立春:再見大連、ただいま日本

 2/1に会社を退職し、片道チケットで日本に帰ってきた。
 中国での生活が嫌になったとか、仕事が嫌になったとかではなく、秋から今期(11月〜1月)限りでと決めて、個人的な理由で前向きに爽やかな気持ちで帰ってきた。

 中国での目標は上を見て挙げていけば切りがないけど、色々な人と出会えたこと、トレーナーとしての経験を積ませてもらえたこと、短い期間だったけど中国で生活できたこと、中国語で当初の目標としていた級が取れたこと、最後の日に念願の春餅を食べれたこと…思い残すことはない。

 1年3ヶ月という限られた期間だったけど、大連に行けたことは本当に良かった。

 郵便局で見知らぬ人が助けてくれたことも、何も言わずおじさんが席を譲ってくれたことも、マンションの警備の人まで体調を気遣ってくれたことも、春節に一人じゃ寂しいだろうからと呼んでくれたことも、激励や感謝の言葉をもらえたことも、意思の疎通ができなくてどなられたことも、適当な回答をされてムカッときたことも、病気になったことも、漫画みたいなことが起こったことも、街の人に韓国人か?と何度も聞かれたことも…全て良い思い出。


 初めて人と人の出会いの貴重さをこんなに感じた気がする。
 日本では出会えなかっただろうし、仮に日本で出会っていたとしてもそのまますれ違っていたかもしれない。同じ時期にちょうど広い世界の中で大連という場所にいて、その中で同じ会社だったり、同じ場所にいて出会った。奇跡だと思う。

 まだ一週間ぐらいしか経っていない送別会の写真を日本で見ていると、もう何日も前のことのように思え、どんどん夢みたいに変わっていくけど、大連で多くの人と出会い、同じ時間を共有し、いつも温かく支えてもらえことでかけがえのない時間を過ごすことができたことは一生忘れられないと思う。


 4日の朝、雨女だと思う私だけど雲一つなく晴れていた。
 離陸するとき、窓から下を見ていると、奮工街、中山公園、テレビ塔、労働公園、スイスホテル、中山大酒店などはっきりと見えた。送別会でも、仕事を抜けてわざわざ見送りに来てくれた5人の前でも泣かなかったけど、空から大連の街を見ると、ぼろぼろ〜と涙が溢れてきた。(その後、機内食を食べることには落ち着いていて、食べ終わった後は着陸まで熟睡…隣のおじいちゃんにきっと変な子だと思われたと思う。)

 さぁ、日本でまた再出発する準備をしよう。

そうだ、上海に行こう

 中国に来てからまだ上海に行っていなかったし、おばさまにもお会いしていなかったので、"来週行こう"、急に思い立って行くことにした。

 約4年前に行ったときよりまたかなり変わっていてびっくり。そして実は、4度目の上海だったりするのだけど、悲しいかな、全く土地勘がない自分にがっかり。

 前来たときには、まだリニアモーターカーはなかったし、地下鉄も2号線までしかなかったのに9号線までできている。しかも、かなりデジタル化され、自動切符販売機がお目見えし、「あと何分何秒で次の地下鉄が来ますよ〜」の表示まである。これはすごい。観光地の「新天地」…元フランス租借地を再開発した新天地…こんなところはあったっけ?いや、なかったはず。

 今回の初体験は、431km/hという中途半端な最高時速をマークするリニアモーターカー、上海馬戯城というところの雑伎団+マッチョなお兄さんたちが飛んだり、跳ねたりだけでなく、球の中をバイクでぐるぐる回ってしまったりもするアクロバットな演出、おしゃれな新天地、中国らしい庭園のヨ園の夜景、上海から1時間半ほど離れたところにある水郷の周荘。

 リニアモーターカーはメーターの表示をずっと見ていたけど、432には決してならかなった。周荘は、昔の商人が住んでいた街がそのまま残っているところで、街に川が流れ、中国らしくて、とても落ち着いた場所だった。おばさまと一緒だったので、「ここが陳さんのお屋敷で、このお庭の意味はね…。ここがチョウさんのお屋敷で、この道具見たことありますか?」と、ガイドのように案内してくれた。

 周荘は普段は人でごった返しているらしいが、その日はすごく寒くて雨模様だったので、ほとんどの場所ががらがら。小舟にもすぐに乗れた。小舟でゆっくり15分ぐらいかけて一周する間、船頭さんが民謡を歌ってくれるのだけど、歌ってもらうにはお金を追加で払う必要があるので、同乗した学生っぽい男女6人団体は、「寒いし、お金払うのも勿体ないので、自分たちで歌おうよ!」みたいなノリで、大声で数曲歌い始めた。一緒に歌えなかったけど、おもしろかった。

