじゃないかってこと。

それが身を焼くより辛い。

忘れちゃう

あの子がいなくなっても多分わたしは呆れるくらい大丈夫なんだろうと今日思った。いるからつらいだけで、いなかったら全然平気ですぐ忘れちゃうんだって思った。本当に多分その通り、すぐ忘れちゃうんだろうと思う。そういうすぐ忘れちゃう自分がちょっとつらい。なんかつらい。そんなふうでいたいわけじゃないのにね。

 どうしてすぐ忘れちゃうんだろう?

ひらひら餃子

わたしは餃子をつくるの餃子の皮で餃子の餡を包むのくるりと包んでひらひらと折るのまるで苦役みたいにね幾つも幾つも作るの幾重も幾重もひらひら折るのそうすることで何かを思い出すのかそうすることで何かを秘めるのかわからないままただ折るひらひらとそれが餃子。そうして熱く焼かれた鉄板の上で焦げる。だからそれがまるで赦しのようだと思う。ひらひら餃子。

まま。

何かを失くしたのだという自覚はあるのだけれど、それが一体何と引き換えだったのかが今もわからなくてそのせいで何もかたづけられないまま。そういうのが運命なのか自然の流れなのかそれすらわからないからわからないまま失くしたまま。まま。

週末って

オーブレネリを歌いながら発泡酒を2本飲んで、それから人生っていったい何なんだろうねって誰かに問いかけたくなったりとかしながら、うん誰かに頼って問いかけないのがわたしのちゃんと生きるなのって思う。自分の荷物は自分の荷物。他人の荷物は他人の荷物。そんなにばっさり割り切れるなら、もっとずっとダイハツ、じゃなくて、もっとずっと自分の思うことを好きなようにやれたはずなのにな、あれれっ?なんて、まぁ煩悶。板門店で飯を食う。
 週末ってついつい自分を甘やかす。