 あとは夜、外灘の夜景を見に行くとき、欧米人に呼び止められ、「一緒に写真を撮りましょう」と言われたので、ごっつい身体の欧米人と一緒に写真を撮った。なぜこんな普通の交差点で写真を?と思ったら、遠くのROLEXのビルのてっぺんに王冠があって、ちょうどその位置から撮ると、頭に金色の王冠が乗っているように見える。すごい、この発見。

 そんなこんなで3日間欲張って色々回って思ったこと。大連も都会だけど、上海はもっともっと都会で、おしゃれで、雰囲気が違う。歴史的な背景もあるけど、西洋文化の融合も大きい、そんな感じがした。

原点

 1999年3月、初めて海外旅行に行った。行き先は中国の上海と蘇州。当時、出張で上海に何回か行っていた父がプライベートで行ってみたいと言ったので、一緒に行くことにした。

 上海の都会さ、蘇州の中国らしさよりも、初めて言葉が通じないというもどかしくてしんどい感覚が一番印象に残った。また当時から、同僚の中国人のおばさまと家族ぐるみでお付き合いをしていたので旅行に行ったときに、そのおばさまにもお会いし、初めて日本語が話せるとはいえ、異国の方とこんなに密に接した。

 たぶん、その時に味わった感覚とおばさまとの出会いを通じて、中国に対する興味がふっと湧いたんだと思う。上海は中国に対する私の原点、だと思う。

1月7日

yingying2008-01-07

 今更ですが・・・

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 またまた激動だった2007年が終わり、2008年の始まり。今年は少し落ち着いて1年を送ろうと思う。今年も良い年となりますように。

 北京オリンピックの年、中国は益々盛り上がっていくんだろうか。

 気がつけば1月7日。確か七草粥を食べる日。今まで食べたことがないし、七草が全部言えない。せり、なずな、すずしろ、ほとけのざもそうだったっけ…?で、んーと、あとは分からない。

 正しくは、せり、なずな、ごぎょう、はこべ(はこべら)、ほとけのざ、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)の七つ。私もこれを食べて疲れた胃を休めたい。最近食べ過ぎ。

Merry Christmas!

 「Christmas」を「X」を使って書こうと思ったら迷った。「X'mas」とアポストロフィが付いていたっけ?「Xmas」と付いてなかったっけ?

 英語圏では「Xmas」と、あと「X-mas」と略記するらしく、「X'mas」とアポストロフィを付けて表記するのは日本や台湾、東南アジアが多いのだとか。

 「X-mas」は思い浮かばなかったし、「Xmas」は何か足りない気がした。ということは気のせいかもしれないけど、よく見かけるのは日本でも中国でもやっぱり「Merry X'mas」なのかも。

 でも、「X'mas」のアポストロフィの使い方は誤っているらしい。意外なところで1つ誤用例だけど、汎用的に使われている例を発見。


 あ、今日、和平広場の入り口にあるイルミネーションを写真に撮ろうと思ってたのに忘れちゃった。でもたぶん2008年になっても、もしかしたら春節が来ても残ってるだろうからまた今度撮ろうっと。
 

福娃、フーワー

 百貨店などの特設グッズ売り場でよく見る北京オリンピックのマスコット。(ちょっと5レンジャーみたいなやつ)

 この間、北京オリンピックのマスコット「福娃」は日本語で何と言いますか?と質問された。ネットで調べた限りでは、中国語をそのまま読んで「福娃(フーワー)」だけど、日本でこうみんなが呼んでいるのかな?というか、マスコットの知名度自体あまり高いのかな?

 そういえば今日、朝テレビをつけていたら北京オリンピックのCMが流れていた。「福娃」も合成されて出演し、映像+PRの文字が流れるんだけど、まず最初は街の映像+「清潔な都市」の文字、次が木の映像+「きれいな環境」、その次が電車をきちんと整列して人が待つ映像+「順番を守る人々」みたいな感じで、その次ぐらいが電車で携帯を切る映像+「マナーの良い人々」みたいな感じ。

 オリンピックのPRというよりは中国のきれいさ、マナーの良さをPRしている番組に見えた。

 …でも実際は、順番を守る文化はまだあまり浸透していない。電車でもバスでもめちゃめちゃ割り込みされるし、スーパーで野菜や果物を計ってもらうときも、横からいっぱい人が入ってくる。
 
 関係ないけど、親切さに感動することもあれば、反面サービスに「?」や「!」と思うこともある。今日もスーパーに行ってバナナを買おうと思ったら、棚だししている店員が前を陣取っていてバナナが取れない。お客様よりも自分の棚だし優先。店員の案内も結構適当で、在庫切れの状態なだけでも「その商品はここにはない。他の○○に行け」とか言われたり。

 愚痴っぽくなったけど、ここにいて中国らしいなぁって思うところなので否定するわけじゃない。(とフォロー)